今回は『映画大好きポンポさん』の感想&考察記事となります!
試写会が当たったので、映画館で見てきました
カエルくん(以下カエル)
「うちが試写会に当たると、興行的には苦戦するというジンクスもあるんですが……」
主
「単純にばら撒いた試写会の量が多くて、応募した人数が少ないから、自分みたいな運がない人でも当たるということなのかもしれない……って、それこそオカルトだけれどな」
カエル「でもさ、この作品は1週目、2週目で原作を配るとかあるし、見てもらえば評判になる! と言う思惑は伝わってくるんだよね。
実際、結構クチコミもいい評価ばかりだし」
主「公開延期が相次いでアニメ映画も大渋滞だし……それこそ大変だよねぇ。
多くの人に見てもらいたい作品だけに、しっかりと応援したいね。
と言うわけで、感想記事のスタートです!」
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感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#ポンポさん
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2021年5月25日
まさに次元が違う…!
アニメ、実写、ドキュメンタリーなどの壁を越え、キャラクターと作り手と受け手の壁すらも超えていく
この映画には1つも嘘がなく、御託は全て実践する
あまりにも、あまりにも熱い表現の数々に思わず泣きました
間違いなく年間ベスト級の大大大傑作エンタメ作品! pic.twitter.com/1d0ZvMBO0D
年間ベスト級、褒め称えたい箇所が山ほどある作品でした!
カエル「はい、というわけでめちゃくちゃ褒めます!
元々は原作を読まないで映画を見たんだけれど、思わず原作を全て購入するくらいどハマりしてしまって……そうなると、この映画の凄みというのも、よりわかるようになるんだよね!
映像・脚本・演技・音楽……もちろんそれ以外のありとあらゆる面において、圧倒的にうまくてカタルシスを感じさせてくれる、娯楽性と先進的な映像表現の両立が果たされた作品でした!」
主「短評でも語っているように、この映画は”次元が違う”んだよ。
それは面白さの次元が……とか、そういう意味ではなくて……色々な垣根を超えていく。
- ジャンプカットなどの実写映画的な演出
- アニメ的なキャラクターや動きの表現の快楽性
- 監督・脚本などを務めた平尾監督の思いのこもった物語性
これらが違和感なく融合しているわけだ。
つまり、”実写的・アニメ的・ドキュメンタリー的”魅力が内包されている。
これらが1つになり、しかも圧巻のエンタメとして完成されており……もう言葉にならないほど、素晴らしい作品だね」
嘘のない物語
しかも、それでいて嘘が1つもないんだよね
この映画が語ることは、何も変なことではない
カエル「ああしろ、こうしろと理想を語っておいて、それをしない作品があったら興醒めだけれど……この映画はその全てを実践しているんじゃないかな?
わかりやすいところでは、原作にもあるけれど『映画は90分がベスト』と語るポンポさんと同じように、この映画の尺は90分で作られています。
誰にでもできることのようで、実はそうじゃないよねぇ」
主「自分も90分がベストだと感じている人間だから、この尺の短さもちょうどよかった。実際、あと10分長かったら、また印象が変わるんじゃないかな?」
本作は映画を作る映画ということで、作中作なども多く登場します
これらの次元が合うようになっているわけだ
カエル「つまり……
- 作中作→1次元
- 物語の舞台になる映画の中の映画制作の話→2次元
- 現実の『映画大好きポンポさん』を作る映画制作者→3次元
というような構造になっており、それらが見事に一致するという話だね」
主「この映画の中には嘘が何もない。
本作で語ることの多くは映画内で実践されている。だからこそ、クリエイターの物語としてしっかりと信用できる内容にまとまっているんだよ」
編集・原作からの翻訳が上手い作品に
今回、映画を見た後に原作を読んでみてどうだったの?
