今回は『ベルサイユのばら』の感想記事になります!
2025年に、まさかの新作公開じゃな
カエルくん(以下カエル)
歴史的な名作だけれど、まさか2025年に新作が公開されるとはね!
亀爺(以下亀)
わしも初めて鑑賞する作品じゃな
カエル「今回は原作・TVアニメ、演劇の全てを知らず、なんとなくフランス革命の話、程度の認識の感想記事になります!」
亀「それでは、記事を始めるとするかの」
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Xの短評
#ベルばら映画
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2025年2月3日
1970年代に連載され、宝塚歌劇団などで今なお舞台化が相次ぐ名作を劇場アニメ化した作品。ボク自身は原作にほとんど触れてこなかったので、ほぼ初見の状態でしたがダイジェスト感があるとはいえ、10巻ある原作を2時間以内にまとめていてわかりやすかったです… pic.twitter.com/f7ak9t08KE
Xに投稿した感想
#ベルばら映画
1970年代に連載され、宝塚歌劇団などで今なお舞台化が相次ぐ名作を劇場アニメ化した作品。ボク自身は原作にほとんど触れてこなかったので、ほぼ初見の状態でしたがダイジェスト感があるとはいえ、10巻ある原作を2時間以内にまとめていてわかりやすかったです
映像面もさることながら、音楽を多用することで「物語の流れ」より「登場人物の感情」を強調しようとする演出は、一定の成果を収めていると感じます。ファンであれば「あそこのシーンがカットされている!」と物足りなく思う部分もあるかもしれませんが、限られた時間に収める上で理解できる選択でした
また、東宝ネクストとしてMAPPAとタッグを組み、往年の名作を現代に甦らせる試みそのものも評価したいですね。おそらく連載当時からのファンと思われるご高齢の方が劇場に足を運ばれていたのも印象的でした。さらに、現代的な自由や女性の活躍を強調する内容になっていたようにも感じます。
ただ、ボクとの相性が今ひとつだったのか、どうしても時代を感じてしまう部分がありました。特に、フランス革命やマリー・アントワネットは再評価が進んでいることもあって「この描き方でよかったのだろうか?」という疑問を覚えたのも事実です。もっとも、そこは『三国志演義』や『司馬史観』のように、あくまで一つの物語として考えるべきなのかもしれませんが……💦
感想
それでは、感想から始めていきましょう!
映画にするのは簡単ではない作品だと思うが、とてもバランスよく上手に制作されていたのではないかの
カエル「原作がすでに約50年前、TVアニメもそれほどの時期の作品だからね。
もちろん宝塚歌劇団などで演劇として上演されているので、現在でもしっかりと認知されたコンテンツだけれど、改めてアニメ化を志して、しかも時間が限られる映画にするとなると、難易度も高くなるよね」
亀「原作漫画でも10巻あり、フランス革命をきちんと描こうとすれば、それこそ大河ドラマになるからの。それを2時間にまとめるのは簡単ではないが、今作はうまくまとまっておった。
もちろん若年層を中心に『ベルサイユのばら』という作品を全く知らない人もいるじゃろうし、同時に思い入れが強い人もいるじゃろう。そういったさまざまな人に対しても、しっかりと伝わる内容になっていたのではないじゃろうか」
ベルばら入門編としても、最適なんだね
わしが行った劇場は杖をついた高齢者から、働き盛りの若い人まで年齢層がバラバラじゃったの
カエル「それだけ愛されているコンテンツだというのがわかるね」
亀「Xの短評でも書いているが、今作は”TOHOネクスト”という近年始まった東宝のレーベルから公開されている。こちらはFilmarksで155館と、東宝としては若干少なめの公開規模となっているが、実験的な要素や挑戦作を公開するという試みなのじゃろう。
こういった試み自体、うちとしては支持したいものであるし、そのチャレンジ精神とクオリティの両面においても、バランスの取れた作品じゃったのではないか」
