今回は経済小説を基にした映画『アキラとアキラ』の感想記事になります!
少し公開から遅くなりましたが、語りたいことのある作品でした
カエルくん(以下カエル)
本当は公開日か、その次の日くらいに見に行ったはずですが、2週間くらい過ぎてのレビュー記事となります!
主
語りたいことは、実は色々とある作品なんですよねぇ
カエル「では、この作品をどのように解釈するのか?
意外と深いような……? 話になるといいですね!
それでは、記事のスタートです!」
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作品紹介・あらすじ
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#アキラとあきら
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2022年8月27日
なるほど、今作は娯楽として強いですね…❗️
役者の息遣いまで感じるような演技に手に汗握り、経営とお金というわかりやすく面白いマクロな見方に家族という身近な要素も加えることで全体に目配せされているように感じました
池井戸潤と三木孝浩のうまさを感じさせますね… pic.twitter.com/KiSt1ybW8b
これは……娯楽としての強さと、個人的には戸惑いを感じたかな
カエル「今作は今や人気作家となり、映画化作品も多数発表されている池井戸潤の小説の映画化になります。
池井戸潤といえば、町工場などの経済的な弱者ともいえる人々が、大きな困難を乗り越えていく…! という物語が連想されるよね!」
今作もまさに池井戸潤のイメージに沿うような作品だよね
主「まず、娯楽映画として観る分には文句なしではないだろうか。今作が今年ワーストです!という声は、なかなか出づらいように感じたかな。
強いていえば、テレビドラマっぽい作りで『映画っぽくはない!』という声はどうしても出てくるだろうけれど……それは今作に限った話ではないのでね」
エンターテイメントとしてみたら、かなり高評価なんだね
ボクの個人的な意識を除けば、もっと高評価されても、いい作品ではないだろうか
カエル「……えっと、その個人的な意識に関しては後に説明するとして、それだけ楽しめる作品というのは、とても重要だよね」
主「それこそ、テレビ放送される時に今作の強みは発揮されるのではないかな。
偶然やっているから見てみよう、で家族で観初めて、みんなが事前知識なく楽しめて、少し賢くなったような気がしながら帰ることができる……そういう作品は稀有なのではないだろうか。
娯楽を提供するという意味で、前提条件を必要としないという意味でも、邦画が決して失ってはいけないタイプの作品の1つだといえるかもしれない」
大きなテーマと小さなテーマ
それだけ褒めるポイントはどこにあるの?
大きなテーマと小さなテーマの扱い方なんだよね
カエル「大きなテーマと小さなテーマ?」
主「簡単にまとめると、以下のようなことだ」
この2つの描き方が、特にうまいんだ
カエル「基本としては銀行と企業の貸付に関するやりとりを描いた作品だよね。
企業側が大きな負債をあって……というビジネス的な問題を抱えていて、それを解決しようとする2人のアキラを中心とした物語が展開されていくと」
主「ある種のバディものだよね。
優秀で割り切って物事を考えることができる御曹司の階堂彬と、情に篤くて弱い人々のために動ける山崎瑛の、2人の銀行マンの物語というね」
これだけでも、キャラクターを描く上ではうまいように感じるかなぁ
さらに大きなテーマを理解できなくても、問題がないんだよ
カエル「え? どういうこと?」
主「例えば、銀行とのやりとりとか、企業の負債がどうこうという物語は、ドラマには一切必要ないんだ」
カエル「……いやいやいや、そこがキモなんじゃないの?」
主「キモじゃないよ!
この作品で重要なのは以下の2点」
ここさえ理解していれば、ドラマに乗り遅れることがないんだ
カエル「ふむふむ……つまり、経済的なことは、全くわからなくてもいいと?」
主「そうだね。自分なんかは映像のリッチさと裏腹に『意外と小さい話なんだなぁ……』と……グループ総従業員1000人規模って、確かに大企業だけれど、海運業だけでももっと上はあるし……まあ、そこまで大企業になるとなかなか経営が傾かないとかもあるし、それでも十分なスケールではあるんだけれどさ。
それはいいとして、この数字がどうのこうのっていうのは、実際にはドラマには意味がないの。
単にお客さんを説得するだけの材料になっているから」
ガンダムにおける『左舷弾幕薄いぞ! 何やってんの!』と同じってこと?
