今回はアニメ映画『犬王』の紹介記事になります!
2022年の語り忘れ作品を特集ということで、約半年が過ぎての映画感想記事ということになるの
カエルくん(以下カエル)
……いや、語っていない作品として、とても心残りだったのはわかるけれど、どうして今更になって犬王を扱うの?
亀爺(以下亀)
正月らしい作品で、いいではないか
カエル「まあ、正月らしくはあるのかな……おめでたいイメージのある作品だし。
しかもゴールデングローブ賞ノミネートなど、世界のアニメーション映画祭で選ばれる可能性の高い作品でもあるから、確かに語っておいた方がいいのは間違い無いのかな」
亀「湯浅政明監督作品でもあるしの。
特に以下の3つの点について語っていければいいと感じておる」
- 国内の歴史を描いたアニメ
- 弱者を描いた作品
- 舞台と見る見られる関係、アーティストの宿命を描いた作品
それでは、記事を始めていこうかの
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作品紹介・あらすじ
声優・キャスト紹介
- 犬王( CV アヴちゃん)
- 友魚 (CV 森山未來)
- 足利義満(CV 柄本佑)
- 犬王の父(CV 津田健次郎)
- 友魚の父(CV 松重豊) など
感想
それでは、Twitterの短評です!
#犬王
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2022年5月7日
オンライン試写会で鑑賞
湯浅監督史上、最もポップで熱い作品かも!
映像と音楽から伝わる熱いエネルギーにこちらも充てられ、思わず家で手拍子を叩いていました♪
平家物語の犬王の巻を元にした歴史物も描き方がポップなので古めかしさは無し!事前知識なく楽しめる今年最強の音楽映画か⁉︎ pic.twitter.com/bxtQdGpVxA
さすが、圧倒的な映像&歌唱エネルギーが味わえるの!
カエル「本作は世界的な名監督である湯浅政明監督作品ということもあって、注目度もとても高いですが……!
今作もその名声に違わない、見事な作品だったね!
特にアゲアゲの映像&音楽表現には、2022年でも最高の音楽映画の1つと言っても過言ではないのではないでしょうか!」
亀「今作もまた、大きな話題となりそうな作品であるの。
2022年は『平家物語』や大河ドラマなどもあり、平安期の注目度がとても高かった。その中でも、アップで今までになかったであろう、圧倒的な魅力を感じる作品であるな。
また音楽映画という視点においても、2022年年は『ワンピースRED』などもあり、大いに盛り上がったが、今作をベストのアニメ映画と推す人も多いのでは無いじゃろうか」
今作、例えるならばなんの作品に近いの?
観ていないと、もしかしたら意外にも思われるかもしれんが『ボヘミアン・ラプソディ』ではないかの
近年のライブエンタメ映画といえば、絶対に外せない作品だよね!
カエル「それこそ、ボヘミアンってコロナ前の映画館で、応援上映などの象徴のようにも扱われた部分もあって……拳を突き上げて、体をノリノリにして、時には掛け声をあげたいような作品だったじゃない?
それは今作も全く同じで、アニメと実写、クイーンという我々も実在を知る人物と犬王という歴史上の人物の違いはあれども、その熱は同じでしょう!」
亀「その意味では、このコロナ禍で公開されるのは、応援上映ができないという意味では、少し勿体無い印象もあった。
やはり今作は圧倒的な音響がある、映画館で観るのが最高じゃろう」
湯浅イズム溢れる、音楽と映像のコントラスト
湯浅監督らしさって何か、というのを、どこに求めるかによっても変わると思うけれど……今作はとても”湯浅監督らしい”作品だったね!
明確に湯浅監督の捺印が見えるような絵作りじゃったな
カエル「今作はキャラクター原案に松本大洋、キャラクター原案に伊東伸高と、湯浅作品に縁が深い方がキャラクター造形をしていることもあって、湯浅作品らしさを強く感じさせるような作品でした」
亀「同時にサイエンスSARUの強みである”アニメーションの持つ本来の面白さ”を追求したような作品ではあったの。
そこに音楽が合わさったことにより、とてもノリノリな作品になったことは間違いない。
この力強さがハマる人は、とことんハマる作品になっているじゃろう」
まさに群集と一体になって踊りたくなる作品!
一方で個人的な感想として
でもさ、2022年の年間ベストとかには絡むような評価では無いんだよね?
