カエルくん(以下カエル)
「今週の映画、3本目は邦画のビックタイトルである吉田修一原作の『怒り』に注目してみよ」
ブログ主(以下主)
「相当前から色々と宣伝されてきたし、予告編だけで何十回みたんだろ? ってくらい推されていたからな」
カエル「初期の予告編と、最近の予告編だと印象が違うよね。初期はどちらかというと、ショッキングというか、サスペンス風味が強かったのに、最近のやつだと坂本龍一の音楽と泣いている女優陣の演技も相まって、結構感動する作品に仕上がっている印象かな」
主「実際は、その中間ってところかな。そこまでサスペンスも強くないし、圧倒的な感動が訪れるってわけでもないから。
そうね……その辺りもおいおい話していくかな」
カエル「これだけの邦画大作だと力の入れようも違うだろうしね」
主「海とか綺麗だったなぁ。環境は良かったと思うよ」
カエル「じゃあ、ぼちぼち感想記事を書いていきますか」
1 豪華役者陣の共演
カエル「本作の説明をするときに強調されるのは、やっぱりこの部分だよね」
主「この作品は東京、千葉、沖縄と3つの地域を舞台に物語が展開されるんだけどさ、そのどれもが大切な舞台であるわけ。
変なことを言うと……自分みたいな穿った観客は、この3つの舞台のうち1つだけ渡辺謙とか大物俳優が出演しているのに、残る2つはあまり知らない役者が出ていると『渡辺謙のところが一番大事で、多分犯人はそこにいるんだろうな』って推理ができてしまう」
カエル「メタ的な邪道な推理だけど、よくテレビ欄で3番目くらいに書いてあるキャストが犯人ってのと同じだよね」
主「そうそう。登場人物も多いからさ、原作者が映画化の際に『豪華キャストでいきましょう』って言った理由もわかるよ。そうじゃないと多分、成り立たない映画だと思う。全員無名にするのも手だけど、そんな安い映画じゃないし」
印象に残った俳優
カエル「特に印象に残った俳優は誰?」
主「やっぱり、男性の濡れ場というトンデモない部分を演じた妻夫木聡の評価は上昇だよね。ゲイってさ、妻夫木聡みたいな……なんというか、アイドルまではいかないけれど黄色い声が上がる役者だと、事務所側が演じさせたくないタイプの役だと思うんだよね」
カエル「オカマ役って若い人よりも、おじさんの方が多い印象だしね」
主「しかもさ、今回はコミカルなオカマじゃなくて、ガチのゲイでしょ? 男とキスして、裸で抱き合って、しかも……ああいう場所であるとはいえ、無理矢理と言っていいくらいに強引に攻める。
口でコンドームの袋を破るシーンとか荒々しいけれどカッコイイし、でもその裏で優しい面もあってさ。複合的な魅力があったかな」
カエル「濡れ場とか、センセーショナルなだけじゃなくて、美しさもあったよね」
主「正直言うと、この映画に出てくる役者陣は少しオーバーリアクションが過ぎる印象があったけれど……というか、現代の役者ってほとんどそうだけど、妻夫木はゲイの役ってこともあって、それが違和感にならなかったかな。
ほら、なんとなくイメージ的にゲイってオーバーリアクションな気がするじゃない?」
カエル「他の役者でいうと?」
主「普通に良かったんじゃないの? 宮崎あおいとか、渡辺謙もオーバリアクションは気になったけれど、まあ、普通に良かった。宮崎あおいがいる風俗店って大人気だろうなぁって思ったね。
で、肝心の怪しい役を演じる綾野剛、松山ケンイチ、森山未來もそれぞれに闇を抱えていそうで、隠し事がある感じで良かったんじゃない?
