今回は紆余曲折あり、Netflixで公開となった『泣きたい私は猫をかぶる』の感想記事になります!
アニメ映画では、今のところ6月1番の注目作だね!
カエルくん(以下カエル)
「これはどうしようもないけれど、やっぱり映画館で観たいって気持ちはどうしてもあるよねぇ……」
主
「この辺りもおいおい語るけれど、このご時世でNetflixでの配信というのは、ありだと思うよ。
自分は映画館文化って、コロナ関係なくこのまま何もなく続くとは思ってなかったし、全世界に同時に公開できるのは旨味もあるだろう」
カエル「劇場公開だと、日本と同時公開ってほぼないだろうしね」
主「アニメ文化の注目度が世界的に上がっていくからこそ、大事な視点だと思うけれどね。だけれど、上映形態の変化も作品評価に関わるところだからなぁ。
そんな話も交えながら、感想記事を始めていきましょう!」
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#泣きたい私は猫をかぶる
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年6月18日
人や猫の動き、時間や空間のコントロールなで若々しい表現の力・挑戦する心意気にに溢れている!
佐藤監督・柴山監督・コロリド・岡田麿里などなどの魅力が重なり合い青いながらも力があり、劇場で観たら高揚したこと間違いない作品
一方で物語面の爆発力に若干欠けるか? pic.twitter.com/5s3QUPaXVX
全体的に文句が少ない良作でした!
カエル「元々アニメ映画の公開延期も相次ぎ飢えていたのと、また注目のスタジオであるスタジオコロリドの新作ということもあって、相当期待したところもあるけれど、その期待にそぐわない作品だったのではないでしょうか?」
主「いやー、諸々の事情があるとはいえ、やっぱり映画館で観たかったというのが本音かなぁ。
それだけ映像面、また音楽などのとの合わせかたも良かった。この”映画”を作ろうという試みも感じられたし、様々な描写から挑戦する試みも感じられた」
カエル「また、このスタッフだからこその作品にもなっているんじゃないかな?
大ベテランの佐藤順一監督、長編ではデビュー作ながらもスタジオコロリドのメインクリエイターでもある柴山智隆監督、さらにさらに脚本の岡田麿里に音楽の窪田ミナなど、それぞれの魅力がある作品になったのではないでしょうか」
主「この辺りはまた詳しく語るけれど、それぞれの持ち味が出た作品でもあるかな。
中学2年生というキャラクターの年齢設定などがきっちりと噛み合った作品だったね」
一方で、少しだけ不満点もあるようだけれど……
いや、不満というものはないよ
カエル「あれ、でもTwitterの短評では『物語面が〜』と語っていたけれど……」
主「う〜ん……この辺りは難しいポイントでもあるんだよな。
というのはさ、この作品はあくまでも映画館で観ることを前提としているわけだ。
それは十分に感じるし、本当の意味でこの映画を楽しむならば映画館が最大のポテンシャルを発揮するだろう。
だけれど、Netflixで公開するという選択をしたわけで、そこはビジネス面もあるから否定することはないけれど、でもやっぱり家で観るタイプの作品ではない印象。
その違和感もあるとは思う」
カエル「そういえば『ROMA』とかも、映画館で最大の力を発揮するタイプで家で観ると寝るとか言っていたよね……。もうちょっと映画好きらしいコメントなら、と何度思ったことか」
主「やっぱり、視聴環境の違いは大きいよね。
うちの貧弱な環境だとこの映画の魅力が120%発揮出来るとは思えない。
それもあるのかもしれないけれど……特に後半の物語の爆発力が足りないように感じた。ただし、これは何か不満があるわけではなくて……言うなれば、いい落とし所に落とした故の感想かもしれない:
カエル「わがままな観客だからねぇ」
主「結構エモーショナルなことをやっているんだけれど、あともう少し全てが繋がって爆発するような感動や衝撃があれば、手放しに絶賛したけれどね。
でも全く悪い作品ではありません。
むしろ良作以上の評価をつける人が多いのではないでしょうか」
佐藤順一監督について
まずは、監督の1人である佐藤順一について簡単に語っていきましょう
アニメ好きならば誰もが認める名監督だけれど、正直、過小評価されている気がする
カエル「え、佐藤順一監督といえば、アニメ業界でも屈指の知名度と実績を誇るし、十分にアニメファンからも批評家からも評価されているんじゃないの?」
主「それでも、今の評価はちょっと低いかな。
というのはさ、あんまり語られていないけれど、間違いなく日本の少女・女性のあり方を更新し続けた監督の1人なんだよ。
『美少女戦士セーラームーン』しかり、あるいは『おジャ魔女どれみ』『カレイドスター』『ARIA』『HUGっと! プリキュア』などなど……多くの作品を生み出してきた。もちろん、それらが全て少女・女性向けというわけではないかもしれないけれど、でもこれらの作品に影響を受けていない人を探す方が大変なのではないだろうか?」
カエル「そういえば知り合いの女性は『セーラームーンに強い影響を受けていて、今の30代くらいはその呪縛に囚われている〜』みたいな話をしていた印象があるね。あくまでも一意見ではあるけれど、そんな簡単に否定できないことでもあるのかなぁ」
主「実際、少女向け作品の多くは恋愛が中心だったし、佐藤作品の中にもその要素はあるけれど、でもサトジュン監督の作品はそれだけではないじゃない。
特に平成以降の日本の漫画・アニメ文化を語る上ではもちろん、社会が女性をどのように描いてきたのか、その視点においても最も重要な監督の1人であるのは間違いない。
だから、今でも確かに評価されているけれど、それでも過小評価だよ。
本当は……それこそ庵野秀明などのように、もっともっと広い視野で語られるべき仕事を果たした監督だね」
今作ではどんな印象を抱いたの?
