今回は『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re :』の感想記事になります!
総集編映画の前編という意味では、なかなか評価しづらそうな映画じゃな
カエルくん(以下カエル)
Vシリーズも優れた作品だったし、興行収入も凄いことになりそうだね!
亀爺(以下亀)
130館ほどということじゃが、そうとは思えないヒットじゃな
カエル「この記事では今作の評価とともに、きらら作品の系譜と近年のアニメーション表現の歴史を紐解きがながら、今作についても語っていきます!」
亀「それでは、感想記事のスタートじゃ」
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ChatGPTによるこの記事のまとめ
- 総集編としても1本の映画としても優れており、完結性と巧みな演出・編集が評価され、映画館での視聴が推奨されるほどの一体感を提供している。
- TVシリーズと異なるアプローチを取る作品が増えている中で、『ぼっち・ざ・ろっく! Re:』は、総集編としてだけでなく新しい物語としても高く評価されており、主要声優の青山吉能の演技が作品の魅力をさらに高めている。
- シャフトと京都アニメーションは『まんがタイムきらら』系のアニメ化作品において重要な役割を果たしており、『ひだまりスケッチ』と『けいおん!』がそれぞれのスタジオの代表作としてきらら作品の特徴を決定づけ、後続のアニメに大きな影響を与えている。
-
Clover Worksは京アニ風の写実的な映像表現とシャフト風の抽象表現を融合させ、今作ではアニメの快楽性を増大させている。
Xの短評
#ぼっち・ざ・ろっく
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2024年6月7日
総集編前編を観ました
編集が上手い‼️
基本は確かにTVシリーズの総集編でしたが、元々の構成がうまかったこともあって1本の映画としても見応えがあるように再編集されていたのが好印象です… pic.twitter.com/KCvcRh6wS5
Xに投稿した感想
#ぼっち・ざ・ろっく
総集編前編を観ました
編集が上手い‼️
基本は確かにTVシリーズの総集編でしたが、元々の構成がうまかったこともあって1本の映画としても見応えがあるように再編集されていたのが好印象です
後藤ひとりという何者でもないぼっちな少女が何者かになるための決意をするための話にまとめられており、前編だけならば総集編映画の1つのお手本としてもいいのではないでしょうか
近年では色々と面白い試みをするアニメの総集編映画がありますが、今作は王道ともいえるくらい真っ直ぐで、そしてわかりやすいので今からぼっちに入る方はここからでもOKです
あとは圧倒的に音響が優れている環境で観るべきなので、映画館で見る意義もありますね
ボクは近年のアニメの歴史をおさらいして観ているようで、色々と知識の整理ができたような気持ちになりました
感想
それでは、作品の感想からスタートです!
総集編としても優れている作品であったの
カエル「TVアニメの総集編ということであり、しかも前編ということなので、お話が中途半端になることも理解を示しますが……今作に限っては、そういうこともなく、むしろここから、ぼっちの世界に入っても理解してもらえるであろうし、1作の映画として完結している作品になっています!」
亀「さすがに日常のコメディ作品ということもあって、ドラマチックな構成としては若干弱いものの、それ以外はアニメ映画としても見事に成立しているからの。
元々原作に対する構成、つまり脚色が上手かったが、それをさらに確認するような作品じゃった。
作画クオリティも元々派手に動き回る作品ではないが、演出や様々な面白い挑戦で魅了する作品であり、安定感も含めてレベルの高さを感じられた。
動きではなく、演出で魅了するという意味でも、非常に見応えがある作品じゃな」
優れた編集
今回は総集編の、しかも前編という難しさもあったと思うけれど、そこの評価はどうだった?
これは非常に高い評価をしてもいいのではないかの
カエル「元々のTVシリーズから、物語の構成意図が明確だったけれど、今作でそれがさらに高まったという印象だね」
亀「後藤ひとりというギターの腕前以外は何も持たない少女が、結束バンドという居場所を徐々に獲得し、自分が何者かになると決意する作品として見事な編集がされていた。
また日常シーンではバンド音楽を流すなどをして、ダイジェストになりながらも、それを感じさせにくい工夫を凝らしている。
その点も含めて、レベルの高い編集であった。
今作が斎藤圭一郎監督自身が編集をしているのかはわからないが、非常に巧みな再構成であり、1つの物語としてまとめ上げようという意思を感じたの」
スタートから説明があって、コメディベースに徐々に成長していき、そしてあのラストに繋がるのが素晴らしいよね!
