物語る亀

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物語愛好者の雑文

<絶賛!>映画『アバター』感想&解説! 今作の画期的な”物語”の素晴らしさを読み解くと高評価間違いなし!?

 

今回は『アバター2』の公開に合わせて、前作の『アバター1』の感想・解説記事となります!

 

3Dで見逃していた作品だから、再上映してくれて嬉しかったなぁ

 

アバター (吹替版)

 

カエルくん(以下カエル)

実は観ていない洋画大作の1つだったから、ここでベストな環境で観れたのは最高だったよね!

 

まあ、観ていない洋画大作なんてたくさんあるんですが

 

カエル「一応、うちはアニメが専門みたいなところもありますが……アバターもここまでくれば、もうアニメでしょ! って気持ちもどこかにあったりしてw」

 

主「CG技術がこれだけ発展すると、もはや『実写とは何か?』という定義すら揺らいでくるからなぁ。

 とはいえ、ではでは感想・解説記事を始めましょうか」

 

 

 


www.youtube.com

 

 

 

 

感想

 

それでは、Twitterの短評からスタートです!

 

 

これが映画ですよ!

 

カエル「えー、もしかしたら一部の映画ファンからは『映画ブログを書いているのに!』と、少し呆れられるかもしれませんが、実は2009年の公開時には鑑賞していないんですよね。

 その後もTVやBDでの鑑賞の機会もありましたが、やっぱりこの作品は劇場で、しかも3Dで観ないとなんの意味もないのではないか? という思いがあって、見ることができませんでした。

 なので、今回再上映していただいた結果、改めて鑑賞できて、大変助かっています!」

 

主「あの当時は『アニメならともかく、大作洋画を自分が見てもなー……』という気持ちもあったからねぇ。

 話題作ほど観ないという天邪鬼な部分もあったし。

 でも、これは2022年の今だからこそ理解できた、あるいは面白がれた部分はある。

 それこそ3Dメガネを含めた技術も進歩して見やすくなっているだろうし、テーマなども今の時代の方が合致している。

 実は09年の時点でも、すでに早すぎた作品であったのではないか? という思いが強い

 

それだけ感動しているのって、やっぱり映像表現の面での感動が強いわけ

 

もちろんそれもあるけれど、物語も大したものですよ!

 

カエル「結構『アバター』って、映像表現はすごいけれど物語は……という声もあるけれど、それには乗らないんだ」

 

主「いやいやいや、物語も明確に素晴らしいですよ!

 ボクは2022年に観た実写映画では余裕でNo1かもしれないほど感動したし、見入ってしまった。

 まあ、2022年はそこまで実写映画を観れていないというのもあるんだけれどね。

 でも、物語表現があまりよろしくないという意見は、自分はあまり納得しないかなぁ……むしろ、本作ほど物語表現が素晴らしい作品も、他にはないと思いますよ!

 

……マジで大絶賛しているんだねぇ

 

 

 

 

アバターの魅力①

 

映像面

 

ではでは、その魅力①としては、当然のように映像面が上がるわけですが……

 

少なくとも3DCG作品としては、13年すぎた現代でもこの作品に追いつくことはできていないのではないだろうか

 

カエル「もちろん、うちはCG屋さんではないので、その技術に関しては頓珍漢かもしれませんが……でもこの映像の凄さは、素人でもはっきりとわかるものというのは、確かにそうかもね」

 

主「何が素晴らしいって、まあ全部ではあるんだけれどさ……

 キャメロンは映画という媒体を用いて、CGという技術でもう1つの世界を完全に制作してしまった。

 映画に何を望むのか? というのは、いろいろな意見があるだろう。もちろん、物語性という人もいるだろうけれど……自分はこの考え方に、若干の違和感を覚えるわけだ」

 

物語が楽しみたいならば、映画じゃなくても漫画・アニメ・演劇・小説・落語などなど、いろいろな手法があるわけだしね

 

映画でなければいけない理由、それはリッチな映像面にある、というのが自分の考え方なわけ

 

カエル「ふむふむ……それでいうと、今作はまさにそのリッチな映像面を楽しむための映画、というのは、むしろ映画ファン含めて総意に近いんじゃないかな」

 

主「映画の映像表現で何を追求するのかっていうのは色々あるだろうけれど、キャメロンはアバターにおいて”もう1つの世界を創造する”ということをやってしまった。つまり、本作は地球と違う世界を、まさに実体験させるための映画である、ということ。

 それを3DCGで観てしまった場合、この映画の世界にまさにダイブするような経験を得ることができる。

 没入感、とでもいうのかな。それはとてつもないものがあるんだ。

 もちろん、SFやファンタジー作品は色々あるけれど、これほどまでに映像と世界が作り込まれている作品は2022年のいまでも登場していない……と自分は断言してもいいのではないか、と思っているかな」

 

 

 

アバターが変革を望んだ物語における革新性

 

①身体性の否定〜Vtuberが当たり前になった世界から考える〜

 

では、物語面の革新性についても語っていきましょう!