あまりにも編集・翻訳がうまくてびっくりしたね
主「本作の魅力の1つとして”編集”がある。
映画好きの中では『編集が上手い』とか言われるけれど、いまいちピンときにくい概念で……実は自分も、編集の上手い下手は語れないと感じている。
それはなぜかというと、”上手い編集”の基準がバラバラで、何を意図しているのか? ということによって、変わるからだと感じている」
カエル「脚本や演出でも上手い・下手って語られやすいように感じるけれど、それって完成形だけを見ると好み以外では、実は上手いのか下手なのかわかりづらいんだよね。
何と比較して序列をつけるのか、あるいはどういう脚本、演出、編集が上手い、あるいは下手なのかがはっきりと自分の中で決まっていないと、語ることができないポイントだよね」
主「特に編集なんて、何を目的にするのかで手法も変わってくる。
- どのくらいの尺に収めるのか
- 物語のどのように取捨選択するのか
- アングルや採用するカットの意味について
こういったことを考えながら編集は変わる。
役者を見せるためにアップの連続を選択するのか、それとも別の意図があって俯瞰の連続を選択するのか……そういったことでも意味合いも何もかも変わる。そしてその編集過程や削られたカットは外野からはわからない以上、上手い下手を語れないというのが持論だ。
だからこそ、同じ映画の編集が異なるバージョン……それこそ『ブレードランナー』や『レオン』や、それから最近配信された『ジャスティスリーグ』なんかは、同じ内容・素材をどのように編集を変えることで印象が変わるのかが観客にもわかるので、編集を学ぶにはとてもいい題材なんだ」
逆に言えば、そういった別編集バージョンがないと、編集の良し悪し、上手い下手はなかなか比較しづらいってことなんだね
この映画はその編集がとても上手いのがわかるんだよ
カエル「それは何と比較して語っているの?」
主「それはね、作中でも語ってくれる。
そこのヒントを元に見ていくと、なるほど、と編集が上手いのが伝わってくるんだよ。
また、原作と比べてもいい。ポンポさんの場合、原作に追加するカットは多くあるんだけれど、基本的には原作を活かしてそのまんま映像化しているんだ。
ただし、魅せ方が若干異なる。
物語の順番、構図などが異なることによって、また新しい物語を提示することに成功しているんだ!
だから、原作付きのアニメ作品としても、その再編集としても見事というほかない出来に仕上がっている!」
役者・声優について
今作の声優陣について語っていきましょう
意図がものすごく見えてくる起用だよね
カエル「賛否が分かれそうなのが、清水尋也や大谷凜香などの、声優が本職ではない役者の起用だけれど……」
主「これがものすごくハマった。
ポンポさん役の小原好美をはじめとして、加隈亜衣や大塚明夫などと共演するわけだけれど……映像がアニメ的な快楽性がたくさんある作品だから、声の演技が浮くシーンも確かにあるんだよ。
だけれど、この2人に関しては浮いてもいい……というか、浮いていた方がいい。
清水尋也の演技とかは、うますぎると彼の内向的で映画以外何もないオタク青年というキャラクター像がブレるんだよね。それは大谷凜香も同じで、彼女は売れない新人女優なんだから、最初からアニメ慣れしていたら、それもそれで違う。
そういうアニメ慣れした演技を披露しないからこそ、彼女たちの役が非常にあっていたわけだ」
カエル「つまり、声からもキャラクターの魅力などが伝わってくるわけだ」
主「例えば、大塚明夫なんて世界一の俳優と呼ばれているマーティン・ブラドックを演じているけれど、実際に大塚明夫の存在感は……世界一というと他の声優もいるから失礼かもしれないけれど、でもそれに近いものはある。マーティンの声の説得力として、これ以上の役者はいないわけだ。
多くの芸能人が声優を務める場合は、本職声優との差が気になるんだよ。
でも、この映画はその差があって当たり前の役に、芸能人声優を起用している。だからこそ、合っているように感じられる。
しかもちゃんと映像や絵でカバーしている。
実は清水尋也のジーンはともかく、大谷凜香の演じるナタリーは映像からも、その存在感を補強しているんだ。他のキャラクターよりもより強くね。
だから合っている。
その点に対しても、文句なし」
では、1番印象に残ったのは誰ですか?
そりゃ、もちろんポンポさんですよ!
カエル「小原好美は『かぐや様は告らせたい』の藤原千花が当たり役だと思うけれど、やっぱり演技達者だよね」
主「今回はアホの子ではないけれど、子供らしさを残しながらも、プロデューサーらしいシビアなものの見方もするポンポさんを演じている。その2面性を感じ取れる演技はさすが。
しかも超印象に残るんだよね。
アニメ的な動きも多いキャラクターの魅力もあって、ものすごく可愛らしくて、それでいて人を率いる説得力もある。自分もついていきたくなったもの。
その意味では、現実と比較した場合、この映画の最大の”嘘”なのかもしれないけれど、それがハマった。
僕は上半期のベストガール候補の1人として、ポンポさん&小原好美を推したいほどだね」
以下ネタバレあり
作品考察〜嘘のない物語について〜
映像面について
①映像演出の多様さ
ここからはネタバレありで語っていきましょう!