ここはぜひ音響のいい映画館で観てほしいの
カエル「特にラストの部分に関しては、まさに劇場がライブハウスと一体になっていくのが感じられるし、TVシリーズからも圧巻だったけれど、さらに良くなっていたよね!」
亀「映画館で映画を観る意義というものを考えた場合、劇場の一体感というのは欠かせないじゃろう。
そして今作はそこをより重視することで、映画館で観るべき意義を強化した。
おそらく、応援上映もされるのではないかの。
まさしく単に画面に向かって1人、あるいは少人数で観ることを想定するTVシリーズとは異なるアプローチを試みて、成功した作品と言えるのではないかの」
総集編映画としての今作
総集編映画としての評価について、他作品と比較しながら語っていきましょうか
近年はアニメの総集編作品が多くなっているが、その編集方法も多岐にわたるようになっている
カエル「単にTVシリーズをダイジェストにしました、という作品もある中で、今作はそのようなものではないんだよね」
亀「まず、正攻法としてTVシリーズの物語を再構成して、その魅力を高めた作品としては『響け! ユーフォニアム』シリーズが思い浮かぶ。
特に2作目にあたる『劇場版 響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディ〜』は、TVシリーズの前半を省き、登場人物と物語を絞ることで完成度を高めるという手法をとり、総集編映画としても高く評価されている」
一方で異色作なのは『ゼーガペインADP』で、こちらはゼーガペインだからこそできる物語になっています
トリッキーながらも、総集編映画の中では1つの答えを出した作品じゃな
カエル「これはゼーガペインという作品がかなり特殊な設定を持つアニメなので、ちょっとネタバレありで説明するのが難しいんですが……単なる再構成ではなく、1つの物語として新しい作品に生まれ変わっています」
亀「総集編映画を単にダイジェストにする作品もある中で、意欲的、あるいは作品意図に基づいて再構成する作品も増えている。
その中でも『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:』は、総集編映画としても、そして前編だけを集めた映画としても、そして1本の映画としても、きっちりと80点を獲得していくような、全方位において見どころの多い作品となっておるの」
ぼっちの魅力を高めた青山吉能
やはり声優陣についても語っておきましょう!
特に青山吉能を起用したことが、今作の成功の最大の鍵だったかもしれんな
カエル「もちろん他の声優さんも重要ですが、主役ということもあって青山吉能をフューチャーしたいということだね」
亀「今作は先にも言ったように、作画が派手に動き回る作品ではない。
しかしそれを退屈せずに観られるのは、演出の力もさることながら、やはり声の演技の力も非常に大きい。
特に出番が多いという単純な理由もさることながら、自由自在で感情表現が極端に変わるひとりを演じるのに、青山吉能の自由自在な演技というのは、欠かせなかった。
幅が広い役柄ということもあるが、映像・音楽などの音響面と共に、青山吉能という存在が今作の魅力を高めているの」
以下ネタバレあり
ぼっち・ざ・ろっく論
基本は異世界転生系
ここからは『ぼっち・ざ・ろっく』という作品全体に関する、考察記事になります
今作の基本は異世界転生系なんじゃな
カエル「……えっと、異世界に行くわけではないけれど、異世界転生系なんだね?
詳しくは以下のようになります」
自己意識が低い・隠れた能力を持つ主人公
↓
人と出会い、新しい世界へ挑戦する(転生)
↓
しかし能力を発揮することができない
↓
世間と自分の差に悶絶しながらも成長していく
↓
自分の居場所を見つける、決意する
このように語ると、わかりやすいかもしれん
カエル「ふむふむ……異世界に行かないだけで、転生系のフォーマットを活用していると」
亀「というよりは、より正確に言えば異世界転生系が既存の作品の優れたフォーマットを活用している、とも言えるがの。
このような物語構造は『スターウォーズ』などにも見受けることができるが、それを日常劇にして、音楽要素を高めたのが今作じゃ。
そして自己意識が低いけれど隠れた能力を持つ、というのが、やはり現代の……まあ、いわゆる陰キャと自称している人に刺さったというのはあるのじゃろう。
単なるギャグ漫画のようでありながら、きちんと構成が整っている作品ということが、これだけでもわかるわけじゃな」
近年のアニメの合流地点
近年のアニメの中心だったスタジオとは
ここからはさらにニッチな、他のアニメスタジオとも絡めながら話を広げていきます
近年のアニメスタジオ……特に2006年くらいから2015年くらいの約10年間で中心的だったのは、このスタジオたちじゃ
- 京都アニメーション
- ユーフォーテーブル
- シャフト
ここ以外にも「あのスタジオも〜」という意見があるじゃろうが、今回はこの3つに絞って話を進めていきたい
カエル「おそらく時間軸をもっと最近に……2016〜現在くらいにしたら、トリガー、MAPPA、ウィットスタジオも入ってくるだろうし、それこそClover Worksもそのうちの1つになるだろうね」
