うちでは特別な作品になった『HUGっと! プリキュア』が最終回を迎えました
特に劇場版はとても胸に響いたよ
カエルくん(以下カエル)
「まずはスタッフ・キャスト、関係者の皆様、1年間お疲れ様でした。
これでプリキュアシリーズが終わりというわけでもないので、むしろここからが新たな勝負という方もいるでしょうが、一区切りということでゆっくりとしてほしいです」
主
「また、1年間追いかけてきた方々もお疲れ様でした。
1クールアニメでも30分が12、13本と多くて大変なのに、1年間同じアニメを追いかけ続けるというのも実は結構大変なことです。
自分も久々に1年間追いかけてきましたが……いやぁ、大変だった」
カエル「いつの間にか1クール、2クールに慣れていたから、昔は当たり前のように朝に起きてアニメを見るというのが、これほど大変だったのかと思い知らされた形だね。
ちなみに、うちは秋の映画も鑑賞して大絶賛をしていますので、よろしければそちらの方の記事もお願いします」
主「では、早速ですが感想記事のスタートです!」
感想
それでは、まずはTwitterの短評からスタートです!
#precure
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年1月27日
まずはスタッフの皆様、1年間お疲れ様でした。
今作が描いた育児、働き方改革、未来への憧れ、ジェンダーフリーなどは現代日本でも年々注目度が増していく問題であり、ここを真正面から向き合ったことに賛美を送りたい
子供のみならず、親御さんにも伝わるメッセージがある作品でした pic.twitter.com/XDCPu9eH8R
とても有意義な作品でした!
カエル「まず、誰もが語るように社会的な意義が多い作品だったね」
主「何と言ってもこの視点は絶対に外すことができない。
今って物語業界? という言い方であっているかはあれだけれど、昔とはかなりの多くの面で変化をしている。配慮をしなければいけない描写も多く、作り手側としては難しい時代になっている。
だけれど、その中でもプリキュアというのは、初代からして非常に革新的な物語だった」
カエル「女の子が主人公だけれど恋愛がメインにならず、しかも肉弾戦で戦うなんて、当時も思い切ったことをしたよね……
そしてそれは今の海外を中心とした映画界のトレンドにもなっていて、むしろ『女性だから恋愛モノが好き』なんて発言した日には大変な炎上をする時代になっています。同時に、ヒーロー映画でも女性が活躍する話が増えているのも特徴的です」
主「そんな中で今作が示したジェンダーフリーなどのメッセージ性というのは、子供のみならず一緒に鑑賞しているであろう大人たちにも響くものになったのではないかな?
どうしてもプリキュアって女児向けだから、ちょっとバカにされやすいというか、子ども騙しっていう人もいるかもしれないけれど、実は多くの大人向け作品よりも大変なメッセージを真正面から表現した作品ということでも、高く評価されるべきでしょう」
エンタメとしての面白さ
もちろん、そのようなメッセージ性の強い描写も大事だけれど、あとは単純に物語としても面白くて!
今、人気を集めるフィギュアスケートに注目したり、あるいは芸能人になって歌手として歌ったりと、キャッチーな部分も楽しめました
主「声優ファンとしては演技の方も申し分なかったなぁ。
特に田村ゆかりってやっぱりとてつもない声優だということを再認識した。
敵時代のルールーの低い声、仲間になった後の声、父親と絡む時の拗ねた時の声に、最終回の子供声などの使い分けも良かった。
『LOVE&LOVE』なんて純粋にいい曲だから、何度もリピートして聞いています」
カエル「もちろん他の声優さん達にも大満足です!
引坂理絵はほぼ新人だったけれど、その圧倒的な演技力はそれを一切感じさせませんでした。特に劇場版に至っては、彼女の演技力があの感動を引き起こしたところも大きいと思います。
本泉莉奈も若手ですがいい演技だったし、小倉唯、田村奈央という若手ながらもアニメファンからの一定の評価を得ている声優と比べても一切見劣りしませんでした。
若手と人気のキャスト、そしてベテランのバランスも含めてとても良かった!