ミュージカル(PV)風の演出
今作は歌とダンスが多くて、まるでミュージカルを見ているような気分だったよね
ミュージカルというとダンスが少ないように感じるが、PVという方が近いかもしれんな
カエル「アニメーション(動き)と音楽が一致した時の快楽性の高さは、古くはディズニーから近年は新海誠監督などもあり、とても効果的だけれど、今作はそれを最大限活かしていたね。
特に舞台で有名な作品だから、どことなく舞台っぽさを感じられる演出だったのではないでしょうか?」
亀「この演出が効果的じゃったの。
先にも述べたが、ベルばらというコンテンツを真正面から扱ったら2時間では登場人物たちの設定紹介だけで終わってしまう。特に時代劇というのは、現代劇と違い鑑賞する人々に物語の前提条件を提示する必要性もあるわけじゃな。
それらをきっちりと伝えることも重要じゃが、肝心なのは……キャラクターたちがどう生きるか、という物語なわけじゃな」
歴史的な事実をベラベラ喋っても、それは歴史の教科書になってしまうものね
なぜベルばらを見に行くのか? といえば、フランス革命の歴史を知るためではないからの
カエル「ふむふむ……そうなると、登場人物たちの設定を知るのではなく、気持ちを知るのが大事だと」
亀「そうじゃな。
その点において、音楽を交えたPV風のミュージカルというのはとても有効じゃ。もちろん歌詞もそうじゃが、音調だけで登場人物の気持ちが観客にも伝わってくる。
ダラダラとセリフで説明することなく、音楽で気持ちを伝えるというのは効果的な演出だったのではないかの」
この辺りは吉村愛監督らしさと言えるかもしれないね
わしは鑑賞できておらんが『Dance with Devils』や『チア男子!』の監督じゃから、こういった演出が得意&興味があるということなのじゃろうな
現代的な物語の作り方
50年前の作品を現代に甦らせるという試みは、成功しているの?
成功している点もあれば、失敗している点もあるのではないかの
カエル「まずは成功している点はどういうところ?」
亀「やはり、現代的な”自由”の価値観を重視する作品になっていたことではないじゃろうか。
フランス革命の……あの時代はどこの国もそうじゃろうが、家柄などのさまざまな束縛があり、人々は自由に生きることが許されなかった。マリー・アントワネットも、恋愛の自由などもなく、家に束縛された人生じゃからな。
そういった中で自由であろうともがいた人たちを描くという意味では、とても現代的な脚色と言えるのではないかの」
一部では『オスカルが受けた父親の教育の弊害が描かれていないから、間違った伝わり方をしている』という意見もあったよね
このアニメ映画版に関しては、そこも含めて現代的と言えるのではないじゃろうか
カエル「オスカルを”自分に素直になり、男性のように生きた人物”という近年の女性の社会進出と絡めて語ると、それは違うという話になるのはわかるかなぁ。原作ではそのように描かれておらず、父親の束縛によって男性のように生きることを強要された, と」
亀「それは原作の解釈をそのまま映像作品に持ってくるという意味では正解じゃろうが、この映画のみを見た場合には、なぜそこを描かなかったか, という点も重要なのではないか。
もちろん尺の都合もあるじゃろうが、同時にそこを描かないことによって”オスカルの自主性”を強調することができる.
オスカルは父親の束縛もあったが、同時にそのように一種の騎士として振る舞うこともできた。始まりは父親の束縛かもしれんが、全部がそうではないということになり、それが現代の女性の活躍を描くドラマという解釈が成り立つのではないじゃろうか」
日本のソフトパワーの強さ
少しだけ本作に限らない話をすると、日本のソフトパワーの強さを思い知ったよね
世界の歴史を知る入り口として、重要な作品じゃな
カエル「うちなんかはフランス革命といえば『レ・ミゼラブル』という印象なんだけれど、おそらく日本人にとってはベルばらが入り口になる人が多いのではないでしょうか?
