この記事は公開から時間が経ちましたが『羅小黒戦記2』の解説記事になります
今回はネタバレありの解説記事からスタートです
カエルくん(以下カエル)
いつもはネタバレなしの評価→ネタバレありの解説の流れですが、今回は逆になります
主
ネタバレなしの評価が書き途中なんだけれど、先にこっちの方が筆が乗ったから書いたんだよね
カエル「いつまでも書けなくないままだと、ブログ更新しないからね……」
主「ただ、中国の映画の現状を知る意味でも重要な映画だと思うし、結構独自の記事になると思う。
あと個人的には……この映画を褒めていいのかモヤモヤしている、というのは先に言っておきます。その理由は以下を読めばわかるでしょう」
それでは、記事のスタート!
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『羅小黒戦記2』は何を描いてきたのか?
政治的要因が根強い中国映画
それでは、ここからは映画の内容について解釈していきましょう
今作が何を描いてきたのか、ということについて考えていこう
カエル「まず、中国映画の特性についてお話ししておきたいということだけれど……」
主「むしろ、この記事の最も重要な部分はそこだからね。
中国という国は政治の影響が日本と比較して遥かに強い。
それは映画においても例外ではなく……というよりも、何かを表現するということは、何かを表明するという意味で政治的な行為であるわけだ」
それがエンタメ映画であっても、アニメーション映画であっても例外ではないと
だから日本と同じ感覚で考えると、この映画を含めて何を描いているのかが見えにくくなってくる
主「その意味では日本と真逆でもあるんだよね。
日本はエンタメに政治を関連させたがらない。もちろん、映画に限らず政治を描いたエンタメ表現もたくさんあるけれど、それは政治について描いていますよという前提がある。
一方で中国はその政治の部分が巧妙に隠されている。
だから日本とは真逆と言ってもよく、『羅小黒戦記2』も実は政治的要素が強い……というか、むしろ政治映画と言ってもいいくらいの映画なんだ」
『羅小黒戦記2』が描いた政治
それを簡単にまとめると、以下のようになります
今作が描いた政治
- 中国の覇権主義
- 漢民族と少数民族の関係性
- 中国国内(中国共産党)が恐れる腐敗と裏切り
これはまるでエンタメ映画の感想・解説記事とは思えないラインナップになったなぁ
カエル「えっと……本当に『羅小黒戦記2』がこのようなことを語っている映画なの?
あまりにも政治的すぎて、ちょっとドン引きされる人もいるかもしれないくらいだけれど……」
主「少なくとも、自分の解釈でははっきりと語っているよ。
もちろん、政治的要素ははっきりと語らない。ここら辺が中国映画の特徴で、万人に伝わるかわからないようにこっそりと政治的メッセージを紛れ込ませている」
……なぜそんなめんどくさいことを?
そりゃあ、もちろん検閲がある国だからだよ
カエル「検閲……つまり政治的な表現の規制ってことだね」
主「中国共産党はもちろんのこと、中国は伝統的に歴史や表現を規制してきた。それこそ中国共産党では文化大革命で歴史を選定したようなものだし、それ以前の政権も勝者が敗者の歴史を書き換えてきた。
だからこそ、何かを表現するということには、慎重になる文化がある。
その点はもちろん時代ごとの検閲はあるけれど、なんでも表現して、なんでも消費してきた日本人とは真逆と言ってもいい娯楽表現の価値観があるわけだ。
その良し悪しなどについては……この後書こうと思っている『ナタ 魔童の大暴れ』辺りの記事で書こうと思っているよ」
具体的な描写について
前提となる解釈
じゃあ、前置きはここまでとして、『羅小黒戦記2』が描いた政治について具体的に語っていこうか
まず、この前提を共有しておいてほしい
今作の解釈
-
人間 → 人間という種・ホモサピエンス
-
人間 → 漢民族
- 妖精 → 少数民族
えっと……これはどういうこと?
この映画を読み解くのに難しいのは、”人間”という単語に2つの意味があるということだ
カエル「人間という単語に2つの意味……?」
主「1つはそのまま”ホモサピエンス”という意味。
つまり、妖精と対比する存在としての人間だね。
もう1つが漢民族という意味で、つまり中国国内の多数派としての人間という意味だ。
この2つが故意に混ぜられているからこそ……これは字幕の日本語の問題で実は中国語では分けられている可能性もあるけれど、少なくとも日本人には通じにくくなっている要因でもある」
攻めてきた人間たちとは?
