物語る亀

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物語愛好者の雑文

<原作と比較>小説・映画『流浪の月』ネタバレ感想&評価! 原作の持ち味を映画は発揮できていないのでは?

 

今回は映画も公開された『流浪の月』について語っていきましょう

 

原作既読の感想になります

 

流浪の月 (Wandering) (Original Soundtrack)

 

カエルくん(以下カエル)

原作は本屋大賞を受賞するなど、大きな注目を集めているね!

 

だから、この記事は原作との比較を中心とした記事になるかもしれない

 

 

主「映画の感想ってどうしても主観的な面が強くなって……ここ最近はなるべく客観・具体的な記事を書こうという意識はあるんだけれど、今回は色々といつも以上に主観が強い記事になるかもしれない

 

カエル「え、何かあったの?」

 

主「詳しくは語るけれど……結論から先に述べてしまうと、この映画としての出来はともかくとして、原作の解釈と映画の解釈が全く異なるように感じてしまうんだ。

 むしろ、真逆と言ってもいい

 そこがすごく大事な部分だと自分は認識しているから……そこを中心に書いていきます。

 なので、今回は

 

○ 原作の解釈
○ 映画の解釈

 

 この両方を表記します。

 だから、正確には映画の感想というよりは”流浪の月論”として読んでほしいかな」

 

カエル「感想文というよりは、意見文になるということかな。

 というわけで、記事のスタートです!」

 

この記事の短評

    • 全体的な感想 → 映画としては 原作と比較したら×
    • 原作の解釈 → 性愛に頼らない関係性を描いた作品
    • 映画の解釈 →  既存の価値観しか反映できていないので?

 

 

 

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感想

 

それでは、Twitterの短評からスタートです!

 

 

これは自分の中では違和感がある作品になってしまったかもしれないかな

 

カエル「まずは、原作どうのこうのは置いておいて、映画としてはどうだったの?」

 

主「悪くないと思う。

 自分はノイズがどうしても入ってしまったけれど、それでも映画そのものとしては評価できる点があるし、とても好きなシーンもある。

 李監督の『怒り』から続く作家性もあるし、目を引くような表現もたくさんある。

 ただし、暴力的な表現もあるから、そこは人を選ぶかもしれないとは言っておくけれどね。

 今作では『パラサイト 半地下の家族』などで、ポン・ジュノ監督と共に撮影を担当してきたホン・ギョンピョが撮影監督を務めているけれど、それだけの美しさを感じることのできる映像に仕上がっている」

 

パラサイト 半地下の家族(吹替版)

blog.monogatarukame.net

 

意外と、そこは褒めが多いんだね

 

描かれているものの相性が悪いだけで、今作が”今年ベスト級!”と言いたくなる人もいるかもしれない

 

カエル「映像演出に関して言えば、その時ごとの登場人物の繊細な気持ちに、しっかりと寄り添うことができる作品になっている印象だよね」

 

主「そこまで大きなドラマが連続して続くという作品ではないんだけれど……

 もちろん、大きな展開もある。人の目を引く瞬間もある。

 でもそれ以上に、静かに、淡々と日々が過ぎていくことを描く作品でもあるんだ。

 だからこそ150分というのは少し長さを感じる部分もある。

 だけれど、その長さは必要な作品だったとも思うし、物語を楽しむというよりも、登場人物の葛藤に身を委ねて一緒に葛藤してほしいタイプの作品だね

 

(C)2022「流浪の月」製作委員会

 

役者について

 

次に役者についても語っておきましょう

 

ここは気合が入っていたねぇ

 

カエル「まずは主演の広瀬すず!

 なんか映画のすずちゃんってすごく久しぶりな気がするよねぇ。

 もちろん、映画にもちょいちょい出ているけれど、ここまで”女優・広瀬すず!”をアピールした作品は久々だったのではないでしょうか?

