今回は公開から時間が過ぎましたが『化け猫あんずちゃん』の感想記事になります
主にロトスコープという手法と、アニメーション(アニメ)と実写の違いについての記事になるかな
カエルくん(以下カエル)
今作は語っておくべき必要性があるという認識だよね
主
今の、そしてこれからの映像表現を考える上でとても大事な作品だ
カエル「それでは、早速記事を開始しましょう!」
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Xの短評
#化け猫あんずちゃん
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2024年7月23日
アニメーションと実写の違いとはどこか、アニメーションらしさ、実写らしさの境界線を探るのに最適とも言える作品に仕上がっている一方で、個人的にはとても評価が難しい作品でした
実写映画のように映像を撮影しそれをアニメーション化するロトスコープという手法が話題の作品… pic.twitter.com/63PsvWsA0m
Xに投稿した感想
#化け猫あんずちゃん
アニメーションと実写の違いとはどこか、アニメーションらしさ、実写らしさの境界線を探るのに最適とも言える作品に仕上がっている一方で、個人的にはとても評価が難しい作品でした
実写映画のように映像を撮影しそれをアニメーション化するロトスコープという手法が話題の作品
ロトスコープ自体は『花とアリス殺人事件』や『悪の華』などでも活用され、2、3年おきくらいに話題作が登場しているような気がします
当然ながら個人的な感覚なのですが……ロトスコープを活用した序盤は「これってアニメーション風に見せているだけで実写じゃん」という評価で、実写で観たいと思ったほどでした
杏ちゃんの行動も単におじさんであるだけで、動きや音声からはアニメーションの快楽性は感じられませんでした
これはとても難しい問題で『実写風のアニメ』と『ロトスコープで実写をなぞったアニメーション』は全く別物だということがわかります
例えば『人狼』や『リズと青い鳥』などは人間の動きを追求したアニメ表現として極北にある作品と捉えていますが、これらはアニメーションの快楽性が感じられる一方で、今作のロトスコープはあくまでも実写の手法に感じられてしまいアニメの快楽性が感じられず……
一方で中盤の久野監督らしさが光るお母さんとの運動会のシーンであったり、シンエイ動画らしいカーチェイスシーンはアニメーションの快楽性が光っていたので、おそらくロトスコープを使用していないか、していてもかなりデフォルメされていた印象です
その”実写らしさ”と”アニメーションの快楽性”が融合したと感じるか、ばらけていると感じるかで今作の映像表現の評価は変わるでしょう
ボクは全く融合していないように感じてしまいました
感想
それでは、感想をスタートしていきましょう
アニメーションと実写とは何か、ということを再確認できるような作品だよね
カエル「ちょっと時間が過ぎて、それでも記事を書こうとしているということは、それだけ語るべきことがあるってことなんだよね」
主「自分は、正直あまり高い評価をしている作品ではない。
だけれど、本作を高い評価をする人も多いわけで、それがおかしいとかいうつもりは全くない。つまり、本作を語るときに重要になるのは”実写とアニメーションは何が異なるのか?”ということになってくる。
それはロトスコープという手法とアニメーションの関係性にも言及するものがあるわけだ」
ふむふむ……年々実写とアニメーションの関係性は近くなっている、ということをよく聞くよね
CGがより精緻になり、なんでも表現になると、今度はアニメーションとは何か? という問題になるからね
カエル「それこそ『超実写版ライオンキング』なんて、もう精緻なアニメーション映画だしね。『アバター』とか、あれを実写といえるのかどうか……というのも複雑な問題だよね」
主「それでいうと、本作は別角度から実写とアニメーションの違いを表現しているのではないか? ということになる。
つまりCG(アニメーション)を扱う実写映画に対して、実写を扱うアニメーション(ロトスコープ)ということだね。
この記事では、ロトスコープとアニメーションという手法を中心に考えていこう」
ロトスコープとは?
そもそも、ロトスコープって何? ということから話を進めましょうか
アニメーションの作り方の1つであり、古くからある技術だ
カエル「日本だと数年おきにロトスコープで制作されたアニメーションが登場して話題になるけれど、決して新しい技術ではないんだよね。
20世紀前半には手法として確立されており、古いディズニー映画でも使用されたり、参考にされたりしたんだよね」
主「手法としてはとてもわかりやすい。
以下のような形で、作られる。つまり、表現そのものはアニメーションだけれども、その下地となる動きは実写ということになるわけだね」
- 実写で撮影する
- 撮影された実写の動きを絵でトレースする
- キャラクターや背景を整える
ふむふむ……でもさ、それならばなんでロトスコープってもっとアニメーションで一般化しなかったの?