 

ここがかなり過小評価されているのではないか? と思うほどに素晴らしい描写が多かったんだ

 

カエル「ふむふむ……まずは身体性の否定ということだけれど、これはどういうこと?」

 

主「主人公のジェイクは車椅子に乗った青年軍人として描かれている。彼があの……自分がアニメが好きだからナーヴギアのような、と呼称すけれど、カプセルに入ることで、アバターとしてナヴィになれるというのが、この物語の根幹的な部分だ。

 まず、この設定……特に”ナーヴギア”という単語を用いたのは、実はある意味がある」

 

カエル「ナーヴギアというと、ほぼ同時代に一世を風靡して、今でも根強い人気を誇る『ソードアートオンライン』に登場する、ゲーム世界に没入するためのゴーグル状のアイテムだよね」

 

 

ゴーグルかカプセルかの違いはあるけれど、アバターに乗り移るということでは、かなり似たような思想となっている

 

カエル「もちろん、この両者の似たような設定は、当時の最先端科学と商品化の流れを見て、それが数年後には可能だと判断したから、ということはあるよね。

 あとは映画と小説の制作期間の大小もあるだろうけれど……多分この設定を思いついた時期は同じようなものではないかな」

 

主「実際にVR元年とされる2016年にムーブメントが起き始め、今ではガジェットに先進的な人々がVRゴーグルをつけてチャットやゲームを楽しむという時代になってきた。

 そしてメタバース、あるいはVtuberという新基軸の空間が当たり前になってきたからこそ、このような描き方が2009年の段階でなされていたといのは、驚愕に値する

 

つまり、現実の体や世界を捨てて、アバターを演じる……いや、同化する時代というのが、かなり一般的になってきたと

 

自分はVtuberとしても活動を……まあ、たま〜にしているけれど、そう遠くない将来に誰もがネット上の体であるアバターを持つという時代が到来するのではないか、という思いを抱いている

 

「それは簡単にいえば、『竜とそばかすの姫』のような世界、ということだよね」

 

SFとして、こういった先見的な時代性というのは、とても面白いものだと思わない?

 

カエル「ふむふむ……

 つまり、このようなことだね

 

 

ポイント!

  • アバター → CGを多用したリアルな実写路線、異文化の惑星を用いたSF
  • SAOなど → インターネット世界を舞台としたSF

 

この視点が物語にも活かされていると

 

主「そうだね。もちろん似たような考えはいくつもあって、例えば『マトリックス』などに類似性を指摘する声があるだろうけれど、あれは実際の体であって、アバターという考え方とは微妙に異なるよね。

 またネット社会を用いたという意味では『攻殻機動隊』なども、アバターの概念はあるけれど……現実の体を改造するという意味ではより進んでいるかもしれないけれど、この2作の語るようなアバター論とは異なる。

 『アバター』が先進的だと感じるのは、これらの現実が追いついてきたSF的な発想を、設定と物語にうまく組み込んだことにあるんだ

 

 

 

身体性の対比と否定

 

ここではジェイクが”車椅子の軍人”ということに注目していきましょう

 

明確な対比構造となっているのは、ジェイクとマイルズ大佐なんだ

 

(C)2009 Twentieth Century Fox. All rights reserved.

 

軍人という身体性が最も重要な職業の中で、車椅子というのは……正直、足手まといというか、後方支援ならばともかく、惑星開発の最前線に送られてくる存在ではないよね

 

主「これは次の部分にも絡んでくるけれど、マイルズ大佐のような筋肉マッチョの軍人というのは、アメリカの肉体的正義の象徴なんだ。

 一方でジェイクはイケメンではあるけれど、足が動かなくなってしまった軍人である。

 この2人は明確な対比関係にある。

 それはマイルズ大佐は、AMPスーツと呼ばれるロボットのような……パワードスーツといった方がいいのか、そんな兵器に乗り込んでいる」

 

 

序盤の大佐登場シーンから、そのムキムキの身体を用いて乗り込んで行ったのが印象的だったよね

 

主「ここで語りたいのは、つまり以下のような対比ということだ」

 

 

ポイント!

 ナヴィになる・アバターを持つジェイク

   

 パワードスーツに乗り込むマイルズ大佐

 

 

なるほど、”肉体から何かに乗り移る・強化する”という意味では、同じなのかもしれないね

 

主「その通り。

 つまり最先端技術によってナヴィになるジェイクと、最先端技術によるパワードスーツに乗り込むマイルズ大佐は、その行いそのものは同様なんだ。

 結局ジェイクが恐竜のような鳥に乗ることと、大佐がヘリコプターで乗ることは、実は全く同じ行為なんだよ。

 ただ違いがあるのは、ジェイクの場合は他の生命体になるけれど、大佐の場合は自らの身体性の強化であり、戦闘面の強化ということだ。

 この違いが、この後に影響を及ぼしてくる」

 

 

 

②アメリカの正義の否定

 

次はアメリカの正義の否定、ということだけれど……これはどういう意味?