 

主「今の20代半ばに入りかけてきた、現代の等身大の女性が演じられるようになってきたね。

 これまでは年齢もあって10代の天真爛漫な様子などもあったけれど、今回は20代の複雑な内面も演じてきた。自分は広瀬すずは時代を代表する名女優だと感じているけれど、しっかりとその地位を固め、また1つ実績を積み上げている印象です。

 正直、原作とはイメージが異なるけれど『怒り』から続く李監督作品の起用ということもあり、熱演が光ったという印象です」

 

(C)2022「流浪の月」製作委員会

 

続いては松坂桃李ですが……

 

やはり、今の時代を代表する男性俳優の1人だよね

 

カエル「ロリコンの犯罪者という、人によっては嫌になるような役をしっかりと演じられていたという印象だね。

 こういった役を引き受けるからこそ、松坂桃李の役者としての信頼度がどんどん上がっていくんだろうね

 

主「役者イメージを大事にするならば、断った方がいい役とも言えるかもしれない。だけれど、そういう役にも積極的に挑戦し、社会派作品で日本全体に旋風を巻き起こすというのが、松坂桃李に対する印象だ。

 こちらも正直、自分の原作イメージとは違ったけれど、でも実際見てみたら、まさに『文がいる!』となるくらい合わせてきていて、とてもびっくりしました。

 いい演技だったと思います」

 

(C)2022「流浪の月」製作委員会

 

あともう1人あげなければいけないとしたら、横浜流星くんだよね

 

こちらは役者イメージを一変するくらいのいい演技だったね

 

カエル「どうしても若手の人気俳優ということもあって、恋愛系とか、映画ファンからすると軽くみられてしまうような作品が続いていたけれど、今作で”役者・横浜流星”の魅力を見せつけたのではないでしょうか」

 

主「今回は色々と問題を抱えている男性を演じていたけれど、とても普通の人としての好青年な一面と、闇を抱えてしまう一面を、とてもよく演じていた。

 前半と後半では人が変わったようになっているので、そこで彼の本領発揮といったところではないだろうか

 

(C)2022「流浪の月」製作委員会

 

基本的には変な役者がいない作品に仕上がっているよね

 

カエル「その他の役者に関しても違和感なくて、演技そのものは多分文句があまりつかないと思うので、役者を楽しむという意味でも、しっかりと注目していきたいね!」

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

原作解釈の前に〜恋愛作品論〜

 

恋愛作品に対する障害

 

ここからは、ネタバレありで語っていきましょうか!

 

まずは原作について、自分の解釈について語っていきます

 

カエル「まずは、前提として共有しておきたいのは”恋愛に対する障害”という部分だよね」

 

主「恋愛作品……この原作・映画も広い意味では恋愛、あるいは人と人の繋がりを描く作品だと言える。

 だから、実は”恋愛作品”と語るのはふさわしくないという思いもありつつも、わかりやすいように恋愛作品として説明していくよ。

 で、恋愛作品においては色々な障害となるハードルがあるんだよ。今までの作品ではこんな感じかな」

 

◆恋愛作品における障害◆
○ 身分やお金の差などの生まれに対する問題
○ 相手を好きな人が複数いるなどの競争原理

 

パッと考えると、この辺りがまず思い浮かぶね

 

カエル「それこそ昔ながらの恋愛作品における身分制度の差による、恋愛の障害だよね。

 お金に関するものでは『曽根崎心中』などの心中物が古くからあるし、身分の差では海外のものだけれどわかりやすいのは『アラジン』とかになるのかな。

 あとは相手を好きな人が複数いるとかは、確かに少女漫画とかでもわかりやすいかも……」

 

blog.monogatarukame.net

 

上記に挙げられている恋愛のハードルというのは、比較的現代ではよくみられる、一般的な超えられるハードルを挙げている

 

主「人と人がつながる作品に、ハードルって絶対必要なんだけれど……つまり2人が結ばれない理由がないと、すんなりといってしまう可能性がある。ドラマが生み出せないんだよね。

 そして読者が共感しやすくて、そのハードルが解決する程度のものである必要がある。

 だけれど、実は人と人のつながりのハードルって、もっともっといっぱいあるんだよ」

 

◆恋愛における切実な障害◆
○ 同性愛
○ 犯罪者とその被害者
○ 身体的・精神的な病気や障害
○ 近親愛
○ 多人数恋愛
○ モノや別の動物との恋愛

 