何やっているかはよく分からなくても、なんとなく緊迫していることが通じればOKなんだよ
カエル「実際、その辺りのビジネスをしっかりと描かれても、お客さんとしては困るかもしれないしね……」
主「ドラマにおいてはビジネス描写はあくまでハッタリで、観客が納得さえすればいい。
あとは少しだけ頭を使わせて、頭が良くなった気にさせたら十分なんだ。
そしてそんな大きなテーマだけでなく、結局は大企業の家族の内紛という小さな話に収め、さらに2人のアキラの話に収めることで、物語をより身近な問題に置き換えて理解しやすくする……
それだけの配慮が行き届いており、この構造は強固だよ」
例えるならば『スターウォーズ』なんだよね
え、ここで宇宙のSFが出てくるの?
主「とても大きな……銀河帝国と反乱軍のお話だけれど、中身は基本としてスカイウォーカー家のイザコザと、あるいはハン・ソロとレイア姫の恋愛劇とか、かなり小さい家族間の問題を扱っているんだよね。
大きいテーマに興味がなくても、小さいテーマでドギマギする……それこそが、物語において多くの人を掴むコツともいえるわけだ」
今作の演技について
ではでは、役者に関してはどうだったの?
徹底的なキャラクター演技だったからこそ、各役者の技量とうまさを感じたかな
カエル「キャラクター演技ってのは、うちが勝手に言っている言葉だけれど……つまり、人間の持つ複雑な感情ではなくて、その時の気分や状況などを過剰に演じることで、観客に伝える手法ということだね。
大仰で派手なケレン味の強い演技というか……歌舞伎的というか、演劇的というか……」
主「これは悪口ではなくて、誰もがいい意味でキャラクター的なんだよね。
例えば、主人公の1人である山崎瑛を演じた竹内涼真は、根が優しい熱血漢。それを全面的に演じて好印象だった。
そして、もう1人の主人公の階堂彬を演じた横浜流星は……もう、今年は彼の年と言ってもいいかもしれないね。
『流浪の月』といい、演技派としての一面を見事に発揮してきた。単なるイケメンではない、ということを証明したのではないだろうか
おお、これは絶賛と言ってもいいのではないでしょうか!
カエル「他の役者も見応えがある演技が続きました!」
主「このキャラクター演技……大仰な演技というのは、どれだけ迫力を出せるのかとか、それもまた1つの技術なんだよ。
それでいうと、個人的にMVP級に上手いと感じたのがユースケ・サンタマリアと江口洋介。この2人がアキラたちの味方内の最大の障害なのだけれど、その強大さというものを演じていた」
特に江口洋介は「いいところを持っていくなぁ……」と、感心したよね!
だからこそ、むしろ演技の拙い役者がはっきりとしてしまった印象だ
カエル「えっと……その人たちはお手柔らかにお願いしますね」
主「児嶋一哉と高橋海人は、まだまだこの役者たちの立ち位置まではいけてない、ということがはっきりした。
もちろん、2人とも一種の小物だということもある。その意味では、ユースケよりも格下であり、小物感はとてもよく出ていた。でも、この2人に関してはキャラクターを全面に押し出す演技というよりは、まだまだ拙い演技に見えてしまったんだよね。
児島なんて、いつものバラエティの『児島だよ!』の延長線でしかない。それはそれで求められているものなのだろうけれど、もっともっとキャラクターとして作り込んでいっていかないと、やっぱり負けちゃうのかなって。
役者経験の差ということもあるだろうけれど、特にキャラクター演技で迫力のある人々がこれだけ相手になると、どうしても拙くみえてしまう部分はあったかな」
私見〜映画としての顔が見えない作品に?〜
『物語のテーマ』と『制作のテーマ』
では、ここからはさらに一歩踏み込んで感想を語っていきましょうか!
