今回は『名探偵コナン 隻眼の残像(フラッシュバック)』について語ります!
久々のブログ更新で天敵との遭遇って感じだねぇ
カエルくん(以下カエル)
先に言っておきますと、うちはコナンシリーズとは相性がとても悪いです
主
毎年毎年、文句を言ってばっかりだもんね
カエル「毎年文句を言っているから、どうしてもファンの人に怒られるからなぁ」
主「昨年などは作品の話を一切していなかったという指摘があったので、今回は作品の話を中心にしながら語っていきます。
独自性抜群の記事になるのは間違いないので、辛口が嫌いじゃなければ、読んでみてくださいね」
それでは、記事のスタートです!
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Xの短評
#名探偵コナン #隻眼の残像
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2025年4月18日
なるほど、今や日本で最大級のアニメ映画コンテンツと言っても過言ではないコナンシリーズの最新作を観て、ボクの「物語」に対する見識が一段と広がった気がします。… pic.twitter.com/MPDI3GFPFG
Xに投稿した感想
#名探偵コナン
#隻眼の残像
なるほど、今や日本で最大級のアニメ映画コンテンツと言っても過言ではないコナンシリーズの最新作を観て、ボクの「物語」に対する見識が一段と広がった気がします。
ボクはよく「勝利条件」という言葉を使いますが「いい映画を作る」という抽象的な目標から具体的な勝利条件を抽出し、それを一つひとつ達成すれば本当に優れた作品になるのか──という疑問に、本作は見事に応えてくれました。
アクションやミステリー、コナンくんの見せ場、サブキャラクター(今回は毛利のおっちゃん)の活躍、人気キャラクターの登場、ラブコメ要素、博士のクイズ……こうしたおなじみの要素をバランス良く取り入れ、物語を構築している点が印象的でした。
ボクとしては「なるほど」と納得する場面が多く、学びの多い一本でした。
感想
それでは、感想からスタートです!
相変わらず”作品”としてはかなり出来が悪い
カエル「え? でもさ、Filmarksでは公開3日目の20日の日曜日の時点で4.2と、とても高く評価されているよ? しかも興行収入もシリーズ歴代最多で、150億円近く行きそうだし、なんならば200億円だって夢とまでは言わない数字じゃない?」
主「そうだけれどさぁ……コナンシリーズは今作に限らないけれど制約が多いから”作品”としてはとても出来が悪い。
正直、劇場内で笑いを堪えるのが大変だったほどに、観ていて粗さが伝わってくる内容だった。
もちろん、それはうちがコナンシリーズにすでに期待をしていないからとも言える。詳しくはこの後語っていこう」
ということは、今年もボロクソなんだ……
だけれど、同時に学びが多い作品だったのも事実だよ
カエル「え? Xに書いたのは炎上防止だったんじゃないの?」
主「その意図がないとは言わないけれど、でも本音でもある。詳しくは別記事か、もしくは気力があれば動画で語るけれど……コナン映画の構造の強さというものを感じ取った作品であるんだ」
”作品”と”商品”
今作の説明をする前に、うちではよくする話ですが”作品”と”商品”の違いについて解説します
これはうちのブログを長年読んでいる方だったら、何度か聞いたことがあるかもね
カエル「まず、勘違いして欲しくないのは”作品が高尚” “商品が低俗”という意味ではない、ということです。
むしろ、うちではその両方を同列に並べて語っています」
- 作品=監督やスタジオなどの作家性・クオリティなどの結果生まれた制作物
- 商品=興行収入やグッズ売り上げなどを含めた商業的な狙いの結果生まれた制作物
この2つの要素が、商業映画では大事なんだ
カエル「上記の説明も、もう少し練りたいところですが、大事なのは『娯楽映画は商業作品である以上、作品の質もそうだが商業性も求められる』ってことだよね」
主「だからうちが絶賛しても、全く売れないコナン映画は意味がないんだよ。
そしてコナン映画は、その構造上、優れた”作品”は生み出せなくなっている。だけれど同時に、その構造に従えば”優れた商品”は生み出せるようになっている。
今作はまさに、優れた商品の典型だとすら思うわけだ。
正直、恐ろしさすらも感じたほどに……その目線であれば絶賛したいほどに、コナン映画の持つ構造の強固さを思い知ったよ」
以下ネタバレあり
ダメだったポイント
繋がりのなさ
では、ここからは犯人などのミステリー部分はネタバレなしで、語っていきましょう!
