それでは、ペンギン・ハイウェイの考察記事と参ります!
この記事はネタバレ前提ですよ
カエルくん(以下カエル)
「久々の2記事目になります!」
主
「リズ以来かなぁ? この作品も語りたいことがたくさんあるからね」
カエル「ちなみに、今回はTwitterのアンケート機能を使って選ばれた記事です!」
今週かける記事は多くて2つ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年8月21日
その中で候補となるアニメ作品は4作
みなさんに伺います
読みたい記事はどれ?
主「圧倒的にペンギンの考察だったな。まあ、それだけ考察しやすい作品だし、アニメ映画の考察に強いという印象を持ってもらえているのかもね」
カエル「……これ、全部書いたら良かったんじゃない?」
主「さすがに時間からしてそれは無理。せいぜい2記事が今の限度です。
昔はもっと量産していたけれど、文字数も増えているのでね。
ちなみに、アンケート機能は今後も使うかもしれませんので、その際はご協力をお願いします」
カエル「では、記事のスタートです!」
気になった疑問点について
え? いきなり疑問点について話すの?
ここから先は褒めと勝手な考察だから、最初に下げていくスタイルです
カエル「でもさ、かなりの高評価を下していたわけで、それでなんで最初から疑問点について述べていくわけ?」
主「自分は本作を2018年でも屈指のアニメ映画だと考えているし、これからのアニメ界を考えた上ではとても重要な意味がある捉えている。
それこそ、今後のことも考えると1つの象徴と言ってもいいかもしれない。
だけれど、それと同時に違和感も少しだけある作品なんだよね」
カエル「ふ~ん……その違和感って?」
主「なんで彼らってあんなに学校にいるの?」
カエル「……は?」
主「いや、だからさ。あの子たちって夏休み中なのに、なんであんなに学校にいるんだろうなって。
日付表示もあるから、8月に入っているのは間違いない。だけれど、水泳の授業があったりして、普通に学校に通っているんだよね。これが全くわからない。いや、あの日に偶然登校日がありました、というのならわかるよ? でも、そうじゃないでしょ?
原作も同じだったような気がするけれど、なんであんなに小学生が学校に通っているんだろう? って気になったかな」
カエル「……いきなり細かいところのツッコミで申し訳ありません」
脚本構成の疑問について
で、もっと大きな疑問はこっちなのよ
脚本構成に疑問があるの?
主「これは後々言及するんだけれど、本作に似ている作品は? と訊かれると、実はたくさん出てくる。その中でも要素として大きな作品の1つに『千と千尋の神隠し』がある。
ご存知、スタジオジブリの日本で1番売れたアニメ映画だ。
本作も千と千尋と同じような欠点がある」
カエル「あれだけの大ヒット作を捕まえて何を……」
主「それは脚本構成の問題。
1番盛り上がるべき部分、つまり千と千尋~だったらカオナシの暴れるシーンが中盤にあり、そこからラストまでは静かなシーンを描いている。これは、普通の作品であればあまりいい脚本構成とは言えない」
カエル「でも、千と千尋は名作だし、本作も傑作以上という評価をしているじゃない」
主「それだけキャラクターやアニメの演出力、そして世界観が素晴らしいということであり、脚本以外の要素でカバーしているんだよ。
そして本作はさらにある問題を抱えている。
それが……ある種の緩急の問題だ」
カエル「はあ」
主「本作の終盤、最も盛り上がるシーンが顕著だけれど、勿体無いなぁ、と思うのは子供達が奮起して最高にかっこいいシーンがあるのに、その流れを1度止めてしまったこと。全ての種明かしをして、そしてペンギンパレードの大傑作シーンへと至る。
その後に、再び静寂の世界へと入る。
つまり、物語は緩→急→緩→急→緩となっている。
これは原作も同じだったけれど、映像としてみると1つ緩急の流れが多いから、ここは構成をいじってでも減らしたほうが良かったのでは? という思いがある。
そうすると、アニメの急、もっとも味がある勢いのあるシーンがより映えるようになる。
重ねていうけれど、そういう欠点がありつつも、その1つ1つのシーンがとても魅力的なのは、それだけ映像の力がとんでもなく飛び抜けているからだ。
だからこそ理解を示すし、いい作品だと思うけれど、ちょっと勿体無いかな? という思いもある」
カエル「原作通りだし、悪くないと思うんだけれどねぇ」
本作の監督、石田祐康について
では、ここからは考察に入ります
まずは石田監督について語っていきましょう
カエル「……これって本来は感想記事で書くことでは?」
主「あちらでは書きそびれてしまったから、まあしゃあない。
まず、石田監督はまだ1988年生まれの30歳であり、この若さでこの規模の映画を任されること自体が異例の抜擢だろう」