映像面についての”嘘のなさ”について語っていこうか
カエル「その嘘のなさはいくつもあるんですが……大きく分けると以下のようになるかと思います」
- ジャンプカットなどの映像演出の多様さ
- 編集で魅せる物語
- 女優の美しさ
主「まずは、なんといっても映像表現だよね。
この映画にはさまざまな映像表現の手法が取り入れられていて……体感としては2分に1つは何かしら仕掛けているようにも感じた。
例えば、作中作を撮っている最中はカメラのレンズに水滴がついて、カメラの存在を意識させる。あるいは画面が切り替わるときにシームレスに……て言って伝わるかな? そうやって切り替わる、などね。
多分、自分が気がついていないだけでもっともっと色々な映像実験をしていると思うし、それは主人公のジーン監督がやりたがる映像でもある。だからこそ、説得力がある」
カエル「これが120分だと息切れするかもしれないけれど、90分だからこそ演出手法も息切れしなかったし、また観客も飽きることも疲れることもなく見たよね」
②編集で魅せる物語
次が編集で魅せる物語です
今作は編集が嘘をつかないんだよ
カエル「作中でも語られていますが、引きのショットなど、どのように編集するのか? ということを説明した後に、全く同じように映像を見せるということもやっているよね。
それから原作と違って、ジーンとナタリーの物語が交差するような編集なんかも、見ていて面白かったなぁ」
主「他にも受付嬢がポンポさんの真似をする(小原好美が急に声をあてる)なども、編集の面白さに入るかもしれない。
また作中作の『MEISTER』では、冒頭に演奏シーンを入れることで観客の度肝を抜くシーンがあるけれど、今作でもそれは同じ。
最初にニャカデミー賞の授賞式の様子を流すことによって、物語の掴みとしても成功している。
これは作中で語られていることだよね。
こんなふうに、演出の面白さや実践が山ほどあるわけだ」
③女優で魅せる映画
そしてポンポさんが語る『映画は女優が綺麗であればいい』という発言にも注目です!
これもまた、実践していたねぇ
カエル「もちろんこの場合の女優とはナタリーですが……初登場の雨の中での横断歩道を渡るシーンの映画的なレンズを通してみた時との印象とかもそうだよね」
主「あとはベットに飛び込んだ時の動き、そして雨の中で急に撮影されたカットでのナタリーなんだよ……
確かに普段のポワポワとした様子や、声の演出では大女優になる様子は感じさせないかもしれない。だけれど、ハッとするような美しさを発揮する絵がある。これだけでもハッとさせられる。
もちろん、それはポンポさんも同じ。
この映画はWヒロインみたいなところがあるけれど、安定してポンポさんは可愛らしかった。
こういったキャラクター演技で魅了することができる作品になっていて、映像面でも作中で語ったことは一切嘘がないんだよ」
追加撮影シーン、オリジナルキャラクターについて
次に語るのが、追加撮影のシーンです。この辺りはアランくんも含めて、実は原作にないパートなんだよね
ここがもう、痺れっぱなしだったんだよ!
カエル「ここは映画の追加撮影のところだから、ちょっと違う部分はあるかもしれないけれど……作中でポンポさんが『映画の追加撮影がどれだけ大変かわかっているのか?』と叱り飛ばすんだよね。
それでもジーンくんはめげなくて……
それって、原作もので言ったら『原作にないシーン、キャラクターを追加したい』って意味に繋がるんじゃないかな?
