若おかみは小学生の大絶賛が続いています!
高く評価されるべき作品だから、嬉しいは嬉しいね
カエルくん(以下カエル)
「記事においては若干含みはあったものの、作品自体はとてもいいという評価だったしね」
主
「今回は似ていると多くで語られている花咲くいろはとの比較と、そして偶然ながら現代を代表する女性アニメ脚本家の吉田玲子と岡田麿里の比較ができるので、そちらも含めて考えていく記事になります」
カエル「こうやって繋がっていくんだね……やっぱり話題作は見ておくべきだ」
主「ただぼーっとアニメを見ているだけでも、蓄積って大事!
早速記事を始めます!」
吉田玲子について
吉田玲子の近年のフィルモグラフィー
まずは吉田玲子が、近年どのようなアニメ映画を手がけてきたのかをおさらいしましよう
一部抜粋しながら、今回語りたい作品を中心にあげていきます
- 2011年 映画けいおん!
- 2014年 たまこラブストーリー
- 2015年 ガールズ&パンツァー劇場版
- 2016年 映画聲の形
- 2017年 夜明け告げるルーのうた かいけつゾロリZZのひみつ
- 2018年 リズと青い鳥 若おかみは小学生
カエル「……こうして改めてみると、大傑作の高評価を受けている作品ばかりだから恐ろしいなぁ……
この作品に注目したのは、当然鑑賞している事が前提ですが、それ以外でもオリジナル作品、あるいはオリジナルに近い大幅な改変をしている作品ということで選んでいます」
主「本来、脚本家を語ることは難しい面もある。
原作の方向性やテイストを尊重しなければいけないし、監督やプロデューサーをはじめとするスタッフの意見を取り入れなければいけない。
その上で自分の作家性も発揮するのが望ましいけれど、それが作品にとっていい方向に向かわねければ意味がないわけだしね」
カエル「どこまで脚本家が意図した通りの物語になっているかはわからない、ということだね」
主「その中でも、上記の作品たちを見ていると、原作を尊重しながらもある方向性が見えてくると思う」
吉田玲子の作品の方向性
その方向性とはどんなところにあるの?
基本的には”束縛からの解放”の作品が多いな
主「それは今のトレンドというか、物語は本来束縛するもの……例えば常識とか、社会の通例、おかしな慣習などからの解放を描く、ということもあるかもしれないけれどね。
とりあえず1つ1つ具体的に見ていこう」
- 映画けいおん!→楽しい日常生活からの卒業
- たまこラブストーリー→曖昧な関係からの脱却
- ガルパン→みほの家との確執の決別
- 聲の形→過去の過ちと自責の念からの脱却
- 夜明け告げるルーのうた→夢を追えない諦念や家の確執との決別
- ゾロリ→愛する母と向き合う
- リズと青い鳥→才能の差による嫉妬などの関係性の変化
- 若おかみ→両親への思いを受け入れ、新しい道へと決別する
カエル「ふむふむ……こうやってみると、確かに家や確執からの変化や解放、卒業を描いている作品が多いように見えるね」
主「ガルパンは劇場版というよりも、テレビシリーズも含めてのお話だけれどね。
もちろん、先にも述べたように物語は変化を描くことが多いけれど、吉田玲子が描くものは、その根底にしっかりとした現実を見せる事が重要なファクターとしてあるのではないかな?」
穏やかな現実を描く場合
しっかりとした現実を見せるというと?
