今回は色々な評価がでている『キャッツ』の感想になります!
ちょっと、今のキャッツに関する評価の流れには納得できていないかなぁ
カエルくん(以下カエル)
「アメリカでは酷評の嵐のまま日本に上陸しているためか、ちょっと”叩いてもいい作品”という評価に偏り過ぎな印象もある、という話だね」
主
「もちろん、個人の感想は自由だけれど……最初から”クソ映画!”って見方でいくと本当にもったいない作品なんですよ。
確かに予告でもわかるように不気味の谷なども出てくる。でもそこもまた自分にとっては色々と考えたい作品でもあっ……まあ、今回はかなり映画の評価としてはズレたものになる予感がしています」
カエル「では、記事のスタートです!」
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです
#映画キャッツ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年1月24日
ルックは想像の範囲内でいうほどホラーか? という思いもあるが絶望的につまらない物語が眠気を誘う
30分で終わる話をダラダラ引き伸ばしているだけ…大元もそうだし工夫がないとは言わないけど
トムフーパーらしさを感じるシーンもあるが歌も大して印象に残らないのは残念だった pic.twitter.com/15tmYGqA8C
CGの荒さと猫の身体性表現と人間の身体性表現が喧嘩しているのが残念
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年1月24日
というかさ、ここまでCGバリバリならば本作こそアニメが向いていると思うんだけど…
リアリティのバランスの難しさを感じた作品
自分は合いませんでした
カエル「世間的にも酷評の流れが続いている、という印象もありますが……この辺りに対して色々と言いたいことがあるようで……
こんなツイートもしています」
アメリカの評価を鵜呑みにして特に考えもせず、娯楽としてキャッツをバカにしているだけの連中と同じにはなりたくないね
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年1月25日
これほどの作品を”気持ち悪い”の一言で終わらせてしまったら、映画ブロガーの名折れだとすら思います
カエル「ま、まあ色々な感想を持っていいからね。
もちろん”生理的にダメ”とか、いろいろな意見が出てくるはずだからさ」
主「だからと言って、ちょっとアメリカの評価に引っ張られすぎだよなぁ……という思いが強い。
自分は物語が大好きだし、さらに言えば”映画好き”と名乗れるかは怪しい存在だと思っている。というのは”映画の映像表現”が好きなのか、それとも”物語表現”が好きなのかと問われたら、ほぼ間違いなく後者だから。
物語を楽しむならば小説でも漫画でもアニメでもいい。だから、一応このブログだって『”物語”愛好者の雑文』であるわけあって、映画ブログと自分から言ったことは……多分1度もないんじゃないかな。
いや、あるのか?」
カエル「どちらかといえば”アニメ映画ブログ”に最近なってきている感はあるけれどね」
主「で、自分は物語が大好きで、そこに1番興味がある。
人生には物語が必要だと、本気で思っている。
だからこそ……この映画のような”物語がない”作品は苦手な部類に入る。だけれど、このキャッツが示した映像表現や肉体表現というのは決してバカにできるものではないし、それこそ勿体ないよ。
これほどの作品は他に類がありません。
だからこそ、いろいろ考える1つの手がかりにしたいものだね」
キャッツが示した問題点と動き
CG表現の粗とキャラクター描写の難しさ
まず、CG表現そのものは荒いとは思いつつも、そこまで気持ち悪いとは思わなかったんだよね?
