今回は実写化した『ムーラン』の感想記事になります!
公開前から話題が尽きない作品じゃな
カエルくん(以下カエル)
「コロナ問題による劇場閉鎖もあるし、また米中関係の悪化もあるしね……
これが1年前に公開していたら、中国でも大ヒットして10億ドルクラスの世界興業収入も見込めたかもしれないけれど、興業の世界の怖さを感じるよね‥…」
亀爺(以下亀)
「山師みたいなもの、とはよくいうが、非常に頭を悩ませているじゃろうな。
しかし、ワシらはそんなことは関係なく、普通に楽しんでいけばいいのではないかの?」
カエル「では、早速ですが感想記事のスタートです!」
明日海りお、小池栄子が吹き替え!映画『ムーラン』日本版予告編
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#ムーラン
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年9月4日
まぁ、こんなもんじゃないかなぁ
原作から大きく変更したためにコメディ、ミュージカルの軽さがなくなってしまい全体的に重さが目立つ形に
あとは…ムーランに全く魅力が感じないんだよなぁ
全体的にまぁまぁかな、という印象が拭えず、アニメーション版の方がやっぱり好きですなぁ pic.twitter.com/Mqf2zrwdIr
予想通りの内容、といったところかの
カエル「今回はブロガー仲間と共に鑑賞しましたが、全員厳しい感想が並んだ、というかんじかなぁ」
亀「そもそも作品を鑑賞する前の段階でハードルは上がっておったからの。
やはり配信で3000円という値段設定 + 通常の会員価格というのは、どうしても反感を買ってしまいがちになってしまう。また映画館に比べればどうしても視聴環境も貧弱なものになってしまうじゃろう。
それらのハードルを乗り越えるほどの力は……残念ながらない、といったとこかの」
カエル「う〜ん……やっぱりさ、近年のディズニー映画の実写化に多い印象なんだけれど、単純にアニメーション版の方が面白いよね?
アニメファンだからってわけでもないと思うけれど……」
亀「そもそも、ムーランは99年に制作ということもあって、現代的な価値観が多い作品でもある。
変に手を加えずとも‥…そうじゃな、主人公の恋愛関係くらいは改変する方が現代のハリウッド・ディズニーが求める価値観に近いとは思うが、それ以外は別に問題があるとも思わん。
戦場という圧倒的な男尊女卑の社会を革命し、女性のあり方を更新する意図だってある。
だから、そもそもとしてそこまで改変する必要がないんじゃよ」
だけれど、なんか重くなったというか‥…面白くなくなったよね?
ミュージカルパートなどがなくなったからの
カエル「アニメーション版の面白い部分であったはずのコメディ要素、あるいはミュージカルがなくなって、1つ1つの描写を追加することで物語を深くしようと意図は感じるんだけれど、単に時間稼ぎの水増しに見えてしまったというのが、残念なところなのかなぁ」
亀「もともとムーランは主人公が女性というだけで、中国を舞台にした戦記物として非常に面白いものである。
その意味では、女性主人公でありながらも、むしろ男の子が興奮する内容かもしれん。まあ、この考え方自体が古臭いのかもしれんがの。
じゃが、残念ながら今作はそのパートも面白味が減っておる。
ではアクションはというと……ここも正直、いまいちと言わざるをえないかの。
全体的な物語の重さについては、色々と考えてしまうが、ワシとしては予想の範囲内という印象であったかの」
配信主体になっていく映画たち
ここでちょっといい機会なので、映画が配信主体になることについても考えていこうか
ワシはどちらかというと、この流れは止められないものだと考えておる
カエル「さすがにディズニーが”ムーランを配信で公開”と決めた時には、色々と文句も言ったけれどね」
亀「さすがにこれだけ配信されており、日本は座席数減などはあるものの映画館も稼働しておるからの。その中でアメリカが映画館で公開しないから日本でも配信で、という流れそのものは違和感がある。
ただし、ワシはこの流れそのものは変えられないし、今後も続いていくと考えておるし、どちらかといえば、あって当然だと思っておる」
カエル「それこそ日本では『PSYCHO-PASS』新作が公開と同時にアマプラで配信されたり等もありました。あれはコロナによる対応なのか、ちょっとわからない部分もあるけれど……」
映画館で見るメリットはとても大きいが、同時にデメリットも大きい。
亀「単純に時間・場所が限定されてしまうからの。
テレビアニメの話になるが、近年『けものフレンズ』や『鬼滅の刃』などの深夜アニメがヒットを飛ばしておるが、これも本来は深夜アニメでニッチなアニメファン層以外は観なかったものが、配信があることによって深夜に起きられない若年層にも人気が拡大していったことも指摘しなければならない。
いつでも観れる・どこでも観れるというのは、とても大きなメリットとなる。
それこそ、ムーランなどは世界同時配信。日本は作品によって数年単位で公開が遅れ、世界でも最後ということも多かったからの。それが解決するという意味では、決してデメリットばかりではない」
あとは、値段設定の問題だよね……
やり方があくどく感じるじゃろうが、3000円は妥当な値段だと思うがの
カエル「えー、映画館なら1900円じゃない?