 

そのまんまだけれど、アメリカにおいてムキムキの軍人というのは、正義の象徴であったわけだ

 

カエル「それこそ、シュワちゃんなんかがそうかもね。

 『コマンドー』とか、あるいは『ロッキー』などのスタローンなどもそうだけれど、確かに軍人やムキムキの男性=アメリカの正義という印象があるかも……」

 

コマンドー (吹替版)

コマンドー (吹替版)

  • アーノルド・シュワルツェネッガー
Amazon

 

ロッキー (字幕版)

ロッキー (字幕版)

  • シルベスター・スタローン
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blog.monogatarukame.net

 

アメリカの歴史において軍事力・あるいは軍人=正義とされる時代というのは、かなり長くて支配的な考え方と言えるだろう

 

主「例えば日本では信じられないけれど銃規制もそうでさ、何よりも銃を扱うこと、自分の身を自分で守ること=かっこいい、あるいは正義という考え方もあるからこそ、銃規制というのはなかなか難しい。これは文化の問題だからね。

 実際、アメリカの正義というのは強大な軍事力であり、ハリウッド映画の場合は、時によっては核爆弾の使用すらも正義とされる考え方があった

 

カエル「日本とは大きく異なる部分だ」

 

主「それでいうと、マイルズ大佐などは、まさにアメリカの、旧来の正義の象徴なんだよ。

 実際、あの人は軍人としては悪いことはしていなかったのではないか。部下の面倒見も良さそうだし。ただジェイクが裏切ったのと、脳筋のマッチョイズム全開だから武力制圧した頭になっただけでさ。

 アメリカの歴史を鑑みても、あの人は軍人として真っ当な考え方だと思う。

 ただ、それを侵略されるナヴィ側から観客は見るから、あの人は悪役となることができるわけだ」

 

 

正義の否定の難しさ

 

どうしてもジェイク視点で見るから、大佐が悪役に見えてしまう部分はあるけれど……国や故郷の利益を考えたら、それは当然なのかもしれないね

 

強引すぎるのは同意するけれど、アメリカの正義とはそうやってなされてきた面がある

 

主「この正義を否定するのはとても難しくて……自分は『アベンジャーズ エンドゲーム』を否定しているけれど、それは旧来のアメリカの正義……つまりマッチョイズムによる暴力の正義を否定できなかったから。

 あれはアメリカ軍人、特に海軍をヒーローに置き換えただけで、やっていることは旧来の正義像の焼き直しにしかすぎないわけだ。だから自分は絶望して、ルッソ兄弟の語る正義の結論に期待したけれど、完全に裏切られた気分だった」

 

 

エンドゲームに関してはここいらにしましょうね

 

でもさ、それだけ正義の更新というのは難しいんだよ

 

カエル「それこそ、歴史的に見るとアメリカのマッチョな戦争の価値観が根強くある一方で、ベトナム戦争でその正義が揺らいだ時代に生まれてきたのが『地獄の黙示録』などのような、戦争の正義に疑問符を持つ映画だったわけだよね。

 1980年台のレーガン政権で再びマッチョイズムを感じる、共和党的価値観の映画が増えていたけれど、2000年代は911のテロ、そしてアフガン・イラク戦争で再びアメリカの正義が揺らいだ頃でした

 

 

そのアメリカの正義に対する不信感として生まれてきた映画の1つが『アバター』だというのが、自分の解釈なわけ

 

カエル「じゃあ、今の時代ってアメリカの正義ってどうなっているの?

 

主「軍人的なマッチョイズムは残っている面もあるけれど、それ以上に強いのがマイノリティ賛美だよね。

 つまり、黒人などの有色人種、そして女性の時代だ。

 正義の多様化というのかな……単純に戦争に対しての賛成・反対というだけでなく、その正義の質そのものが変わってきた。

 その意味では、単純なマッチョイズムの正義に反対した『アバター』は、原住民の多様な文化形態を支持する=マイノリティの賛美、という意味でも、一足先をいっていたという評価も可能なのではないだろうか

 

 

③アメリカの歴史そのものを語り直す

 

この映画の素晴らしさというのは、その最先端をいっていた物語性ということ?

