今回は大注目作品、FateのHFルートの最後の話である『Fate/stay night [Heaven's Feel]III.spring song』の感想記事になります!
いよいよ終わるんだな
カエルくん(以下カエル)
「ufotableがFateのルートを映像化するって発表したのって、もう5年は前だったと記憶しているんだけれど……HFの1章が2017年、そこからでも3年かけて、いよいよゴールです」
主
「劇場もソールドアウトが相次いでいて、コロナ下でも人気のアニメ系は強いことが判明した形だな」
カエル「そりゃ、みんな待ちになったもんね……
早速感想記事のスタートといきましょう!」
Fate/stay night Heaven's Feel III. - Spring Song Official Trailer #1
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#fate_sn_anime
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年8月15日
日本アニメ界に刻まれた宝具という言葉以外が浮かばない偉大なシリーズにして完結篇
過去2作、さらにはfateという歴史を内包しながら正義と悪の在り方を問いかけ続け、見つけた先の愛の姿に心が打たれる
今でも指が震えつづけている…
余裕の年間ベスト筆頭クラスの作品! pic.twitter.com/keHs522ftd
……言葉が出ません
カエル「…‥もうね、なんといっていいのかわかりません。
過去2作もとてつもないクオリティで、最終章だから過去作に負けないように、絶対に力を入れてくるのはわかっていたんだけれど……ここまでとは、思わなかったというか……」
主「間違いなく、日本アニメ界の歴史に名前を残す名作にして、時代を象徴する作品の誕生だよ。
時代が動いた。
これは歴史的な事件だ。
それくらいすごかった。
映像表現が圧倒的、他の追随を許さない、ほぼ間違いなく2020年の、外連味あふれるアクション描写では、ベスト作画アニメになるだろう。
もちろん、コロナとか、あるいはスタジオによっては目指す方向性が違うとかもあるかもしれないけれど……いやいや、この作品を超えることってできないって。
下手したら5年くらいは、どのスタジオもこの作品の後を追わなければいけないかもしれない」
カエル「それこそ、アニメでしかできない表現を徹底的に突き詰めたという気分だよね……
ちょっと、この作品を見ると他の……日本のみならず、世界中のアニメーションを観ても満足できないんじゃないかって思うほどで……。
冗談も誇張も抜きで、歴史的な、日本アニメ界の金字塔の誕生を初日に立ち会ったという気分だね……」
またさ、物語の面もかなりガツンとくる内容で……
ファン向けのオタクアニメ映画であるのは間違いないけれど、1つの映画としての完成度がとても高い
主「もちろん、本作は絶対に予習が必要だよ。
とりあえず
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年8月15日
2006年のスタジオDEENが制作したアニメシリーズ26話
2011年のfate zeroの26話
2015年くらいのfate UBWってやつを26話
で、今の劇場版の1.2を観れば完璧です!
最低でもこれだけはチェックしていることを前提にしている。HFルートの劇場版だけ見ても、絶対にわからない。なんなら、もっともっとFateのみならず、奈須ワールドを知っておく必要があるという意見もあるだろう。
でもさ……なんか、もうそんな、オタ向け云々なんて語っているレベルじゃないんだよな」
映画としての完成度の高さについて
1作の映画、あるいは1つのシリーズとしての完成度がとても高いということね
これはFate/stay nightの全体を通して言えるテーマがあるわけじゃない。
- 正義のあり方、正義の味方の宿命
- 愛のあるべき形
こういったテーマを、哲学的に見せながらも、きっちりと娯楽作として描いている。オタク的な要素もあるんだけれど……それ以上に注目してほしいポイントが、人間を描く絵の作り方だね」
カエル「ここは第2章でも絶賛したポイントだよね。