それはきつい過去だったり、今いる状況の優しい雰囲気だよ
主「上記の作品では、主に2種類に分類されると思う」
- 穏やかな日常、変わって欲しくない状況からの変化→けいおん、たまこ、ゾロリ
- 過酷な現実と向き合い、前向きに変化する→ガルパン、聲の形、ルー、リズ、若おかみ
カエル「まずは1からの解説をお願いします」
主「作品にもよるけれど、不幸な状況から始まらない物語だって多くある。
例えばけいおん、たまこなんかは日常系とも呼ばれるあの優しい雰囲気が好きな人も多い。ずっとあのような生活を送ってみたい! と思う人だって少ないでしょう。
だけれど、その状況はいつかは変化しなければいけない。
けいおん! の幸せな学校生活や、たまこともち蔵の曖昧な関係性は永遠には続かない。
ゾロリは最愛の母と別れる日が訪れる」
カエル「いつまでも学生ではいられず、好きな人とも一歩を踏み出せないと何も変われないもんね……」
主「上記の3作品はその幸せな日常をしっかりと描くんだよ。
けいおんは旅行の風景、たまこは変わらない楽しい日常、ゾロリは愛する母と穏やかに日々を、本当に魅力的に描く。
だけれど、だからこそそからの脱却や別れを決めた姿が、より心に強く残るんだ。
その意味では……もしかしたら、幸福な状況からの変化という意味では、2の作品たちよりも本質的には残酷なのかもしれないね」
過酷な現実を描く場合
そして、もう1つが過酷な現実を描くパターンです
ここでも容赦が一切ない
カエル「そここそ聲の形なんかは、あまりにも過酷すぎて嫌な気持ちになる人がいるほどだよね……」
主「聲の形とリズに関しては山田尚子と京アニスタッフの持つリアルな物語性がマッチして、残酷な現実がが展開されていく。
リズなんか、その圧倒的な才能の違いを音楽で表現してしまうわけだから、その辺りは監督にも恵まれている脚本家という事だろう。
また、ルーは主人公の抱える『何ものにもなれない若者の苦悩』がよく出ているよね」
カエル「そして若おかみは過酷な現実をあんまり理解できていないことが、かえって観客に辛い現実を提示するというね……優しい世界ではあるし、子供向きに配慮はされているけれど……」
主「その意味では1の要素もあるのかなぁ……
ガルパンもある意味では1の要素もあって、仲間との協力して戦う姿などは明るくて幸福に満ちたものとして描かれる。一方で、家の確執はしっかりと重いものを描いているわけだ。
だからこそ、みほがどうしても守りたい大切なものがなんなのか、はっきりと観客に伝わってくるんだね」
カエル「ここまでを聞くと、脚本家としてとても当たり前なことを描いているようにも思われるかもしれないけれど……」
主「とんでもない!
吉田玲子の脚本は、本質的なところのご都合主義があまり感じないんだよ。
もちろん、ガルパンなんかは基本的な設定がガバガバなところがあるけれど、それぞれのキャラクターの試練はしっかりと描き、それぞれのキャラクターがもがくことで成長する。
これができない作品なんて洋の東西を問わずいくらでもある。
しかも、若おかみが顕著だけれど、様々な不満や思想の違いから生じる違和感を防ぐために、配慮もされている。
すごく目が行き届いた脚本家なんだよ」
岡田麿里について
岡田麿里のフィルモグラフィー
次に、岡田麿里について考えていきましょう
また簡単に近年の岡田麿里要素が強い作品を抜粋します
- 2008 ture tears とらドラ!
- 2011 あの花 花咲くいろは
- 2015 心が叫びたがってるんだ。
- 2018 さよならの朝に約束の花をかざろう
カエル「こちらは映画限定じゃないんだね。まあ、映画限定にしたらあの花とかの扱いが難しくなるか……」
主「映画版もあるとはいえね。
本当はひそねとまそたん、オルフェンズなども入れたかったけれど、ここでは除外させていただきました。
でもここであげた作品はとらドラ! は原作付きだけれど、どれも岡田麿里の作家性を説明するのには最適な作品ばかりだろう」
カエル「だいたい岡田麿里の脚本作品と聞くと、この辺りを連想するかなぁ」
岡田麿里の脚本に多い家族の描き方
その岡田麿里の脚本の特徴というと、どういうものがあるの?
もちろん、生々しい女性のドロドロとした感情などを描くのがうまいというのもあるよ
カエル「岡田麿里の真骨頂といえばそこだもんね……」
主「ひそねとまそたんなどは岡田麿里だからこその作品だと思うけれど、除外します。
自叙伝でも明かしているけれど、決して恵まれた家族関係や人生を送ってきた訳ではない岡田麿里は、やはりそこで描かれている親子関係も一癖も二癖もあるものばかりだ。
では、そこに注目してみると以下のようになる」
- true tears→親との確執を抱え、時に暴走してしまう主人公
- とらドラ!→大河、竜二ともに親とは独特の関係にある
- あの花→めんまの母親との確執
- 花咲くいろは→母との確執
- 心が叫びたがっているんだ→母との確執
- さよ朝→母の目線で子供や伝統との確執を描く
