今回は『花束みたいな恋をした』のレビュー記事になります!
苦手な恋愛映画だけれど、頑張っていこうか
カエルくん(以下カエル)
「恋愛のキビとかわからないし、どうでもいいっていつも語っているもんね……」
主
「他人がくっつくの、別れるのって話は、実写だと特に感情移入しづらいんだよねぇ」
カエル「アニメだったら好きな話もいくつかあるんでしょうが……
早速ですが、感想記事のスタートです!」
映画『花束みたいな恋をした』140秒予告【2021年1月29日(金)公開】
映画レビュー『花束みたいな恋をした』感想&評価! カエルガタリ#2
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感想
それでは、Twitterの感想からスタートしていきます!
#花束みたいな恋をした
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2021年1月29日
恋愛ドラマのお手本のような、オーソドックスながらも王道の強さを感じた作品に
普段ドラマを見ないのだが坂本裕二のうまさを思い知った
小道具の使い方が抜群にうまく、描かれる理想の恋愛に胸キュンし後半にフムフムと唸る
しかし序盤のシークレットゲストはマジで笑った pic.twitter.com/DGcHs3Z6gC
恋愛作品のお手本のような作品だったのではないでしょうか
カエル「これは、なかなか上手い恋愛作品だったよね。
描いていることはそこまで劇的なことはなくて……確かにオタク・サブカルファンの理想のような恋愛ではあるけれど、でも誰かが事故にあったりとか、そんな劇的なことが一切起こらずに進む物語で。
こんなに普遍的な内容でも、物語って面白くなるんだよってことがわかる、見事な作品だったね」
主「自分はテレビドラマを一切見ないんだけれど……といよりも、映画見て、テレビアニメも見て、色々書いてってところで、そこまで見れないという方が正しいのかな。
そんな中でも近年話題となる脚本家として坂元裕二がいるだろう。
アニメオタクとしては、話題の脚本家というと吉田玲子、岡田麿里、黒田洋介、瀬古浩司などになるんだけれど……ドラマの脚本家さんは、野木亜紀子もそうだけれど、ほとんど知らないのね。たまに映画をやったときに『へぇ〜』と思うくらい。
でも、今作はばっちりとわかった。
確かに坂元裕二の書く脚本はすんごく面白いし、これだけ人気になるのも納得だった」
その意味では、今作は脚本を楽しむ映画と言えるんだね
土井裕泰監督も、それがわかって脚本やセリフ回しを魅せるための演出になっていたのではないだろうか
カエル「優れた脚本があれば、劇的なことが起こらなくても面白い。
そんな普遍にして王道の面白さがある作品ということだね」
主「一方では、映画として……つまり”劇場で映像表現を楽しむ”という意味においては、少し弱さを感じる。
その意味では今作はテレビドラマ的な作品ということになってしまうのかもしれない。
2時間ドラマとしては、リッチな作品ではあるんだけれどね。
でも映画に映像表現の挑戦とか、新たな機微を求める人ばかりじゃない。むしろ、家族や恋人と軽く楽しめる作品って絶対必要じゃない?
その意味では、今もっとも万人にオススメできる映画だと言えるだろう。
まあ、個人的の感情としては恋愛モノが苦手ってこともあって、大絶賛ではないんですが!」
カエル「……非モテの僻みもあるのかねぇ」
引用された作品の絶妙さ
今作では、色々な分野からさまざまな作品が引用されています
このチョイスがまた、絶妙なんだ
カエル「印象に残ったところとしては
- 音楽→きのこ帝国
- 小説→今村夏子
- 漫画→ゴールデンカムイ、宝石の国
- 映画館→下高井戸シネマ、早稲田松竹
- 映画→牯嶺街少年殺人事件
とりあえずはこんなところでしょうか。
いい感じに、その人の性格や好みが知れるよね」
主「今作って”サブカル好き”という人物像が受けているけれど、実はいうほどサブカルチャーに深く傾倒しているわけではない。
例えば好きな小説家の名前で今村夏子の他にも舞城王太郎とか、小川洋子などが上がったけれど、典型的な純文学ファンだよね。
さらに言えば漫画の好みもゴールデンカムイ、宝石の国って漫画ファンからすれば、かなり有名な作品だ。関東の映画好きにすれば早稲田松竹は行ったことがあるかは別としても、名前は知っているだろう。
だけれど、一般層にとっては……その分野にあまり興味がない人にとっては、馴染みが薄い。
その絶妙な部分をチョイスしている」
