今回は福田雄一監督の新作『劇場版 今日から俺は!』の感想記事になります!
久々の新作映画の感想記事がこの作品になるのか……
カエルくん(以下カエル)
「まあ、正直期待していません。
しかも話題だったドラマ版は見ていません。ただし、原作は結構前になりますが、全巻読んでいるので、そこまで問題はないかと思っています」
亀爺(以下亀)
「今回、この作品をあえて選んだのは、福田雄一という監督が持つ特殊性について語りたかったからじゃ。
その意味では映画の感想記事というよりも、福田雄一という監督の持つ作家性、あるいは邦画の変化について考えていこうという記事に近いかもしれんの」
カエル「それでは、早速ですが記事のスタートです!」
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#今日から俺は
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年7月17日
福田雄一映画史上最高傑作!
(褒めてんのか?)
いつものダメな感じもありつつ、普通に面白いのはフォーマットの良さとアクションスタッフが相当優秀だからでしょう
これだったら映画館で観てもいいかなってレベルではある
(やっぱ褒めてるか微妙な感想) pic.twitter.com/NgDaD6M7Wx
思った以上に、良かったの……!
カエル「まあ、ぶっちゃけさ。うちでも何作か語ってきてはいるけれど、その度にボロクソだったわけじゃない。一応悪くはないかなっていうのは『銀魂』くらいで、それでも褒めることはできないレベルだと思っていて……
今回も、正直ダメな作品だと思っていたんだよね。何せ、予告から地雷臭が凄かったし。
それでも、意外や意外、これがなかなか面白い作品でもあったんだよね……!」
亀「いつもの悪癖はあるし、これが映画かと問われると少し疑問に思う部分も残念ながらあるのじゃが……
しかし、やはりドラマ版が話題になるのもわかるの」
カエル「結局は役者を見せるためのキャラクター映画なんだけれどね。
『今日から俺は!』という作品の強みを発揮した印象なんじゃないかなぁ。
元々、福田雄一の作家性というか、スタンスと合致している作品だとは思っていたけれど……」
亀「ある種の悪ふざけができる作品じゃからな。それをやっても問題ないし、その意味では『銀魂』ほどではないにしろ、遊ぶ余地があるからの。
『今日から俺は!』という作品は約30年前の作品であるが、現代にも有効な、強力なフォーマットを獲得しておる。
これが単なるヤンキー漫画であれば、今ではなかなか支持を集めにくいじゃろうが、卑怯者の三橋が入ることで、ちょうどいい笑いとヤンキー文化の暴力性の緩和ができる。
また、何よりもキャラクターが抜群によく、アクションもきっちり見せることができるからの」
今作に対して、最も大きく貢献したのは田淵景也アクション監督などではないでしょうか?
それほどまでにアクション描写に見所があったの
カエル「もちろん、ヤンキー映画の花形と言えば喧嘩シーンでしょうが、ここがとても見所があります!
ただし、動きのシーンが多いことから、動ける役者と動けない役者の差が大きくなってしまっている印象は感じたかなぁ」
亀「正直、ワイヤーアクションやCGなどを用いた部分は微妙と言わざるを得ない。そこもコメディシーンとすれば、まあ確かに理解できなくもないのじゃが……
しかし、その一方で役者の動きに注目したアクションシーンはなかなか面白い。
正直なところ、福田監督作品だからとバカにしていた部分はあるが、これが見れただけでもお金を払った甲斐はあったのではないかの。
まあ、やはりドラマが停滞してしまったり、脚本構成に疑問があったり、お決まりのギャグシーンが寒かったりと色々な悪癖はあるのじゃが……この前の映画と比べたら、雲泥の差と言えるじゃろう」
役者について
今作はアイドル映画でもあるので、役者について語りましょう!
特に動ける役者を劇場版は集めた印象じゃな
カエル「先にも語りましたが、動ける役者と動けない役者の差がとても大きいのは気になったものの、アクションシーンの平均点は邦画としては結構高いのではないでしょうか?
