それでは、今回は『ぐらんぶる』の感想記事のスタートです!
予告からして、色々な意味で目立っていた作品じゃな
カエルくん(以下カエル)
「裸祭な映画だからねぇ……なかなか思い切ったし、コンプラがうるさい中でギリギリをついてきたよね。
なんか、アウトな気もするけれど」
亀爺(以下亀)
「今の時代にこれをやるのか、という思いもありつつ、だからこそ面白い作品になるのかも知れんの。
まあ、この手の作品は賛否が割れやすいし、相性があるじゃろうが……はて、うちはどちらに転ぶかの」
カエル「それでは、早速ですが感想記事のスタートです!」
感想
それでは、Twitterの短評からの開始です
#ぐらんぶる
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年8月7日
これは評価割れそう…w
あのおバカ原作を実写化するにあたりさらにバカに振ったのはさすが英勉と言わざるを得ない
確かに笑える…けど中身がなさすぎてバラエティ番組を観ている気分になり、途中から飽きはじめてたかなぁ
物語を求める身には少し相性が悪いものの悪い作品ではないかと pic.twitter.com/x1nBFpG3bX
これは……難しい作品じゃな
カエル「なんていうか……映画ではない、のかな」
亀「いや、映画じゃよ。
映画ではあるが、いわゆる物語をきっちりと作り込んでいくタイプの作品ではない」
カエル「難しいよねぇ……
それこそ、ゲラゲラと笑えるんだよ。劇場内でも笑い声は上がっていたし、実際うちも笑った描写は多かったし、役者は可愛らしかった&カッコよかったし。
だけれど、それが映画なのか? と問われると、ボクは否定したい気持ちもあるかなぁ」
亀「ふむ……
以前の記事で『今日から俺は!劇場版』で語ったことが思い出すの」
この映画はある種福田雄一的なモノ(バラエティ番組、コント番組風の演出)を内包した映画じゃろう
カエル「以前語ったことでは
- 旧来の物語の流れなどを重要視した映画→歌丸師匠の落語芸など
- 役者の無茶振りなどで笑せる中身のない映画→アキラ100%の裸芸など
という対比だったよね」
亀「それこそ、今作は裸芸じゃな。
寄席などの舞台の上でやる芸ではなく、テレビ番組などで一瞬で笑わせる芸。
なぜ面白いのかが誰にでも伝わり、難しいことを何も考えずにいられる作品じゃな。
その意味では今作は昔ながらの映画ではない。否定したい気持ちもわかる」
カエル「亀爺はアリってこと?」
亀「うちは物語性や、モチーフに込められた隠れたメッセージを解き明かすような作品が好きじゃから、その意味では全く合わん。
まあ、英勉監督は贔屓にしている部分もあるために、多少甘くなっている部分もあるが……これも福田雄一作品と同じように色々と映画のあるべき形、大衆に向けた変化を描き続ける上で、大切なものであるじゃろうな」
英勉作品としての評価
うちでは英勉監督は特に高く評価している映画監督だけれど、今作でもそれは変わらないの?
まあ、それはそうじゃな
カエル「う〜ん……こんな映画でいいのかなって思いは結構強いんだけれど…」
亀「まず、何度も語ったが英勉監督は邦画の歴史に残る映画監督では、全くない。
むしろ映画ファンからは否定され、一般層にゲラゲラ受ければそれでいい、1年はともかく5年後には生き残らない作品を量産するエンタメ監督かもしれんの。
それでも、それだけ評価する理由は『漫画・アニメ原作の娯楽映画をきっちりと作り上げる』点じゃな」
カエル「作品の肝をはずさないって評価だっけ?」
亀「この辺りは以下の記事を読んで欲しい思いもあるかの」
色々な意見もあるじゃろうが、わしは映像化で最も重要なポイントを抑えていると考えておる
亀「映画である以上、当然いろいろな制約はある。
予算、撮影期限、ロケ地、技術、役者のNG、いろいろあるじゃろうな。その中でも漫画・アニメ原作という、一部では嫌悪感すらあるような作品でも、ある程度キモを外さずに映像化する。
オタクを主人公にした場合でもアニメや漫画・2次元をバカにしないなどじゃな。
『賭ケグルイ』もわしは映画ではないと思う。思うが、確かに役者の派手な演技などはあの漫画・アニメを原作としているとしたら、正しいことじゃ。あれを変にリアルな感じにしたら、それこそ寒い作品になるじゃろう」
じゃあ、ぐらんぶるに関してもそうだと?
少なくとも、わしはそう考えておる
カエル「うちはぐらんぶるの原作は無料で公開されている3巻までしか読んでいませんが、原作者の井上堅二の作品では『バカとテストと召喚獣』のアニメが好きです。
こちらも学校を舞台にした、時に下ネタを交えたゲラゲララブコメディになっています」
亀「ぐらんぶるを読んだ感じでもあるが、井上堅二作品らしく”コメディ8割、感動(シリアス)2割”といったところじゃろうか。しかし、物語として大きな目標がなかなかない、ある種の日常的なコメディじゃな。
また、アニメ版は高松信司監督であり、近年は『銀魂』や『坂本ですが?』などのコメディに定評がある監督じゃな。
恋愛を中心にするのも1つの手ではあるが…先行する漫画版・アニメ版を考えると、それはみんなが望む形ではない」
カエル「そもそも、そんな形にするから漫画・アニメ原作って嫌われるわけだしね……」
亀「じゃあ、どうするかといったら、徹底的に中身を抜いてゲラゲラ作品にするわけじゃな。
しかし本作はきっちりと三部構成にするなど、適当に作っているわけではない。
それがわかるのが”本作のキモ”の部分じゃな」
絶対に外してはいけないキモ
その、絶対に外してはいけないキモってどこなの?