まずは、このお話は攻めてきた人間がいるってことだよね?
それはわかりやすい記号が用いられてきたから、何を示しているのかはわかるだろう
カエル「えっと……やっぱり英語なのかな?」
主「そう、今作で攻めてきた軍隊は英語を扱う軍隊だったわけだよね。
では、現代中国を舞台にした時に、中国語を使う者に対して攻撃してくる英語を使う軍隊といえば、どこを想像する?」
……えっと、米軍?
そうだね、米軍かもしくはイギリスの軍隊だ
主「つまり、今作で攻めてきた敵というのは米軍かイギリス軍……つまり自由主義圏の軍隊と考えるのが妥当だ。もちろん日本やフランスなどの可能性自体は捨てきれないが、英語を用いる高度な軍隊と考えれば素直に受け取れば上記の2国が中心だろう。
特に、今作の場合は米軍である可能性が最も高い」
内通者(裏切り者)の存在
つまり、攻めてきた米軍を撃退するのが、今回の戦争描写の話だと
それに対して協力する内通者がいる、というのが今回の主軸になるわけだ
カエル「でもさ、この内通者というのが現代中国の政治における大事な要素というのは、どういうことなの?」
主「近年の中国においては『反腐敗運動』が盛んなわけだ。
こんな記事も見つけたから、貼っておくけれど、2026年には中国国内では軍部の上層部が摘発される案件も起きている」
上記に貼った記事のように、中国、特に習近平政権は反腐敗運動を最も活動的に重要な政治活動として注力しているわけだ
カエル「ここはだいぶ、言葉を気をつけなければいけないところだね」
主「もちろん、習近平に忠誠を誓う人材を集めて反乱分子を失くすという個人的な思惑だって大きいだろう。だが同時に、賄賂などで動く腐敗した役人なども、それだけ多いというわけだ。
これは10年前の記事を貼るけれど、腐敗というのは民間にも深く根ざしており、賄賂やキックバックを行うことでビジネスが動くという指摘がなされている。これらは市場原理を阻害するだけでなく、闇のマーケットの温床にもなり、脱税など国家運営にも悪影響を及ぼす行為でもあるわけだ
だからこそ、腐敗を粛清する必要があるんだね
これは複雑な問題となっている
主「もちろん、談合やキックバックなどを含めた賄賂は許されないものだし、政治家などはよりクリーンな人材が求められる。
一方で異論を持つ人物が腐敗という名目で排除されるということも目立つ。
クリーンさを保つというのは、政治や国家理念が先行する中国においては異質なものを許さないという姿勢にもつながってくるわけだね」
映画で描かれた”裏切り”
それが今作の中でも描かれていると
ある人物が裏切りを働くけれど、その人物は明確に米軍に協力関係にあったわけだ
カエル「それが中国国内における”反腐敗”の運動と合致するということだね」
主「中国国内の映画で裏切り者や勝手な行動を行う人々が登場するのは、物語上の転換点という意味合いもあるけれど、同時に中国国内の反腐敗運動と合致するという政治的な理由もある。
ただし、あの人物がなぜ裏切りを行ったのか? という部分についてはほとんど描かれていない……と自分は認識している。だからその理由が単なる反乱なのかはわからないけれど……それがこの次のトピックにつながってくるんだよね」
今作最大のメッセージ性
”人間のムゲン”とは何者なのか?
ここからがこの記事の真骨頂なんだね
今作が描いた最大のメッセージ性、それが”少数民族と漢民族”なんだよ
カエル「……結構、センシティブな話題になりそうだね」
主「まず、作中でムゲンが「人間のムゲン様だ」と呼ばれているシーンが散見されるけれど、そこはどんな意味があるのか?
それは先に挙げたように少数民族の妖精と漢民族のムゲンという構図を思い浮かべればわかるのではないか」
つまり、ムゲンは種族からして違う存在だからこそ、特別なのだと?