絶賛するのは妻夫木聡くらいだけど、それ以外の配役も上記の俳優はあまり文句はないかな」
微妙だった役者
カエル「逆に微妙だなって人は誰?」
主「広瀬すずと佐久本宝。佐久本宝は初めて知ったけれど、まあ、2人とも若いしさ、難しい役どころだしってことを考えると合格点ではあるけれどね。
直接顔は合わせてないけれど、共演者が宮崎あおいとか渡辺謙とかだから、どうしても比較しちゃうからさ、その点でも不利だと思うよ。このレベルの役者と渡り合える10代って中々いないだろうし。
でも、この2人の役って一番重要な役だと思うから、ここが弱いのがねぇ」
カエル「主は広瀬すずも結構好きじゃなかった?」
主「好きだよ。『ちはやふる <上の句><下の句>』の演技も良かったし、是枝裕和監督が素晴らしい女優を発掘して、育てたなぁって思っている。
でも今回の役ってそれまでと違って、天真爛漫な明るい女の子ってだけじゃないからさ。ある瞬間を機に、一気に変化せざるを得ない役だから難しいよね。
あとは……これは個人的な思いになるけれど、広瀬すずがこれだけ売れているのって『時代が求める元気な女の子』であるからだと思う。アニメ原作映画は元気な女の子は広瀬すず、草食系男子は神木隆之介が演じていれば、多分そこまで大外れはしないとすら思うほど、時代にマッチしていると思うんだよね。
だけど、今回はその魅力があまり発揮されなかったかな」
カエル「広瀬すずの魅力っていうと、やっぱりあの能天気な明るさだもんね」
主「そうそう。感情を爆発させるシーンはいいんだけど、それ以外が縮こまった印象。怖がって演技をしているというか……監督が厳しかったと聞いたけれど、怖がっているのか、持ち前の魅力が死んでいる印象かな。若いし、そんな器用な女優ではないのかなって印象。
あとセリフが台本を読んでいるのが気になったけれど、これは若い役者共通の話だから、しょうがないかもね」
以下ネタバレあり
2 三つの物語が交差するとき
カエル「じゃあ、物語の本編について言及していくけれど、まずこの作品の大きな特徴といえば、この3つに分岐した物語だよね」
主「よっしゃぁ!! ここから大暴露大会いくぞぉ!!」
カエル「……え? 急にどうしたの? しかも何を暴露するの? 日本語おかしいだけ?」
主「いやいやいや、ここからはさ、もうダメだしの嵐ですよ。物語の構成に関しては言いたいことが山ほどある!」
カエル「そんなに悪い映画だったかなぁ? 世間評価もそこまで悪くはないよね」
主「そこまで酷評するような映画ではないけれど、絶賛するような映画でもないよね。その理由をこれから書いていくよ。ちなみに、原作は未読だけど、映画を見終わった後に軽く立ち読みはしたけれど、この構成は小説だから成立するもので、映画だと難しいものかもしれないというのは先に言っておく」
カエル「原作も結構分量があるからねぇ」
物語を分ける意味
カエル「まずはここだよね」
主「最近だと『ファインディング・ドリー』の時に話したと思うけれど、同一時間軸において、物語を分岐させる意味ってなんだ? って話だよね」
カエル「これが時間軸がずれていたり、ミステリー的にミスリードさせるためならその理由もよくわかるけれど……」
主「そうそう。物語が分岐していて、重要な意味があった作品というと小説ならば貫井徳郎の『慟哭』って小説がある。最後に一文に驚愕! とかって煽るなら、このレベルのことをやってから書けや!! って思うくらい、構成とか読後感が印象に残る小説だよ。
あとは有名どころだと伊坂幸太郎の『グラスホッパー』とかも3つに分けられた物語が、見事に合流した瞬間にカタルシスを生むよね」
カエル「これらの作品と比べて、どうなの?」
主「物語を分ける意味って考えると、分岐した物語が合流した時に大きなカタルシスが生まれるんだよ。
例えば、冒険活劇で主人公が本筋、ヒロインが別のルートに行く。そして主人公が巨悪と対峙した時に、勝つためのアイテムがもう片方のルートに行ったヒロインによって手渡されて、主人公が勝つ、とかさ」
カエル「怒りは……そうなっていないかなぁ?」
主「ある1点においては繋がっていて、そこが主題だから構成としては間違っているとまでは言わないし、多分小説だったらそこまで大きな違和感がないと思う。
だけど、この作品のメインストーリーって何かというと、殺人事件の犯人を追うことなわけなんだけど……3つのストーリーに分けられたことにより、そこがメインとして弱いんだよね。構造が複雑になっている分、慎重な構成が求められるけれど、そこがねぇ……」
カエル「そこをもう少し解説して」
何がメインストーリーか?