全体的に“繋がり”がないんだよね
カエル「一体何がダメだったの?」
主「全体的に繋がりがないんだよ。
物語制作にもメソッド(作り方の手段・方法)があって、そのメソッド通りには作ってある。だから一見すると面白いけれど、それらが繋がるようには作られていない。逆に言えば、そのメソッド部分だけで構成されているのが本作なんだ。
つまり派手な部分はとことん派手で、決めるところは決めているように見える。だけれど、そこに繋がる……わかりやすく言うならば伏線とか、あるいは細かな芝居とかが一切ないから、全てが唐突に見えるんだ」
ふむふむ……もうちょっとわかりやすくいうと?
メインディッシュばかりのコース料理って感じかなぁ
主「野球に例えるならば一時期の巨人打線で、4番ばかりを揃えた打線。
お寿司のコースならば中トロ!大トロ!うに!ぶり!サーモン!……まあ、サーモンはカウンター寿司には基本ないけれどさ、そういう脂が多いネタばかりが続くようなものかなぁ。
確かに好きな人は好きだけれど、1つ1つが上質だとしても、全体としてはしつこいものになる。そういう全体を見回した場合の、細かい部分の工夫が全くできていないという印象なんだ」
好きな人は好きな作り
だけれど、Filmarksなどの集合知による全体評価自体はそこまで悪くないんだよね?
好きな人は好きなラインナップだからね
カエル「確かに、大トロばっかり食べたい!って人もいるよね。あるいはスポーツなら人気選手ばかりが見たい、野球ならホームランがいっぱい見たい、みたいな」
主「そういう意味では人気になりやすいところはきっちりと抑えているから、わかりやすいんだよね。
お寿司で言えば、貝や白身、野菜巻きなんか食べたくないって意見もあるだろうし。
その意味で自分が言っているのは『お店の評価はメイン料理だけじゃなく、お水やホスピタリティ、大将・シェフとの会話、お店の清潔さなど総合的に出る』ということ。だけれど『料理が美味しくて値段が安ければそれでいい』という人もいる。
そして、それは間違いではない。ホスピタリティの高いお店より、牛丼屋やファーストフードのほうが好きという人もいる。気楽だしね」
……それを聞くと、今回のコナンが好きな人をバカにしているような
でもさ、それってとても大切なんだよ
主「自分が言っているホスピタリティの高い店は高級店として憧れの対象かもしれないけれど、でも実際に多くの人が通うのはチェーンの牛丼屋やファーストフードなわけ。
誰だって高級料理店のほうが質が高いと思うだろう。しかし実際に飲食業界を支えているのはチェーン店だ。言うなれば、これが“作品”と“商品”の違いとも言える。
そして大事なのは、“作品”も“商品”も等価値ということ。どちらが優れているかではなく、異なる側面があるということ。
コナンはチェーン店のようだけれど、チェーンだからこそ誰にでも愛される味付けになっている。
そこは高く評価すべきだ、というのがうちの意見なんだ」
具体的な問題点
物語について
それでは、具体的な問題点について語っていきましょうか
物語に関してはボロボロなんだよね
カエル「どういうところがボロボロなの?」
主「繋がりが全くできていないということなんだけれど……そうだなぁ、まずはミステリー部分について語ると、全部コナンたちが超人的な推理力と知識で解決するんだよね。
例えばさ、ある人にアザがあることを発見して、それでライフル射撃の経験者だということが判明するシーンがある。そこを自分が想像する一般的なミステリーのパターンは以下のようになる」
コナン「あれ? お姉さん、なんで腕や肩にアザがあるの?」
ライフル射撃経験者の犯人ではない登場人物(モブ)「あ、これね、ライフル射撃をしているとできるんだよ。おかげでノースリーブとかが着れなくて、服に困るんだよね」
こういった、何気ない会話が挿入されるはずなんだ
カエル「ふむふむ……つまり推理につながる、なんらかのヒントがあるはずってことなんだね」
主「だけれど、本作ではコナンがそのアザを見て、すぐにマニアックな知識を披露したりと、すごく雑なんだよね。
また重要な情報は安室に聞いたりしている。これがそのまま悪いとは言わないけれど、やっぱり前述のようなことが重なると、単なる時短のために見えてしまい、ミステリーとして崩壊しているように見えてしまう。
全体的に”物語のための情報開示”にしかなっていなくて……わかりやすく言うならばご都合主義の塊で、制作者の都合でしかないんじゃないかってこと」
犯人の動機はその扱いでいいのか?