これが『ワンピース』とかだったら、すんごく広く愛されすぎているから、にわか感が出ちゃうというか
このチョイスが多くの人の共感を呼ぶきっかけとなっている
カエル「好きなものを共有するって、共感性を高める上ではとても大事だよね。
一方でその時代感が……例えば今ならば『鬼滅の刃』って言っちゃったら2020年感はあるけれど、多分10年後になると、少し古いような印象になるかもしれないね」
主「それこそ100ワニとかがそうなるのかな。
『あぁ、そんなのあったな』ってなると同時に、2020年頭くらいの感覚が蘇るだろう。
今作は2015年から2020年にわたって時代が流れていく様を描いているが、例えば作中でSEKAI NO OWARIの『RPG』が流れた瞬間に、その時代の感覚に引き戻される。
こういったように、現代劇において作品を引用するという行為は
- 登場人物の性格・好みをダイレクトに伝える
- その時代に観客をタイムスリップさせる
という効果があるわけだ。
他にもゲームでは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』が出てくるけれど、このゲームそのものは超有名、世界のゲーム賞などを総なめにしている。
だけれど『ゾーラの里』と言われると、プレイした人はあぁ、あそこで……とか、そういうプレイしているんだね、という共感性を産む。
これがとてもうまいわけだな。
ただし、1点指摘しておくと、文学・音楽・映画のチョイスに比べて、漫画・ゲームのチョイスは浮いている印象がある。
よりにわか感が出ているというかね。そこは監修する人がいなかったのかもしれないけれど、ちょっと違和感があるとは言っておこう」
共感性の魔術師
となると、坂元裕二の脚本のうまさって一言で表すとどうなるの?
多分、共感性の魔術師だろう
カエル「もちろん、ドラマをあんまり見ていないから偉そうには言えない部分もありますが……」
主「でも、この映画の反応を見ると『過去の恋愛を思い出しました』って声がものすごく多い。つまり共感力がとても強い作品なわけだよね。
その共感性の魔術師と呼ぶのは色々な理由があって……例えばスタート付近のセリフ。
『パンを床に落とすと必ずバターを塗った方から落ちる』
こういったセリフを聞くと痺れちゃう。
このセリフからは彼女の生活感、思想、着眼点がものすごく生きている。つまり、キャラクターを超えて、人間味を強く感じるわけだ」
カエル「ふむふむ……」
主「それと同時にとてもうまいのが小道具の使い方。
例えばトイレットペーパーだよな。
昔の映画監督で脚本家でもある……それこそ脚本主導の映画のお手本であるビリー・ワイルダーの有名な逸話があってね。
Q 現代劇で男女の出会いをどのように描きますか
A 1つのパジャマを男が上だけ、女がズボンを購入させる
つまり『2つなければ使えないものを、わざわざ分けて男女に与えることで、運命的な出会いを演出する』ということだ。
今作では2つのトイレットペーパーがそれに似た効果を発揮しているだろう。
作中では有村架純が2つトイレットペーパーを買っていて、菅田将暉が1つを持ってあげる。だけれど、別れの時にうっかりとそのトイレットペーパーを渡し忘れる。これで2人の運命が再びつながることを、なんとなく予見させる。
こういった巧さがものすごく際立つ」
なるほど……色々と考えられているんだね
この手法ならば、現代劇では相当な共感性を生むだろうな
カエル「小物の使い方、作品の引用、特徴的で面白いセリフ回し……確かに脚本の映画と言えるのかもしれないね。
見ている最中も、面白い小説を見ているような気分だったけれど、気の利いたセリフとかダイアローグという”言葉”が、そんな感覚にさせたのかも。
その意味で、本作は明確に”言葉の映画”なんだね」
主「脚本というと話の整合性とか、あるいは突飛な展開などが思い浮かぶかもしれないけれど……この映画はそういったものがなくても……いや、整合性などはちゃんと取れているんだけれど、そこに頼らなくても面白いものが作れることを証明している。
映画やアニメ、それに限らないけれど、物語の良し悪しを語る人は見て損は無い。
色々と得るものは大きいだろう。
一方で弱点としては……この手法って現代劇だと最大に発揮されるだろうけれど、それ以外のジャンルだと……特にSFとかだと難しいだろうなぁ。
まあ、ドラマがメインの人はSFとかファンタジーにはそこまで手を出さないだろうし、この技と売りがあれば、特に問題ないかもしれないけれどね」
役者について
今作の役者についてはどうだったの?