主「事件が発生しました、ショッキングな事件でした、ということが観客に提示され、犯人がすぐに指名手配されるわけだ。そこで、警察が公開捜査に踏み切るけれど……そこから約1時間くらい、その本筋の物語は一時停止して、他の3人のストーリーに展開するんだよね。
これは構造上仕方ないけれどさ、ここが長いせいで本筋のミステリーというか、事件性について弱くなってしまった印象はある」
カエル「まあ、3つの物語+事件って構図だから仕方ないけれどね」
主「そして、じゃあラストにおいてその3つの事件が交差するかというと……まあ、交差自体はするけれど、それが弱いんだよね。例えば……渡辺謙のストーリーがもたらした情報と、沖縄の情報、妻夫木の情報が合わさって犯人が発覚するとかなら、3つに分ける意味がある。
その情報1つ1つだけだと意味はないけれど、それが統合することに生まれるカタルシスだよね。その情報を統合する機関として、警察と公開捜査ってうってつけの舞台装置もある。ちなみに、どこのルートも警察に接触するチャンスはあったじゃない? それも可能だったと思うけれどね。難易度は格段に上がるけれど。
だけど……そういうことがないから、じゃあ今までの3つのストーリーってなんだったのか? って思いがあるんだよ」
カエル「分岐した3つのお話がバラバラになっちゃった印象があるのね」
主「そう。そのせいで一番重要な部分も、実は薄れてしまった印象がある。まあ、そこはこれだけ長い原作を映画化する上での監督の取捨選択の意味もあったと思うけれどね。その切り取り方も悪いとは思わないけれど、エンタメ性は薄れた印象かな。
やりたいことはわかるけれどね」
3 ショッキングなシーンについて
カエル「この作品において、途中でショッキングなシーンがあるわけじゃない? そこはどう?」
主「個人的に気になったのはここなんだよね。それが現実だって言われたらそれまでだけどさ……描き方がねぇ」
カエル「というと?」
主「このシーンに限らず、この映画の描き方ってテンプレすぎると思うんだよ。ムキムキマッチョなゲイばかりとか、犯人の部屋は異常に汚いとか、あとは愛子や犯人の描き方もそうかな。
現実では……行ったことないけれど、ゲイバーってもっとポチャッとした体格のオジさんとか、チビとかもいるし、殺人の犯人もさ、すごく普通の部屋に住む犯人とかもいるわけじゃない? そういう部分の描き方がテンプレすぎるような気がしたね。逆に絵面が安くなると思う」
カエル「そしてあの、広瀬すずのシーンにつながるわけだけど……」
主「あそこが一番大事な場面であるけれどさ、正直『ないわぁ』って印象。親父が反基地運動しているって描写の後に、あの場面がある。そして犯人は『黒人』の『米軍兵士』なわけだ。
もうこれだけでメッセージ性が強いし、しかも犯人は黒人ってテンプレだし、その上本来の作品のテーマから逸脱している上に、強烈なインパクトを与えるから、本来のテーマが霞む気がする」
カエル「じゃあ、どうすればよかったのかね?」
主「例えばさ、そのシーンは映さないで、あの口を塞がれたシーンで場面を切り替えて、その後の浜辺の絶叫シーンにいくとかでもいいと思うし、あの反基地運動はカットしてもいいと思う。
そうすると、観客にどこまでされたのかって想像の余地が生まれると思うし、政治的な意味合いも薄まる。しかも『もしかしたら米兵ではなくてあいつが?』というような疑念も観客の中で生まれるし。
確かに米軍基地の現実もあるけれど、この作品の主題はそこじゃないでしょ? だったら、主題をより明確にするには見せないのも一つの手だと思う。あの場面の相手は米兵でなくても、日本人のヤンキーでもヤクザでも、浮浪者でもいいわけだしね。別に沖縄以外ではああいう事件が起きていないってわけでもないんだからさ。
そういうショッキングなシーンを映して観客に衝撃を与えたいのはわかるけれど、だからこそ、その描き方は取捨選択をした方がいいと思う」
カエル「元も主はああいったシーンは苦手だしね」
主「正直引くよね。映画だとしてもさ、意味を感じなかったし。
沖縄編はさ、ちょっと思うところが多いんだよね。先の評価で広瀬すずとかの演技が微妙って書いたけれど、それは役者だけじゃなくて、見せ方も悪いと思う。
例えば、最初は田中と仲良くなるのは広瀬すずの方なのに、いつの間にかおまけみたいな扱いだった男と仲良くなっているじゃん? あれもよくわからなかったし、そういった部分の作劇が微妙だったかな。
結局さ、この作品って3つの場面を映画で扱うには原作が長すぎるんだよね。2時間強だとして、1つあたりの事件が約40分くらいでしょ? それじゃ重要なことを描くのも難しいだろうし。