三橋は卑怯なキャラクターなのでバトルシーンは少なかったりしますが、見せるところはきちっと見せてくれます」
亀「特に今作のMVPを決めろと言われたら、わしは柳楽優弥と栄信を推そう。
特に柳楽優弥は別格じゃな。卑怯なキャラクターとしてのヤバいやつ感を出しつつ、バトルシーンでは動き回る。彼がいることでアクションシーンが一気に引き締まった。
また栄信のラスボス1としての存在感もあったし、主人公サイドとの格闘シーンではわかりやすい演出もあるものの、確かな強さとパワーゴリラぶりを見せてくれた。
他にも山本舞香は正直、演技そのものはぎこちないものの、アクションシーンではしっかりと魅了してくれておる。日本では動ける女優となるとそこまで多くない印象じゃが、彼女はしっかりと動いてくれるからこそ、面白いの」
一方では伊藤健太郎の見せ場では一瞬で映すことなく終わってしまったりと、ちょっとそこいらへんが残念だったかな
動ける役者だと感じただけに、もっともっと見せて欲しいと言ったら、わがままかの
カエル「一方で苦言を呈するとしたら……やっぱり橋本環奈かなぁ。
いや、かわいいんだよ?
かわいいんだけれど……それ以上のものが見当たらないというか」
亀「福田作品のヒロインのように扱われておるし、この手の作品によく出ているが、そろそろ新しいジャンルに進出しなけば、女優として活躍するならば幅が少なすぎるように感じてしまうの。
この幅を広げていくためにも、いつもの変顔アイドルからの脱却が求められる。
そしてそれは……ムロツヨシ、佐藤二郎も同様じゃな。
正直、この演技の印象が強くなりすぎて、本人もやりづらいのではないかという思いがすら出てきてしまう」
カエル「福田演出ってそれだけ強烈だからね……」
亀「ぶっちゃけて言えば、役者への演技指導を放棄しているとすら思えるからの。
単なる悪ふざけになってしまっている点もあるから、観客に飽きられる前に新しい切り口を演出なり、演技なりで探すべきのようにも思えてしまうな」
以下、福田雄一論
現代の最注目監督? 福田雄一
実際さ、映画好きほどボロクソ言うし、今回もそこまで期待していなかったのに、なんで見に行ったの?
今の邦画業界の中でも、福田雄一という特異点について考えるためじゃな
カエル「……特異点?
そう言えば、こんなツイートもしているよね」
福田雄一を評価できない自分は時代から遅れているのだろうか
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年7月17日
カエル「う〜ん……むしろ、福田雄一を評価している映画好きなんて、ほとんどいない印象なんだよね。もちろんバカにしていいということはないけれど、ただ作っている作品が、ねぇ……
この作品だって、これだけ褒めているようでありながら、テーマ性なんて皆無だし……
本当はもっともっと、面白くできそうな気もするんだけれどなぁ」
亀「もう福田作品は見ない、という映画好きもいるからの。
ただし、一般的には広く知られた監督である。もしかしたら、是枝監督などよりも有名かもしれん。
実際に公開する作品はヒットする確率も高く、本作もコロナの影響は甚大であろうが、いつもの夏休み時期ということを考えれば、競合する大作が多かったとは言え10億は稼げたのではないかの:
カエル「あくまでも、予想ではあるけれどその程度は欲しいよね。
でもさ、映画として本当にダメダメじゃん。列挙するけれど……
- テーマ性の不在
- 物語の作りの粗さ、説明セリフの乱舞
- 映像表現はチープ
- 派手なリアクション重視のキャラクター演技の方針
などなど、ダメな要素を挙げていけばキリがないほどで、いいところなんて……賛否や合う合わないがある、チープなコメディ描写ってことじゃない?
今作だって、どう見ても舞台が80年代じゃないし、チープだし、コスプレ感満載だし、悪ふざけ満載だし……
大体、上記のようなダメダメ要素がある場合さ、それを評価しろっていうのが、なかなか難しいわけでさ……」
……その意識が、映画離れを加速させているような気がしておるのじゃよ
亀「わしは福田雄一作品を語る上で思い出すのは、桂歌丸師匠が亡くなる前に語っておったことじゃ。
『裸でお盆の何が芸ですか』
この発言はアキラ100%が出てきた頃に苦言を呈したもので、意見がはっきりと割れた。しかし、わしはこの考え方には、根本的な違いがあるものと考えておる」
カエル「……あれ、福田雄一の話だよね?」
亀「そこにもちゃんと繋がるわい。
歌丸師匠のように、演芸場で20分、時には1時間以上も話し続ける落語の世界は、しっかりとした技術がなければその時間を維持することができない。しかし一方では、あきら100%が活躍するテレビの世界では1分、もしくは30秒、10秒で笑いをとることが求められる。
落語で10秒で話題をとるのは……まあ、流石に難しいじゃろう。
しかし、裸芸というのは昔からリアクション重視のバラエティ芸人にとっては、とても重要な技術でもある。見苦しくないけれど立派すぎない裸、わかりやすいリアクション、それらはとてもテレビ向きじゃ
おそらく、歌丸師匠などの落語よりも、多くの人に”わかりやすく伝わりやすい”表現が裸芸である」
カエル「歌丸さんは落語などの話芸に人生を注いできた方だし、裸芸が流行するのに怒るのも、まあわからなくなはないのかなぁ」
亀「一方で、あきら100%は……おそらくではあるが20分、あるいは1時間の長尺を裸芸で持たせることはできないじゃろう。
そして、福田雄一監督はこの裸芸の人なんじゃよ」
何も持たないからこそ発揮する、誰でも理解できる福田雄一作品
……裸芸が福田雄一?
