今回はテレビドラマ版の『映像研には手を出すな!』の感想記事になります!
この作品は漫画・アニメ・実写ドラマ・映画と注目しているからね
カエルくん(以下カエル)
「これだけ多種多様な媒体で作られている物語も、そこまで多くないしね。
ましてや、ほぼ同時並行的に制作されているし!」
主
「本来はアニメ→ドラマ→映画と一気に注目度をあげたかったのだろうし、その試みはある程度成功しているだろうからこそ、コロナ騒動がなければどうなっていたのか、というのは気になるな」
カエル「そればっかりは誰のせいでもないからねぇ。
では、気を取り直して感想記事のスタートです!
実写映像初出し!ドラマ『映像研には手を出すな!』TVCM【公式】齋藤飛鳥・山下美月・梅澤美波
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#映像研
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年5月12日
やっぱり英勉監督好きだわ…
全てはあの浅草氏の叫びのために繋がれた物語
好き放題叫び、あーだこーだと口を出す批評家気取りの観客(つまり自分)に対して思いっきり啖呵を切っていく
クリエイター讃歌としての魂がとてつもなく込められた見事なドラマでした
早く映画が観たい! pic.twitter.com/xhnSHscKDN
原作・アニメ版とはまた違う面白さがあった作品ではないだろうか?
カエル「どうしてもこのテレビドラマ版は劇場版の前段階というか、伏線をばらまいたというか……酷い言葉を使えば、前座的な扱いになってしまうわけで……
最終話の後に流れた予告編からも、映画に比べて予算が少ないのは、結構わかり切っていたわけじゃない? その弊害も感じたし……
それでも、新しい映像研の物語になったと言えるんじゃないかな?」
主「以前にリアルサウンドの方にこんな記事を書き下ろしているんだけれど……
今回、改めて最終話まで観て、やはりこのドラマ版の映像研はいろいろな志の高さを感じさせられた。
それは英勉監督が好きだから、というのもあるんだろうけれど、物語の再構築にさせ方に、いろいろな工夫や思いが感じられる部分もあったんだよ。
ただし、だからこそ……ラストが問題ありだろう」
あれ、手放しに絶賛ではないんだ
あくまでも”映画の前座”としては、称賛する
主「これはこの後にまた詳しく話すけれど、あんな啖呵を切るならば、その作品で観客・視聴者を黙らせないとダメだろう。
だけれど、このドラマはあくまでもあの啖呵がピークになっていて、その先の肝心な作中作がおざなりになってしまった。
だから生徒会が『これは素晴らしい!』なんて言っても、単なる茶番になってしまう。
その前の啖呵が一切の意味を無くしてしまったこと、そこは本当に残念だった」
カエル「あの啖呵の後の観てもらうべき作品が”映画版”になってしまっていると……」
主「そうそう。
だから、ドラマ版だけの単独で評価できる部分ばかりではない。
あくまでも前座。
『元々そういうものだろう』と言われるかもしれないけれど、自分はこのドラマ版にもすごく期待していた。上記の記事でも書いたけれど、2話の金森のハッタリの啖呵からは”原作・アニメ・ドラマ・実写映画のそれぞれの味わいが違う物語を生み出す”という覚悟が感じられたし、それができるスタッフだとすら思うよ。
そりゃ、湯浅政明監督とタメ張れる邦画監督なんてそうそういないよ。
相手は世界最高峰のアニメ監督、アヌシーでのグランプリ受賞監督だ。それこそ、是枝監督クラスを連れてこないとどうしようもない。そして、是枝さんがこの企画をやるわけがない。
それでも、英勉監督なら違うやり方で、観客・視聴者を魅了する作品ができるんだよ。
自分はそう考えているし、実際、一定以上の答えを出してきた。
だからこそ、ドラマ版が前座に終わってしまったことは、非常に残念だったね」
”アニメを作る必要がなかった”映像研
その文句の一部は、やっぱりアニメ制作がメインじゃなかったということなのかな?
いや、別に映像研のドラマを作るのに、アニメ制作をメインにする必要はない
カエル「え? だってさ、『映像研』ってアニメ制作に命を燃やす女子高生たちの話だから、そこは必須なんじゃないの?
実際、アニメ版はそこを重点的に描いていたわけだし」
主「それは”アニメを作るアニメ”にしたかったからでしょ?