カエル「いやー、またすごい人が出てきたものだね……
前に『30代のアニメ監督に注目!』ということで『宇宙よりも遠い場所』などのいしづかあつこ監督、京アニの山田尚子監督、そしてポケモン作品を背負う矢嶋哲生監督などに注目! なんて言っていたけれど、またまた新しい才能が大きな結果を残した!」
主「今作のキャラクターデザインなどを務めた新井陽次郎も89年生まれ、助監督の渡辺葉も88年生まれと、若い才能が中心となった作品だ。
特に本作を鑑賞して、自分がいつも毛嫌いしている言葉ではあるけれど……『ポスト宮崎駿』の地位は埋まったかもしれない、とまで思ってしまった。
それほどにアニメに力があり、特別な魅力に満ちた作品を生み出したということで、とても注目すべき存在なのは間違いないし、このような作品がいまの日本アニメ界から出てくることが驚きだった」
カエル「なんていうか、続々と新しい才能が結集している、というのがよくわかるかなぁ」
主「2013年に宮崎駿、高畑勲の最後の作品(とされている)が公開されており、そこからアニメ制作会社としてのジブリ解体が始まった。それから2016年の3Kアニメを始めとして、新しいアニメが一気に花開いたという印象が特に強い。
今作もその流れを象徴するような作品だろう」
フィルモグラフィから考える
カエル「監督の過去のフィルモグラフィから考えると、まずは『フミコの告白』という数分間の自主制作アニメがとても高い評価を受けて、多くの賞を獲得しています。
その後卒業制作の『rain town』を経て『陽なたのアオシグレ』を短編アニメとして発表し、今作に繋がっています」
主「多くの人が『フミコの告白』をあげていたけれど、自分はこの3作品の中でも『rain town』を激推しします!
約10分ほどと短い作品ながらも、本作はアニメの持つ力を発揮している。フミコの告白などはそのスピード感溢れる表現などは、とてもわかりやすく観客に快感を与えるものだ。
一方で『rain town』はそんなに派手なシーンというのはない。
だけれど、黄色いレインコートを羽織った少女とロボットの交流を描き、それが雨のシーンも相まって叙情的な雰囲気を醸し出している。
それは本作でも見事に生きている。派手なシーンがやはり目につくけれど、嵐の夜だったり静かな海の中では、本作はとても静謐で叙情的な印象を与える。
この両輪こそがアニメの緩急となり、大きな魅力を獲得している」
カエル「特にrain townはネット上で公開されている短編アニメに注目するきっかけとなった作品でもあるから、特に思い入れが強いよね」
主「今、世界のアニメーション界はデジタル化によって制作のハードルが下がり、非常に特色のある作品が次々生まれていて、面白いことになっている。
それは日本でも同じようなことが起きていて、個人製作で作られた短編の中から、作家性とエンタメ性の両方に優れた作品が生まれている状況もある。
個人製作(アマチュア)→短編商業アニメ→長編アニメというステップアップは理想的なものであるし、この流れが次々と続いていくと、もっと面白いアニメ界になることは間違いないだろう」
一方で懸念として
これは感想記事でも書いたことの繰り返しになります
理想的なステップアップだけれどね
カエル「まず、その懸念の1つが『物語性』ということだけれど……」
主「これは欠点と言えるのかなぁ……例えばさ、宮崎駿にしろ細田守にしろ、とても魅力的なアニメ作品を作ることができるし、アニメーター(演出家)として疑問を挟む余地が一切ないのは間違いないんだよ。
ただし、脚本はあまり褒められない場合が多い。
これは実写の映画監督でも同じような人を見かけるけれど、自分の撮りたい絵を優先しすぎるあまりに、話の流れを無視したり、あるいは違和感があるようなものになるケースがある」
カエル「あんまり具体例を挙げると荒れそうな話題を……」
主「自分は石田監督も同じようなところがあると感じている。
自主制作だった『フミコの告白』も『rain town』も短編ということもあって明確な物語がある訳ではなく、観客がある程度補完する要素があった。
『陽なたのアオシグレ』は主人公の少年の思考やキャラクター性に違和感を覚えることもあった。正直、自分は苦手な作品です」
カエル「えっと……レビューサイトの評価でも、性描写に違和感を覚える人は多いのかな?」
主「その点、今作は森見登美彦との原作と上田誠の脚本によって、物語性を獲得している。
これ以上ないコロリドと石田監督向きの話だと思うし、最強の布陣だとも感じた。
ここまでのステップとして100点のジャンプを跳んだと思う。
だからこそ、勝負は次だよ。さあ、この次は何で勝負を仕掛けるのか? オリジナルか、原作ありか、もしくはテレビアニメか……色々な選択がある中で、どう勝負するのか?
