今回はアニメ映画『かがみの孤城』の紹介記事になります!
2022年の語り忘れ作品を特集の1つであり、こちらは2週間ほど過ぎての記事となるの
カエルくん(以下カエル)
すでに発表した2022年の年間ランキングでも4位に位置するなど、とても高い評価なのですが、まだ記事にはしていなかったということです
亀爺(以下亀)
今回は原作も読了したので、そちらも含めて語っていくとしようかの
カエル「試写会で鑑賞はしているのですが、こちらも年末の忙しさにかまけて、記事が書けていなかったことも問題ではあります…
まあ、でもその分いい記事になるように、頑張っていきましょうか」
亀「色々と複雑な感情が交じり合う記事になるかもしれんが、それもまた一興、といったところかもしれんの。
それでは、記事を始めるかの」
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作品紹介・あらすじ
声優・キャスト紹介
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こころ(CV 當真 あみ)
アキ(CV 吉柳 咲良)
リオン(CV 北村 匠海)
マサムネ(CV 高山 みなみ)
ウレシノ(CV 梶 裕貴)
フウカ(CV 横溝 菜帆)
スバル(CV 板垣 李光人)
オオカミ様(CV芦田 愛菜 )
こころの母(CV 麻生 久美子)
喜多嶋先生(CV 宮﨑 あおい)など
左奥から スバル、フウカ、リオン、アキ
中央(背面) オオカミ様
右奥から ウレシノ、マサムネ、こころ
感想
それでは、Twitterの短評です!
#かがみの孤城
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2022年12月8日
現代大注目作家辻村深月の原作をオトナ帝国などの原監督が手がけ、まさに原監督史上最高傑作とも呼べる作品
中学生という多感な時期に訪れた孤独に寄り添いながら登場人物に感情移入して最後はかけがえのない仲間になりながら爽やかな涙と一緒に劇場を後にするでしょう
年間ベスト級❗️ pic.twitter.com/MUy5DbsY35
もしかしたらクラスの、社会の過半数には関係ないと思う話かもしれない
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2022年12月8日
でも学校で、社会で世代を問わず孤立している誰かの心に絶対刺さる、その1割のサバイバーのために向き合って綴られた素晴らしい作品です❗️
途中から涙を堪えるのが大変でした😭
これは鑑賞直後に「年間ベスト❗️」と呟きたくなるほど、色々な思いが詰まった作品じゃったの
カエル「なんといっても泣けるんだよね!
途中から涙を堪えるのが本当に大変で……!
もう中盤からボロボロと涙をこぼすような感覚を、久々に味わったような気がするね!」
亀「今作は万人に届くような、楽しいエンタメではないかもしれん。わしが劇場に2回目を観に行った回では、お正月ということもあり、小学校低学年くらいの? 小さな子どもがおったが……果たしてあの子が楽しめたのかは、わしにはわからん。
しかし、この作品は中高生……あるいは、かつてサバイバーであった大人たちにもしっかりと響くような作品になっている。
ハマらない可能性もあるが、ハマれば年間ベスト級の衝撃を与える作品、ということになるかもしれんの」
映像表現について
今回監督を務めたのは原恵一ですが、映像面に関してはどうだったの?
……う〜む、そこが評価が難しいポイントじゃな
カエル「まず、勘違いされないように言っておかなければいけないのは、決してレベルが低いという話ではありません。
ただ、近年はそれこそ技術の進化によって映像面のレベルが鰻登りなので……
ある種、最先端な作品たちと比較して、どれだけそこに辿り着けているのか? という問題もあるのかもしれません」
亀「10年前であれば、これでも全く問題がなかったかもしれんな。
しかし……少し手厳しい言い方になってしまうが、若干、力が足りていないのでは? と思う部分もあるにはあった。それはクオリティが低いという意味ではなく……何というか、動かさないこともアニメの技術のうちだと思うが、それが機能しているか疑問であったということじゃな。
また原監督は過去作でも『引き算の演出』という言葉を使っているが……今作にそれを使ったかは、イマイチわからんが、ワシとしては疑問がないわけではない。
この辺りは後半で詳しく話していこうかの」
声優について
今作の声優さんについてはどうだったの?