それでいて構造的にびっくり展開を狙っていわけではないのだからさ、そりゃこうなるよなぁって印象かな。原作が長い分、映画化する際難しかったね」
4 後半部分について
カエル「じゃあ、いよいよ後半にいくけれど……」
主「はっきりと言わせてもらえば、3つの物語のどれにも感情移入ができなかったし、作劇としてのカタルシスもなかったんだよね。感情移入する前に話が切り替わっちゃうし。
そうなると、後半の『これでもか!!』って言いたくなるよな号泣シーンと坂本龍一の音楽には、正直辟易とした。
あそこまでいくとさ、泣く前に引いちゃうんだよね」
カエル「そこで感情移入とか、すごくのめり込んでいる人なら話は変わるだろうけれどね」
主「そうそう。宮崎あおい号泣、渡辺謙号泣、妻夫木号泣、BGMはいい音楽を大音量で……クドイ!! 宮崎あおいが号泣していたら、渡辺謙はじっと唇を噛みしているとかの方が良かったと思う。女の子が泣くのはわかるけれど、あの親父ってそう簡単には泣かないでしょうに……」
カエル「そういう親父が泣くから感動するって話もあるじゃない」
主「だとしたら号泣につぐ号泣ってどうなのよ? もう、ここで泣いてねアピールが強すぎるよ」
犯人が明らかになって……
カエル「ここからの演出はどう?」
主「やっぱりクドイ。あの……言葉を濁すけれど、いろいろ投げた後のふたりの『全部知っているよ』って会話はあっていいと思う。あれはないといけないし、必要なシーン。
だけど、その後だよね。またあいつのところにいってさ、そこで犯人であるという、決定的な証拠を見つけるわけじゃない。そして、そこに彼の本音が書かれていた。そこだけで犯人がどんな人間か、はっきりとわかるんだよ。
それならば、そこであの夜の真相を犯人がベラベラと話す必要はないよ。むしろ、嘘を言って、それでも騙そうとしている、騙せると思っているって描写の方が、個人的には好みだったかな」
カエル「こういう描写って好みが入ってくるからね。特に、完成した作品を見てあれこれ言うのは楽だし」
主「そうだけど、この作品の描き方は、説明しすぎだと思う。あの犯人を知る傷害罪の男の供述も具体的すぎるしさ、あそこもご都合を感じるポイントだね」
5 テーマについて
カエル「テーマ自体は、信頼することの重要性とか、それを疑いたくなる気持ちを炙り出したってところかな?」
主「そうだね。それでいいと思う。いいテーマだと思うし、それを見せるために3つの物語に分けたというのは、納得するけれどね。
ただ、その分作劇の難易度が格段に上がった印象かな。多くをご都合でごまかしたって印象。
でも、これだけ色々と言ってきたけれど、じゃあ悪い映画か、見に行く価値はないかと問われると、そこまででもない。抑えるとこは抑えているし、個人的には気になるポイントがあったけれど、そこは作品のクオリティを下げてはいたとしても、作品を破綻させてはいないから。
作品が破綻するような致命的欠陥はないよ」
カエル「悪い映画ではないよね。モヤモヤするものは残るけれどさ」
主「そう。良くも悪くも大作邦画って感じ。まあ、こんなもんじゃないですかねぇって印象かな」
最後に
カエル「今回はそこそこ長くなっちゃったね。それだけ語ることも多い作品ってことだろうね」
主「……似たような、お話が分岐して、それが重要な意味を持つ映画というと、今年見た中では『マジカル・ガール』って映画があるのね。それは重要な部分はきっちりと省略しているし、語りすぎないから色々とわかりづらいけれど、結構いい映画なんだよ」
カエル「でも、主がどれほどハマったところで、マジカルガールは絶対に一般受けしないじゃない? あれは小劇場の、外国人が作ったから成り立つ表現なわけでさ、こんな大きな映画と一緒にしちゃいけないよ」
主「そうなんだよね……だから、ふと思ったのがさ、実は色々と言ってきたけれど、このぐらいの方が売り上げ的にはいいのかなぁってこと。誰が見てもわかりやすいし、過剰なまでに演出されているから、そこで泣くでしょ?
大作を作るのって難しいよねぇ」
カエル「……主みたいに毎週映画を何本も見て、ブログでカチカチと書いているような人を相手に映画を撮ったら、そんなの売れないに決まっているしね」
主「いやいやいや、それで売れたのが『シンゴジラ』じゃない?」
カエル「あれはまた特別でしょ!! でも、まあ、主は大作映画はアニメくらいでいいんじゃないの? 多分、大作娯楽に向いていないと思うよ、映画に求めるものが違うからさ」
主「そんなもんかねぇ……」