やっぱり、女の子の描きかたが独特だよなぁって
カエル「中学2年生で独特の感性を持ちながらも、キャラクターは……おてんばというのとちょっと違うけれど、色々と積極的なこであるんだよね。あの描きかたが人によっては相性があるとは思うけれど、でもあれはあれで面白いよね」
主「日之出は冷戦沈着な男の子として描かれており、このあたりの対比関係も良かった。これが逆の性格であれば、また違う印象を与えるだろうけれど、男女の役割を活発な女子、冷静な男子という描きかたというのは現代的と言えるのではないだろうか?
家を出たい女の子、家を残したい(家業を継ぎたい)男の子など、伝統的な面と革新的な面の両方を同時に描き、どちらか一方を美化も卑下もしない。
またテーマ性も親との向き合いかたなどが描かれており、単純な問題に落とし込んでいない。
様々な部分の描きかたに多くの配慮が感じられていて、近年も『HUGプリ』などのように女性や女の子の物語の描きかたを更新し続けていこうという作家性が出ているのではないだろうか」
スタジオコロリドについて
本作の制作を務めたのは、アニメ制作スタジオのスタジオコロリドです
『ペンギン・ハイウェイ』などのスタジオであり、自分は今最も注目すべきスタジオの1つだと考えている
カエル「もちろん京アニやユーフォーテーブルなどのような知名度も高いスタジオもありますが、特にここ10年くらいかな、2010年前後に立ち上げたスタジオの勢いがすごいよね。
WIT STUGIOとか、あるいはCloverWorksなども面白いスタジオですが、特にスタジオコロリドの今後には注目したいです!
こんな記事も書いています」
それこそYouTubeで公開されているポケモン作品の『薄明の翼』は、2020年を代表する作品の1つだろうな
主「コロナ騒動で作品数が少なくなっていることもあるけれど、それでもそれがなくても2020年のアニメ作本を代表する1作だったろう。
特にスタジオコロリドは石田監督、山下監督などの30代の若手監督を起用していることも特徴だ。
ネットやデジタル世代の申し子であり、個人作家として活躍した経歴がある人も多い。柴山智隆監督も1977年生まれの43歳は監督としては若く、経験もあり最も力を発揮できる年齢だろう。
ここに大ベテランの佐藤順一監督が加わることでの相乗効果も面白いよね」
カエル「さらにデジタルを用いた作品作りであったり……それこそインターネットを活用したり、あるいは親会社であるツインエンジンの山本幸治代表のインタビューにもあるように、この自体にNetflix配信に切り替える柔軟さなども、今後のアニメ界を考える上では大事なのではないでしょうか?」
主「やっぱり劇場で観たかったけれど、興行的にも今は辛い思いをするだろうしなぁ……
それを考えると、この判断もまた非難されるものではない。今はアニメ業界は作り方……それこそアナログとデジタルであったり、配信やYouTubeなどの登場によって様々な見せかたの変化もある。
そこで大きな変化を促す様々な活動をしてくれるのではないか? と期待したくなるスタジオだね」
また、柴山智隆監督作品としてはCMなどの短編も面白いです
カエル「特にシリーズ作品であり、柴山監督は3作目を監督した、YKK プレゼンツ『FANTENG DAYS』シリーズは、こっちの長編バージョンも観てみたいと思うほど子供の躍動感と、SFの面白さが詰まった作品だったね」
主「マクドナルドのCMなどでも、今作に繋がるとも受け取れる表現が出ている。この辺りは短編→長編の流れがしっかりとできているということも言えるだろう。
この試みが今後、さらに大きく発展していくことを期待したいスタジオでもあるかな」
【アニメCM】 マクドナルド「未来のワタシ」篇 スタジオコロリド
以下ネタバレあり
作品考察
序盤について〜賛否の割れやすいキャラクター像?〜
では、ここからはネタバレありで語っていきましょう!