意図の伝わる演技だったの
カエル「原監督自身が明確に否定していますので、ここでも述べておきますが……別に原監督は本職声優の演技が嫌いというわけではないんだよね。
ただ、実写で演技を行う役者を起用する意味合いもちゃんとあるってことで」
亀「今作に関しては、それがとてもわかりやすかったのではないかの。
主演の當真あみなどをはじめとして、起用された演者は10代から20代前半の、若い役者が多い。さすがに中学生をそのまま起用することは難しかったのかもしれんが……制作中に歳を重ねた可能性もあるが、こころなどの役柄と近い役者を起用するという意図が伝わってきた。
そしてそれは、一定の成功を収めたのではないだろうか。
上手い下手だけでは語れない、起用した意図などが伝わってくるの」
今回は本職の声優も含まれているんだね
ここもバランスが良かったと感じるかの
カエル「やはりアニメ的な演技をさせると、本職の声優さんがとても強いし……マサムネもウレシノも……なんというか、キャラクター色が強い役だったこともあるのかな」
亀「単純に子どもが7人おると、その人物像の区別が難しくなる。
2時間の映画やドラマで語れる登場人物など、せいぜい3人くらいではないだろうか?
この7人に個性を感じさせると同時に、大人たちも登場しなければならないから、声だけでも個性をつけることが求められるので、この采配は良かったと思うぞ」
7人以外の役者についてはどうだったの?
こちらも意図を感じるキャスティングだったかの
カエル「例えばオオカミ様が芦田愛菜なのも、子どもたちの演技を務めた役者たちと同世代ながら、子役として一足早く活躍していることもあるのかな。
子どもだけれど、ちょっと特別な立場感を出したかったというか」
亀「そういう意図もあるかもしれんの。
また、大人組に関してもきっちりとハマっておった。
確かにアニメ慣れした声優が声を当てれば、また違う形になったかもしれん。しかしそれでは、今作が持つような……ある種教育ドラマ的、というのじゃろうか。そういった雰囲気は無くなってしまったじゃろうな。
このキャストだからこそ生み出せたものが、確かにあったのではないだろうか」
以下ネタバレあり
作品考察
原作→脚本の改変の上手さ
では、ここからはネタバレありで語っていきましょう!
原作から脚本への改変が、しっかりとまとまっているようにも感じられた
カエル「お、ここは原作を読んだ上でも、絶賛なの?」
亀「まあ、難しいところではあるのじゃが……そもそも単行本で500ページを超える作品をアニメ映画化することが、かなり難易度が高い。
しかも先に述べたように、今作は登場人物が多いわけじゃな。それを綺麗にまとめるだけでも大変であるが、実際には過不足なく、しっかりと原作に寄り添いながらも、うまく再構成したという印象じゃ。
これは下手すると、印象に残らない子どもが出てきたりするからの」
ここではネタバレありだから言ってしまうけれど、最初に城に入った時にアキが話すパートが多いんだよね!
それで「こころ以外の6人で最初に覚えて欲しいのはアキ」というのが、伝わってきたの
カエル「それでいながらも、監督の意図に沿うような脚本に仕上がっているだろうし、小説→映像化の脚本として、とても良かったのではないでしょうか」
亀「一部ワシとしては”削ってほしくない”と思ったセリフなどもあったが、概ね満足しておる。
そこは好みの問題じゃろうし、文字媒体→映像媒体への翻訳としては、十分に満足できる出来じゃったの」
映画のアプローチへの疑問点
疑問① 辻村深月と原監督で、微妙に異なる感覚?
えっと……ここからは作品への疑問点を述べていくんだね
大きく分けて、以下の2つについて語ろうと思っておる
① 原作と映画の意図の違い
② アニメーションにおける引き算の演出とは?