そしてそれが最も大きくなるのが、犯人の動機だと
あれって、すんごく大事なことなんだけれどなぁ
カエル「今作は社会問題も絡んできていて、考えさせられるテーマも一応あるんですが……それも扱いが雑ってことなんだね」
主「今作の動機に関するテーマは、今の日本の……特にXなどのSNSで語られていることに共通している。つまり、加害者に対する厳罰意識の暴走だよね。
日本は加害者に甘いという意見もある。そして作中で出てきた制度は、まさにそう見えるだろう。一方で法の支配というのは、感情論とは切り離して考えなければならず、作中で出てきた制度は、逃走した加害者による次の犯罪を防ぐために必要な措置ということもでき、合理的な方法ではある。
だけれど被害者からしたらそれで減刑されるのは納得できない。それは理解できるものだよね。そういう難しいバランスでどちらを支持するのかは、人によるものなんだ」
だけれど、それが掘り下げられることは一切なかったと
本来ならば、これだけで映画1本ができるほどのテーマだからね
主「そう考えると、犯人が勝手に暴走したように見えるけれど、それで片付けていい問題じゃないよね。そこを掘り下げるかと思ったら、全く掘り下げないでおざなりな決着になるから、それじゃこのテーマを掘った意味がないよねって話」
演出面について
多用される黒い場面転換
次は演出面について語りましょう
今作では場面転換の際に、黒い映像が0.5秒くらい挿入されるんだ
カエル「場面や時間軸が変わるときに、その黒い映像が挟まれるってことだね」
主「それを挟むことで観客は”時間が変わったんだな””場所や視点が変わったんだな”と理解できる。その意味では効果的な演出でもあるんだよ。だけれど今作では……具体的に数えてはいないけれど、20回弱くらいあったのではないか。
本来は場面転換というのは、物語をどのように繋ぐかという腕の見せ所でもあるわけだ。
それができていないというのは……厳しく言えば脚本・絵コンテ・編集の段階での仕事ができていないということでもあるんだよ」
そこの繋ぎがおざなりだから、物語が繋がっている感覚が少なくなっていると
重要なシーンをただ繋ぎ合わせただけなんだ
主「今作はコナンの構造的な部分……つまりアクション・キャラクター・ラブコメ・ミステリーなど、やることが多くてその見せ場を見せることに終始してしまった。
だからこそ繋ぎが全くできなくて、雑なんだよ。それは先ほどの物語の部分と全く同じなんだけれどね」
音楽の使い方
それは音楽面でも同じなの?
自分も同じに見えたかな
カエル「でもさ、中盤にあった長野県警の上原と大和の車でお互いの気持ちをぶつけ合う、襲撃前のシーンとか良かったんじゃない?」
主「ああいうのも、音楽と演出でエモく見せているだけだよね。
ある意味では必殺技の羅列みたいなもので、それっぽい音楽を鳴らして、それっぽい演出をしているだけで、それ以上のものはない。そういう意味では今作の音楽の使い方も雑なんだよ。
だから、ここまでの意見をまとめると、本当に大仰にエモく見せているけれど、とことん大味な出来栄えなんだよね。そういうのは評価できない」
それでもファンの人に受けるための構造
手厳しいんだね
でもさ、自分はこれでいいと思うんだよ
カエル「作品には満足していないのに、これでいいの?」
主「だって、誰も損をしていないんだよ。
かなりわかりやすいエンタメの入門編になっている。
どこで感情移入すればいいのかがわかりやすいし、アクションは見応えがあって、コナンくんやおっちゃんのようなゲストキャラクターがカッコよくて、ラブコメもあって……という味付けが濃すぎるけれど、特盛の幕の内弁当みたいなんだ。
だからこそ、エンタメという砂糖の塊とも言える。
その構造で作る限り、制作サイドの自由の幅がないから、いい“作品”は生まれないけれど、同時にいい“商品”にはなる。
毎年公開する上で……しかも原作が時系列を追いながら連載中という中では、こうなるのも仕方ないんじゃないか」
コナンらしさを守るほどに、いい“作品”が登場する余地がないのかぁ
それで何が悪いのって話
主「ファンの人が喜んでいて、デートムービーとして定着している。作家性が見たければ、いい作品が見たければ、別にコナンである必要はないわけで、他のアニメ映画を見ればいいじゃない。
コナンが観たいんだから、コナンをやるべきなんだよ。そしてそれが大味だろうがなんだろう、コナン映画らしさを貫いて、興行的に稼いで、映画館を含めて潤す必要がある。
その作り方としての潔さを……自分は感じるし、そこは評価したいかな」