ものすごい可能性を感じさせてくれる監督だからこそ、この先どうするのか楽しみになってくるね」
作品考察
お姉さんとは何者か?
ここから作品本編の考察になります!
まあ、でも独自の目線は少ないかもね
カエル「ではでは、まずは気になるのは『お姉さんとは何者か?』という問題ですが……」
主「その答えはこちらです」
彼女というのは遥か彼方の女と書く。 女性は向こう岸の存在だよ、我々にとってはね。 男と女の間には、海よりも広くて深い川があるってことさ。#加地リョウジ#Eva#今日の名言#物語る名言 pic.twitter.com/yDa77ymUfx
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年8月18日
カエル「えっと……EVAの加待さんじゃない?」
主「男にとって女性というのはいつまでも理解できない、とても興味深い研究対象なんですよ」
カエル「……は?」
主「つまり世界の果て、絶対に理解できない真理の具体的な象徴の1つ。
なぜ少年はお姉さんに惹かれるのか、なぜおっぱいを見てしまうのか、そもそもお姉さんとは何者なのか?
それは、お姉さんという単語が特定の個人名になることで、この世の多くの男性が疑問に思うことなのです」
カエル「え? そういうこと?」
主「これは森見登美彦の作家性でもあるけれど、男性から観た女性像が未知の生物のように描いえている作品が多いんだよ。
ちなみに、石田監督は『EVA』では葛城ミサトが好きだとインタビューで話していたけれど、これはよく理解できる。確かに、このお姉さんはより家庭的になったミサトだしね」
カエル「ちょっとガサツなところとかも含めて、似ているところは多いかも」
主「本作ではお父さん、お母さん、妹、お姉さんのように、アオヤマくんから見た役割の名前が与えられている。
友人もウチダくん、ハマモトさん、スズキくんのように、苗字呼びだ。これは『未来のミライ』も同じなんだけれど、特定の個人を描こうというよりも、もっと広いもの、大きいもの、ある種普遍的なものを描こうという意思を強く感じさせるね」
いつだって男性にとって女性は永遠の謎でもあります
(C)2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会
時間を描く
もっとも好きなシーンはどこなの?
実は、映画としてはダレ場なんだよ
カエル「あれ? あのペンギンパレードじゃなくて?」
主「もちろん、ペンギンパレードも大好き。
特にお姉さんの『右、左、進め!』だけでも何回も見ていたいほど好き。
だけれど1番を決めろと言われたら……やはりハマモトさんも含めた3人での研究の日々を、ダイジェストに描いたシーンだね」
カエル「中盤くらいの、海やプールでのスズキくんの意地悪と、それに負けないアオヤマくんの姿が印象に残る場面だね」
主「ここは原作にもあった子供達が交流を重ねていくシーンだけれど、それを言葉を介さずにダイジェストにさらりと見せることで、独特に詩的な演出に仕上がっていると思うんだよ。
それと同時に、過ぎ去ってしまった子供時代を思い返し、早く通り過ぎていく時間を演出している。
特に夏の夕暮れでパラソルを広げて……というカットが本当に好きで!