今作が描いたのは中国に存在する55の少数民族と、95%を占めるとも言われる漢民族との歪な力関係の話なんだよ
カエル「なぜムゲンが”人間”と強調されるかといえば、それは本来は妖精……つまり少数民族しかなれないはずの仙人というか、彼らのような存在に、漢民族でもなっているということなんだね」
主「その通り。
そして、だからこそ裏切り者はムゲンを排除しようとした。
そう考えるとね……あの戦争のシーンの意味も一変するわけだ」
ムゲンの圧倒的な活躍がなぜ描かれたのか?
あの、うちでは米軍と呼んでいるけれど英語を喋る軍隊と、ムゲンの戦闘シーンだね
あそこで戦うのはムゲンでなければいけない、政治的な理由が明確に存在するんだよ
カエル「それが”漢民族”ということだと」
主「そういうこと。
あそこでムゲンが無双することによって、米軍が攻めてきても漢民族が圧倒的な力を用いて撃退するという構図が出来上がる。
妖精たち……つまり少数民族はあまり力になれないのは、漢民族と比較してもその軍事的な力は限られるということもあるだろう。あれだけ圧倒的な力をムゲンが擁しているというのは、そのまま”漢民族は圧倒的に強い”というメッセージにもなるわけだ。
そしてそれは同時に……まあ今回は防衛戦だけれど中国の覇権主義を強調するということも可能だし、漢民族≒中国は米英に負けない、というメッセージすら内包する」
だから無双するのはムゲンであると……
ここまでいえば、この物語をうちが単純に褒めていいのかわからない、というジレンマについて納得いただけるかな
主「たださ……結局これって、日本が自由主義圏だからだよね。かつて80年代以前のアメリカの映画は対ソ連で固まっていた。
例えば『ターミネーター』は無信心で科学重視のソ連をロボットのようだと作られている一面もあるし『ロッキー4』はまさしくそのままの構図を使っている。
『ランボー 怒りのアフガン』は今でいうテロリストと協力しており、ソ連と戦う仲間として描いている。つまり、その時代の国際関係や政治関係を前提とするのは当然のことなんだよ」
それが中国だから、エンタメもこのような描き方になるんだ、と
ただし、このナショナリズムに傾倒するような描き方は危うい気もするけれど、政治的な描写そのものをフラットに見るならば、この描写は全く問題ないという考え方にもなるのかなぁ」
妖精たちとは何者か?
そして今作最大のメッセージ性が妖精たちの扱いだと
妖精=55の少数民族たち、という考え方に基づいて考察していこう
カエル「この映画の中でルーイエが『私は妖精側につく』という言葉がとても重いという主張だけれど、それを解説して」
主「ここで”人間”という言葉がダブルミーニングだからわかりづらいけれど、漢民族と捉えればわかるよね。
あの言葉は「漢民族と少数民族がぶつかれば、私は少数民族側につくよ」という宣言でもあるわけだ」
……それは、なんとも重い話で
ここでとっても簡単にではあるけれど、中国国内の少数民族の扱いについてわかる範囲で解説しよう
カエル「中国国内でも少数民族との融和は重要なテーマとなっており、それは以下の記事にもあるように、中国共産党の重要な政治的なテーマにもなっています」
主「ただし、ここでいう融和とは……漢民族への同化政策という批判も根強い」
主「中国国内では言語・宗教などの基本的な文化を構成する要素が幼い頃から標準中国語など漢民族に積極的に合わせるようにされており、その少数民族のアイデンティティが消失しているのが問題視されている。
つまり中国政府・共産党は少数民族の存在を認めて融和を謳っているけれど、実態は同化するように教育を施しているというわけだ」
それに対しても55も少数民族があれば、いろいろな意見があるわけだよね
漢民族に対立する民族もいれば、それに従う民族もいて、その想いは様々だ
主「ただし、1つ言えるのは中国共産党が恐れていることの1つが民衆による革命であり、そして少数民族が立ち上がり、それに国民が呼応するような事態となれば止められなくなる。
だからこそ、少数民族を同化政策で少しずつ漢民族化していきながらも監視を怠らないということをしている。
そして少数民族を妖精として描いたのが、この映画なんだよ」
悪役の想定はなんだったのか?