カエル「……こうやってみると、母親との関係性が悪すぎじゃない?」
主「それが岡田麿里らしさでもあるんだろうけれどね。
特に母親との確執を描くことが多く、変化などを描いた際も綺麗な和解というよりは『まあ、あの生き方は生き方で理解はできるかな、納得はしないけれど!』みたいな独特の立ち位置であることが多いね」
カエル「……こうしてみると、吉田玲子の家族の描き方とはまた違うね」
主「岡田麿里の方が、やはりドロドロ感は強い。
比較すると吉田玲子はカラッとしていて、あくまでも物語のハードルの1つとして家族や人間関係の問題を描いているようにも見える。
本来は脚本家としては、吉田玲子タイプの方がどんな監督でも合わせられるからいいのかもしれないけれど……でも、その強すぎるくらい強い作家性があるからこそ、岡田麿里は監督をやらせてみたいと思わせるほどの個性を獲得していた訳だ」
以下『若おかみは小学生』『花咲くいろは』『かいけつゾロリZZのひみつ』のラストについてネタバレがあります
作品を比較してみて
若おかみと花咲くいろは
この記事を描くきっかけとなったのは、このTweetです
まさしく
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年10月6日
花咲くいろはとは好対照な作品で、いろはは家を離れて明日は違う道を歩く物語
一方若おかみは失ったものを受け入れて家を見つける物語
憧れの女将という存在に対してどう向き合うのかの結論も含めて、本当に真逆 https://t.co/5ixqTlnAYw
若おかみ と 花咲くいろは は好対照な作品だろう
カエル「簡単にこの両方の作品について説明すると『若おかみは小学生!』はその名の通り、小学生の女の子が旅館の若女将になる! という物語です。児童文学を元に映画化されていて、Twitterを中心に大きな話題を呼んでいます。
一方『花咲くいろは』は高校生の女の子が旅館にいき、仲居として働くという物語です。
簡単に共通点をまとめます」
- 保護者(親)が突然いなくなる
- 祖母が伝統のある格式の高そうな旅館の女将
- 高齢化や経営悪化などで旅館の将来は悲観的
- 旅館を手伝いながら家族や自分の将来のことに向き合う
- お祭り描写が象徴的な面もある
主「若おかみは両親の事故死であるのに対して、いろはは母親が男と失踪という理由の違いがある。この辺りは……もちろん若おかみは原作付きとはいえ、お互いの作家性の違いが出ている。
というか、岡田麿里の異質とも言える作家性が顕著に出ているのか。
だけれど、この両者はそのラストが180℃違うんだ」
カエル「あんまり直接的に語るのはあれだけれど……若おかみが過去の思いと向き合い、そして色々なことを知って旅館の女将の仕事を受け継ぐことを決意するように終わることに対して、いろはは経営難から旅館を畳んでしまうというものです」
主「だけれど、その奥底にある『尊敬する祖母のようになりたい』という思いは一緒なんだよ。
いろはは女三代のもやもやとした確執が和解し、その結果旅館をしめる。
若おかみは両親への思いを受け入れて、旅館を継ぐ。
本当に、ここだけ真逆な物語だ」
カエル「それについてはどう考えるの?」
主「これは監督などの意向もあるし、若おかみに関しては高坂監督が『伝統的なものを描く』とインタビューで答えているので、吉田玲子の意見がどこまで反映されているのかは正直わからない。
もちろん、いろはだって岡田麿里の一存で決めているわけではないだろうけれど、作家性の違いが如実に出ている。
旅館を家族の場、ある種の確執や思い出の象徴だとすると、それを引き継ぐというのが若おかみである。
一方のいろはは伝統や思い出の場所を手放し、新しい一歩を踏み出すことを肯定している。
新しい場所に出て行き自分の人生を見つけて欲しいという思いと、昔ながらのものを引き継いで欲しいという2つの思いが、結末に影響を与えているのだろう」
かいけつゾロリと若おかみ
そして、吉田玲子が脚本を担当した作品での比較になります
この2つは本当にセットで見て欲しい
カエル「『かいけつゾロリ ZZの秘密』について簡単に説明すると、いたずらの王様を目指すゾロリはある日ゾロリアンというタイムマシンを開発する。すると、ゾロリが生まれる前の過去に戻り、亡くなってしまった母親の若き頃と再会を果たすんだ。
家族の絆と亡くなってしまった親の思いを胸に生きるという、とても重いテーマを扱った傑作です。
若おかみの記事でも語ったけれど、どちらも児童文学の傑作であり、亡くなってしまった両親と向き合うというテーマは全く一緒だけれど、男の子向けと女の子向けの違いなのか、そのテイストは真逆でもあるよね」
主「ゾロリはどちらかというとダークヒーローのような面があり、コミカルだからこそ許されているけれど、かなり問題のある行動を取ることもある。
一方で、若おかみのおっこはとてもいい子で、誰もが理想の娘にあげるような性格をしている。