まずは①の、原作と映画の意図について考えていくかの
カエル「映画を最初に観た時は……実は原作は読んでいましたが、3割くらいのところで詰んでしまいました。
そして映画を絶賛して、原作を読み返しましたが……その時に、ある違和感があったんですよね」
亀「その違和感の大元となったのは2つのインタビューじゃ。
まず1つ目は、作者の辻村深月本人のものを以下に引用する」
辻村「大人と子ども、両方に対してフェアであろうと思いました。最初から大人な人なんていなくて、みんな揺れながら自分の立場や役割を頑張って務めようとしているんだと今なら分かる」
こころに対して無神経な態度をとる担任の教師の伊田や、学校に行けなくなった原因である同級生、真田美織についてもフェアでありたかった、という辻村さん。
辻村「美織もどうしようもないところはありますが、彼女も現実の中で何も抱えていないことはない。もし彼女と城の中で出会っていたなら、こころと美織は心を通わせていたかもしれない。それに、今回伊田先生がひどいという感想をよく耳にするのですが(笑)、現実の中でそういう美織を救えるのは伊田先生かもしれない。そういうフェアな描写は心がけました」
↓以下の記事より抜粋↓
そしてもう1つ大事なのが、この記事じゃな
原監督 本屋大賞も取っていますし、百七十万部も売れている。ですので原作を読んだ人をがっかりさせないように映像化しないといけないと最初に思いました。まずは、真田というこころのクラスメイトの女の子をどれだけ憎らしく描けるか。そこは肝だぞと思いましたね。真田がきちんと描けていないと、こころにお客さんが感情移入ができないですよね。
↓以下の記事より抜粋↓
この2つの言葉の違いが、とても違和感として、生まれてしまったわけじゃな
カエル「ふむふむ……つまり、辻村深月はあくまでも真田・イダセンにもフェアでいようとしたけれど、原監督は明確に真田を悪として描くことをしたのかな」
亀「これは対立軸としては当然であるし、多くの人に響くような作品にするには、とてもよくわかる。
しかし、その目線からすると原作で2つのセリフをカットしたことが気になってしまった。
それが以下のセリフじゃ」
(喜多嶋先生)「こころちゃんが頑張っているの、お母さんも、私も、わかってる。戦わないで、自分がしたいことだけ考えてみて。もう戦わなくてもいいよ。」
P323 より抜粋
(喜多嶋先生)「真田さんには真田さんで、思いも、苦しさもあるんだと思う。自分と違うこころちゃんを見て、バカにされている気になったのも本当なのかもしれないね」
(こころ)「でも…………」
(喜多嶋先生)「でも、それはこころちゃんが今理解して上げなくてもいいことだよ。真田さんの苦しみは真田さんが周りと解決するべきで、こころちゃんが、あの子に何かしてあげなくてはいけないなんてことは絶対ない」
P397 より抜粋
この2つのセリフだけでも、実は原作と映画版は、全く違う意図があるのでは? という意識が働いてしまったんだね
亀「そうじゃな。
真田には真田の地獄がある。
そして先のインタビューであるように、そんな真田を救えるのは伊田先生なのかもしれん。
もちろん、ワシらはこの作品をこころ目線で見ているから、真田も伊田も許せない存在である。
そしてそれを許すべきだとは言わん。
現に原作でも、辻村深月も『嫌っていい』と語っておる。
しかし、この映画の描き方は……わかりやすくて、より万人に届くような形にはなっているが、その精神が若干異なっているようにも見えるわけじゃな」
なぜ、この改変が気になるのか?
なるほど、その改変が気になるのはわかるけれど、でもそれって小さなことではないの?