あくまでもアニメの絵というのは”人間”ではなくて”キャラクター”を求められている部分もあるでしょう。もちろん、本作もキャラクター的な部分はたくさんあります。
だけれど……その絵を超えた、人間としか言いようがない表情などを浮かべる瞬間があり、すごくハッとします」
主「本作も……例えば頬を赤く染めるとか、そういった漫画的・記号的表現はあるよ。
だけれどそれだけじゃなくて……いくつもの複雑な感情が入り混じった表情を浮かべる瞬間がある。
そういった表情があるだけで、グッと表現の豊さが増す。
それは”萌え”を超えて、色や艶というべきものに昇華していったのが2章であり、その力はこの3章でも発揮されているんだ。
この辺りは、また詳しく語っていきましょう」
3部作の印象
この3部作の映像面をざっくりと振り返って見ましょう
- 1章=みんなが思い描くFateの形から始まり、それが崩壊していく様を描く
- 2章=キャラクターを超えた、人間の色艶を桜を通して描いていく←愛の物語へ
- 3章=全てが混迷を極めていく中で、過去作の要素を内包し、圧巻のアクション描写とその先の物語を描く
超ざっくりとまとめると、こんなものかなぁ
カエル「1章はもちろんufotableの美麗な映像が圧巻だったけれど、既存のFateのアニメ表現をさらに進歩させた、という印象だったかな」
主「その意味では、"やっぱりFateだな”と思わせてくれる作品だったよね。
もともとUBWでもテレビシリーズとは思えないほどの圧巻の映像美が楽しめたけれど、それがさらに迫力もアップして、非常に目を楽しませてもらった。だけれど……これはいい意味で捉えて欲しいけれど、ちゃんとFateをやっていたんだよ。
まだ既存のFateから逸脱はあまりしていなかった。
で、第2章は何度も語るようにアクションも凄いけれど、人物表現が見事。
このHFシリーズでもっとも重要な桜と士郎の関係性を描き抜いた、色艶がある作画があって、ここからFateという形を逸脱する」
カエル「過去に語ったことで言えば”エロゲー原作アニメのアングラな魅力を注ぎ込んだ作品”ってことだったよね」
主「3部作の2作めって難しいんだよ。1作目の物語から盛り上げなければいけないけれど、3作目につなげるためにやりすぎてはいけない、あくまでも繋ぎの側面もある。だからもっとも腕が問われる作品であり、3部作ものだったら、2作目が一番通向けになりやすいんじゃないかな」
3作目の本作は……全てが壊れていくとでもいうのかな
それこそ、次元が違うと感じた
主「1作目のFateらしさ、2作目の色艶を引き継ぎながらも、クライマックスにふさわしい映像表現を模索していく。
そして物語は、過去のFateシリーズの主要な部分を網羅しているわけだ。
もちろん、ファン要素もたっぷり入れている。その意味ではシリーズ初見さんは完全に置いてけぼりだけれど、それはもうこの手のシリーズの宿命だから仕方ない。
全ての要素を兼ね備えながらも、そこからさらに先へいく……それがこの3章である。
もちろん、3部作としてもクライマックスであり、1つのシリーズとしてみても圧巻の作品になったのは間違いないだろうな」
以下ネタバレあり
作品考察
スタートから際立つ表情の演技
それでは、ここからネタバレありで語っていきます!
何回も語る表情の演技の素晴らしさについて、詳しく語っていこう
カエル「そもそも、どの時点で傑作だと思ったの?」
主「冒頭。
開始10秒ぐらいで傑作認定した。
この映画のスタートって間桐慎二の表情から始まるんだよ。そこを見た瞬間に震えたし、この映画はとてつもないことをやろうとしていることが伝わってきた」
カエル「冒頭……そんなにすごかったっけ?」
主「慎二の顔がとても安らかなものだったんだよ。
前作であんな終わり方をして……色々と過激なこともあったけれど、その最期の表情が、いい表情しているんだよね。
監督が慎二のファンだという話は知っていたけれど、そこまでやるか……と感じた」
カエル「え、でもなんでそこで傑作認定するの?」
主「主な理由としてはこの2つ。
- 慎二の表情から見る、心理表現
- 作品の構造を明かしている
あれだけのことがあったのに、安らかだったというのが大事なわけだ。
そこまでの行為を考えると、慎二もなかなかのクズではあるんだけれど、2章ではそうならざるを得なかった苦悩を描く。そして彼があの最期を迎えた時、実は救われたのではないだろうか?