いたずら小僧といい子という、キャラクターの対比が面白くて、それがラストの味わいの違いにも繋がっているんじゃないかな」
カエル「どちらも山寺宏一が重要な役で涙腺を刺激する映画でもあるよね」
価値観の対立する世の中での物語の描き方
これは若おかみの記事でも語ったことになります
この3作の比較だけでも、結構見えてくるものがある
カエル「まとめると以下のようになります」
- 花咲くいろは→旅館を出て行き、憧れの祖母のようになるために社会に出る
- ゾロリ→母の思いを胸に”いたずらの王様”を目指す
- 若おかみ→両親と向き合い受け入れ、みんなを癒すために旅館を継ぐ決心
主「いろはと若おかみの違いはすでに語っているとして、ゾロリと若おかみは大きな違いがある。
それは『目標に向かうきっかけ』の問題だ。
ゾロリは誰にもいたずらの王様になって欲しいと言われていないけれど、それを目指す。一方でおっこは周囲から望まれて、若おかみを目指すわけだ」
カエル「おっこに自由意志があまり感じれらない、と語ることになって原因でもあるね」
主「その違いは作品テイストの違いが如実に表れている。
ゾロリは可愛らしいもののダークヒーローだけれど、そのため多くのエピソードにおいて痛い目に遭ってしまい、最後は全てを失ってでも再び次の旅に出るという強くも悲しい物語だ。
一方で若おかみはおっこがとてもいい子なこともあって、最後は自分のいるべき場所を発見して安寧の地を見つける。
その意味においても、実はこの2つの物語は真逆なんだよ」
カエル「ゾロリは作者の原ゆたかが『寅さんみたいな存在』と語っているけれど、男はつらいよシリーズも最後はマドンナとの別れがあって、安寧の地を見つけられない男の物語だもんね……」
主「両親などのそれまでの思いを胸に抱き、生きていく姿が好対照なのも面白い」
伝統的なものと革新的なもの
これはいつも語るけれど、現代は”伝統的なもの”と”革新的なもの”の対立が激しい時代でもある。2018年に公開されたアニメ(ーション)映画でも、家族の描き方は実に様々だ
- 伝統的な家族像を描いた作品→リメンバーミー、未来のミライ、若おかみは小学生
- 革新的な家族像を描いた作品→僕の名前はズッキーニ、生きのびるために
カエル「他にも革新的な家族像を描いた作品では、実写作品の『万引き家族』を忘れちゃいけないね」
主「『インクレティブル・ファミリー』などは分類が難しいけれど、家族の絆を描くという意味では伝統的な作品なのかな。
さよ朝は……あれは革新的な作品だと言ってもいいかもしれない。
生きのびるために、もそうだけれど、伝統的で保守的な社会から逃れるというお話だから」
カエル「簡単には分類はできないけれどね」
主「ご存知のように、現代社会は非常に多種多様な家族像があり、問題も非常に多い。離婚や死別によってシングルの家庭もたくさんある中で、どのような家族像を描くのか、ということが問われている。
その中で、伝統的なものを描くのか、革新的なものを描くのか……そのどちらを描いても違和感や批判の声はあるだろう。
自分は伝統的な家族像に違和感があるからこそ、文句を言うことも多いけれど、革新的な家族像だって万人に支持されているわけじゃない。
この両者、どちらも描き方は細心の注意が必要になってくる。
だからこそ、非常に現代的で面白いテーマといえるのではないかな?」
カエル「えっと、最後にまとめに入る前に吉田玲子と岡田麿里で比べた場合、どちらがより革新的で、どちらが保守的なの?」
主「その分類はできない……というか、どちらも革新的なものを描ける脚本家だよ。
ただし、同じことを繰り返すけれど、岡田麿里の描き方はかなり親という存在に対する複雑な感情が見え隠れして、それが生々しくて嫌がれれることもある。
一方で吉田玲子の脚本は親に対する感情自体はある程度カラッとしているけれど、しっかりと問題点を把握し、配慮の行き届いた作品を作っているね」
まとめ
ではこの記事のまとめです
- 吉田玲子は家族などの欠点をしっかりと描きながらも、解放を気持ちよく描く
- 岡田麿里は親(特に母親)とのドロドロした関係を重視して描く
- 現代での家族の描き方は多様なため、多くの配慮が必要とされる
とりあえず、こんなところかな
カエル「結構語ることの多い記事になったんじゃないかな?」
主「本当はゾロリの劇場版作品でも岡田麿里は脚本を務めているので、同じシリーズの劇場版で比べても面白いかもしれないけれど、結局は監督も違うからなんとも言えないか」
カエル「どうしてもアニメや映画って総合芸術作品だから個人を語るのは難しいところもあるよね。いつも監督論を語っているけれど、山田尚子とかは吉田玲子以外とアニメ映画では組んだことがないから、その意味では山田尚子の作家性なのか、吉田玲子の作家性なのかわからない部分もあるし……」
主「そのどちらでも間違いではないんだろうけれどね。
でも、吉田玲子、岡田麿里ともに力のある人だと思うので、この先も注目していきます!」