わしは、映画の面白さとはなんだろうと今作を見て考え込んでしまった
カエル「テレビという世界で、しかも予算も限られる中で役者のアドリブ任せにし、画面もあえてチープにすることで、誰にでもわかる笑いを提供してきたのが福田雄一だよね。むしろ、その笑いはとてもテレビ的というか、5分も見れば何が面白いのか理解できるというか……」
亀「実は福田作品は娯楽性の塊なんじゃよ。
- チープに見えるセットや演出
- 明らかにアドリブ合戦を繰り広げる役者
- 時には1話見逃してもわかる物語
- 大きな音などでわかりやすい笑いどころ
今作だって、ライブシーンなどはチープな部分もあるじゃろうが、しっかりと娯楽性を宿しておった。
それこそ、昔の林家三平……昭和の爆笑王の方じゃが、彼に対して……確か立川談志だったと思うが、語っておったのは『あいつの笑いはバカでもわかる。頭に手を置いたら”ここが笑いどころですよ”と合図しているからだ』と語っておる。まあ、バカにしているのじゃろう。
しかし、それは極めて現代的だと思うわけじゃ。
例えばテレビのコント番組などのゲラと呼ばれる加工された笑い声、あるいは芸人の一発ギャグ……それらは実際に面白いか否かを別にして『ここが笑いどころですよ』とアピールすることができる」
YouTubeを見ていると、余計にそれは思うよね。ゲラゲラ笑いや過度な音声を入れて、視聴者にわかりやすくアピールしているというか……
その演出を追求したのが、福田雄一ということじゃろう
カエル「だからこそ、福田雄一映画には多くのお客さんが入る、と…」
亀「わしはそう考えておる。
おそらく、福田作品の演出方法ではベストの時間は30分から45分ほどじゃろう。
あきら100%の芸のようなもので、あの作風で100分以上を保たせるのは非常にキツイ。今作も途中、グダっとした部分もある。
しかも家事やスマホを弄りながら見るような、気楽なスタイルがベスト。
集中する映画館には向いておらん」
映画の面白さとは何か?〜実は老害となっているいるかもしれない〜
え、じゃあやっぱり映画監督に全く向いてないんじゃ……
じゃから、わしは『映画の面白さとは何か』ということを考えてしまう。
わしが求めるもの……例えば
- 深いテーマ性
- 作り込まれた物語
- 革新的・あるいは丁寧な映像美
- 人間性を感じさせる役者の演技
実はこれらは、”映画が好きな人が求める映画の条件”であるだけであり、それは全く映画の面白さとは関係ないのではないか。
実は、日本において映画の面白さの条件が一般層と映画好きの間で、大きく解離しているのではないか。
そして、そういった映画を評価することができない自分は、実は更新されている映画の面白さについていけてないのではないか、ということじゃな」
カエル「……いや、それは絶対考えすぎだって……!」
亀「そうかの?
かつてはマーベルなどのアメコミ映画はB級映画として扱われていた。
特撮もアニメも同じじゃ。
しかし今では、アメコミ映画はむしろ、洋画の中ではど真ん中と言ってもいいほどの流行を見せておる。
もちろん、アメコミ映画のレベルが上がったという見方が主流じゃろうが、逆に観客の注目ポイントが変容したという見方もできるのではないか?
近年もよくあることじゃが、高齢の方が『最近の作品は〜』と苦言を呈すると、老害と言われる。しかしそれは、過去のフォーマットのまま自分の感性を更新することができず、年代とともに更新されていく”面白い映画の条件”に合致していないだけではないか?
映画に限らず、玄人があーだこーだと口を出した結果、玄人受けしかせずに衰退していく文化は珍しくない。どう見ても、桂歌丸のような落語文化と、アキラ100%の裸芸では、アキラ100%の方が今の若者に受けておる。
実は、面白い映画の条件そのものが変容しつつあるのかもしれん……
福田作品を見るたびに、わしはそう思うことがある」