死が必ずしも悪いことではないというか、それでしか救われない気持ちってものもあるんじゃないかな」
悪事も重ねてきながらもネタキャラみたいな立ち位置にいたけれど、複雑な思いを抱えていただろうしね……
同時に、この映画の基本構造である”対比にて物語を紡いでいく”ということを、ここで宣言しているように感じられた
カエル「対比で物語を作っていく?」
主「考えてみれば、桜を中心にしたときに士郎と慎二って対比関係にありながらも、似た立ち位置にいるといえなくもないんだよね。
- 家や親の考えに縛られている
- 魔術師としての才能は少ない聖杯戦争の参加者
この2人の間には桜という存在がいた。どちらも桜に対して並々ならぬ感情を抱いている。だけれど、一方は桜に愛され、一方は桜を暴力的に扱う。その結果がああいうことになる。
でも同時に、この時に”慎二は士郎のもう1つの可能性”だったのではないか? と」
カエル「もしかしたら、場合によってはあのときにやられていたのは士郎だったかもしれない……」
主「可能性は0じゃないよね。
2章の最後の方の、桜の悲しい決断があって……
そこで桜の命を奪えなかった正義の味方としての士郎の姿もあった。
桜、士郎、慎二の誰が亡くなってもおかしくなかったのではないだろうかってね」
カエル「ちなみに、そこ以外でもキャラクターの演技がすごくて……特に初登場で家でゴロゴロしているイリヤの可愛らしさは暴力的だし!
さらに桜のエロさにも痺れるものがありました」
主「あの時の桜の表情や体のラインの艶かしさも見事。
2章から繋がる、キャラクターの色艶を感じさせる見事な演技だったね」
対比表現で語られていく歴史
今作は他にも対比表現が多かったんだよね?
というか、ほぼ対比表現で成り立っているんだよ
- イリヤと凛→共にお姉ちゃんであり、妹(弟)への思いや行動
- 衛宮士郎と言峰綺礼→カオスを望む者と正義を望む者
- 凛と桜→魔術師の家系に翻弄されていく姉妹
- 衛宮士郎、衛宮切嗣→正義のあるべき形について
- 衛宮士郎、言峰綺礼、バーサーカー→愛のあるべき形
主「すんごくざっくりと語っても、これだけの対比がある。もちろん、もっともっとあるんだけれど、一部を抜粋する。
例えば凛とイリヤのお姉ちゃん談議がスタートで入るから、その後の展開に繋がる。そして姉としての行動を描くことができるわけだね。
時に同一視し、時に対立させながら物語を作っていく。
その結果”Fateの歴史”が浮かび上がっていくんだ」
カエル「Fateの歴史?」
主「この映画素晴らしいのは、過去のFate作品、その全てを内包している作品になっていることだ。全ての原因が明らかになる話でもあるし、同時に多くの謎も知ることになる。
切嗣と綺礼の対比、あるいは正義のあり方の模索というのは『Fate/Zero』で何度もみたものだった。
そして後半の士郎の戦いではUBWを思わせる。もちろん、もっともっとたくさん過去のFateを意識した描写が出てくる。これらは過去作品をみていないと理解が難しいかもしれないけれど、色々と思い当たることがあるだろう」
で、この描写が先ほど語ったことに繋がってくる
主「『3章=全てが混迷を極めていく中で、過去作の要素を内包し、圧巻のアクション描写とその先の物語を描く』とさっき語ったよね。
ここでは1章、2章の要素だけを内包していたわけではない。そこには過去のFate作品、特にufotableが描いてきた作品たちの総決算でもあるわけだ」
カエル「とりあえず、Fateの物語自体はここで一度小休止になるからね……」
主「だからこそ、この話は”衛宮士郎の物語の終焉”として機能させる。それは過去、そのほかのルートも含めて、”Fate/stay night ”という物語の終戦でもある」
だからこそ、8月15日に公開だったわけじゃない
カエル「ufotableは放送時期や公開時期にこだわるスタジオで、本来は今作も桜の花弁が満開の時期に公開できるように、最後まで粘っていたという話だったもんね……」
主「過去の決着、Fate(運命)の終戦。
それを意識したのも、この日にした理由の1つではないだろうか。
偶然かもしれないけれど、とてもいい公開日だよね」
正義のあり方〜士郎の正義と、綺礼の目的〜
そしてFateシリーズを取り巻く、正義のお話になります
いや〜……ここが本当によかった!
