物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『リンダはチキンがたべたい!』ネタバレ感想&評価 ヨーロッパアニメーションの注目作が日本上陸!

 

今回は『リンダはチキンを食べたい』の感想記事となります

 

吹き替え→字幕の順で見たので、両方の感想を語っていきます

 

ポスター画像

(C)2023 Dolce Vita Films, Miyu Productions, Palosanto Films, France 3 Cinéma

 

カエルくん(以下カエル)

海外の映画祭などで高く評価されている作品です!

 

日本で観れるのも嬉しいよね

 

カエル「それでは、早速ですが感想記事のスタートです!」

 

 

 

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ChatGPTによるこの記事のまとめ

  • 映画は、キャラクターの匿名性と普遍性を追求している。また、フランス社会の多様性と社会問題を巧みに表現しており、物語性とアニメーションが効果的に組み合わされている。

  • 言語を日本語に統一することで国籍や人種の多様性が損なわれる可能性や、アニメーションと実写の区別が曖昧になる点、アニメーション特有の表現が活かされていないのではないか。
  • この作品が持つ独自の軽やかさやユーモアが、重苦しいテーマを持つ他のヨーロッパアニメーションとは一線を画している

 

 

作品紹介・あらすじ

スタッフ紹介  

監督

キアラ・マルタ

セバスチャン・ローデンバック

作品紹介

アヌシー国際アニメーション映画祭2023で最高賞のクリスタル賞を受賞作品。

監督と脚本はキアラ・マルタとセバスチャン・ローデンバックが担当。二人は実生活でも夫婦であり、フランス郊外を舞台に、主人公リンダと母ポレットのコミカルで感動的な物語をカラフルな映像で表現している。ユニークなアニメーション技術と実際の屋外での子供たちの演技による声の収録、クレマン・デュコルによる楽曲が特徴で、大人から子どもまで幅広い観客に楽しめるアニメーション・コメディ。

あらすじ

8歳のリンダと母ポレットは公営団地に暮らしている。ある日、リンダが間違って指輪を盗んだと勘違いされ、母に叱られる。誤解が解けた後、リンダは亡き父が得意だった「パプリカ・チキン」を食べたいと母にお願いするが、その日はストライキで、街の店はすべて休業していた。リンダの決意を知った母は、チキンを探して奔走し、警察官やトラック運転手、団地の仲間たちも巻き込んで大騒動を繰り広げる。果たしてリンダは無事にパプリカ・チキンを食べることができるのだろうか。

↓公式サイトはこちらから↓

chicken-for-linda.asmik-ace.co.jp

 


www.youtube.com

 

 

 

 

 

Xに投稿した短評

 

吹き替え版の短評

 

それでは、Xの感想からスタートですが、今回は吹き替え版→字幕版の順番で紹介します!

 

 

Xに投稿した感想

本日公開のヨーロッパアニメーション映画です

 

2023年にアヌシーをはじめとして各種映画祭で大評価されてきた、まさに今もっとも注目を集めるヨーロッパアニメーション映画と言っていいでしょう

コメディタッチで日常劇ということもあり、多くの方に受け入れられやすい『面白い』作品ですね

 

日本でも各種映画祭などで観る機会が多かったのですでに鑑賞済みの方もいるかと思います

ボクは不勉強ながら今回の公開前の試写で鑑賞させていただきましたが、吹き替え版んで観たので評価が難しいです

 

今作の場合は吹き替えが悪いというわけではなく(むしろとてもよく出てきている)のですが、もともとプレスコ方式で先に音声を収録してから映像を制作しているので、本当の意味で作品のポテンシャルを発揮している部分を見たいのであれば字幕版の方が適している、という話になってしまうかもしれません

 

ボクの評価としては……結構、難しいですね

 

というのは「これ、実写じゃねぇ?」と思ってしまいました

 

今作の監督は実写映画を手がけてきたキアラ・マルタが脚本などを担当し、『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』を制作したセバスチャン・ローデンバックが映像面を担当しています 『手を無くした少女』はまさにアートアニメーションという感じで、塗りが独特なアニメーションなのですが、今作でもそれが用いられていることで、確かに誰が見てもアニメーションです

 

だけれど、ボクにとっては今作は”実写映画”の味わいと同じであり、アニメーションにする意味が果たしてあるのだろうか? と感じてしまいました

 