ここもなんども観たいと思わされた場面だね」
カエル「それだけいい雰囲気だったんだね」
主「それと同時に、本作は『時間を描く』ということもテーマにしている節がある。
例えば、原作では相対性理論が何度も出てくるし、E=MC2(二乗)の有名な方程式のE=とはペンギンエネルギーとして計算している。相対性理論はアインシュタインの名文句もあるように、時間の遅れなども関係してくる理論だ。
海に触れるとものが時間が過ぎたようになるという描写もあるけれど、時間を描くという1つのテーマに対して、最も効果を発揮したシーンだと考えるよ」
(C)2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会
世界の果てと海
カエル「続いては海とは何か? ということだけれど……」
主「オタクっぽい言葉で表すと、この世界の特異点だよね」
カエル「特異点? つまり、特別な場所?」
主「今作を読み解く鍵を教えてくれるのは、いつもお父さんなんだ。
『世界の内側と外側というのは、案外繋がっているのかもしれない』という言葉が大事になってくる。
これは以前『プラネテス』の記事でも語ったけれど、個人の心理に関することと、宇宙の果てについて考えることは、実はイコールになることもある。
マクロな視点がミクロな問題につながることもあるし、その逆もしかり、だ」
カエル「『あるときいろいろなものが突然つながるときがくるよ。〜中略〜エウレカだ』のセリフもあるやつだね」
主「それで考えると、あの海の中とは世界の果てである。そして、その世界の果てを個人単位で考えならば、それは死だ。
あの世界は三途の川であり、死の世界なんだよ」
カエル「……死の世界?」
主「ここで先ほどから上げている似ていると思った作品を羅列するけれど『となりのトトロ』『EVA』『千と千尋の神隠し』『打ち上げ花火、横から見るか、下から見るか』を自分は連想した。
この4作品は自分に言わせてもらえば、死や世界の果てを濃密に描いた作品なんだ」
似ている作品たちについて
カエル「え? トトロもそうなの?」
主「公式に否定されているトトロ死神説を信仰している訳ではないけれど、自分もトトロは怖い映画だ。例えば、メイが迷子になって一人で呆然としているシーンでは、夕焼けの後ろで地蔵が並んでいる。こんなの、ただのホラーじゃないですか!」
カエル「……昔からトトロは怖いから、ハートフル作品の要素なんて全く感じないって言っていたもんね……」
主「では、話を戻すと、特にトトロ以外の3作品は明確に世界の果て、死後の世界を描いている。
後半の海の中のシーンを初めて見たとき、1番強く連想したのは『EVA』なんだよ。つまり、旧劇場版でシンジとアスカが『気持ち悪い』で終わる衝撃のラストシーン、あれは世界が終焉した後の世界を描いているけれど、今作のように寂しげな様子を感じさせた。
それから『千と千尋』や『打ち上げ花火~』で描かれた電車と海がつながるシーンがあるけれど、これはあの世に行くという描写に受け取れる」
カエル「本作でも電車はもちろん登場するし、海の中を行くシーンも結構静かだったね……」
主「つまり、人間でいえば『死の世界』がなんらかの理由で顕在化してしまった世界とも言える。
その世界の果てと死、その両方をアニメとして可視化した場合、あのような表現になってくるのではないか?」
『海』を知らない少年たち
カエル「三途の川や死後の世界は別としても、よくよく考えてみると、アオヤマくんって海を知らないんだよね。
初めて海に行こうとした時も、お姉さんが体調を崩してしまったし……」
主「死後の世界というと突飛なことのようだけれど、1つ間違いなく言えるのは『海』というのは『未知なるものの象徴』なんだよ。
自分は人生で誰もが知らないもの=死の世界という意味も含めて三途の川などを出したけれど、そこまで具体的なものでもない。もっと曖昧なものでいいんだ。
それこそ、海だから母なるもの=生命の起源であり、だからお姉さん(愛する女性)と繋がる、などでもいい。」
カエル「ここで大事なのは『知らないものを知る』ということなんだね」
主「そう考えると本作は少年が知らないものに溢れていて、お姉さんの存在、ペンギン、海、そのほか多くのことを研究している。
未知なるものに仮説や予想さえる名称をつける。
あの大きな物体を『海』と称し、研究し、解明していく。それもまた科学的な態度だろう。
日常の中にある謎を解き明かしていく……そんな作品に仕上がっているんだ」
ペンギンの意味
そして、誰もが気になるペンギンの意味ってなに?
いや、そんなに意味はないんじゃない?