結構複雑な歴史があるんだよね
カエル「とても単純に考えれば、実写の動きをトレースすればアニメーションができるならば、全部そうすれば今よりも簡単にアニメーションができるんじゃないの?」
主「それは今作でも重要な指摘になる。
ロトスコープはアニメ業界・アニメーション界隈からは、あまり好まれない手法でもあった。
もちろん実写の撮影という手間がかかるのもあるけれど、それ以上に……動きがアニメーションとは異なるんだよ。
アニメーションは言い換えれば”動きの創造”という芸術だ。
実写の動きと、アニメーションの動きは快楽性からして、何もかもが異なるものになる」
動きの違いを動画で比較
それはどういうこと?
おそらく、この先さらに問題になる分野としてAIの活用があるだろう
カエル「それは生成AIによる著作権問題とは異なり、アニメーションの動きの問題ってことだよね。
まずはこちらの動画を見てみましょう」
YouTubeにあった、実写のダンスをアニメーション化している作品だよね
これをアニメーションと呼ぶか、実写と呼ぶかという問題だ
主「次に紹介するのは短編動画としてもバズっているポケモンのポケダンス動画だ。
ここではいろいろなアニメーションスタイルで、ダンスが披露されている」
この2つの動画を見比べてみて、動きが違うというのがわかるだろうか
カエル「う〜ん……もしかしたら、先に紹介した動画の方が、動きが精緻で細かくていいダンスという評価をされるかもしれないね」
主「多分、アニメファン、あるいはアニメーションを多く観ている人ほど、上の動画には違和感、嫌悪感を抱くかもしれない。
それを”アニメ”と称されることには、反対意見もあるだろう。
一方で下の動画は比較的アニメファンからも受け入れられやすい。
アニメというのは独特の動きを生み出し、印象深くするために原画の段階でどのように動きを構成するのか、各アニメーターが計算して作っている。そしてその結果、実写とは異なる快感を持ったり、あるいは実写と見間違えるような表現ができているわけだ」
ロトスコープは無気味の谷に陥りがち
それが、ロトスコープでは論争になると
ロトスコープという手法は無気味の谷に陥りやすいんだよね
主「ロトスコープでアニメーションとしての快楽性を付与するというのは、実は難しいんだよね。
今作はその点、非常にうまくやっているからこそ、ロトスコープを通じて実写とアニメーションの境目をいくような作品になっている」
多くのロトスコープの作品では、どこか動きがぎこちなくて、恐怖感が出てくるよね
それこそ無気味の谷、と呼ばれるやつだよね
主「『悪の華』や『花とアリス殺人事件』などを見れば、他のアニメーションとは動きや雰囲気が異なるというのがわかりやすいのではないだろうか」
他にも最近だと『音楽』がアニメーションファンの中で話題となったよね
あれはアニメーションの絵の表現が下手うまみたいになっているからこそ、味が生まれる作品だったな
主「『音楽』はルックそのものが独特だからこそ味わいが出ているけれど、やっぱり実写の動きをトレースしているロトスコープの味わいがあるというのがわかるのではないだろうか。
それでいうと『化け猫あんずちゃん』は、無気味の谷を感じさせることがなかった。その点において、やはり久野遥子というアニメーション監督の手腕が発揮されていると評価するべきだし、とても上手い作品になっているのは間違いない」
『化け猫あんずちゃん』は実写か? アニメーションか?
実写とアニメーションの違いとは?
それでは、ここまでの話を踏まえて『化け猫あんずちゃん』の話をしていきましょう
自分としては、今作は”実写の魅力”だと評価したい
カエル「ふむ……どうみてもルックがアニメ調だけれど、それだけではアニメーションの魅力ではないのではないか、ということ?」
主「そうだね。
実写とアニメーションの違いとは、多岐にわたるだろうしそんなものは本当は存在しないのかもしれない。
だけれど、今作を見ている最中、自分はずっと……ほとんどの時間を実写映画としてみていた」
それはどういうところが?
