今回は『ルックバック』の感想になります!
とても話題になっている作品じゃな
カエルくん(以下カエル)
公開前から試写組の中でも話題沸騰の作品です!
亀爺(以下亀)
公開後も話題が尽きない作品じゃな
カエル「前半は映画の技術的な記事、後半はルックバック論というか、藤本タツキ論になります。
映画の評価だけを知りたいという方は、前半だけの方がいいのかな?
それでは、感想記事のスタートです!」
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Xの短評
原作漫画をアニメーションとして再解釈し映像表現として語り切る手腕があまりにもレベルが高く、まさに現代日本アニメーションの1つの到達点といっても過言ではないのではないでしょうか
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2024年6月28日
作家性溢れながらも挑戦と完成度の2つが両立しており、文句のつけようがないです… pic.twitter.com/bYzuzuy8Z9
Xに投稿した感想
原作漫画をアニメーションとして再解釈し映像表現として語り切る手腕があまりにもレベルが高く、まさに現代日本アニメーションの1つの到達点といっても過言ではないのではないでしょうか
作家性溢れながらも挑戦と完成度の2つが両立しており、文句のつけようがないです
特に近年はアニメーション=絵を動かすということに意識が向きがちですが、ボクは今作は動かない&動かさない部分に着目してほしいです
その静謐さこそが今作の鍵であり、アニメーションとはなんぞや、アニメの持つ魅力とはなんぞやという問いと答えになっています
また黒澤明の『生きる』を連想するような表現もあり、トップクリエイターたちの力が遺憾無く発揮された意欲作ですね
感想
それでは、感想からスタートです!
間違いなく2024年を代表するアニメ作品なのは疑いようがないの
カエル「2024年も様々なアニメが登場しており、色々な語り口があるとも思いますが、今作の技術的な出来栄えは疑いようがなく、まさに2024年を代表する作品になるのでは? という気持ちが強いね!」
亀「映像表現として文句のつけようがない作品じゃな。
色々な視点があるじゃろうが、原作漫画を映像化する際にも、そしてアニメーション表現としても今作は一級品じゃ。それでいながら監督たちの作家性だけでなく原作の色合いも感じられ、そして一本の映画として完成しておる。
押山監督をはじめとしたスーパーアニメーターたちの共演ともいうべき作品であり、本当のアニメ映画、作画アニメとはなんぞや、というものを見た気すらするの」
映像面、そして映画としては絶賛なんだね!
おそらく、これ以上の映像のクオリティをもつ作品は2024年に出てこないかもしれん
カエル「もちろん、色々な尺度があるために”1つの”到達点という言い方をしますが、とても素晴らしい出来栄えなんだね」
亀「一言で語れば近年は作画=美麗で動き回ることが良い、とされている傾向がある。さらにはキャラクターが崩れたりせず、全てのシーンで統一されている、などかの。
もちろん、今作はその尺度で見ても素晴らしい出来栄えであるのじゃが、わしが特に強調したいのは”動かないシーン”じゃな。
無音のシーン、あるいは動かないシーンが持つ静謐さ、それこそがこの作品を形成する1つの要因となっており……映画らしさという言葉の1つとも言えるのではないか。
おそらく、今作の映像表現そのものに対して、文句は出てこないのではないかの」
様々な演出手法
その優れた面を言い表すとしたら、どういうものなの?
やはり漫画→アニメにする際の演出手法もその1つじゃな
カエル「作画や動きに関しては実際に見てもらって、なかなか言語化できない部分が多いので、ここでは演出について色々と語っていこうか」
亀「少しだけ作画に触れておくと、やはり演技(動き)が非常に巧みであった。
リアル、という言葉をウチも多用するが、リアルなアニメーションと一言で語っても色々な意味合いがあるじゃろう。
その中では今作は……ワシが思うに『人狼』に近いような、実写映画のような現実の人間に即したリアリティを模索しているようにも感じられた。もちろん、井上俊之のようにどちらにも参加しているクリエイターもあるが、時代もスタッフも異なるために全く同じとは言わんし、人によっては苦言を呈されるかもしれんが……人間の骨格を感じるリアルさという意味で田舎の少女たちを見事に描いていたの」
そして演出面も素晴らしいということだけれど……
やはりアニメ化に伴って、絵が動くということを最大限発揮しておる
カエル「原作だと当然漫画だから4コマはそのまま4コマだけれど、映画になるとそれが動くんだよね。全く絵柄が異なるから、小学生の拙さと、その想像力の巧みさの対比が素晴らしいということだね」
亀「他にもコマ割りを意識したような画面を3つに分ける映像構成であったり、わかりやすく映像表現の演出がなされていた。
様々な意欲に溢れながらも、そのどれもが挑戦的でありながら完成度も高いという、1つの完璧を見せつけられたような気分じゃった。
1700円払ってでも見るべき価値のある作品になっているのは間違いないの」
名画のオマージュ
他にも色々な名画を引き合いにしながら語りたい作品でもあるよね
ワシとしては、今作を語る際に最も重要視するのは黒澤明の『生きる』である