……何かさ、AIが作った面白いドラマってこんな感じなんだろうなって印象なんだよね
カエル「えっと……これはここ最近話題の、AIが作った絵画に引っ掛けているのだろうけれど、あまり悪口にならないようにお願いします」
主「とてもはっきりと言ってしまうと、”顔”が見えてこないんだよね。
これはもしかしたら、自分が三木監督に対して解像度が低いせいもあるのかもしれないけれど……創作者としてのテーマが一切見えてこないんだ」
創作者のテーマ……それは物語のテーマとは違うの?
何というか、癖というか、傾向というかさ
主「小説で言ったら文体みたいなものでさ。
自分は好きな作家であれば、1ページ読めば誰が書いたか当てられると思う。
それはボクが特殊なのではなくて、それだけ強烈な世界観を構築しているのが、1流の小説家なんだよ。そしてそれは物語の癖だけではなく、表現手法……つまり、文体とか語り口の癖から始まるわけだ」
確かに、映画ファンだったら……例えば制作者が秘密にされているようなスニーキングレビューであっても、好きな映画監督だったら『あ、このシーン〇〇監督っぽいな』ってわかるかもね
アニメファンだとさ、『あ、この演出(or絵コンテ)は〇〇さんだな』とか、あるいは『この作画は〇〇さんの癖がある』とか、何となく伝わってくるもんじゃん
カエル「特殊能力みたいですが、それだけ好きで何度も見ていると、何となくわかるものだよね。
逆に『あ、この作品にクレジットはあるけれど〇〇さんはほとんど参加してないな』と思ったら、案の定だったという経験もありますね」
主「それはほんの一瞬だったり、ストーリーの序盤とかなら、ストーリーの癖とかは関係ない。やはり手つきというか、癖というか、そういうものが画面にも出てくる。
で、三木監督の作品をそこそこ観ているけれど、それが感じられないんだよね……」
作家性を持たないことが持ち味の三木監督
それって、映画ファンだけではなく、大衆に向けた映画作品を公開しているということも関係しているのかな?
う〜ん……そうじゃない気がするんだよね
主「例えばさ……同じ何でも撮る監督だと、三池崇史とか、あるいは最近だと英勉とか……あるいは自分が好きなところで言えば藤井道人とかは、もう作家性がとても強いわけじゃん。
予告だけでも監督らしさが出ているというか。
その何でも撮る監督の中では……映画ファンの中では賛否がはっきり分かれるけれど、福田雄一みたいな監督もいるわけだ」
確かに『福田監督だけは嫌い!』という人もいるけれど、それってそれだけ強い作家性を獲得しているという意味でもあるわけだしね……
癖が強くて原作の持ち味を破壊してしまうこともあるけれど、だけれどそれが作家性というものなのかもしれない
カエル「だけれど、三木孝浩監督からは、それが感じられないと……」
主「それは自覚的なんだろうね。
以下のインタビューにこんな回答があったんだけれどさ」
Q:これは日本映画の製作環境のせいかもしれませんが、三木監督のようにエンターテインメントに振り切っている監督はそんなに多くはいないかもしれません。
三木:いわゆるプログラムピクチャーの職業監督は昔はむしろたくさんいたはずなんですが、最近はどちらかというと作家性を重視する監督さんの方が多いかもしれませんね。逆に職業監督が少ないので僕はやりやすいんですけど(笑)。
Q:作家性の強い監督の作品ももちろん面白いのですが、こうやって夏休みに家族で観に行くような映画があると、子供たちに映画の楽しさを教えやすくなります。
三木:そこですよね。なるべく多くの皆さんが楽しめる映画作りというのが、自分にとって一番のテーマになっているので、ジャンルや内容というよりも、どうやったら多くのお客さんを楽しませられるかを大事にしていきたいですね。
とても優秀な、作品に寄り添った職業監督と言えるのかもしれないね
カエル「今作も含めて、三木監督作品って一定の評価を得るような作品が多い気がするね」
主「それもそうだと思うよ。
プロデューサーの意向も聞いて、役者などを含めて……今作も製作委員会に役者事務所があったと思うけれど、役者も『この人を起用してくれ』っていうことを聞いて、原作も重視して……ということをやりながら、それでもお客さんを呼ぶことができそうな、大ヒットは難しくてもミドルヒットをかっ飛ばして、プロデューサーなどの製作陣も、スタッフ・キャストも、観客もほどほどに満足して、次に繋げることができる力を持つ監督」
……あれ、なんかそこだけ聞くと、超有能監督って感じがしない?