一部シーンは確かにダメだったけれどね
カエル「よく言われていますが、割と序盤のシーンが結構キツかったかなぁ……」
主「いってしまえば『テラフォマーズ』が始まって、あいつらが出てくるわけですよ。で、それを『進撃の巨人』が始まるわけです」
カエル「すごく濁していますが、見たら多分お判り頂けると思います」
主「そういう描写がすごく苦手で、自分にとって1番ホラーな描写でもあるし、だからこそ自分がホラー描写を描くならば多用する表現でもあるんだけれどね。『進撃の巨人』もそういうシーンがダメで、自分は読まなくなったし」
カエル「でも、ということはキャッツのキャラクター描写自体はそこまで違和感がないと?」
主「いや、あるよ。あるけれど……この辺りがすごく難しいバランスが要求される。
例えばさ、人間と動物をミックスしたようなキャラデザって、アニメだと色々な作品があるわけだ」
こちらは現在公開中の映画『メイドインアビス』よりナナチです
そして新作がテレビアニメも放送されている『SHOW BY ROCK』だとこんな感じですね
カエル「『SHOW BY ROCK』は上記のキャラクターデザインのアニメ作画と、下記のようなCG描写があります。
どちらもアニメらしく頭身をいじるなどのデフォルメ化がされているね」
主「疑問の1つがここで、ここまでCGを使うならばアニメーションでもよかったと思うんだよ。
これは自分がアニメオタクだから、ということが大きいけれど、なぜ何でもかんでも実写化しようとするのかが理解できない。ここまでCG使うならば、アニメーションの方が実績もあると思う」
カエル「まあ、それを言ってしまうと実写とアニメの畑違いみたいなことにも繋がってきますし、元々キャッツはブロードウェイミュージカルだしね」
主「でもさ、1つ言えるのは猫と人間を合わせる擬人化を行うのあれば、もっと何かあるだろうという気はする。
例えば、みんな服を着せるだけでも大分違うんだよ。
キャラクター性も立つしさ。
でも、そうはさせなかった。
なぜならば、この映画は”猫と人間の動き”をより見せようということがあるのではないか? ということだ」
”猫の動き”と”人間の動き”の融合と面白さ
この映画の見所といてば何と言ってもダンスシーンでしょうね
ここが喧嘩しているようにも見えたんだよなぁ……
カエル「やっぱり、四つ足の動物の動きを人間が真似るということは無理があるというか……ちょっと色々と考えてしまうね」
主「最近、アニメ表現の1つであるロトスコープについて色々と考えていてさ。リアルな人間の動きをそのままトレースしてアニメにする手法だけれど、だからこそ動きが既存のアニメと違って、とても気持ち悪く感じてしまいがちだ。
で、この動きの違和感が実写でも発生したのではないかな? という見方がある」
カエル「ふむふむ……」
主「動きっていうのは、実は細かい部分が違うだけでも違和感が発生する。よくアニメーターが語るのは『日常的な芝居ほど難しい』というものだけれど、普段見慣れているからこそ、何か少し違和感があるとそれが増幅されてしまう。
で、キャッツもその状況が考えられると思う。
つまり”普段見慣れている人間の動き”と”普段見慣れている猫の動き”が混ざり合い、さらに”人間が演じている猫をよりリアルに見せた動き”の組み合わせの悪さによって、ある種の不気味の谷が増幅されてしまっている可能性がある」
カエル「だけれど、ミュージカル版を見ていたり、あるいはダンサーの流麗な動きが好きな人であればきっとハマる作品かもしれないね」
主「そう考えると、あの裸のCGもうまくハマっていてさ。
人間の身体性がすごくはっきりと出た作品に仕上がっている。
だから、裸であることにも意義はあるとは思う。ただ、それが裏目に出た部分があるかもね」
よく分からない話になっているような……
自分にとっては大事な話なんだけれどね
主「最近は岩井澤監督のアニメ映画『音楽』とか、あるいは岩井俊二監督の『花とアリス殺人事件』のように実写映画を撮ってきた監督がアニメ業界に参入することで、新しい動き……ロトスコープをはじめとした動きの革新……とまで言ったら大げさかな?