じゃあさ、この悪役は何を考えていたのだと思う?
少数民族(妖精)の独立の最善の方法を、悪役なりに考えていたのではないかな?
カエル「妖精の独立?」
主「結局、妖精たち(少数民族)だけでは人間(漢民族)には勝つことができない。ではどうするかといえば、米軍などの外の軍隊の力を使って革命の助力になればいいわけだ。
そのためには漢民族で最も力があるムゲンが邪魔だから、彼を隔離する必要があるので芝居を打った。結果としては失敗したけれど、余裕があったのはいつかはそうなる時が来る、と考えていたからかもしれない」
でもさ、それを止めようとしている妖精側もたくさんいたんだよね?
だから一枚岩ではないってことだよね
主「そのような武力で独立を果たすのはリスクが大きすぎて反対だ、という意見もあるだろう。
むしろ、そちらが主流派かもしれない。
漢民族VS米軍が始まったら、当然妖精もタダでは済まない。強制的な現状の打破は拙策であるという考え方はむしろ当然だろう。
その複雑な……少数民族と漢民族、そして自由主義者という外部要因の関係をシミュレーションしたのが、本作というわけだ」
ラストの描写について
そうなると、あの”感動した”という声が大きいラストについてはどう思うの?
……あそこが個人的に1番モヤモヤするポイントなんだよな
カエル「簡単に言ってしまうと、ルーイエが人間に迫害されたけれど、ムゲンに助けられて一緒に暮らしていくうちに、仲を深めていく……という描写だよね」
主「そこを現実に置き換えると以下のようになる。
漢民族によって攻撃された少数民族のうちの1つの民族は、漢民族の元で教育をされることで融和して共に生活を送ることができるのだ、というメッセージに自分は受け取った。
あのシーンは可哀想な1人の孤児を引き取って育て上げた……というシーンに思えなくもない。しかし……それを育てているのが人間(漢民族)のムゲンであり、育てられているのが妖精(少数民族)のルーイエという事実そのものが、まさしく今の漢民族による同化政策を描いているのではないだろうか?」
……それが平和に至る融和と言えるのかどうか、と?
もちろん、それこそが理想の社会のあり方という意見だってあるだろう
主「親や大人が子供を指導するように、漢民族が少数民族を指導することが融和や1つの中国としてのまとまりに繋がるのだ、という意見だってあってもおかしくない。
そこらへんを外国人である自分が口を出すことではないのかもしれない。
ただ、これを肯定しなかったからといって、では何が正解なのかはわからない。もちろん、自由圏の自分の理想は少数民族のアイデンティティや文化を尊重し、それを守ることだと答える。しかしそれは中国という国からの独立運動などにも繋がる可能性もあり、そこまでは望んでいない。
だとしたら、この状況が1番平和的な解決なのだ、と言われたら……モヤモヤするけれど、そういう意見もあると思うだろう」
シャオヘイは何を見つめているのか?
だからこの映画をどう評価すればいいのか、わからないんだ
自分の解釈そのものが間違っているという可能性だって十分あるからね
主「ただ1つ重要なのは『羅小黒戦記』というシリーズは1も2も単なる娯楽ではなく、中国の現状を描いている。
そしてそれを、無垢な子供であるシャオヘイの視点で描いている映画でもあるんだ。
今作でシャオヘイは人間(漢民族)に対して反感を抱く妖精(少数民族)であるルーイエの思いを知った。
実際に行動する黒幕がいることも知った。
そして人間であるムゲンのこともよく知っている。
だけれど……個人として見たときに、ムゲンもルーイエも善人で倒すべき敵ではない。」
……実際はそういうものかもしれないよね。漢民族、少数民族という主語が大きくすると問題が大きいけれど、個人の付き合いならばむしろ友好関係は成立するわけで
何が正しく、何が間違いかがない世界とも言える
主「だからうちはこういう解釈をしているけれど、本作が『中国共産党の政治的な思いを強調するプロパガンダ映画である』と語るつもりは毛頭ない。
むしろその逆で……それでも漢民族と少数民族の融和はありうるのでは?という問いかけも感じる。
だからこそ、すごい評価が難しくて……でもだからこそ、映画としての表現のレベルが高いということになるのかもしれないね」