文句が出ないんじゃないかな
カエル「男役の麦くんを菅田将暉が、女役の絹ちゃんを有村架純が演じてますが、どちらも等身大ながらも、とてもいい演技をされていました!」
主「まず菅田くんから言うと、やっぱり上手いよね。
なんでもできるタイプとは思わないけれど、なんというか……実在感があるというのかな。
冒頭でイヤホンのやりとりがあるんだけれど、そこでめんどくさいウンチクを語る姿とか、それが『あー、こんな人いるわ』って思わせてさ。
その後の演技も含めて、とても良かった」
カエル「有村架純に関しては?」
主「彼女も上手いよね。
演技の出来には幅があるタイプというか、その持ち前の雰囲気やキャラクターが前面に出てしまうタイプだと思うけれど、今作は雰囲気的にもすごく合っていた。
特に前半の胸キュンパートは架純ちゃん! って感じで、こんな恋愛したいなぁ〜と男女ともに思わせるし、後半の苦難では架純ちゃん…… って感じで、応援したくなる。
等身大の役となっていたのではないだろうか。
今作は演出が変なことをしないで、脚本と役者に寄り添って見せることを意識していただろうから、それが合っていたのではないでしょうか」
それから、今回は脇役がとても豪華です!
シークレットゲスト系で、一番驚いたかも……
カエル「神登場のシーンだよね。
あそこで歓喜のあまりに思わず笑い声を上げてしまったのは、ここだけの話とさせてください」
主「いやー……素晴らしかった。
しかも全く変わらないいつものスタイルだったし。あの2人に決定的に共感性を抱いたのはここかもしれない。あの神をきちんと神として表現してくれたことで、一気にこの2人を愛おしくなった。
この映画って共感を得るポイントがすごく多いけれど、あれは自分みたいな極一部の人にはぶっ刺さるよね。
それもまた共感性の見事さではあると思うけれど……あとは一般の人には『あの役者がこんなちょい役で!?』という部分も、のめりこませるきっかけになるかもしれないね」
以下ネタバレあり
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作品考察
今作の欠点
それでは、ここからはネタバレありで作中に触れていきましょう!
正直、後半は微妙だったなぁ
カエル「好きな人は好きなんだろうけれど、恋愛作品がそもそもそこまで好きじゃないと、あの後半には引き込まれないのかなぁ」
主「単純に言えば、今作の構成って
- 2人の出会い・付き合っていくパート
- 2人の気持ちがすれ違っていくパート
- ファミレスの対峙、ラストへ
という形になっているだろう。
でさでさ……個人的な思いだけれど、恋愛ってくっ付いたらそのあとは盛り下がるしかないと思うんだよね」
カエル「………はぁ。どういうこと?」
主「多く恋愛ドラマではくっつく部分がラストになる作品も多いけれど、そこがピークになりやすいんだよ。
わかりやすいじゃん、色々なハードルを乗り越えてくっついてハッピーエンドって。
だけれど、その後って恋愛関係を維持していく、あるいは結婚or別れるってことになるからさ、わかりやすいピークってあんまりない。
最後のファミレスのシーンなどはすごく面白かったけれど、そこまでが弱いというか、あんまり惹かれなかった」
どうしても盛り上がりには欠けるのかなぁ
それでも、共感する人にはすごくいいだろうけれどね
カエル「こういう別れ方とか、恋愛の苦味みたいなことを知っていると色々と感じ入るものがあるとは思うけれど……」
主「まあ、非モテですからねぇ。
どうしても現実の話になっちゃうし、長く付き合えば倦怠期になっていくからね。
この2幕に入るときにパンを落として、冒頭のセリフを思い起こさせるのと同時に、転落を暗示させるなどの演出はすごくうまかった。
だからこそ、個人的にはもう1つ2つ、何かが欲しかったかな。
後半が弱くなったのは……脚本なのか演出なのか、それとも受け手である自分の感性や経験不足なのか、それ以外なのかははっきりとは言えないけれど、結構感じてしまった部分かな」
後半への共感性
え、じゃあ後半ってどんな風に見ていたの?
理想と現実の狭間に揺れる心に共感しながら見ていたよ
カエル「あれ、じゃあ共感していたんじゃん」
主「現実と理想の……特に大学生から社会人になるにつれて、その変化というのは、どうしてもあるだろう。
実際に写真家の先輩のように、いつまでも夢を追いかけるということもあるのだろうが、そのせいで病んでしまうということもある。今はYouTuberとかでも、大学生の夢や理想を追いかけたまま成功している人、あるいは失敗している人もいるけれど、その揺れる心を描いている。
その意味では、あの世代に寄り添った映画とも言えるわけだよね」
じゃあ、結構共感していたんじゃないの?