ざっと挙げただけでも、これだけあるんだね

 

主「もちろん、探せばもっとある。

 同じ人間同士でも、男女……つまりストレートな恋愛でないと、違和感がある人もいるだろうし、男女でも近親者などが相手であれば、世間はいい顔をしない。

 例え、お互いが好意を持ち、合意していても……だ。

 中には現実には存在しないキャラクター……特にオタクと呼ばれる人には顕著だけれど、架空のキャラクター、例えばわかりやすいように竈門炭治郎とか、あるいは初音ミクが大好きで、結婚式まで挙げてしまう人もいる。だけれど、そんなのは世間では認められないよね。

 つまり、多くの人は”自由恋愛”といっていても『男女のストレートの大人同士の恋愛』しか、自由とは認めていない現状があるんだ

 

(C)2022「流浪の月」製作委員会

 

 

生まれ持ってしまった性癖との対峙

 

……同性愛は認められてきているけれど、それでもここ数十年の話だし、まだまだ偏見は根強いから、大変だよね

 

しかも、性癖に関してはもっともっと辛いものがある

 

◆特殊とされてしまう性癖◆
○ ロリコン・ショタコン
○ DV・暴力を伴う行為
○ パンチラなどの窃視障害
○ NTR(ネトラレ)など
○ 屍姦

 

ここに挙げたのは、ほんの一例だ

 

カエル「うわ……変態のオンパレードじゃん……」

 

主「そう、上記のような性癖は現代社会では特殊、あるいは病気とされてしまう。

 中には好きな人だからこそSMという次元を超えて、DVをしてしまう……あるいは痴漢・強姦などの暴力的なSEXにしか興奮しない人もいる。

 あとはパンチラなんかの窃視障害もそうで、例えば女子高生の肉体にはあまり興味がないけれど、履いているパンツには興味がある、なんて例もある。

 屍姦なんて究極だよね。

 上記のようなものは、とても許されるものではない。

 でも、それを持ってしまった人はどうすればいいんだ? って話でもある

 

持って生まれてしまった性癖に対して、どのように向き合うか……

 

だって、そういう性癖なんだからどうしようもないじゃん、って話でもある

 

カエル「例えるならば、同性が好きな人が『お前は異常だ! 異性を愛せ!』と言われても、それは異性愛者が同性を愛するにはハードルがあるように、なかなか難しいことではあるよね……」

 

主「人間には好みってものがあって、それはどうしようもない。

 例えばわかりやすいところでは

 

○ おっぱいが大きい(or小さい)人が好き
○ 身長が高い(or低い)人が好き
○ 太った(or細身)人が好き
 

 こういった好みというのは、誰にでもある。

 でも、それが認められないと分かった時……その時、人は我慢して、時に爆発するしか無くなるんだよ

 

 

 

 

原作解釈

 

『流浪の月』が描いてきたこと

 

では、ここまでの長い前置きがあって、ようやく原作解釈の話に行きましょうか

 

本作で描かれてきた恋愛は、とても異常なものばかりだったんだ

 

◆流浪の月で描かれた異常な恋愛・性癖◆
○ ロリコン
○ DV
○ 犯罪加害者・被害者
○ 無性愛
○ 略奪愛

 

本作では普通の恋愛関係と呼べるものが、ほとんど出ていないんだ

 

カエル「まあ、谷あゆみは”普通”の人だと言えるかもしれないけれど、彼女も原作では精神疾患という、一般的には理解されないかもしれない問題を抱えている。

 ……本当に、ノーマルな男女の恋愛というのは出てこない作品だよね」

 

主「この辺りは、作者の凪良ゆうがBL作家ということも大きいのかもしれない。

 BLというのは、今では同性愛は一般化しつつあるけれど、やはり陰日向の存在であり、そして”普通”の恋愛とは言われない。

 つまり、恋愛関係としては異常にカテゴライズされる可能性がある作品なんだ。

 自分は、本作の原作を読み終えた時に、このようなツイートをしている」

 

 