この辺りはきちんと分析したいと思っているので、もう1度今度は字幕版で鑑賞しようと思います

 

 

 

字幕版の短評

 

 
 

 

Xに投稿した感想

 
字幕版でも鑑賞しました
 
かなり印象変わりますね……特に冒頭のお父さんの言語が違うのは吹き替えでは表現できていなかった記憶ですし、一部のキャラクターに対する感覚も異なります
吹き替えの上手い下手ではなく、そもそも吹き替えが難しいタイプの作品なんでしょうね
 
あとは映像面もPCとスクリーンでは全く異なる印象がありました
うちのPCは4Kの28インチくらい? なんですけれど、そのサイズだとアニメーションが綺麗すぎるんですよね
スクリーンだと画面が引き伸ばされて若干荒れるんですけれど、それが筆のタッチの荒れもより強く感じられるので、その荒さが逆にアニメーションらしさを増しており、より意義深い作品でした
 
なので結論としては字幕・スクリーン推奨です
(元のポストは「吹き替え」としていますがタイプミスで「字幕」が正解です)
 
吹き替えや画面で観るのとは別物と感じられる作品です
 
前回は”実写的”だと述べましたが、今回は一部で実写的だと感じましたが、それはだいぶ薄れました
ただ前作の『手をなくした少女』と比較すると、アニメーションでなければいけない理由、この手法であるべき理由は薄くなってしまった印象です
 
フランスの多様で自由な価値観を描き、人種などを関係なくするために効果的に機能しているとは思いますが、アニメーションとして面白いのかなぁ…とは感じてしまいました

 

 
 
 
 

感想

 

というわけで、ここからが感想といきましょうか

 

これは結構色々と難しい作品だよねぇ

 
カエル「世界のアニメーション映画祭で絶賛されている作品ということもあって、ヨーロッパアニメーションでは大注目の作品なんだよね。
 ヨーロッパアニメーションは映画祭くらいしか鑑賞機会がなく、こういった作品が日本に上陸してくれたことだけでも、配給会社をはじめ尽力した方達に感謝したいです
 
主「日本はアニメ映画先進国ではあっても、国産アニメやエンタメ作品が強すぎて特にヨーロッパ系のアニメーション映画はなかなか入りにくいので、リンダレベルの作品でも公開されない可能性があるし、興行的にも厳しいのが現状だと思うけれど、円安の中で公開に尽力されたことだけで素晴らしいと考えなければいけないな、と思う。
 ただ、それと映画の評価は別としないとね」
 

それでいうと、アート系のアニメーション映画のようでいて、しっかりと娯楽性もある作品だよね

 

楽しいって気持ちが湧き上がりやすいかもね

 
カエル「セバスチャン・ローデンバック監督は『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』の監督もしていますが、こちらはよりアート色の強い印象の作品でした」
 

 

 

比較すると娯楽性が上がっているよね

 

主「今作では実写映画も手掛けているキアラ・マルタ監督が脚本などを担当したということだけれど、子どもの軽やかさなども含めて、娯楽性が跳ね上がっている

 現代のアニメーション表現は音と映像の融合がより進化しているけれど、今作はその点でも力を発揮している。

 色々な意味合いで今のヨーロッパアニメーションのスタンダードを知る上で、大切な作品だと感じている

 
 
 
物語の上手さ
 

その中でも、今作を評価する上で物語の上手さを特に語りたいってことだけれど……

 

やはりエンタメ&暗喩という意味で、かなり上手なシナリオだと評価したい

 

カエル「一見すると単に子どもたちがハチャメチャをするシナリオなんですが、そこに暗喩が色々とあるってことですね」

 

主「ニワトリはフランスを代表する鳥であり、国鳥でもある。

 だからリンダが食べたいチキンというのは、そのまんまフランスという国のことを指しているとも考えられる。

 大人たちが自由と権利を手に入れるために労働者のデモに行く中で、ニワトリは誰の元へと行くのか……という物語になっているんだ」

 

 

アニメーションの特徴〜匿名性の獲得〜

 

ちょっとネタバレになるので濁しますが、そのニワトリに対しての最後の描写が、この映画のメッセージ性としてとても強烈なんだね

 

人種のるつぼであるからね

 

映画ポスター 海外版 リンダはチキンがたべたい! (28 cm x 43 cm) APMPS-GB83665 [U.S. Made Poster]

 