でも、麦と自分は根本から全く違うから
主「麦は絵で食べていくことを目指したけれど、それが無理だった。だから就職することにした……先輩が夢を語ってあんなことになったけれど、その道を選ぶのは辞めたわけだよね。
でもボクとしてはあの描写謎なんだよ。
自分だって文章書いてさ、好きなことして生きていきたいけれど、それだけで食べていけないのはよくわかっている。だから本業で仕事もしながらブログもやって、YouTubeも初めて、ライター活動もして、色々と面白おかしく生きていけるようにしているわけだ。
で……なんで麦は絵を描くことを辞めたの?」
カエル「えっと……それじゃ食べていけないからで……」
主「いやいや、描きなさいよ。
そんな簡単に辞めないと思うんだよね、あの手のタイプは。
多分ずっとどこかで『自分もいつかは……!』って思いを抱えているのではないだろうか。そのために早めに上がれる仕事を見つけたんでしょ。だったら早めに上がって、本を読んだり映画を見たり、絵を描けばいいじゃない。
それができないならば転職したりさ」
その理想と現実の違いって誰にでもあるだろうし、そこに共感したんじゃないの?
共感したからこそ、理解できなかったんだよね
主「やりゃいいじゃんって。
多分、麦はあの生活をしていたらどこかでパンクするよ。
病んじゃう部分が出てくると思う。
自分がやりたいことと現実に折り合いをつけていく、そのためにはやりたいことを続けるためにどうするべきか考えていく。
あんなに極端なことになるのかな? って思いながら見ていたかな」
カエル「その意味では、楽しいを仕事にした絹に近いところがあるのかもね。
そのすれ違いを描いた作品でもあると思うんだけれどなぁ」
ファミレスの映画
そしてラストのファミレスのシーンとなります
ここは演出面も優れていたね
カエル「さすがにラストということで、色々な工夫がされていたのではないでしょうか」
主「このシーンでは、ここに注目してほしい」
終盤のファミレスのシーンですね
ここはもちろん、2人の過去と現在を表していると言えるだろう
主「このシーンで注目するポイントは
- カメラの位置
- 背景の変化
の2つなんだよ。
まず、カメラの位置。今作の場合、過去のシーンでは壁→窓の方へとカメラが向いていた。つまり、壁の方を背にして、窓を撮るようなカメラワークだったんだ。
だけれど、このシーンではその逆……窓→壁となっている。
つまり、イマジナリーラインを超えて、真逆からカメラを向けているわけだね」
カエル「ふむふむ……つまり
- 窓の方へ向く→過去・窓から外が見える=明るい未来を想起
- 壁の方を向く→現在・閉ざされた未来を想起
ということもできるわけだね」
主「それと同時に、ここで有村架純の背景が石というか、硬そうな材質の壁になっているわけでしょ?
ここでは彼女の意志の強さを感じさせている。
この別れのシーンでは、その後に清原果耶が登場するけれど、そこはわざわざ前のカメラワークに戻している。そのカメラワークだけで、2人の関係性の変化・立ち位置の変化を表現しているわけだよね。
この先に2人が進むには、結婚するか別れるかしかない。
そんな状況を映像としても表現されていた。
基本としては脚本を際だたせるための演出ではあるけれど、同時にこのシーンは明確な意思を強く感じる演出になっていた。
だからこそ、ここが強く印象に残る人も多いのではないだろうか」
最後に
というわけで、花束みたいな恋をしたのレビューでした
最後に、ちょろっとだけいうと……やっぱり5年は長すぎるよねぇ
カエル「あの2人が別れることになった理由について?」
主「ここは麦と同じ意見なんだけれどさ、あの2人は結婚してよかったと思うよ。
もう恋愛って状態はすでに終わったわけで……とっくに夫婦に近い何かになっていたんだよ。
そんな中で恋愛状態を夢見ている絹と、先に進みたい麦の対立って話で。
その辺りはすごく麦に感覚的には近くて……なんであの2人が結婚しなかったのか、よくわからないんだよね。
まあ、その辺りもどうでもいいやってなるんだけれど!」
カエル「……本当に恋愛映画とか、恋愛の機微に対して疎い人ですね」