裸の男たち、可愛い女の子、そして何よりも”ダイビングは楽しい”ということじゃな
カエル「原作でもダイビング描写はあるし、そこを嘘ついたら絶対にダメな部分ではあるよね」
亀「うむ。
今作はダイビングものであり、そこだけは守らなねばならない。じゃが、漫画のようにダイビングをそのまま教えるような内容では、少し重い部分も出てくるであろう。なので笑いを交えながらも、ところどころでダイビング描写を入れておる。
今作ではダイビングが好きということ、あるいはその魅力そのものは嘘をついておらん。
なぜこの大馬鹿どもがそこまでダイビングに夢中になるのか、そしてダイビングの魅力に気がついていく……それを物語として描き出しているわけじゃな」
ふむふむ……それにしても、もっとやりようは」
あったかも知れんが、英勉という監督は『漫画・アニメの過剰な要素をさらに拡大する』という手法を選択してきた
亀「グランブルはアニメ版も始まる前に……これは配信版限定かも知れんが『この作品はフィクションであり〜宴席での破廉恥な行為等についてもそれらを推奨する意図はありません』と注意書きをされるような作品である。いってしまえば、お下劣コメディじゃ。
その実写化で、お上品になってしまうようであれば、それこそ原作改変と言えるじゃろうな。
考えようによれば、この原作を与えられた段階で、この方向性というのは何1つ間違っておらん。むしろ、よくやったということもできる。
最近では『クレヨンしんちゃん』でオカマやオゲレツ要素が出てこなかったり、ドラえもんでしずかちゃんのお風呂シーンがなくなったと言われておる。これも時代の変化であり、ぐらんぶるはその流れを考えると、確かに古い価値観の作品かもしれんがの」
カエル「その流れがある中で、そのままやるとこうなるんだよっていう例になったのかなぁ。う〜ん……いいのか悪いのか、わからなくなってきた……」
亀「何度もいうように、英作品は歴史に残るものではない。
わしも好き嫌いで言えば微妙なところであり、この手法がありかという問題もある。
しかし、これはこれで1つの方向性としては間違っておらんし、もしかしたら漫画・アニメ原作の実写映画を撮る際の1つの答えになるかも知れない。
映像作品→映像作品として再製作する際に、悪ふざけではあるが、色々な可能性が生まれる……かもしれんという意味でも、一種の実験作としてはアリではないじゃろうか」
役者について
最後になりますが、役者について語っていきましょう
今作のMVPは男性陣じゃな
カエル「結構女性キャストが話題になるけれど、うちとしては男性陣に注目して欲しいなって印象が大きいかな」
亀「女性陣はまあ美人ではあるが、演技が固かったりと少し違和感があったかの。
しかし彼女たちに与えられたのは”美女”というものであり、美しければそれでOKなわけじゃ。
いや、これはバカにしているようで、全くバカにしておらん。原作漫画もある中で、”かわいい役者をきちんとかわいく(時にはエロく)魅せる”というのは、非常に重要じゃ。
だからこそ、この作品の重要な部分……つまり”美人&かわいい女性陣”という部分は一切外しておらんからの」
カエル「で、男性陣に関しては……?」
亀「今作では”バカな男たちのバカな姿”をキチンと描きださなければならない。ここで一瞬でも恥ずかしいとか、バカバカしいという感覚を出してしまえば、途端に寒いものになる。
その意味ではギャグ描写を一切照れることなく、やり切った。この姿を称賛すべきではないかの」
それこそ、アキラ100%の笑いの凄さなのかな……
裸で熱湯風呂に入ったり、お盆をもって踊るなどは誰でもできるようで、実はそれも1つの芸なわけじゃな
亀「その点において、この作品の男性陣は何1つ間違っておらん。
何せフルチン漫画であり、ここで少しでも恥ずかしがったり、あるいはパンツを履くなどをしたら負けじゃ。
しかも裸が汚くなく、見苦しくない。作り上げてきているの」
カエル「コメディをコメディとして笑わせるための演技……
だとしたら、むしろ笑ってあげる方が役者のためなのかな……」
亀「いつもいうようじゃが、今作のような作品は人間の奥深さを出す目的ではない。
徹頭徹尾、あくまでも過剰な”キャラクター”を演じることが求められる。しかし、今の時代に求められているのは、そのキャラクターなのではないじゃろうか?
結局、本作はアイドル映画の側面もあるんじゃよ。
特撮出身俳優や、アイドル・若手女優たちを次のステップを上げるための知名度向上と経験値の映画。言葉は悪いかもしれんが、演技経験など皆無なかわいいだけの子達を引き上げるための作品じゃな。
しかし、それでも役者が印象に残ること……その目的を達成できれば、それはそれで成功じゃ。
だからわしは英作品というのは、評価されるものではないじゃろうが、その意図や功績に関しては評価したいと考えておるの」