カエル「え? ないの?」
主「あるとすれば、ペンギン云々よりも空を飛ぶことができないという特性にあるだろう。
鳥なのに空が飛べない、海を泳ぐのが早い、そんな動物が空を飛んだら、非常に面白いじゃない」
カエル「空を飛べない鳥なら有名どころではダチョウもいるけれど……」
主「街中にダチョウがいたら大パニックじゃないか!」
カエル「いや、ペンギンでもパニックだけれどね」
主「その可愛らしさと飛べないという特性を兼ね備えているけれど、映画としてとても面白い改変……というか、演出をしている。
多分、この切り口を発見したのは自分が最初だろう!」
カエル「お、自信満々だね」
主「つまりさ、ペンギンって白黒なんだよ」
カエル「……は?」
白黒のペンギンが意味するものは?
(C)2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会
白黒の演出
主「いや、だからペンギンって白黒なの」
カエル「はぁ……? そりゃ、ペンギンだもんね」
主「つまり『 ホメオスタシスとトランジスタシス』なんですよ」
カエル「またEVAですか?」
主「本作で重要なアイテムとして登場するのはチェスだけれど、これも白黒で構成されている。
それで考えると、本作って白と黒、あるいは光と闇の演出が魅力的に描かれているんだよ。
光の中でならばペンギンを生み、闇や光が届かないとそれ以外のものを生んだりさ。
陰陽道でもあるけれど、太極図の白と黒は隠と陽の混在する様子が描かれている。
つまり、この作品も同じで、陰陽の混沌というものを描く、いわゆる太極図の代わりとしてのペンギンがいる訳だ」
カエル「……太極図の代わり?」
主「実は、それを象徴するように、海の崩壊を終えた後に白い鳥が2羽とんでいく。世界の果て、死の世界は去ったという表現だ。そして、ハトも2羽飛んでいくのは、平和の象徴だろう。
一方で、ラストの空き地において白と黒の毛の色をした猫がいるんだけれど、これはペンギンの代わりの陰陽の存在だ。
白ばかりになった世界に、突如現れる白黒の猫、そしてその後に起こることは……? と考えると、この白黒いう演出の意味が良くわかるじゃにゃいかな?」
何かと大事なお父さんの言葉
なぜだか、最初に原作を読んだ時お姉さんはお父さんに惚れていると思っていました
(そんな描写は一切なし)
(C)2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会
見事なラストシーン
本作で喝采を送るのが、このラストシーンの改変だよね
原作とはちょっとだけ違う終わり方をしています
カエル「あの彼らが作ったペンギン号が帰ってくるか、そのまま終わるのか、というだけの違いなんだけれど……」
主「自分が1番心配したのがこのラストでさ、凡庸でわかりやすいハッピーエンド主義者の多い邦画業界だったら、絶対お姉さんはあんなことにならない。
それはこの映画の最大の味を損ねるし、なんだかなぁ、という首を傾げてしまうかもしれない。だけれど、この映画版はそういう終わり方をしない上に『何かあるかもよ』で終えている。
変化の予感で終わらせているんだけれど、この変化の『予感』というのがとても大事!
ここに考察する余地なども宿るんだよ。
ハマモトさんがアオヤマくんに向ける感情もまたそうだけれど、そういう部分を描かないとこというのは、とても大事なんだ」
カエル「なんでもかんでもはっきりさせるよりも面白みがあるよね」
主「あそこで戻ってきたのが、彼らの小学生離れした探究心で開発した『ペンギン号』というのも意味があるのかな。
ペンギンというのは、先ほども述べたように陰陽の存在である。
同時に、彼らの未来と科学力の象徴でもあるペンギン号を出すことによって、色々な予感を描き切ったこと、それがこの作品のラストの最大の功績と言えるのかもな」
セカイ系としての本作
他作品と比較して
ここからは作品の内容と離れての考察になります
自分は、本作はとてもうまくいった『打ち上げ花火〜』だと感じたんだ
カエル「『打ち上げ花火、下からみるか、横からみるか』は2017年に公開されて、それなりのヒットはしたけれど、残念ながら批評的には賛否がはっきりと、びっくりするくらいに別れてしまった作品だよね
主「自分は今でも大絶賛ですがね!