Tweetで『勇気がある』という言葉を使ったのは、わかりやすい単純化した恋愛関係を描かなかったからだ

 

カエル「確かに、これだけ色々と物議を醸す恋愛関係が色々と出てくるよね……」

 

主「この作品は絶対に”良識のある人”からは叩かれる要素を含んでいる。

 それでも描かなくてはいけないと感じたから、描かれている。

 自分はこのように感じているだ」

 

 

今作は『抽象的な主観による真実の探究』という意味で、とても立派な表現なんだよ

 

 

 

 

 

誘拐犯と真実の愛

 

今作の挑戦的な部分は、誘拐と真実の愛という部分だよね

 

実は、この誘拐と愛いうのは、とても普遍的な表現・問いでもある

 

カエル「それこそ、話題になった『万引き家族』なんていうのは、誘拐と家族愛を描いた作品だよね」

 

万引き家族

万引き家族

  • リリー・フランキー
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苦しい場所にいる自分を救い出してほしい、という気持ちが、誘拐という形で出てくるんだ

 

主「一昔前は結婚がそれにあたる。

 つまり実家でいるのが苦しくて、その場所から出ていく手段として結婚が使われていた。

 で、結婚できない子どもというのは、誘拐という形で真実の愛に近づいていく……というのが、物語の表現形式の1つなんだよ。

 例えば……そうだな、誘拐とは違うけれど自分の居場所とは知らない世界へ連れ出すという意味では『ローマの休日』も、似たような構図だよね」

 

ローマの休日(字幕版)

ローマの休日(字幕版)

  • オードリー・ヘプバーン
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あるいは、みんな大好きな『ルパン三世 カリオストロの城』なんて、明確にクラリスを誘拐しているんだから、この構図の引用だね

 

 

このように、犯罪的なものも含まれるけれど”ここではない場所に連れ出してくれる”という意味で、誘拐と愛を描くことは一般的に行われていたんだ

 

カエル「今作では、その誘拐という部分を罪として、よりフューチャーした形だね」

 

主「その通り。

 だから文が行ったことは犯罪なんだけれど、でも誰かを傷つけるために行われたものではない。

 それが今作の肝の1つだと考えている」

 

 

 

凪良ゆうが描いた関係性の行き着く先

 

そして、それが原作解釈としてはどのようなものになるの?

 

ここが凪良ゆうが描いた関係性の行き着く先なんだ

 

主「つまり、この作品では”まともとされる恋愛・人間関係を作れない人たち”をたくさん描いてきた。

 その先に辿り着いたのが、家内更紗と文の関係性なんだ」

 

小説の奥義とは”名前のつけられない関係やものを描く”ことにあると思うんだよね

 

カエル「名前のつけられない関係やものを描く……つまり、悲しいけれど笑ってしまう感情だったり、あるいはすごく暇でやることがないけれど湧き上がる焦燥感だったり、そういった今の言葉にはない感情・関係を書くことだよね」

 

主「そう。

 自分は文は無性愛者、あるいは愛したいけれど愛する手段を持たない人だと感じている。その対象が子どもに向かい、誘拐という犯罪になったけれど、でもそれは愛の手段がないから、現代では誰も指南することができないことに由来するのではないだろうか。

 凪良ゆうの原作は、性愛に頼らない関係性を描き出した。

 恋愛でもなく、友情でもなく、仕事仲間でも、バディでも、相棒でもない。

 でも誰よりも大切で、信頼していて、心地いい相手。

 そんな言葉にならない、関係性の行き着く先を書いたのが、この原作だというのが自分の解釈だ」

 

 

 

 

映画版の問題点

 

性愛や暴力を使いたがる李監督

 

ようやく映画版の問題点の話になってきました

 

一言で言えば、上記の凪良ゆうの描いたものと、李監督の作家性が全く噛み合わないんだよね

 

カエル「李監督といえば『怒り』がそうだけれど、暴力描写や性描写の力強さも特徴的な監督さんでもあるよね

 

怒り

怒り

  • 渡辺謙
Amazon

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それが李監督の作家性の1つであることは、なんとなくだけれど理解している

 