でもそんなことが起きているわけ」
主「もちろん、本作はそんなことを一切気にしていないだろうけれど、自分にとっては今作なんかは”人体の動きを元につくられたCGのルック ”という意味で、アニメに近いものがあると感じる。
そしてこのような作品が生まれたということが、非常に興味深いんだよね。
アニメの”動き”に関して興味がある人は、この映画からも別の観点から動きについて感じるものがあると自分は思っているので、是非見て欲しいね」
物語性のなさ〜映画に物語は必要なのか?〜
そして、原作が詩でありミュージカル版も明確な物語がないことも、この映画の評価を下げているかもね
自分は先にもあげたように”物語性”を重視しているから、退屈で仕方ない部分はあったかなぁ
カエル「ぶっちゃけ、睡魔との戦いの方が激しさを増していたような印象もあるけれど……」
主「物語がない、というのは多くの人にとってマイナスイメージが付きまとう可能性もある。
だけれどさ、逆に考えると……”物語って本当に必要なのか?”という思いもどこかにあるわけだ。
例えば、ゴダール作品であったり、あるいは『2001年宇宙の旅』のような作品を物語の面から評価することは適切なのか? という思いがある」
カエル「当時として革新的な表現が主体になっている作品だよね」
主「自分はそんなに数を見たわけではないけれどテレンス・マリックは苦手。アニメも『海獣の子供』は凄いと思うし、見るべき・語るべき価値が大いにあるとは思うけれど、好きではない。それでいうと『マインドゲーム』も凄さを理解できるまで何回も見なければ……それこそ湯浅政明という作家性を理解しなければいけなかったほど。
でも、純粋に映像表現の革新性で語るのではあれば、これらの作品を苦手というのは鼻で笑われるレベルの映像美だよ。
この映画の肉体表現なども同じなんじゃないかなぁ」
今作は物語性が0というわけではなく、また社会性も含まれていますが……
一般的な映画に比べたら、どうしてもそこが見劣りするよね
カエル「結局のところ、食い合わせというかバランスが悪い、ということに繋がるのかなぁ」
主「”考えるな、感じろ”系の映画だよね。
最近、自分の中で『見せるべきは物語か、映像か』という対立がとても大きくなっている。もちろん、そこに答えはないけれど、おそらく映画監督などは映像と答えるだろう。
この映画って自分にとっては考えることが本当に多くてさ”詩を物語にすること”という1つを抜き取っても、面白い。
同じ文章表現でも詩は瞬間を描き、小説は時間を描くと思っているけれど、小説を映画化する……つまり”時間(物語)を描くメディア同士”であれば食い合わせはいいけれど、瞬間を描く詩と映画はやっぱり食い合わせが悪いのかもしれない。
だけれど、同じように瞬間を描くもの……つまり音楽やダンスというのがそうだと思うけれど、それらにはすごく”翻訳”しやすい。
だからこそ、ミュージカル版は傑作となり、これだけ配慮され尽くした映画版の評価は散々なものになってしまうのかもしれない」
最大の問題点〜真面目すぎるトム・フーパー監督〜
まあ、でも上記でなんだかんだ小難しい屁理屈を並べたけれど、結局はトム・フーパー監督の裁量の問題なのかもね…
自分は苦手な監督なんだけれど、真面目すぎるんだよねぇ
カエル「うちとして珍しく洋画の監督でありながらも『英国王のスピーチ』後の作品は全て劇場で鑑賞しています。
結果的に、多くの映画を見てきてはいるけれど……実はそんなにハマらない作品ばかりだっというね」
主「悪いとは全く言わないし、世間評価が高いのも納得する。
だけれどさ、この人クソ真面目すぎんだろ! という思いが強い。
特にそれが出たのが『レ・ミゼラブル』だよ」
とてもいいミュージカルである一方で、映画としてはちょっと難しい点もあるのかなぁ……
カエル「もともとがユゴーの書いた小説が原作となっており、分厚い文庫本で7冊とか出ているほどの物語量です。読み切るにはどんなに早くても1日つぎ込んでも無理だし、情報量も多いし、物語は進展しないし、言葉も多いし……という中々な難敵をミュージカルにして、世界中で愛される演目となっています」
主「この話を2時間ちょっとにまとめるのが無理だって。
自分は知り合いに『レ・ミゼラブルってよく分からない映画を彼女が見たいって言っているんだけれど、どうなの?』と聞かれたから『原作も19世紀半ばのフランスの事情も知らないならばやめたほうがいいよ』と言ったらバカにしてんのか! って怒られたけれど、でも実際そういう話。
物語を追いかけるための作品ではなくて、あくまでもそれは添え物。
音楽や踊りを楽しむ真っ当なミュージカル映画である」
カエル「それでももうちょっと整理の方法はあるんじゃないか? と思いつつも、あの膨大な原作をうまくまとめた方なのかなぁ……どうしても残したい見せ場もあるだろうしね」
だから、キャッツも”トム・フーバーのクソ真面目さが裏目に出た”って評価になる
主「変な話、キャッツに関しては原作をぶっ壊すことも考えるべきだったと思う。
だけれど、それはできなかったから、なんとか頑張って物語をつけて1本の映画として成立させようとしたけれど、結果的にはそれがミスマッチとなってしまった。
でも、これはこれで1つの映画形態として……それこそ壮大な実験作として面白いものかもしれない。もしかしたら、キャッツの表現が今後、大きな改革をもたらすこともありうるのではないだろうか?」