まあ、それはそれとして……先ほども述べたように海の描写も似ているし、さらにいえば少年が連呼する『おっぱい』も少年らしい性的な疑問という意味でも、とてもよく機能していた。
一方で打ち上げ花火〜は性的な描写を失敗してしまい、観客をドン引きさせてしまったけれど、やろうとした少年らしい性描写という意味では似ていると思うんだよ」
カエル「ペンギンもちょっと性描写が賛否が別れるところもあるけれど、でも全体的には暖かい眼差しで見られているんじゃないかな?」
主「それから、打ち上げ花火〜のヒロインであるなずなと、本作のお姉さんも、ある種の少年にとっての理想の女性像であり、悪女という要素を含まないファムファタルという意味でも同じかもしれない。
あとは、ヒロインのラストの展開も似ているのかなぁ。
もちろん、これは他の作品でも同じなんだけれど……実は根本にある作品が似ているということなんだろう」
カエル「……根本にある作品?
EVAじゃなくて?」
主「もっと古い作品。それは『劇場版まどか☆マギカ』とも同じルーツを持つ、あの大名作だ」
今作の根本となる作品
ああ……なんとなくわかったかも
もちろん、押井守監督の大名作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』だよ!
カエル「まあ、そうなるよね。ちなみに森見登美彦も押井ファンであり、気がつくと似たようなことになるから、変化させることを強く意識しているそうです。
四畳半神話大系なんかは、まんまループものだしね。
じゃあ類似点を上げていくと……」
- ある程度範囲を限定された不思議な現象
- 日常の中に潜む違和感
- ある種の円環的構造
主「例えば、今作はスタートの描写とラストの描写が同じように、アオヤマ少年が研究している様を俯瞰している様子が出ている。
これはある種の変わらない日常と、それでも変わっていく日常を描いたものであり、自分は円環的構造を宿していると思ったんだよ」
カエル「……はあ。わかるようなわからないような……」
主「自分に言わせてもらえば、本作は『日常系』『セカイ系』『ループもの』の3つの物語性を組み合わせて見事に融合させている
つまり、簡単にまとめると……」
- 少年の成長記録(日常系)
- お姉さんと少年の関係性が世界の崩壊を食い止める(セカイ系)
- 限定された空間で最初と最後が円環構造をしている(ループもの)
カエル「う〜ん……でもさ、本作ってそのどれでもないじゃない? そもそも、日常系とセカイ系って共存できないもののような気もするし……」
主「それが面白いんだよ!
もちろん、本作はこの3つの要素をある程度抑えつつも、全く違う作品に仕上がっている。
自分の中では分類することがとても難しいんだ。
それこそジブリっぽくもあり、EVAっぽくもあり、それ以外の作品の流れやアニメに影響を受けてきたことがとてもよくわかる。
まさしく30歳になったばかりの人の作品だというのが、肌感覚で理解できる」
カエル「はぁ……それっていいことなの?」
主「はっきりいえばわからない。コピーばかりだ! という批判も成り立つし、基本的にコピーは劣化していくものだから、あまり歓迎すべきものでもないかもしれない。
だけれど、これだけの偉大な作品を作り上げたのもまた事実なわけで……最初に述べたように、石田監督やコロリドはここからが勝負だからさ。
自分は新しい作品の流れの兆しが見えた! ということでも嬉しいけれど、この流れがこの先どうなっていくのか……それを含めて注目していきたいね」
まとめ
とりあえず、ここまでのまとめです!
- 若干の違和感も抜群のアニメ力でカバー!
- 石田監督のフィルモグラフィーで考えると真っ当な進化を遂げている!
- 本作が描くものは陰陽(生と死)など抽象的なものを映像に!
ちょっと後半はふわふわしちゃったなぁ
カエル「もっと思いついた時は色々とあったんだけれど、言葉にしようとするとどれも逃げていくような気がしてしまって……」
主「この辺りは難しいところだよなぁ。
あの作品に似ているし、何かを掴めそうなんだけれど、掴めない。そんな作品だったなぁ。
もうちょっと練らないといけない部分はあるけれど、そのどれだけ考えても掴みどろこの無さこそが、本作最大の魅力かもしれない。
この夏、ずっと遊べるおもちゃを手に入れたような、そんな予感もあるよ」
カエル「ふむふむ……これから何回も観て、考えていきたい作品でした!」