そこが絶対に欠かせない場面になっているんだから、素晴らしいと言う他ないよね」
主「ここで登場するアランくんは、紛れもなくジーン監督の対になる存在であり、”映画(物語)はなんのためにあるのか?”ということを問いかけてくる。
夢を持てない人、苦境にある人に一時的にでも夢を魅せる……そのために映画はあるはずだと信じているんだよね。
これってすごく大事な視点で、夢の世界に入って、夢を叶えた人たちばかりの世界で、ポンポさんの周りは構成されている。だけれど、実際はそうじゃない。夢としてそこに立てない人もいるし、なんならば成り行きでそこにいくだけの人もいる。
ジーンくんのような人たちばかりで映画は成り立たないんだよ」
多くのクリエイターの物語だと、スポンサーって無視されるか、あるいは敵役になりやすい存在だけれど……でも大事なポイントだよね
この”映画とお金の問題”は2巻でも語られていたことだ
主「この映画は2巻の内容をうまく映画に取り込んでいて、ミスティアの『ジーン監督とはいつか大事な主演が待つ運命な気がする』と語っているけれど、それが2巻なんだよね。
もちろん、人気が出たら続編が作られるという意味での匂わせかもしれないけれど、それと同時にこの映画で完結しても、ポンポさんの物語を汲んでいることにもなる。
また、スポンサーは敵じゃない、お金がものすごく大事なものであるということを示すことでも……一応ポンポさんはプロデューサーだから、経営としての映画撮影という面を掘り下げる意味でもすごく良かった。
ここが自分が賞賛したいポイントだね」
平尾監督のアリア
そして、最も感動したのがこの要素でしょうか
この映画は平尾監督のアリアなんだよ!
カエル「アリア……つまり、独唱だよね。
『この映画は僕のアリアなんだ』とジーン監督が語るけれど、それも嘘じゃないというか……この映画そのものが、平尾監督のアリア(独唱)になっている!」
主「この映画って音楽映画でもあって、作中で色々な曲が流れるけれど、それは作中作の『MEISTER』が音楽映画だから、というのもあると思う。
『MEISTER』はクラシックだから、クラシック音楽シーンがたくさん出てくる。
ではこの映画は?
現代のハリウッドを舞台にした娯楽アニメだからこそ、日本のJpopが流れるわけだ」
カエル「ふむふむ……その辺りでも嘘がないね」
主「インタビューなんかを見ても、平尾監督にはこの映画で語っていることを、本気で信じているんじゃないかな?
個人的にはすごく賛同したい考え方。
もちろん『実生活が満たされていないから映画が撮れる』というのは、一種の幻想だろう。実生活が満たされていても、いい映画を撮れる人も中に入るかもしれない……
いや、いるのかな?」
あんたがそこで幻想に飲まれてどうするのさ!
でも、それしかない! と思う人の力ってとても強いものじゃない!
主「映画以外何もない、だからこそ面白い映画が撮れる……それってすごい表現欲だよね。
その表現欲が表現力をつけ、いい作品を生み出す原動力になる。いい表現者には須く持っている要素だよ。僕が1番足りないものなんだけれど。
その表現欲が爆発しているのが観客にも伝わってくるし、上記の要素からもわかるでしょ?
だから『映画大好きポンポさん』は原作者の杉谷庄吾【人間プラモ】が作り上げた物語に対して、監督・脚本を務めた平尾監督がどのように練り直すかを考え、自分の考えを精一杯奏でたアリアである。
だからこそ胸を打つんだよね。
しかも、それが全て小難しいことはなく、娯楽的な要素で出来ている!
これがどれだけ偉大なことか!」
カエル「ふむふむ……」
主「だから、この映画は平尾監督の半私小説的なものもになっている。
ドキュメンタリー的っていうのは、実はそういうことなんだよ。いい映画にはその監督、あるいは脚本家などのメインスタッフの思想が見えるものだけれど、この映画はばっちりとそれが刻印されている。
だからこそ”アニメ的で実写的でドキュメンタリー的”なんだよ。
全部”的”の文字がつくんだけれど、全ての要素を内包しながらも、そこに寄らない。
アニメだけれど、空想ではない。
実写的な手法を用いているけれど、実写ではない。
監督の思想が刻印されているけれど、ドキュメンタリーではない。
その魅力を、良さだけを内包した”的”の集合体……それこそがポンポさんなんだ!」
終わりに
というわけで、この記事はここで終了となります
久々に熱く語りたくなる映画だったね!
主「いつも自分は言うけれど『物語とは願いであり、祈りである』と思っている。
この映画はそれがものすごく濃い形で刻印されていて、過去の映画たち、映画を愛する人たち、映画を創作する人たち、その全員に向けられた作品なんだよ。
だからアニメファンだけでなく、映画ファン……そしてさらに一般のファンにも広がってほしい作品だね」
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