今作は現代に甦った『生きる』とも言えるのかもしれん
カエル「黒澤明の代表作の1つであり、色々な読み取り方ができる名作だよね」
亀「『ルックバック』の冒頭は、デスクに向かう藤野の後ろ姿を延々と流している。時間して……どうじゃろう、1分弱くらいあったのかもしれんの。その間カットが変わることなく、細やかな動きで観客を引き込む。
そしてそれは『生きる』において志村喬が、無為に仕事をこなすかのようだった課長の普段のデスクの様子を描いたところと、重なるような気がした。
また『ルックバック』では中盤に大きな事件が起きるが、そこで何が起きたかを見せるのは『生きる』と同じ演出をしているようにも感じられたの。
さらにこじつければ、無為に生きていた者が何か自分がやるべきことを見つける物語という意味でも、この2作が扱っているテーマは同じかもしれん」
ふむふむ……
他にもビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』にも通じる表現も見られた
コメディだけれど、胸にガツンとくるお話だよね
カエル「『アパートの鍵貸します』もなんの変哲もない男が、自宅のアパートの鍵を上司に貸し出すことで愛人との密会場所として活用してもらい、覚えをよくしてもらおうということから始まる物語ですが……」
亀「冒頭の方で、大量のデスクの中で仕事をする主人公の様子が出てくるのじゃが、これと全く同じような構図が『ルックバック』でも見られた。
どちらも自分が何一つ特別でない、その他大勢と同じであることを強調シーンとして活用されているので、おそらく意図的じゃろう。
原作でも多くの映画のオマージュが指摘されておったし、このように、映画をモチーフとすることで映画ファンとして知られる原作者の藤本タツキの思いも汲み取ろうとしていたのかもしれんの」
キャスト・音響について
キャストについてはどうだったの?
上手い下手を語るべきではないのかもしれん
カエル「……あれ、それだと上手くなかったということ?」
亀「上手い演技とは何か、という話にもなるんじゃろうが、今作は”上手い演技”であってはダメなんじゃな。
上手い演技というのが声に個性があり感情表現のはっきりとした、ドラマティックな演技という意味であれば、今作はそれとは真逆である。しかし、リアルというのはそういうものであり、だからこそアニメや洋画などを専門に演技をする声優では、違和感が生じる。
今作はそういうものではないので、キャスト陣の演技が特別上手いと形容するものではなかったが、だからこそ合っていた。本来、芸能人を声優を起用する意味が今作では感じられたし、演出プランの勝利と言えるじゃろう」
音楽もすごく良かったよね
映像がリアルな分、音楽で作品に強弱をつけておったの
カエル「楽曲そのものが良くて、作中の登場人物に寄り添うような部分があったよね。
だからこそ観客も見ていて、単に静かな作品ではなく、感情移入しやすかったというか」
亀「今作において基本的には快感性を抑制されていながらも、音楽は強弱をつけて主張をしてきていた。これは劇場の調整にもよるのかもしれんが、若干騒がしい気もしたが……それも含めて、調整されていたということじゃろうな」
以下辛口
『ルックバック』と藤本タツキに対して思うこと
頭と魂の評価の乖離
というわけで、ここからが本音の感想になります
まあ、ここまでも本音なんだけれど、ここからはより原作と物語に注視した論評になる
カエル「でもさ、確かうちは”藤本タツキという才能を評価することができない”と公言しているんだよね?
Xでもこういうことを書いているし」
ただし文句のつけようがない、と言いながらもボクはやはり原作の藤本タツキという才能とは相容れないことを再確認したような気がしました
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2024年6月28日
ルックバックは現実に発生したある事件が重要なモチーフになっていることは周知のことと思います…
Xに投稿した感想
ただし文句のつけようがない、と言いながらもボクはやはり原作の藤本タツキという才能とは相容れないことを再確認したような気がしました
ルックバックは現実に発生したある事件が重要なモチーフになっていることは周知のことと思います
そして、それは多くのアニメ業界やアニメファンにとって忘れることのできないものでした
今作が藤本タツキという作者なりの鎮魂なのは理解します
ただ、それはボクの鎮魂ではない
言うなれば、宗派が違うとしか言いようがない、悼み方の問題なのかもしれませんが、あの事件を個人の問題に矮小化しているように感じていることをボクは今作の感想でも抱きました
映像表現としては文句がつけられない
でも物語として、そして祈りの方法としては全く同意できない
そんな作品でしたね
これほどの作品が出てもなお、藤本タツキを評価することはできないな、と痛感するような作品だったかな
主「映像表現としては超一流、誰もが認めるだろうし、自分も頭では理解も納得もしている。紛れもなく、最高級品であり、日本アニメの粋を集めた贅沢な作品だ。
だけれど魂は、全く共鳴していない。
クリエイターがクリエイターを語る作品なんて大好物なのに、なんの感情も湧かない。
凪、なんだよね。
それはやっぱり、原作者の藤本タツキという才能を評価することができないからだろう」
暴力を描く作家
藤本タツキにはどういう印象なの?