アメリカとかなら、もっともっと安いんでしょ?」
亀「いやいや、これを映画館で観ることと比較するからそんな気分になる。
イメージとしてはソフトを買うのに近いかの。
自宅で何度も観れる権利を先行で購入するというのは、DVDやBDのソフトを新作で買うのと変わらんとわしは考えておる。
もちろん、ソフトは形に残るが配信は残らない、あるいは何らかの事情により配信サイト側が削除したら見れなくなるなどの意見もあるじゃろうが、今じゃどの業界も配信に移行していくのが普通となっていく流れじゃしの」
カエル「う〜ん……でも高いんだよねぇ」
亀「何度も見れる上に、この手の映画は家族で見たら4人家族でも4000円を超えてしまうからの。今回わしらは映画ブロガー同士でみたが、そのように配信であれば何人も集めて観るということは、想定しなければならん」
こういうと問題発言のようじゃが、高いと思う人は映画は1人で観ることを前提にしているようにも思える
カエル「映画館は家族・友人・恋人との交流の場である、という考え方もあるわけだし、そういう人たちが支えてくれているわけだしね……」
亀「まあ、ワシも9割9分、1人で鑑賞するから高いと思う気持ちは同意なんじゃがな。
しかし総合的に見ると3000円という値段設定は、ワシは妥当だと思う。
何よりも高いと思うならば観なければいいだけじゃ。
本当にファンが集まる作品であれば……例えば『Fate』はすでに10回見たという人もいるが、1万円以上も使っていることになる。それが3000円で何度も観れるとしたら、それはお得と言えるじゃろうし、みんなこぞってみる。
結局はコンテンツ力という、当たり前の話になるのではないかの」
カエル「映画館が好きな人、視聴環境にこだわる人もいるだろうから、この論争はいつまでも決着がつきそうもないのかなぁ」
キャラクターについて
ムーランに話を戻すけれど、何よりも弱いと感じたのがキャラクターなんだよね‥…
魅力が減ってしまった印象は拭えないの
カエル「結局、ミュージカル描写やコメディ描写が減ったことの最大の弊害って、キャラクターたちの説明や魅力がなくなってしまったことにあるんじゃないかなぁ。
特に……主人公であるムーランが魅力がなくて」
亀「う〜む……これは人種差別にも絡みかねない問題なので言葉が困るのじゃが、同じアジア系ということ、また人種ではなく役者の評価として語るとするが‥…なんでアメリカの作品はアジア系女性に、あんなにムスッとさせてしまうのかの」
カエル「……アメリカだとああいうイメージなのかな?
それとも日本人だからこそ……言っちゃあれだけれど、同じ人種だからこその違和感なのかなぁ」
亀「アニメーション版では、コロコロと変わる表情など、ムーランがとても可愛らしいものになっておった。また男社会で戸惑う部分があり、だからこそ後半の英雄としての行動がよりカッコよく見えるものである。
しかし、今作は軍隊に入ってからずっとムスッとしている印象で、そもそも表情に乏しい。またアニメーション版では軍隊に入ったときに『喧嘩みたいな乱暴な真似はできない』などと語るわけじゃが、今作では最初から血気盛んな印象じゃ。
これは現代的な、なよなよしない女性像を描きたかったのかもしれんが、その一辺倒となりギャップも深みもなくしてしまった印象じゃな」
それと、サブキャラクターが全く魅力を感じなかったんだよね……
最も煽りをくらったのは、サブキャラクター勢かも知れんの
カエル「アニメーション版ではリー・シャンという舞台の隊長がいて、ムーランといい感じになりますが、今作ではおじさん(ドニー・イェン)に変更され、いかにも貫禄のある小隊長という雰囲気に改変されています。
また仲間たちも色々と出てくるのでが……キャラクターの個性が薄いです‥…」
亀「役割を分けるのはいいのじゃが、その結果キャラクター性が薄くなってしまったら問題じゃな。
同僚の仲間たちもアニメーション版は見た目から特徴を出し、ムーランと反目していたのが徐々に交流を深めて、頼れる仲間でありコメディリリーフになった過程があったのじゃが、その魅力もカットされてしまった」
カエル「何よりも、幸運のコオロギとか、守神のムーシューが完全カットというのは……
アラジンで言ったらアブーがいなくなるくらいのことじゃないの?」
亀「ムーシューが最大のコメディ役であり、困ったら彼に頼れば色々と話を動かしてくれる存在じゃったからの」
ディズニー映画の実写化の問題点
実写化の問題
他にも魔女の存在がいらないとか、アクションが重くてテンションが上がらないとかもあるんだけれど、最大の問題点ってどこになるの?