じゃあ、なんで映像研を実写で作るんだ? って話になるわけだ。
結局この作品は大まかにいえばアイドル映画にすぎないわけだし」
カエル「乃木坂の美人どころを目当てに来る視聴者・観客を狙い撃ちしているのは、まあ間違いないしね」
主「その中で”アニメを作るアニメ”と同じやり方をしたら、それは負けるよ。
実写ならば例えば宮崎駿とかを連れてきてドキュメンタリー調にしたり、あるいは『なつぞら』のようにするならば違うけれどさ、そっちの路線では絶対にないわけだ
だけれど、アニメ表現と同じくらい大事なテーマがあるじゃない」
アニメ表現と同じくらい大事なテーマ?
”クリエイター賛歌”だよ
主「自分も映像研はアニメ表現を探る作品だという感覚ではいたけれど、それだけではないよね。浅草氏、水崎氏、金森氏という3人のクリエイターの卵が、どのように一端のクリエイターとして成長していくか。その情熱を描き出す作品だと言えるわけだ。
だとしたら、別にそれはアニメ作品のみの特権ではない。
クリエイターというのは物を作る人のことであり、実写映像、漫画家、あるいは歌手、画家、彫刻家、写真家だっていいわけだ。
もちろん”アニメを作る”という大元があるから、あまり弄りすぎることはできないけれど、アニメではなく実写で物を作る人々の情熱を描き出す……それは実写ドラマでも可能だろう」
カエル「そのために実写のCGを入れたりしていたと」
主「それだけじゃない。この映像研のドラマそのものが”1つの作品”になっているということもある。
つまりCGなどの使った描写のみならず、”漫画原作作品の実写化にどのように立ち向かうのか?”ということが、とても大事になってくるわけだ」
浅草氏の叫び
その、行き着く先が浅草氏の叫びだった、と……
先にも語るように、ドラマ(映像作品)としては底抜けにいい物ではないかもしれない
カエル「文句をいう人はいるだろうし、実際そういう声もあったしね。もちろん、それ自体が良い悪いという話ではなくて、そこを語り合うのも物語作品の楽しみ方の1つではあるけれど……」
主「この間も『漫画原作の実写は〜』とかいうツイートを見たけれどさ、みんな好き放題言うんだよ。
そりゃ、是枝監督の『海街diary』だって、漫画原作の美女揃いのアイドル映画と言えるけれど、それは是枝作品として一級品となっている。だけれど、それって是枝監督だからできることでもあってさ、漫画原作映画でああいうことができる人ばかりじゃない」
カエル「それこそ、アニメ映画だと宮崎駿、押井守は原作をぶち壊しまくったことで有名だけれど、そういう作品ばかりだと問題山積みだしね……」
主「今回の3人は演技が見ていられたけれど、中には演技のできないそこいらのペーペーみたいな若いアイドルを連れてきて『この子人気なんで〜』『売り出し中の若手なんで〜』とか言われて、主演などにされる。
じゃあ、それで好きに撮ろうとしたら『あ、これ事務所NGで!』と言われてさ……
お前ら、飯のシーンはちゃんと食えよ!
なんでラーメン食っててもやしから食べはじめんだ!
二郎なのか!? 麺がもやしで見えないのか、そのラーメンは!
普通は麺かスープだろうがよ!
意味合いが変わるんだよ、それだと!」
英作品の何かを思い出したんだね……
そんな事ばかりじゃないですか
カエル「予算も技術も納期も限られていて、できることも少なくて、場合によってはスケジュールを抑えるのも難儀して……ってこともあるもんね。特に若手役者の場合は1番最初のシーンから撮影を初めていく、順撮りした方が良いんじゃないの? って思うけれど、それも難しいだろうし……」
主「中には『役者になりたいわけじゃないんだけれどなぁ』って奴らもいるんだぜ?
それでスポンサーなどの御用も聴いて、注文に答えてって言うさ。
そんなことに対する叫びが『下手に出てればつけあがりやがって!』と言うあのシーンに集約されているわけだ。
『好きで悪漢に追われて、ぼろい部室に怪我させられているわけじゃねぇや! どれもこれも、アニメ作るにのには必要な苦労だったんだ!』って、これはアニメを作品に置き換えると、もうそのままの叫びじゃない?」
自分が英作品を評価するのは、そう言う部分ですよ
主「日アカの時もそうだしさ、いまだに某テレビ局主導の大型映画もそうだけれど、『こんな映画が売れているからダメなんだ』とかって、簡単に評論家様や、映画好きって言いがちじゃない?」
カエル「まあ、それはうちも結構言っているんだろうけれどね」
主「じゃあ、みんな大好きなその女優様、俳優様ってどういう作品からスタートしているんだ? って話だよ。
みんなが馬鹿にするアイドル映画から、キャリアが全くない状況から育てているんだろうがって。
作家性がある監督などは良いよ、ある程度育って評価されている人から選べば良いから。
だけれど、十把一絡げの有象無象の、可愛い・かっこいいってだけの奴らから、育て上げる作品も絶対に必要なんだよ! それは役者だけじゃなくて、監督・脚本家・演出家・衣装さん・音楽家さんとかの裏方も含めてさ。
そんで『年に100本映画見てます』って連中はほっといても劇場に行くからどうでも良くて、そうじゃなくて年に1回、2回だけしか劇場に行かない、自分の推しが大画面に出ているだけで満足するような映画ファンともいえない人を映画館に連れてくる映画っていうのも、絶対に必要なんだよ。
英監督の主戦場としているアイドル映画ってそういうところなわけ。
年に2本も3本も映画公開していくことが求められるわけだ。
だけれど、そういう映画でお客さんを呼ぶからこそ、作家性全開の大して売れない映画があるんじゃないのかね?