特に序盤15分くらいが良かったのではないだろうか?
カエル「どの映画もそうだけれど、冒頭は力を入れるポイントだからね!
今作も力を入れているのが伝わってきたかなぁ」
主「ムゲが日之出を見つけた時に少し色合いが淡くなり、ピンク色のフィルターがかかるなどのムゲの視点がはっきりと出ている。こういった部分でキャラクター性を説明しながらも、めちゃくちゃ動き回っている。
それだけでなくて、例えば猫の視線を表現するように少し低い視線になったり、学校でのわちゃわちゃした感じがすごくはっきりと出ているムゲのパートに対して、猫モードの太郎の時はむしろ周囲の人を減らし、環境をはっきり見せるなどのメリハリもある。
当たり前のようにみているけれど、ネコの動きを再現するだけでもアニメーションとしてはレベルが高いものだ。
しかも太郎の動きには、ムゲの性格や動きを反映させている。この手のアニメーションのレベルの高さをしっかりと見せつけつつも、観客を置いてけぼりにする独りよがりになっていないのが特徴的だ。
爽快感重視のアニメーションという印象だね」
特にネコからムゲに戻る屋根のシーンなど、約15分頃の動きは必見で、そこで鳥肌が立ったほどだよね!
最序盤の見せ場ながらも、ただしコロリドの問題点も出ているように感じられてしまった
カエル「そこを語る時に引き合いに出したいのが、コロリドの初期の短編作品である『陽なたのアオシグレ』です
こちらは石田監督の作品ですが、キャラクターデザインに今作ではキャラクター原案を務める新井陽次郎が起用されています
カエル「それこそ、コロリドのキャラクターって新井陽次郎のキャラクターデザインが多い印象があるかなぁ。『ペンギンハイウェイ』だってそうだったし、かなり重要なパートを任せられるアニメーターだよね」
主「これは新井陽次郎のキャラクターデザインが幼さを強調するような、丸みを帯びたものが多いこともあるかもしれないけれど、時にはエキセントリックな子供たちに見えてしまい、その辺りに違和感が生じてしまいかねない。
今作ではムゲの行動にその傾向があり、無邪気・おてんばというよりも、エキセントリックに見えてしまい嫌悪感が出るかもしれない。その辺りは……子供っぽさを持つムゲと、大人っぽい日之出という対比にはなっているものの、キャラクターへの感情移入では難しい部分があるかもしれない」
それを考えると、ペンギンって原作付きなのもあるけれど大人っぽい子供だからこそ上手くいった面もあるのかな
ただし、そこいらへんは中和されるようにできているように感じられた
主「正直、自分も観ている最中は『テンション高すぎだろ、ムゲ』と思って、このままついていくのは辛いな、と思った。だけれど日之出パートはより落ち着いたものとなっていて、話のテンションも一度落ちている。
ムゲの行動力で一気に盛り上げ、上がりすぎた面を落とす。そして15分の山場の屋根のシーンを持ってくるという計算高さ、さらには主要キャラクターの説明方法、この映画の見所が動きなどの雰囲気にあるということの証明なども、なかなか上手い作品と言えるのでないだろうか」
岡田麿里の目線
今作の脚本を務めた岡田麿里についても触れておきましょう
岡田麿里成分は多いものの、だいぶ観やすいんじゃないかなぁ
カエル「賛否は割れやすいけれど、でも今回は下ネタ表現などは控えめだった印象なのかなぁ」
主「もちろん、ちょいちょいその要素は感じられる。例えば学校での告白を茶化されるシーンや、あるいは母親と義理の母の喧嘩シーンなどはそうかな。
あるいは、テーマの1つとなる娘と母の対立、故郷や小さなコミュニティに囚われる子供たちというのは岡田麿里が一貫して描いてきたテーマの1つと言えるだろう。
脚本家でありながらも、その作家性が強くて多くの作品に影響を与えていることがうかがえる。この辺りの評価は割れるかもしれないけれど、自分は嫌いじゃないかな」
あるいは煮っ転がしを使って親子の交流を描いたり、あるいは日之出サンライズという絶妙にダサいネーミングセンスなんかも、岡田麿里の必殺技と言えるかもしれないね