う〜む……難しいの、ワシとしては、最も重要な部分の1つであると考えるからの
カエル「今作を語る際に引用したいのは、この作品です」
うちがオールタイムベスト級に素晴らしいと絶賛する『映画聲の形』だね
カエル「もちろん好きな作品ということもあるけれど、学校に行きづらい、疎外感を抱いている少年少女の物語という意味では、類似性があると言えるのかな」
亀「『映画聲の形』も悪党として嫌われる子がいるが、しかし、その子を開くと断罪すれば全て解決する、という話ではない。
それは『かがみの孤城』も同じだと、ワシは思うわけじゃな。
別に好きならなくてもいい。しかし、その敵対したと思う相手にも……『その人物が抱える地獄がある』わけじゃな」
「人には人の地獄がある」というのは、YouTubeで月1回配信している『アニなら』のレギュラーである、抹茶マラカスさんがよく引用する言葉でもあります
↓抹茶マラカスのブログはこちらから↓
↓アニならの配信はこちらから↓
カエル「元々はアナウンサーの宇垣美里の言葉なんだよね。
恵まれているように見えても、誰でも人には人の地獄があるってことで……」
亀「もしかしたら真田には真田の地獄があるのかもしれん。
もちろん、それを被害者であるこころが理解する必要は、全くない。
そもそも、ワシらが伊田先生と同じ立場になったとして、喜多嶋先生寄りの態度をとるか、伊田先生のような態度を取るか…どっちが正解じゃと思う?」
……残念だけれど、学校に通えている子と、不登校の子では、学校に通っている子の意見を信用してしまうということは、容易に起こりうるのかな
しかも相手はクラス委員なども務める子であるわけじゃしの
カエル「う〜ん……それってすごく難しい部分だよね……
問題を解決する方法が見つからないというか……」
亀「そうじゃな、だからこそ、この原作の視点というのは、ワシは大事だと思う。
理解しなくてもいい、許さなくてもいい、嫌ってもいい。
だけれど、人には人の地獄がある。
そして、喜多嶋先生は必要ならば、真田の地獄にも付き合う人として描かれている。
この視点こそがあるかないかでは、作品の意図が変わってしまうのではないじゃろうか」
疑問② アニメーションにおける引き算の演出とは?
次はちょっと技術論的なことになるかもしれません
まあ、ここはサクッと終わらせよう
カエル「原監督は、インタビューで『引き算の演出』と語ることがあります。
結構、原演出の代名詞にもなっている言葉ですね」
亀「これはどのように考えるのかが難しいのじゃが、少なくとも今作に関しては”引き算”は成立しているのか、少し疑問に思ったかの。
具体的には、後半の感動するポイントは、富貴晴美の音楽も強く鳴り響いておったし、映像表現としても、撮影処理も駆使した攻めのものであった。
これは十分『足し算の演出』であって、引き算の演出とはなんだろう? という思いは、いまだに拭えん。
過去作をそのような目線で見てはいないから、改めて見直すと、大きな発見があるかもしれんな」
原作・映画が伝えた大切な思い
多くの人を巻き込む優しい物語
……なんだか、文句が多くなってしまったような印象だね
しかし、ワシはとてもいい作品だっという評価は崩れないがの
カエル「理屈で考えるとちょっとなぁ……と思うところがあるけれど、やっぱり魂が震えたというのは、本当のことだよね。
先に挙げたポイントだって、単なる好みの問題と言われたらその通りだし……映画としての再構成もうまくいっているし、いい作品であることは、間違いないよね」
亀「うむ。
今作の強みとしては以下の2点があると思う」
① 子どもたちに与えられた学校以外の居場所
② 時代を超えて感じられる”仲間”の存在
……学校や子どもを取り巻く状況は、とても難しい問題が山積みなっています
少し過激なことを言えば、学校という制度そのものが、誰でも通えるものではなく、多くの問題を抱えているわけじゃな
カエル「これはうちの主がよく言っていますが『同時期に生まれて、同じ地区で暮らしているだけで、性格も何もかもを考慮せずに公立ならば9年間小中学校に入れられて勉強させられる環境で、うまくやっていけない子どもは絶対に存在する』システムなんだよね」
亀「しかも、子どもは基本的にそこから逃げることができないからの。
学校に行かないという選択をすると、人生のレールから外れたと言われ、大きな問題視される。転校も子どもの意思ではできず、友人や教師も選べない。