アニメ映画やテレビ局主導の映画・アイドル映画が稼いでくれるから、劇場ば存続するんだぜって話だよ」
ドラマ的な作品が求められていく世の中に?
この辺りに関しては、実は以前にこんなTweetをしているんだよね
家で映画を観ていて改めて感じたが
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年5月7日
○過剰説明
○過剰演出
○過剰演技
の3過剰のドラマが流行るのよくわかる
細かな機微を堪能する映画館ほど集中していないし、なんならスマホやら食事の後片付けとかしながら観るものだからそれくらいの方が受けるんだろうね
過剰説明・過剰演出・過剰演技の作品じゃないと、通じない人はたくさんいるんだよ
カエル「この辺りは残念な部分でもあるのかなぁ」
主「仕方ないんじゃない?
2時間集中して観る映画館ですら、地味で理解できない映画もあるよ。
面白くないというかさ。初めて映画を観る人・そもそも映画を観ない人には、その技巧なんて気がつかない。
シャネルの財布の何が優れているのか、全くブランド物に興味ない人は判断できない。
魚の良し悪しがどこで決まるのか、それも専門家や興味がある人じゃないと判断できない。
自分はサッカーを全く観ないから、メッシやイエニスタの何がすごいのか、解説されないと理解できないよ。
その代わり、野球は大好きだから森友哉の天才性や、源田の守備の偉大さ、それが西武ライオンズをいかに変化させたのかは理解できる」
……よくわからないけれど、派手な物、観ただけで『すごい!』とわかるものや、過剰なまでに脚色されたものでないと、初心者には全く伝わりずらいってことだね
そのためにどんな工夫を重ねるのかっていうのが、このドラマ版映像研の主題だったのではないだろうか?
カエル「4話の浅草・金森の過去の回想シーンなんかはとても良かったよね」
主「同時に5話の使い回しの手法などは……あれはアニメだとリミテッドのやり方として一般的だからそこまで違和感がないけれど、実写でやると相当違和感が出てきてしまうものだな。
そこは1つ勉強になった。
でも、CGを好き放題できないならば、その爆発を増やすなどのやり方は気がついていないだけで、実はたくさんあるのだろう。そういえばNHKの大河ドラマって、合戦のシーンなどは実はある時期に制作されたシーンを使いまわしている時もあったという話も聞いたことあるかな」
カエル「そういう涙ぐましい努力の果てに、作品というのは作られていくわけだ……」
主「もしかしたら、今後2時間の映画どころか、30分のテレビドラマやテレビアニメすらも、長いと言われるのかもしれない。
いや、もう言われているんだろうね。だから10分ぐらいのYouTubeがあんなに流行るわけだ。もう、作品を見ないで話のスジだけ聴けば満足って人も、たくさんいるんだろう。安いし、時間もかからないしってさ。
より派手に、より短く、よりわかりやすい娯楽を求めることは増えるのだろう。
それで作られた物に魂が籠るのか? という問題などもあるのだろうけれど……だけれど、予算、技術、人員、納期などの限界がある以上、どこかで妥協する必要もある。
その苦しい胸の内を描いた作品でもあるし、それだけの叫びをいうだけの努力を重ねたことも伝わってきたね」
最後に
では、この記事も最後になります
自分が本作を見て連想したのは、やっぱり『映画冴えカノ』かな
カエル「昨年公開して、2019年年間ベスト映画に選出した作品だね」
主「あれも萌えアニメや恋愛話がメインでありながらも、クリエイターと作品に対して高らかに語った作品だからね。心に深く残っているよ。
こだわりまくるクリエイターに工程管理をさせると、いつまでも完成しないとかさ……それ、なんかすっごいわかるんだよね。同人誌とかでも同じような現象は起こりがちだし、修正って始めるとキリがないし……」
カエル「……あなたはもっと粘るべきだと思うよ?」