……主はそういう評価を下しているの
カエル「それってどういうことなの?」
亀「うちの今の評価軸はこのような3つがある」
- 上手い or 下手
- 好き or 嫌い
- 語りやすい or 語りづらい
これでいうと、本作は『上手い』ではあるものの、好き嫌いでは『普通』で『語りづらい』作品なのかもしれんな
カエル「結局オンラインを含めて3、4回鑑賞、そのうち劇場鑑賞も何回かしているんだけれど、それでようやく語り口を見つけたような形で……
だから上手いとは思いつつ、ハマれていないというのが感想なんでしょうね」
亀「公開時に語ることができなかった理由を問われたら、それが全てなのかもしれん。
上手くはあるが、語りづらい。
結局は音楽ライブと同じであり……映画から感じたけれど、言葉にして伝えたいものが、公開当時は、あまり出てこなかったということかもしれんな。
とはいえ、それだけでは記事にならんので、ここから先はしっかりと語っていこうとするかの」
以下ネタバレあり
作品考察
ポイント① 国内の歴史を描いたアニメ
まずポイント①が、国内の歴史を描いたアニメということですが……
この辺りは今の世界的なアニメーション表現の流れを含めて考えると、面白いものが見えてくるかもしれんの
カエル「ふむふむ……つまり、自国の歴史に意識的に取り組んだアニメーションということだね」
亀「そうじゃな。
近年は世界中で長編アニメーションが作られておるが、多いのが自国の歴史を語る作品じゃ。その中でも悲惨な戦争や内戦の歴史であったり、あるいは国内問題を扱う作品が増えている。
その中でアニメーションドキュメンタリーと呼ばれるように、アニメーションではあるけれど、特定の人物の内面に迫ったようなドキュメンタリータッチの作品も生まれており、それらが世界のアニメーションの潮流の1つになってきているわけじゃな」
具体例ではアニメーションドキュメンタリーとしては『Funan』とか、あるいは『Free』などがそれに当たるわけだね
今作はそれとは微妙に異なるが、自国の歴史を扱った……しかも正史の裏で謎に満ちた存在をテーマに扱ったというのは、海外で評価する際にキャッチーなものになるのではないか
カエル「なるほど、湯浅政明監督作品という知名度は当然ながら、それだけではないものがあるってことだね」
亀「うむ。
まず日本のアニメの独自性として、やはり日本の歴史を扱うというのは1つわかりやすいところじゃろう。
そして次の”扱った社会問題”について考えていこう」
豊かなアニメーションとともに語られる、日本のあり得たかもしれない歴史と文化
ポイント② マイノリティや弱者の描き方
次のポイントが物語の核心部分の1つである弱者・マイノリティを扱った作品ということだけれど……
ここが海外うけも含めて、とても上手く作られていると感じたの
カエル「簡単にまとめると、以下のようなマイノリティ描写がありました」
- 友魚の目の喪失 → 障害描写
- 犬王の醜さ → ハンセン病・奇形児など
ここだけでも、忌むべきとされた存在を主人公に扱っているわけじゃな
カエル「ふむふむ……こういうところがあると、とても評価がしやすいわけだね」
亀「同時に、この点はキャスティングでも機能しておる。
犬王を演じたアヴちゃんは男性・女性のどちらとも公表していない。性別などのことを明かしていない人をマイノリティと呼ぶのは抵抗もあるが……一般的にはマイノリティと呼ばれるLGBTQ的な概念に入る人であろう。
そしてこのような個性は、時に人を遠ざけてしまう……今の日本でも大きな問題となっていることじゃな。
しかし、この点をテーマとしただけはなく、ポイント③につながっていくわけじゃ」
ポイント③ 舞台という装置の意味・アーティストの宿命
この①②を踏まえて③に入るということだけれど、舞台の意味について考えてみようってことだね
この舞台という装置が、とても重要なんじゃな
亀「つまり、どんな障害も個性であっても、それが舞台の上ということになると、途端に人は受け入れることができる。
犬王はやっていることは舞台上と舞台の外では、そこまで大きく変わっておらん。
しかし舞台・あるいは語るという点においては、観客の反応がまるで異なる」
カエル「最初は脅かす気持ちもあっただろうけれど、通行人に驚かれていたのにも関わらず、舞台になるととても不思議なことが起きているのに、それに対して熱狂する群衆が描かれていたよね」
つまり、舞台の上ではどんな”個性”も強みになる可能性がある、ということじゃな
カエル「そしてそれを実践しているのが、アヴちゃんなのではないか? ということだね」
亀「うむ。
例えとして適切かはわからないが、ボクシングやプロレスを鑑賞する際に、リングの中であればわしらは熱狂する。しかし、それが路上で行われたら、それは単なる暴力であり、わしらは逃げるじゃろう。
舞台というのはそういった非日常を日常化するというか、非日常のものをも許容する力があると言えるわけじゃな」
舞台の悪夢 許容とともに力を失っていくアーティスト
ふむふむ……でもさ、最後に犬王は普通の人間となってしまって、そのあとは歴史上の人物になってしまい、しかも公式の記録にはあまり残っていない謎の人物なんだよね
ここが舞台の恐ろしいところでもあるわけじゃな
亀「舞台というのは華々しく、輝く場所を与えてくれるものである。
しかし同時に、そこで輝けば輝くほどに、普通の人となっていく。
つまり個性が少なくなっていくわけじゃな」
カエル「……若い頃は尖っていた芸人さんやアーティストが、売れたりするうちに、その棘がなくなっていくようなものなのかな」
亀「うむ。
ある種、その尖ったもの……つまり個性を観客は求めている。しかし注目されたり、売れたりすると、その尖ったものに観客は徐々に慣れてしまったり、飽きられてしまう。そして最後には普通の人になるわけじゃな。
そこで普通の人として舞台を去るのか、あるいはそれでもやり続けるのか……もしかしたら、そこで続けることを選択したものの究極の形が伝統芸能というものなのかもしれん。
その意味では、犬王は尖ることをやめて、伝統芸能となる道を選んだ。
一方で友魚は、一生尖り続けることを選んで命がなくなることを選んだ。
犬王はある意味ではつまらなくなったとも言えるが……変わらずにいることもまた偉大と考えれば、その尖りなくし、永遠に残るもの……変化が難しい道を選んだと言えるかもしれんの」
最後に
ふむふむ……そう考えるとこうなるわけだね
- 日本的な文化と歴史を題材にする
- マイノリティなどを扱ったキャラクターたち
- 舞台というものが持つ残酷さと表現の極意
これらを卓越した映像表現とともに語りきったのだから、それは高い評価になるわけじゃな
カエル「……なるほど、これだけ高い評価でも”うまい”止まりで、好きになれないのは、少しもったいないのかもしれないね」
亀「そうじゃな。
だからわしとしても評価がとても難しいのじゃが、上手い作品であり、語る価値があるのは間違いない。
是非とも鑑賞してほしい作品じゃな」