動き、構図、シーンの長さ、役者の話し方、雰囲気……そういう1つ1つを統合したところかな
このアニメーション化されたシーンをみて、アニメーション的と観るか、実写的と観るかの問題だろう
主「一応言っておくと、今作はロトスコープのアニメーションとして、とても上手だ。
先に述べたように、ロトスコープが持つ無気味の谷をあまり感じさせないようにデフォルメ化され、動きをしっかりとアニメーションとして成立するように選択されている。
だから”アニメーションが下手だからダメ”というわけではない」
同時に「ロトスコープという手法だから面白い」っていうわけでもないんだよね
山下監督と久野監督だからこその作品というのは、強調しておきたい
カエル「ごく一部で『ロトスコープという手法の素晴らしさをみた!』みたいに言われていますが、それは手法ではなく、監督などの制作の手腕だということだね」
主「むしろ、ロトスコープは実写撮影を挟む分、難易度が上がる。
実写撮影の腕前……それは構図とか役者の演技も含めて、その撮影された映像が下手だと大元がダメだからアニメーションもダメになるし、アニメーションスタッフが下手でも同様だ。
両者の技量と個性が合わさった結果であり、どちらも卓越した作り手だからこその作品で、これがロトスコープという手法の平均値だとか、あるいは手法自体が優れていたから、という考え方はしないでほしい」
実写的と感じる部分
その前提の上で、うちでは今作の魅力を「実写的」と称しているわけだからね
では、話を戻してどのような部分を実写的と捉えたか話していこう
カエル「先ほどの実写とアニメーションの比較動画のパターンでいうと、どういうことなの?」
主「例えばあんずちゃんがスクーターに乗って登場して、一瞬止まってから降りて、電話に出る。この一連の動きと声も含めた演技だよね。
この間であったり、雰囲気がアニメーションというよりも、実写の間合いであり、雰囲気である。1つ1つのカット割を少なくして、長めの間合いで撮影している。
実写とアニメーションの違いとして1カットごとの平均的な長さがあると感じている。アニメーションは1カットが短いんだよね」
アニメーションの場合、1カットごとに原画を描くアニメーターが変わるために、その負担を少なくする意味合いも込めて1カットが短くなる傾向があるよね
実写はいくらでもロングカットが可能なのが、実写とアニメーションの違いの1つと言えるだろう
カエル「だから『カメラを止めるな!』などのような、20分を超えるワンカットはアニメーションではかなりハードルが高いわけで、ほぼ不可能と称してもいい。
一方で実写はカメラでの撮影を止めない限りは、クオリティは別問題として、ワンカット・長回しはいくらでも可能だね」
主「今作は平均的な1カットの長さはかなり長めになっており、アニメーターの負担が大きいけれど、これを手書きなどで表現しようと思ったらかなり難しいだろう。その点では、ロトスコープで実写をあらかじめ撮影されているからこその映像表現となっている。
また森山未来をはじめとする役者の演技もそうだし、あるいはカメラの構図なども含めて映像表現の根幹は実写の手法が用いられている。
アニメーションはキャラクターや背景美術などのルックの部分がメインになっているように感じられた」
アニメ的、と感じる部分
一方で今作がアニメ的……つまり、日本のアニメーション手法みたいだと感じた部分との比較をすると、その言いたいことが伝わるということだけれど
今作でアニメ的な魅力を感じたのは、以下の3点だ
- かりんちゃんと両親の体育祭シーン
- 後半の車のアクションパート
- ラスト
この3点と比較すると、ロトスコープとアニメ・アニメーション的の違いがはっきりとわかるだろう
カエル「1、3と2では、またアニメ的という意味が異なるんだよね?」
主「久野遥子という作家はカメラアングルが自由自在に動き回る作品で評価されてきた。そして1と3はまさに、これぞ久野遥子という映像に仕上がっている。全体としては……おそらく30秒もないような短いシーンだけれど、ここがはっきりとアニメーションの見どころになっている。
またラストの疾走シーンも素晴らしく、そこでここまでの物語と感情が爆発するようになっている」
そしてアニメ的に語りたいのが2の車のアクションパートだよね
ここはまさしく、シンエイ動画の動きの魅力がはっきりと出ているアニメパートだった
カエル「『クレヨンしんちゃん』シリーズなどでもお馴染みの、シンエイ動画のアニメーションパートだね」
主「このシーンはアニメの快楽性が非常に強くて、まさに日本アニメの魅力が詰まっている。
この3つのシーンがアニメ・アニメーションの魅力を持ち、他のシーンは実写の魅力を持つシーンだと感じた」
アニメーションと実写の魅力とは何か?
ふむふむ……そうなると”良い悪い”ではなく、”どちらが好みか”という話なのかな
この動きが好きという気持ちはわかるよ
主「勘違いしないでほしいのは、ロトスコープだから悪いという意味ではない、ということだ。むしろ、今作のアニメーションとしてのレベルは高い。
ただ、自分はこの映画を”アニメ映画”とは言いたくないって話。
偏屈かもしれないけれど、それは日本で独特の進化を遂げたアニメーション=アニメの魅力を内包する映画ではなく、ロトスコープという別の手法で作られたアニメーション映画の最高峰ということだ」
カエル「その意味では、実写とアニメーションの境目にある作品と言えるのかもしれないね」
主「そうだね。
アニメとは何か、アニメーションとは何か、実写とは何か、ということを考えるときに、今作はとても重要な作品になる。日本においてアニメとアニメーション界隈は微妙に距離があるように見えるけれど、その間をいく多様な作品の1つということになる。
今作に関しては自分は実写の魅力だと評価するし、アニメの面白さがあるかというと否定的で、そこまで好きな作品でもない。
けれど、とても価値がある、重要な作品だという評価をしていることを、ここで表明しておきたいかな」