そんな環境でうまくやれる子もいれば、やれない子もいる……それは当たり前じゃな」
だからこそ、子どもたちには”学校以外の居場所”あるいは逃げ場所が重要なんだね
うむ、だからこそ、誰にでも孤城が必要なわけじゃな
亀「孤城の存在は、ある意味では引きこもりの中にある、内面世界だということもできる。
あるいは今時ならばインターネットということもできるじゃろう。
フリースクールでも、塾でも、なんでもいい。
子どもたちが安心して居られる、学校以外の居場所、そして仲間を見つけられることが、とても大事なわけじゃな
本当は子どもたち全員に与えられるべき”孤城”
与えられた逃げ場所としての『物語』
そして、今作はもう1つ見方があって……それは”物語”の強さということだよね
あの場に集った子どもたちの会話は、それこそ本などを読むことに通じるのではないだろうか
カエル「年代も性別もバラバラな子どもたちが、それでも色々な価値観をぶつけながら成長していく……それがまさに『物語』あるいは『読書』などの行為の意味ではないか、ということだね」
亀「辻村深月はインタビューで、以下のように述べている」
「デビューして二作目を書く時、誰に向けて書いたらいいのか分からなくなってしまった時、編集者に“作家はたった一人の信頼できる読者のために書けばいい”と言われたんです。その言葉は今も私の指標になっているのですが、デビューして十年が過ぎて、その信頼できる読者って誰なのか考えると、やっぱり十代の時の、いちばん厳しい目を持ち、強く渇望して本を読んでいた時の自分なんです。もしもタイムマシンであの頃の自分に一冊だけ自分の小説を渡せるなら、この『かがみの孤城』を渡したい」
↓以下の記事より抜粋↓
(インタビュアー)―この『かがみの孤城』の設定をひとつの寓話としてみたときに、これは、辻村さんが、中学時代に本が好きで、本を沢山読まれていく中での経験が物語化されているようにも感じたんです。本を読むことが、すなわち物語の世界へ冒険に行くこと。こころたちが『孤城』に行く経験と重なって感じられます。
(辻村)『本屋大賞の受賞の時にもお話ししたことなんですけど、中学時代、居場所がないように感じた時、私の部屋の鏡は光らなかったけれど、その代わり傍らにあってくれたのが本の世界でした。本が入り口になって、さまざまな場所に行くことができたし、何より、他の人の人生を生きるという経験をさせてくれた。
本って、たとえばその物語の主人公が300年前の人物として設定されていても、今の私たちでも気持ちを寄せて読むことができるし、逆に300年後の未来にもきっと自分たちと同じ感情の営みが続いているはずだって信じられるものだと思うんです。自分とは違う年代とか、違う世界、違う文化を持った人たちのことも、物語のかたちで読んだら理解ができるということがありますよね。
「こんなに大勢の人たちが苦しんでます」「こんなに悲惨なことが起こりました」という事実の報告や数字がどれだけ積み重ねられても伝わらないものが、物語の形になることで、ストンと理解できることって』
↓以下の記事より抜粋↓
なぜ、物語が必要とされるのか、その答えがここにあるわけじゃな
カエル「……本が入口となって、色々な作者と対話することで、変化するものって絶対あるものね」
亀「ここでは小説の話なので本に限定しているが、それだけではないじゃろう。
マサムネのようにゲームでもいいし、うちで言えばアニメや映画も、その1つじゃ。
物語を通じて学ぶことに、色々な意味がある。
それは架空の出来事だからこその、絵空事ではない。
だから現実が苦しくなったら……学校や社会が苦しくなったら、物語に逃げるのもありじゃ。
その孤城はいつでも開いているし、誰でも受け入れてくれるじゃろう」
いつもいうように『物語とは、願いであり祈りである』ということじゃな
最後に
いやー、引用も含めて長い記事になりました
それだけ語りたいことも多い作品ということじゃな
カエル「もしかしたら……特に中盤などは『それはおかしい!』という意見が来るかもしれませんが、色々な考え方があるということで受け止めてください」
亀「この映画を必要とする人は、子どもに限らずたくさんいるじゃろう。
ぜひ物語の力を味わいながら、その丁寧な作品ぶりを堪能してほしいと、切に願うの」