主「正義の物語に求めるものをやってくれたんだよね。
- ”正義とは何か?”という問いと、正義の異常性の追求。
- 滅ぼされる悪への寄り添い方
- 正義に対する問答
- 最後はタイマンの殴り合い
これが本当によかった。
急に『あしたのジョー』オマージュから始まったけれど、最後は拳だよ。古今東西、男は最後の最後で意地を見せるのは、拳と相場が決まっているんだから!」
カエル「……『スクライド』信者らしい発言ですこと。
まあ、でも士郎の正義の終わりを描くという意味でも、とてもいい作品だったのかな」
主「以前に自分は”正義の味方をやめる時”の話をしている」
この中では
- 死を迎える
- 公の存在であることをやめて、私の存在となる(みんなのためでなく、1人の個人として生きる)
これしか、正義の味方が英雄を止める条件がないと考えた。
で、士郎はUBWでは前者を……死を迎えるまで、みんなのヒーローであることを選ぶ。
そして今作ではみんなのヒーローであることを諦めて、桜のヒーローになることを選ぶわけだ」
そして綺礼との対立を迎えると……
綺礼の言っていることは、むしろ正しいと自分は感じる
カエル「元々、悪役の発言って『社会で語ると炎上しがちな極論だけれど、理屈としては間違っていないこと』を話させると良いというよね。
主人公が綺麗事をいうならば、悪役が真理を突きつけるというか。
作者の本音は悪役に詰まっている、と語る人もいるくらいだし」
主「綺礼が言うように『聖人が犯す罪、悪人の善行』と言うカオスな状態にこそ、人間が人間たらしめるものがあると答える。
これは本当にその通りだ。その後の人類が絶滅して〜と言うのは、単に面白そうだからの愉悦、ぐらいでしかないんだろうけれどさ」
カエル「そしてそれは古い間桐臓硯の表情の変化とかも含めて、人間が変化していく動物であると言うこと、また高潔な精神も失われていくことを描いていたよね……」
主「その意味ではUBWの士郎がこの先どうなるのかもわからないけれど……全てを終わらせる上で、英雄であることを辞めたことで、Fateを終わらせるのは、当然の結末だと思っているよ」
愛の物語として
そして、HFルートでは最大の話題となるのは、やはりこの点でしょう
自分は本作が描いた愛の形が、本当に好きなんだよね
主「いつも語るけれど、愛というのはそんなに良いものでもないし、一面的なものでもない。
自分は最も素晴らしい愛について語った小説として、坂口安吾の『夜長姫と耳男』を挙げている。このラストシーンが、本当にFateに似ていると思っている」
カエル「夜長姫というお姫様がいるんだけれど、色々あって疫病が流行った時に、村の人々が亡くなっていく姿をみて、主人公の男は夜長姫をあやめることを決意します。
そして刺された夜長姫が最期に残す言葉が『好きなものは呪うか殺すか争うかしなければいけないのよ』というものでした」
主「今作の中ではいくつもの”愛”が描かれている。
綺礼の愛、バーサーカーの愛、士郎の愛だ。
バーサーカーの愛は断片的ながらも、ヘラクレスの伝説を思うと、おそらく家族を手にかけてしまった時のものだろう。この愛の形は、よくわかるものだろうし、だからこそイリヤに目をかけていることもわかる名シーンだ」
そして綺礼の愛……これが問題になるわけだね
あれはね、深いなって思うんだよ
カエル「綺礼は自分の妻が亡くなる時でさえ、執着がなかったと語っていたよね?」
主「そこが、夜長姫の愛なんだよ。
その時、綺礼は『自分の手で殺めたかった』と語っている。
それはとても熱い思いなんだよ。
一般的な愛ではないかもしれないけれど、その相手にそれほどまでに執着しているからこそ生まれる感情。
それほどの熱い思いを見抜いていて、妻は『あなたは私を愛しています』と返す。
そしてそれは『助けた者が女なら殺すな』という発言に繋がるわけじゃない。
少なくとも、自分はこれは士郎と桜の愛にも劣らないほどの純愛であると考える。
この2人の愛の姿を思いながら、士郎は道を選択する」
カエル「桜の決断も、色々と間違いはあったけれど、それも含めて愛なのかな……」
主「愛だと思うよ。
そして士郎はそれに答えた。
結局、先にも述べたようにヒーローがヒーローをやめるには、死以外では1人の人を愛するしかないんだよ。公的なる存在を辞めて、私的な存在になる。
こういった愛の形は、2000年ごろのアニメ……というか、アングラな方、まあPCゲームとかで描いてきたものじゃない。そこから虚淵玄みたいな人も出てくるわけで。
その眉を顰めるかもしれない、だけれど確かな愛の形を最後まで描き抜いた……それだけで、自分は高く評価したい。
本当に優れた、大傑作だよね」