今の岡田麿里は親と子、両方の視線を描くことができる脚本家だ
主「少し前の作品だと、子供の視点が中心で親が毒親だったり、その視点があまり描けてない部分もあった。個人的な体験による影響も大きいのかもしれない。だけれど、今は監督作の『さよならの前に約束の花をかざろう』などもあり、その親の目線も描ける脚本家となっている。
今作で語ると、元人間だったネコの集まる店での女性の話。
あれは母親そのものなのか、それとも代理の存在なのかは言及していないが、その心境を話す場面だ。
『子供の視線が怖かった』という心境などは、突然消えてしまった母親もまた、ネコの生活を選んだということを示唆するものでもあるけれど、同時に消えてしまったことの理由を察することができるシーンとなっている。
今作はその両者への視線もあって、だいぶ観やすい作品になっていると感じた。
この辺りは佐藤監督の匙加減もあるのかもね。
ただし、そもそものコロリドの子供描写ってかなり誇張されていて癖があるから、そこが難となってしまう可能性は否定できないかなぁ」
さよ朝といえば、確か以前に岡田麿里とファンタジー描写についても語っていたよね
う〜ん……自分は岡田麿里は現代劇では屈指の脚本家だと思うけれど、ファンタジーに向かない人の印象なんだよなぁ
カエル「今作も後半はファンタジーのような描写になっていくるけれど、そこで勢いがなくなってしまった印象もあるかなぁ。映像的にはとてもリッチなものだったはずなんだけれど……」
主「これは批判ではないけれど、上手く纏めすぎた印象もあるんだよ。
やっぱりあと1つ、何か山場が欲しかった。
描かれたテーマもわかるし、この描き方が失敗だったとは言わないし、大きな欠点があるとも思わない。きっちりとコントロールされている作品だったろう。
無難にまとめすぎた印象もある。この辺りは映像表現や音楽表現の魅力がどうしても半減されてしまいがちな、家庭での鑑賞=配信にした影響もあるかもしれないけれどね」
後半について
あの後半のファンタジー描写について語っていきましょう
あの手の描写って、すごくキツイものがあるよなぁ
カエル「まあ、正直この題材からも『猫の恩返し』が浮かんだし、あの後半のパートは『千と千尋の神隠し』を連想する人も多いのではないでしょうか?」
主「これってパクリとかじゃなくて、日本におけるファンタジーの王道を宮崎駿ってやり尽くしているから……大体、監督作品だけであれだけ数多いアニメ監督って他にいないんじゃないの?
ちなみに、自分はこの作品を観ている最中は『ムジュラの仮面』の方を連想したかな。仮面屋とか、少し不気味な雰囲気とか、似たような部分がいくつかある」
ただ、あの後半パートは力も入っているし、その世界を描き出すことができているものの、やっぱり、ここが少し引っ掛かったかな
カエル「アニメとしてはファンタジーでいいんだけれど、それまで現代劇で進んでいたのに、急にファンタジーになったから?」
主「それもある。
やっぱり、ここで世界が変わったことによって、そこまでしっかりと紡いだ物語や世界が一度断絶されるのは痛いよなぁって。
義母との関係性、あるいは友人たちの物語が半端になってしまう。そこでネコの世界で知り合った人が助けてくれるけれど、彼らは後半30分で唐突に現れた存在だ。モブとまでば言わないけれど、それまで印象に残っていた友人たちの比べれば、やっぱり思い入れは少ないよね」
カエル「設定的には難しいのかもしれないけれど、義母や友達が猫になって助けてくれる方が物語として面白かったのかなぁ」
主「仮面屋の能力を盗んで……とかね。
今作のテーマ、特に親子の関係や別の人では代用が不可能などの描き方がとても良かっただけに、そこが物語のクライマックスにカタルシスとして繋がってこないのは、本当にもったいない。
特に今作の場合、中盤の音楽描写のも良かっただけにね……」
最後に
少し苦言も出ましたが、決して悪い作品ではないと思います!
期待していたこともあり少し贔屓目はあるかもしれないけれど、でも面白い作品でした!