もしかしたら、ベルばらがなければ、フランス革命を教科書で扱う歴史の1ページという認識で終わってしまう人も多いかも……」
亀「その可能性はあるの。
そう考えると、漫画だけに限らず小説・アニメなども含めた日本のソフトパワー全体の話であるが、海外の歴史を知ることの入り口としての役割もあるし、またそれで認知されてTVなどで、フランス革命やマリー・アントワネットの歴史的評価について、ベルばら関係なく扱われる機会が増えることもあるじゃろう」
今回、初めてベルばらを見たけれど、フランス革命の話がすんなりと入ってくるって、実はすごいことだよね
大きな歴史的な出来事ではあるが、他国の歴史であってもなんとなく知っているというのは、日本の教育レベルの高さだけでなく、入り口としてのソフトパワーの強さといっていいのではないかの
一方で疑問な点も……
音楽面の疑問点
一方で、今作では少し疑問点もあるということだけれど……
まずは音楽面について語っていこうかの
カエル「音楽自体はとても良かったけれど、2時間まとめて観ると……という話だね。
今作は澤野弘之が主に音楽を担当していて、エンドクレジットを観ると、劇中曲も多く手がけているみたいだけれど……」
亀「1曲1曲はいいのじゃが、それが連なった時の快楽性というかの。
これは同じ作曲家だからというわけではないかもしれんが、途中から単調に感じてしまう部分もあり、音楽が鳴っていても気持ちがそれについていくことが、わしはできなかった。
言うなればバトル漫画で必殺技を何回も使っているような状態というかの……すごい技なのじゃろうが、それを何度も使うと、普通の技に見えてしまうというかの」
ふむふむ……特別感が薄れてしまったということだね
その意味では、音楽と映像を組み合わせる演出を何度も組み合わせてしまったことの弊害かもしれんな
歴史的な事実の評価の変移
そして次に疑問になったのが物語面ということですが……
歴史的な事実の評価というのは、変わっていくものじゃからな
カエル「フランス革命とか、マリー・アントワネットも、現代では再評価されているからね。
特にフランス革命は世界的にとても大きな出来事であるけれど、果たしてそれが成功だったのか、失敗だったのかは、その後のロベス・ピエールの恐怖政治だったり、ナポレオンの登場を考えると難しいところがあるし……」
亀「ロペス・ピエールも革命家としての評価と、政治家としての評価はまた異なるからの。
この辺りは現代の政治観も絡んでくるために、詳しくは言及しないでおくが、さまざまな見方がある、ということだけ言っておこう」
それから、マリー・アントワネットも”非道の王妃”というイメージが変わりつつあるよね
ここも歴史の難しいところじゃな
カエル「マリー・アントワネットといえば豪遊で放蕩三昧という稀代の悪女というイメージですが、実際は貴族基準ではそこまで特別に放蕩していたわけではない、あるいは現代でいうボランティア活動にも従事していたという話もあります」
亀「オーストリアという異国から来たマリーを悪政の象徴とすることで、保守派貴族や民衆が鬱憤を晴らしたという排他的な側面が、悪女のイメージを定着させたという話もあるの。
またフェルゼンとの恋愛も史実であるが、当時の貴族の恋愛関係を、現代の価値観で図るというのもどうなのか、という話もある」
色々と難しいところなんだね……
それでいうと、後半のオスカルの行動も軍事的クーデターじゃからの
カエル「兵士からも反逆者が出たのは事実なんだけれど、その姿勢を支持するかどうか、という話だね」
亀「この辺りは、複雑な歴史的な経緯と、政治的価値観のせめぎ合いになる上に、史実とどう向き合い、また原作とどのように向き合うか、というとても難しい話になる。
それは良い・悪いで単純化できるものではない。
なので”うちは疑問に思った”という話だけで、納めてほしいものじゃな」