アニメーションの魅力を実写にすることで表現することができていない、ということじゃろうな
亀「近年、様々な作品が実写化を果たしておるが……では、ここで問いたい。
アニメーション版よりも実写版の方が優れている作品が、果たしてあったか?」
カエル「まあ、色々な評価があるとは思いますが、明確に実写の方がアニメーションよりも優れている、と言われることは少ないのかな……
もちろん
- 元々の作品が名作
- 思い出補正がはたらく
- 原作を基準にして採点するような見方をしてしまう
などの理由もあると思うんだけれど……」
亀「やはり、ディズニーのアニメーション映画というのは、アニメーションの快感原則をもとに作り上げておる。多くの作品で登場するミュージカル描写は、音楽と絵の動きが一致した時、大きな快感を与えることを理解した上で制作されておる。
これは日本のアニメで最近、特に流行しているアイドルアニメにも共通することかもしれん」
ミュージカル描写って実写でやると唐突で違和感があるかもしれないけれど、アニメーションだと違和感が少ないというのもあるよね
いい意味で現実感が薄いからこそ、急に踊っても『そういうものか』で処理されるのかも知れんの
カエル「もちろん、ディズニー映画=ミュージカル描写、という風に1つの作風を確立しているのもあるだろうけれどね」
亀「しかし、実写化したときに”実写であること”にこだわりすぎてしまい、ミュージカル描写、コメディ描写を封印してしまいがちじゃ。
その結果、物語の軽妙さ、面白さが減ってしまう印象があるの。
また今作でのムーシューが顕著であるが、重要なサブキャラクターがいなくなってしまう。つまり、アニメーションに特化した物語を実写化する時に、実写に翻訳しきることができない。
アクション描写なども挑んでおるが‥…やはり、それが売りになるほどのものにはなっておらんの」
カエル「……またさ、ディズニーの実写化って大別するとファンタジーの作品が多いからね……
これが日常的な物語であれば、実写化の意図もわかるんだけれどね。
アニメーションが1番得意なファンタジーって、実写が最も苦手にしているジャンルなのに、そこに挑むから違和感があるのかも……」
亀「結論としては、実写化するときに強み、スタジオとしての試みが感じられず、社会に大してどのように迎合するのかという部分しか語ることがないということかもしれんの」
”完璧な作品”を目指すが故の違和感……
あとはさ……なんで、急に”気”とか出してきたんだろうね?
ワシはあの描写は、ともすれば問題があるとも考えるかの
カエル「なんか、スターウォーズが始まったなぁ……という印象なんだよね。
今はディズニーがスターウォーズを制作していることもあるんだろうけれど、多くのアクション大作がスターウォーズに影響下にあるように見えてしまうんだよね……」
亀「原作にはないものではあるが、ムーランのキャラクターとしての特殊性を描きたいのじゃろう。
また、中国らしさを出したいという意図はわかると言えばわかる。
しかし……やはり、その描写がおかしいと思うし、いわゆる”ポリコレ的に正解”を目指すディズニー社だからこその違和感というものが生じて来る」
これって、実は『2分の1の魔法』でも感じたんだけれど……途中で倫理、道徳的に問題がある描写があって、それが引っ掛かったんだよね
”完璧な作品”を目指すと、少しでも綻びがあるとそこに違和感が生じるんじゃな
カエル「これって『ブラックパンサー』において、アフリカの描写があまりにもテンプレート的である、という批判が出たのと同じだと思うんだよね。
”中国だから気を取り入れよう”という考え方自体は、おかしくない。
『2分の1の魔法』では”アニメだから、倫理的には問題もあるかもしれないけれど、少しワクワクするような描写を入れよう”というのもわかるんだよね。
だけれど、ディズニー社って人種差別・女性の権利・多様性のある社会に対して非常に厳格でメッセージ性の強い会社でもあって……
そういう企業が『こういう描写をしてもいいの?』という思いは、ちょっとあるんだよね……
その結果、例えば実写版の『ダンボ』みたいに、お金儲けに走る大企業を悪役にしたら『これってディズニー社のことじゃないか?』というふうに見えてしまうというか……」
そこいらのおじさんが立ちションをしていても気にならんが、お坊さんが立ちションをしていたら問題になるのと同じじゃな
……いや、その喩えってどうなの?
亀「これもディズニー社の特徴になってしまうのかもしれん。
もはや、企業としての高い社会倫理性を目指しているのは、映画好きの中では常識じゃろう。
それが”中国らしさ”を描こうとして、その結果テンプレートなものになってしまう。
それはともすれば、アジア系の役者の髪の毛が紫色になる、ということへの批判があったが、同じようなものになるかもしれん。
もちろん、ムーラン自体は中国を舞台にしておるからそれはおかしなものではないし、他の作品でも似たような描写をするものはたくさんあるじゃろう。しかし、ディズニーはそれが許されずらい部分がある」
カエル「……『ゴーストオブツシマ』のように、ちょっとガバガバでも楽しめるためには、制作スタジオや社会にも、それに寛容な風土が必要ってことなのかもしれないね……」