 

というよりは、アメリカの歴史そのものを語り直したんだよ

 

カエル「アメリカの歴史……つまり、開拓民たちの歴史ということだね」

 

主「ここは自分も詳しくはないけれど、アメリカ開拓民がネイティブとを時に交渉し、あるいは武力などを用いて、奪っていったというのは公然の歴史なわけだ。

 そして水源、そして資源であるバイソンを乱獲していったり、ありはもっと直接的に奴隷として売り買いしていたという歴史がある

 

有名なバイソンの乱獲による骨の山の写真

 

カエル「つまり『アバター』の中で語られたのは、アメリカ開拓史のやり直しであるということだね……」

 

主「ヨーロッパではなく地球からきた人間が、自分達の価値観のもとに世界を勝手に奪い取る。それがアバターで描かれてきたことなんだ。

 開拓史の初期と全く一緒。

 あの大佐は確かに悪役であるけれど、悪人ではない。

 ただ、あのように文化交流を軽視した結果が、その後のネイティブに対する弾圧を生んでいることを考えれば、大佐の行動は変なことではないんだ」

 

カエル「確かに、現代でもじゃあ異星人に人権を認めるのか? となると、議論にはなるのかなぁ……」

 

神の国、アメリカの否定

 

そして同時に、この映画は”神の国、アメリカ”を否定している

 

カエル「……神の国アメリカ、つまりプロテスタントやユダヤ教徒、あるいは今ならばカトリックやイスラムなども増えているだろうけれど、大元は同じ一神教を信仰する人々がマジョリティとなっているわけだよね。

 アメリカが共産主義に強烈に反発し戦ったのも、その考え方がマルクスが『宗教は民衆のアヘン』と批判したからであり、神の国アメリカの根本を揺るがす考え方だったことも一因として挙げられています

 

主「だけれど、今作ではあの樹を中心とした……魂の木やエイワを中心とした、一種の精霊信仰のようなもので成立していることがわかる。

 つまり、一神教とは大きく異なる世界なわけだよね。

 これはどちらかといえば仏教的、あるいは精霊信仰による土着的な信仰である。おそらく、アメリカの宗教的価値観からすると、違和感があるのではないだろうか。だけれど、この映画の中ではそれを語り切ったわけだよね」

 

ふむふむ……

 

つまり、アメリカという国の根幹たる信仰の問題に、深く切り込んでいったわけだ

 

カエル「もちろん、作中では明確なキリスト教の否定……十字架を踏みつけるとか、そういう行動はありません。

 だから一神教を否定していないけれど、一神教が否定してきた多神教、あるいは精霊信仰を肯定したわけで、その意味合いは大きいね」

 

主「でも、明らかにあの世界の宗教観に染まっていく様子が描かれているじゃない。

 これがこの作品の根幹の1つなわけだ」

 

 

 

総論・アメリカの否定=新たなる世界の創造

 

ここまでが今作が素晴らしいとする理由とのことだけれど……

 

つまりさ、アメリカの歴史や文化をまるっきり語り切り、再構成し、新しい世界を創造してしまったんだよ!

 

カエル「身体性・アメリカの旧来の正義(マッチョイズム)・開拓民の歴史・そして信仰……

 現実に存在するアメリカの歴史を踏まえながら、その文化的な、あるいは映画的な背景を軸に丹念に否定していき、そして新しい世界を創造した、ということなんだね」

 

主「なんで自分がこんなに感動しているかというと、この映像的な迫力のある表現が、とても重要だからだ。

 これが生半可な映像では、この壮大な試みは成功しない。

 『アバター』という作品で、身体性の否定を描いたキャメロンは、現実を否定して空想上の新しい世界、国を作り出した。

 それも3DCGという最新の技術によってね。

 言うなれば映画至上主義だし、現実のアメリカの大否定

 でも、それをして納得するだけの、全く新しい映像美がこの作品にはある

 

これほど映画的な、しかも大作映画としてあるべき形はないのではないだろうか!

 

主「映画の面白さって、色々あると思うし、人によって好みはある。自分はどちらかと言えばヒューマン系が好きで、SF大作などは苦手な傾向があった。

 でも今作は別!

 これだけリッチな、最先端の映像で、画面の中に『アメリカに変わる新しい世界』を生み出したこと……それがいかに素晴らしいか!

 そこをもっと注目して語るべき価値があるのではないか? というのがボクのアバター評なわけだ」

 

 

 

最後に

 

ふむふむ、そんな作品が全世界で1位の興行収入だから、意外というか皮肉的というか……

 

アメリカって国を大否定しているんだけれど、その試みがあんまり通じていないようなのが、かえって良かったのかもね

 

主「でも、同時に今までの流れを否定したことによって、今の時代の流れを掴んでいる部分も多いのあるだろう。例えばマイノリティ賛美だって近年の流れだけれど、身体性の否定という意味では、今作も同じ。

 障害もそうだし、あるいはナヴィなんて肌の色どころか人種などよりも、もっと深いところが違うわけだしね。

 そういった視点においても、今作はとても重要だと思いますね」