暴力やエログロでしか物事を表現できないタイプだと感じている
カエル「すっごい極端なことを言うね……」
主「もう、これは宗派が違うとしかいいようがないんだろうけれどさ……自分の目からすると、この人が語りたいことって実はなくて、単に暴力などのエログロだったり、世間の物語の逆をいくことでしか何かを表現できないんじゃないかってすら思っている。
だから今作も藤本タツキの思想というものは、あまり感じられない。
それを如実に感じるという人が天才だと褒め称えるのだろうけれど、自分にはそれがないかな」
暴力の先にある思想……?
例えばさ、映画だと北野武とかも暴力を描いているわけじゃない?
主「自分は北野映画を全部見ているわけではないけれど、暴力の果てにある人間の無常感などを扱ってきた監督と認識しているし、その暴力描写の奥に思想を感じることが多い。それは他の監督もそうで……日本だと深作欣二とかが該当すると思っている。
でもさ、藤本タツキからはそれは感じない。
ただの読者を惹きつけるための、快楽としての暴力のための暴力でしかないって印象なんだよね。
だから暴力なしでは何も表現できないし、暴力しか表現することがないタイプの漫画家……そういう印象になってしまう」
『ルックバック』が描いた事件
今作はある事件がモチーフになっていることは有名なことだよね
公式には認めていないはずだけれど、でもWEB版公開日だったりさ、まあこれで否定する方が無理っていう状況だよ
カエル「ここでは詳細は書きませんがアニメファンにとっても、もちろん業界関係者にとっても忘れることのできない事件でした」
主「今作がそれを受けて悼む作品だという解釈があるのは理解する。
だけれど、その悼み方がこれって、どういうことなんだろう。
当該スタジオは、暴力をほぼ描かなかったし、怒りを中心とした作品は生み出さなかった。むしろ事件以後に発表する作品だって、怒りや憤りを表明するのではなく、それでも人は分かり合えると……お互いの立場の違いなどを超えて友愛を描いていくような作品を作り続けている。
一方で『ルックバック』が描いたのは怒りであり、暴力だ。
それはスタジオが描いたことと真逆である」
もちろん、そういう感情を抱く人がたくさんいることも理解は示すよ
主「でもさ……ほぼ個人情報が出回っていないからなんとも言えないけれど、おそらく関係者でもない藤本タツキが『ルックバック』を描くということは、事件を私物化して矮小化しているという指摘だって、あって然るべきだろうし、自分はそういう考え方になる」
だから結局、藤本タツキは”暴力しか描けない”作家なんだよ
主「ルックバックの暴力とは、まさにあの事件のこと。そしてそれを描くことで……誰もがそれを連想することで、緊張感を生んで、評価しやすい作品になった。
だけれどその悼み方は自分が考えるものとは決定的に異なる。あくまでも読者や観客につたわる暴力としてのモチーフでしかない」
よく言われるこの画像があるよね
でもさ、ウチも『表現は社会的な正しさを反映するものじゃない』って言っているから、この発言とほぼ同じことを言っているんじゃないの?
内実が全く異なるよ
主「『面白ければなにをしてもいい』という言葉自体は同じだよ、だけれどそこに込められた文意が全く異なる。
藤本タツキが語っているのは手法のこと。
ウチが語っているのは表現意図のこと。
ウチは表現意図があるならば、上記のような表現をしてもいいと感じているし、それは表現として尊重されるべきだと感じている。だけれど、藤本タツキは……少なくとも自分にとっては、そういう表現をすることが目的となっている。
手法が目的なんだよ。
それだったら、スナッフビデオとなにが違うんだって。
ギロチンで熱狂するのと同じで、それを表現だとは、自分は認めたくないって話だね」
『ルックバック』に感じた2つの違和感
ここまで藤本タツキ論が中心になってしまったけれど、『ルックバック』に関して他に言うことはある?
あと2つの部分が気になったかなぁ
- 天才の物語
- 京本の東北弁
主「今作はクリエイターの物語で描き続けるしかない、と言うメッセージがあるけれど、徹頭徹尾天才たちの物語なんだよね。13歳で漫画を描き上げて、若くして連載を取って、人気になって……と言う天才たち。
中盤から後半の事件で狂っただけで、それ以外はただの天才クリエイターの物語であって、そこが個人的に合わなかったポイントかも」
あとは京本の東北弁描写が気になったかな
主「京本の解像度が上がったという意見もあるけれど、同じ地域に暮らしている同年代なのに、京本だけが東北弁訛りがきついように感じられて、そこは役割語なんだろうけれど、若干……差別的というと言葉が強いかもしないけれど、モヤモヤするものを感じた。
ただ、自分が望んでいたものとは全く異なるってだけで……それはもう、気にする方がおかしいのかもしれないけれどね」