カエル「その部分を語る前に、今作のアニメーションが独特なことは、予告編を見るだけでも気づいていただけると思いますが……その意味って何かあるの?」

 

主「今の世界のアニメーションの潮流として”アニメーションドキュメンタリー”という考え方がある。つまり、本来創作でしかないアニメーションで、特定の人物のドキュメンタリーを作るという手法だ。

 その時にアニメーション化することで得られる特徴として”匿名性”がある。

 つまり、特定の人物の話なんだけれど、その人物が特定されない。

 そして、同時に匿名だからこそ、多くの人に該当する普遍性を手に入れる」

 

 

『リンダ』の場合は、創作作品なのでアニメーションドキュメンタリーには入らない

 

主「だけれど、この”匿名性”という効果は発揮されているんだ。

 日本のアニメ・漫画のキャラクターデザインは個別性を大事にする。つまりシルエットが被らないように、などのように、見分けが簡単につくようにしている。

 だけれど今作は、あえて塗りを多用しシンプルにした結果、キャラクターの個性が少なくなるという、日本と真逆な行為を行なっている。

 それでいながら、色も含めてキャラクターが見分けやすいようにデザインされているので、かなりレベルが高いのではないか?

 

(C)2023 Dolce Vita Films, Miyu Productions, Palosanto Films, France 3 Cinéma

 

物語と合わさることで生まれる効果

 

物語とアニメーションが合わさることで生まれる効果はどういうことなの?

 

人種の多様さがより強調されると同時に、一種の偏見というか、その人種への印象を解き放していくんだよ

 

カエル「今作は団地が舞台になっているけれど、人種がとても多様で、リンダもお父さんの国籍が違うんだよね。

 色々な人種の特徴があるのだけれど、でも誰がどの人種・国籍・出身なのか、あまり特定ができない作りになっています

 

主「先ほどの日本アニメの個別性とは真逆で、個別の人間として尊重はしつつ、でも匿名でそのプライベートな情報を特定できないようにされている。

 憶測だけならば色々語れるけれど、例えば上記の参考画像では、緑の女の子が、ベビーカーを押している。この2人は姉弟なんだけれど、色合いが違うのは単に年齢の問題かもしれないし、もしかしたら両親のうち片方、あるいは両方が違うのかもしれない。

 婚外子や自由な恋愛形態を認めているフランスだったら、それもあり得ると思うんだよね」

 

もちろん、作中では答えが出ていないので憶測な部分が多くなります

 

それを考えると、この映画が描いた物語性というのは大事だ

 

主「あくまでも子供たちを中心としたドタバタのように見せかけて……いや、それは間違いじゃないんだけれど、同時に権利を勝ち取る物語として描いているという点だ。

 つまりニワトリを取り合う物語、そこに大人や警察が絡むことで様々な立場……それこそ政府や取り締まる立場としての警察が登場するのと同時に、ニワトリを手に入れようとする多様な人種の子供達を特定させないように描くことで、デモを通して権利を獲得していくフランスという国を端的に描こうとしている。

 そして……この物語の帰結である、ニワトリを手に入れる人物や集団が、果たして誰なのか、ということを考えれば、この物語が願うこと、つまりフランスのこの先の未来を監督がどう考えているのか、ということが伝わるのではないか」

 

 

 

ここからは個人的に引っかかったこと

 

吹き替え版の印象

 

と、ここまでは褒め中心のレビューだったのですが、ここからは引っかかったことを中心に考えていくと……

 

うまい作品なんだろうけれど、引っかかる部分が多かったんだよねぇ

 

カエル「まず、今作は吹き替え版→字幕版で見た事が、その引っ掛かりの理由かもしれないって話ですね」

 

主「吹き替えキャストが悪いというつもりはない、っていうのは先に言っておく。

 これは演技の問題ではなくて、作品テイストの問題だ。

 それでいうと……”言語を日本語で統一”というのは、果たして良かったのだろうか?