現場監督として、とても優秀だよね
主「だから物語としてのテーマとかはあるけれど、監督としての色というかテーマとか、そういうものが一切感じないんだよね。
もしかしたら……『そういう監督の色なんて必要ない! 原作に忠実にやればいいんだ!』という人もいるかもしれない。そういう意見を持つ人からしたら、何とも理想的な監督かもしれないね」
長所は短所・短所は長所
それは……どうなんだろう、夏の大作の映画としては優秀なのかな
無味無臭、だからこそ評価されるってタイプだよね
主「ボクが評価するのは、もっと作家性バリバリのタイプ。
その監督の手癖が感じられて『そうそう、これこれ!』となるような映画作品なんだよね。その意味では、作家性とかば絶対必要で……福田監督はやりすぎだけれど、でもそっちの方が興味が持てる。
だから『AIが作ったような』というのは、そういうことで……しっかりと原作を活かし、役者を活かし、スタッフを活かし、きっちりと面白く、要素を抑えて誰でも面白く見ることができるようにした。
そんな作品に見える」
やっぱり、それって褒め言葉なんじゃ……?
それが褒め言葉に聞こえるってことは、作家性なんてものは必要ないのかもしれない
主「最近、読んだ本で、押井さんがこんなことを話しているんだよ」
『作家主義という幻想』というものを、強く感じたのが、本作なんだよね
カエル「『作家主義という幻想』かぁ……
そんなものがなくても面白いのであれば……むしろ作家主義というのが余計な雑味でしかないとすれば、原作に忠実に再現することを求められる問題に近しいのかな」
主「ボクは作品に込められた真のテーマを探究し、観客が自身の経験に基づき”誤解”して解釈することを、映画を”観る”ということの本質だと思っている。そしてそれを語ることを重視しているから、このブログは基本的にボクの私見でしかない……もちろん、外部に寄稿するときのライターの時は、もう少しは客観的になるけれど。
でも映画を……娯楽として消費し、時間潰しと知人との世間話で消化するだけを目的として、1年後には忘れ去るような行為……つまり”見る”上では、作家性なんてなくすこともまた必要ないのかもしれない。
100人いたら100人とまでは言わないまでも80人に誤解なく伝えられる作品……そして楽しませることができる作品。
それこそが、この『アキラとあきら』なのではないか、ということを考えた
最後に
なんか、観念的な話が続いたね
”映画や娯楽は面白ければいんだ!”という意見も強いよね
カエル「まあ、それはそれで確かに一理あると言えばそうだけれど」
主「じゃあ、”面白いって何だろう”ってことでさ。
単純にゲラゲラ笑えるものなのか、泣けるものなのか……その意見って実はすごく暴論なんだよ。面白いの基準を定義できなければ、その答えは出るはずがない。
そして自分は作家性がある作品こそが面白いと答えるし、作家主義の幻想を持ち続ける人間であると思っているから……だから、こういう作品は”面白いけれど空虚”に感じたってだけの話です」