亀「上記の3つのスタジオに限定するのは、Clover Works論を語る上ではわかりやすいからじゃな。
そしてこの3つのスタジオの個性を大雑把にまとめるならば、このようになる」
- 京都アニメーション → 実写的、リアルな映像表現の模索
- ユーフォーテーブル → CG、撮影も活用した派手なアクション
- シャフト → アニメ的な抽象表現の模索
一言にアニメと言っても、様々な取り組みがある
カエル「京アニは聖地巡礼も多くされるように写実的な背景と組み合わさることで美麗な作品を生み出しているよね。
ユーフォーテーブルはやっぱりアクション! 現在だと『鬼滅の刃』もそうだけれど、アクション描写が派手で話題になりやすい。
シャフトは……これは新房昭之監督の特性かもしれないけれど、写実やリアルとは真逆のアニメ表現を模索していたスタジオ、という印象があるね」
亀「そうじゃな。
そしてここが重要になるのが、きらら作品の文脈じゃ」
中心スタジオのうち2つが交錯した”きらら”
きらら作品……つまり『まんがタイムきらら』をはじめとする系列漫画雑誌の、アニメ化作品群のことだね
シャフト、京アニはこのきらら作品を語る際に重要な作品を生み出している
カエル「語るまでもなく、シャフトは『ひだまりスケッチ』シリーズ、そして京アニは『けいおん!』だね」
この2作が、きらら作品の特徴を決定的にしたのじゃな
カエル「特に『ひだまりスケッチ』はとても影響力が大きくて、この後に作られるきらら作品もその源流は『ひだまりスケッチ』になるよね。
なんというのか……デフォルメされた頭身の低いキャラクターデザインだったり、背景が抽象的だったりていうのかな」
亀「元々4コマ漫画というのは、書き込みが少ない作品が多い。他の一般漫画のように見開きで2ページ大コマでドン、という表現などが少ないということもあり、背景やキャラクターをデフォルメ化することで少ないコマ数でも面白い漫画を追求してきた。
そこにアニメーションとしての手法が合致したのがシャフトの演出法であり、ヒットした。
もちろん、元の漫画がそうなっているというのもあるのじゃが……シャフト的な演出をするきららアニメも増え、『キルミーベイベー』などはこの系譜にあると言えるじゃろう」
そしてそれと全く違うきらら作品像を作り上げたのが『けいおん!』なんだね
シャフトと京アニは真逆とも言える映像演出表現をするが、まさにそれが現れたのが『けいおん!』じゃな
カエル「精緻な映像で写実的な映像表現、さらにキャラクターたちが本当に楽器を弾いている! ということでも話題になったもんね!」
亀「そう考えると、今でも『けいおん!』はきらら作品としては異色作なのかもしれん。
この映像はなかなか生み出せないものであるというのもあるがの。
そしてこの2つの全く異なる映像の交錯点……それが『ぼっち・ざ・ろっく』なのではないか?」
京アニ的な進化を遂げてきたClover Works
そもそも、Clover Worksってどういうスタジオという認識なの?
わしは京アニ的な進化を遂げてきたスタジオという認識じゃ
カエル「京アニ的……つまり写実的、実写的なアニメ映像表現を模索するということだね。
それでいうとスタジオの代表作として名前があがりやすい中だと『ワンダーエッグ・プライオリティ』『明日ちゃんのセーラー服』が、確かに写実的な作品だったよね」
亀「他にも長井龍雪監督の『空の青さを知る人よ』や、うちとしてはかなり高く評価した『冴えない彼女の育てかた Fine』は演出もかなり実写を意識していると感じたの。
もちろん全ての当スタジオのアニメーション表現が写実的なわけでもなく、アニメーションの快楽性を追求する作品もあるが、上記の3つのスタジオの中ではどこに該当するか? というと、京アニ的な写実、実写的な表現が目立ったスタジオと言える」
それはぼっちもそうなの?
一部の表現では、やはり写実的じゃからの
カエル「演奏シーンとか、あとは街の背景とかかな?」
亀「そうじゃな。
音楽アニメということもあるが、今作をきらら作品の系譜でいえば『けいおん!』の後継者のような作品と位置付けることができるじゃろう。
スタジオの個性である写実的を京アニ的と解釈すれば、その道を模索した作品とも言える」
アニメーションの自由な表現を模索
それと同時に、シャフトのような表現も見受けられると……
特にぼっち関連の表現は写実とは真逆になる場合が多い
カエル「つちのことか、あるいは承認欲求モンスターとかもそうだよね」
このような自由な表現は、むしろシャフト的ということができるじゃろう
亀「わしがぼっちをアニメ史、特にきらら作品の交錯点として評価したいのは、こういう部分でもある。
つまり京アニ的な写実主義と、シャフト的な抽象表現、その2つがエンタメとして融合することによって、アニメーションとしての快楽性が増大させた。
その面白さがまさに発揮されている作品ということじゃな。
今作のアニメ表現としての価値は、きらら作品的なるものの融合……まさにそこにあるのではないかの」