 

冒頭のリンダのお父さんが別の国の言葉を話しているとか、吹き替え版を見ている最中は気がつかなったよね

 

もしかしたら、自分の集中力の問題かもしれないけれどね

 

主「日本語で統一するってことは、同一性……この場合は国籍や人種の同一性が損なわれてしまうってことだ。

 日本はもちろん帰化された方々や歴史上ルーツを持つ複雑な方もいるが、基本的に日本人というと単一の民族を連想する。

 そして日本語を話すと、それは単一の民族である日本人の話す言語である、という意味合いが強い。これが英語やスペイン語であれば、世界中で様々なバックボーンを持つ人々が話すけれど、日本語は日本以外では話す機会が非常に少ない言語だ。

 それを採用してしまった場合、多様な人物を映すという思いが損なわれてしまうのではないか

 

アニメーションの写実性

 

吹き替え版を制作するのは作品をアピールする&売るために大事だし、特に子供に見てもらうためには必要だけれどね

 

ちょっと今作と相性が悪かった印象だ

 

カエル「それと『本作は実写じゃないか?』という言葉の意味合いってどこにあるの?」

 

主「あくまでも吹き替え版を見たからかもしれないけれど、吹き替えキャストが実写をメインで活躍する俳優陣だったこともあって、非常に生っぽい演技だった。

 そしてアニメーションを見ていて、自分は……ルックの面白さはともかくとして、動きなどに関しては多くのシーンでアニメーションならではの面白さを感じる事ができなかった

 

ここはかなり難しくて微妙な問題なので、あくまでも、個人の感覚として話すよ

 

カエル「当たり前だけれど、ボクはこう感じましたって話だね」

 

主「アニメーションというのは基本的には連想ゲームなのではないかと思っている。

 詳しい原理を言えば仮現運動などの専門用語が出てくるけれど、アニメーション映像を見た時に、脳内で一種の変換をする。そしてアニメーションを繰り返し見ることで、それは強化されていく。

 簡単に言えば慣れていくってことだ」

 

今回はアニメーションの話をするけれど、例えば文字の本を読むとかも、同じことかもしれないね

 

映像、文字、絵(漫画)……あるいは化学式、数式、英語などの他言語なども含めて、反復による脳内で慣れさせる事が大事なのではないかって意見だ

 

主「ここで話を戻すと、アニメーションの視覚情報は、脳内で処理されるけれど、自分の場合はそれが実写的として処理された。

 その理由に関してはカメラワークや吹き替えの演技の質などもあるだろうけれど、この匿名性が高いアニメーション映像が、逆に特定の誰かに変換されてしまったのかもしれない

 

 

 

 

アニメーションである必要性があったのか?

 

う〜ん……わかるような、わからないような……

 

さらにいうと、今作ってアニメーションである必要性があったのか? という思いすらよぎる

 

カエル「アニメーションにすることで匿名性があったり、あるいはアニメーションだからこその軽やかなミュージカル描写などもあるけれど……」

 

主「あるんだけれど、物語そのものはアニメーションでないと表現できないものではないと感じてしまった。

 もちろん、すべてのアニメーションが表現に特化した物語である必要はないけれど、今作に関してはこの手法と映像表現が不一致な印象があった。

 少なくとも前作の『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』はこの手法である必要性を感じたんだけれど、今作ではこの手法でないとできないとかは感じなかったっていうのも大きいかな」

 

 

 

軽やかな面白さがヨーロッパアニメーションに求められていた?

 

ここまでを語ってきて、今作が世界のアニメーション映画祭で評価された理由ってなんだと思う?

 

軽やかな魅力のある、いわゆるエンタメとして面白いヨーロッパアニメーションだからじゃないかな

 

カエル「近年のヨーロッパアニメーションは、社会問題やその国の歴史を描いた作品が多かったのですが、その一方でかなり重苦しい作品が続いていた印象があります。

 公式でも『監督たちが自分たちの子どもに 見せたいアニメーションが少ないと思い「自分たちだからこそ作れる作品を」と生み出した本作』という紹介をされていますが、それだけ重いアニメーションが多かったということではないでしょうか」

 

 

これだけ軽やかなヨーロッパアニメーションが求められていたのかもしれないね

 

主「日本にいると気がつかないけれど……というのは、日本は世界屈指のアニメ大国であり、毎年公開されるキャラクターアニメもかなりの数がある。大人向け、ファン向けなどの区別をしなければ、ほぼ毎週何らかのアニメ映画が公開されているような状況でもある。

 ただヨーロッパではそれが当然ではないのだろう。

 その中で、今作は明るく楽しくシンプル、それでいながらも物語にも社会性があり、しっかりとメッセージ性がある。

 その点において、まさに今のヨーロッパアニメーションの流れに一石を投じているし、評価されるべくして評価された作品なのではないだろうか

 

いろいろ言ったけれど、今の世界のアニメーションの現状を知るには必見の作品です