主「原作の軽さがなくなって、映画はより重く、シリアスになった印象もある。まあ、それは映像化の手法であって、問題点ではないと思うけれどさ。

 だけれど……これは自分が辟易としている部分があるけれど、韓国映画もそうなんだけれどさ、あまりにも直接的な暴力・性表現が多すぎる印象があるんだよね」

 

カエル「ここは好みかもしれないけれど……」

 

主「それは観客を引き込む……釣るにはすごく的確なのかもしれないけれど、その多用が多くの映画で見られるのが、ちょっと残念なとこる。

 自分は直接的表現を用いずに、炙り出すように描き出すのも表現だと思うし、そっちを愛するので。

 で、李監督は”性愛を用いない、既存にない人間関係”を描くことができない人なんだと感じたんだよね

 

 

過激な恋愛描写や暴力描写の弊害

 

できない監督、というのは……?

 

凪良ゆうの繊細な感覚が、暴力的なまでに破壊されてしまった印象だ

 

主「例えば序盤で広瀬すずが体当たりな濡れ場演技をしているけれど、そこが自分には、とても気持ち悪いんだよ。

 なんか監督の『ここまで役者にやらせてやるぜ!』ってドヤ顔が見えるようで……

 もちろん、文との関係性と、亮との関係性の違いを描くために必要なことなのかもしれないし、原作でもSEXは出てくるけれど、でも、ちょっと過激すぎたし、なんかそこがスケベ親父心と、クリエイターとしての打算や計算を感じてしまって、それがすごく嫌だった」

 

カエル「そこは相性かもね」

 

主「一方で、よかった点としては文と再会して、お店の中でくつろぐシーン。

 あそこはすごく良くて、自分の解釈通りなんだよ。

 ここは全力で褒めたい。

 だけれど、同時にその後で文の熱烈なキスシーンがあるんだけれど……ここは自分の記憶では原作にない、オリジナルのシーンだったと思うけれど、ここが本当に余計なんだよね」

 

さっきも語ったように”性愛に頼らない人間関係”を描いているという、原作解釈なんだもんね

 

ここで文の性愛描写を描くと、作品の肝がずれるんだよ

 

主「そして最後の文が告白があって、そこでは松坂桃李が体当たり演技を披露しているけれど、ここも嫌悪感があった。

 だって、そういった秘密を共有しないというか、その身体的・精神的な性差が関係ない先にある、2人の関係性を描いた作品だったはずなんだよ、自分の解釈では。

 でも、そういった描写を入れる……これは上記の監督の”ドヤ顔””役者にやらせてやった”感が見えちゃったし、それが李監督の限界だと感じた」

 

もちろん、解釈の問題かもしれませんが……

 

たださ、そういった既存の性愛のない世界を目指した小説だと感じたんだよね

 

主「だから、結局は既存の性愛や価値観に囚われてしまい、原作の自由さや軽やかさが全くなくなってしまったのが、すごく嫌だったし、持ち味を全部壊していると感じてしまったんだよ。

 多分、凪良ゆうの書いた関係性と、李監督の描いた関係性は、その手法から何から真逆とまで感じた。

 もちろん、これは監督の作家性との関係もあるし、自分の解釈が異なるかもしれない。だけれど、この原作でこのような映画になってしまうことに……すごく極端なことを言うと、表面的なものしか描けない邦画の限界を見たような気がして、ちょっとした絶望感はあったかな」

 

 

 

 

最後に

 

と言うわけで、少し長めの記事になってしまいましたが、ここで終了になります

 

重ねて言いますが、映画としては悪くないと思います

 

カエル「結局は、原作で感じた魅力と映画の差が気になったって話だもんね」

 

主「監督の作家性が出ていて、役者が熱演して、映像が綺麗で……その意味では映画として申し分ないのかもしれないね。

 原作を読んでいなければ、もしかしたら違う感想を抱いたのかもしれない。

 今回は原作→映画だからこその感想だと思ってください」

 

カエル「しかし、ここまで長い記事を書いたのは久しぶりかも……」

 

主「それだけ色々言いたくなったと言う意味では、いい作品なのかもしれませんね」

 

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