このあたりの若手声優を育てるアニメとしてのプリキュアもいつか語りたいね」
HUGプリのメッセージ性とポリコレについて
HUGっとプリキュアの描いたことの意義と難しさ
今回は社会的な意義があった一方で、批判意見もちょいちょい出てきたよね
もちろん、万人が絶賛する作品はそうそう生まれないけれど、物語の難しさを感じたなぁ
カエル「以前にもHUGっとの記事を何度か書いているけれど、その中でも『社会的な意義がある』と強調しているよね。
特に出産や育児に関する啓蒙だったり、ジェンダーフリーに対する言及なども多くて、それは今の時代に求められる物語だと重ねて強調したいね」
主「もちろん、子供向けアニメでそのような現代的な啓蒙を行った意義というのはとても大きい。
これからの先の時代、育児に対する社会や多くの人の参加であったり、ジェンダーフリーの流れはさらに加速していくだろう。
自分の子供の頃はランドセルの色も”男の子は黒や青、女の子は赤”と決まっていたけれど、今はそういう時代でもなくなっていきカラフルになった。これは成熟した社会となりつつあるとして喜ぶべきことだし、それをプリキュアという女児向けアニメの中でも1番と言えるビックタイトルで啓蒙したのはとても大きい」
カエル「だけれど、だからこそ色々な議論が巻き起こった印象もあって……」
主「ここまとても難しい……
というのも、普段自分は映画を語る際に”この意見は政治的すぎる”という意見もある。ポリコレ配慮がいきすぎて、嫌になる部分もある。
特に自分はディズニー/ピクサーには厳しいといわれることもあるんだけれど、それは自分でも思う。それはあえてそうしている部分があるけれど、その理由があまりにもポリコレやアメリカ社会の流れに沿いすぎているようにも見えるからだ。
そういう人間である自分が、今作のメッセージ性について激賞するのも変な話と言われればそうかもしれないね」
メッセージとポリコレ
では、そのある種の矛盾についてはどう考えているの?
開き直ったことを言えば”矛盾して何が悪い!”という思いもあるにはあるよ
カエル「まあ、人間だしねぇ……『差別はダメだ!』といった人が特定の外国人や性別、人種などについて無意識に偏見や差別的な言動をしていることもあるだろうし……」
主「ただ、全てのメッセージがダメという話では当然ない。むしろ、子供向けアニメに限らず、多くの表現というのは政治的なプロパガンダは絶対に含まれている。
”平和を重視!””みんな仲良く”なども一種の革新的なプロパガンダではあるし。
問題は、そのプロパガンダの描き方だと言える」
カエル「プロパガンダの描き方?」
主「最初から答えが決まっていて、そのために物語の流れを外してまでその方向性に向かうようなメッセージ性はどうかと思うけれど、そこに至るまでの流れがきちんとしていたら、それは強烈に心に残ることになる。
例えば大きな確執があって戦いそうになった時、絶対に許せないほどの辛い気持ちをぐっとのみ込んで”自分は暴力を振るわない”と決めた時に、大きなメッセージ性が宿ることになる。
HUGっとの場合はそれができていたのか? という尾が大きな問題となるわけだけれど……ここが意見が割れるポイントかもしれない。
でも、自分はそれは問題なかったと思うし、特に中盤に関しては間違いなく日本で最高のメッセージ性を宿した作品だったよ」
カエル「育児のみならず、ブラック企業批判だったり、チャラリートのように何にもなれない自分に対してある種の自暴自棄になる思いであったり、パップルのような恋愛によって縛られてしまう女性なども描いていたしね」
主「ただ、この辺りは難しいところでもあって……確かに後半が弱い印象もあったんだよね。
そこについてこれから語っていこうか」
HUGプリ後半の難しさ
描かれなかった死別
死別は女児向けアニメの配慮もありそうだけれどね……
まず、この作品でも結構示唆されているけれど、未来に絶望する最大の理由の1つは死別だろう
カエル「ジョージ・クライとはなが夫婦である説は結構根強くて、もはや非公式ながらも、ほぼ確定といってもいいのかな?」
主「では、なぜジョージが未来に絶望したのかというと、最も愛する人であるはなに過酷な未来が待っているからだということが示唆されていた。
そしてトラウムもまた、愛する娘を失ったのではないか? という考察がある。その気持ちの穴をルールーで埋めているというのは、自分は今作に対する妥当な解釈だと考えている」
カエル「もちろん公式ではないですが、そのような連想ができる描写は多かったよね」
主「死別というのは必ず、誰にでも起こることである。
『いつまでも いると思うな 親と金』とはいうけれど、両親ならば大人になってからの死別であればまだ諦めはつくかもしれないが、それが配偶者や子供であった場合は、人生を立ち直れなくても仕方ないのではないか?
そんな時に”未来は明るい!”とはどうしても思えないというのは、わかる」
カエル「”未来は白紙だ”というのは、子供だからこそ明るく言える理想論みたいなところもあるからねぇ……」
主「その乗り越え方が最終決戦のあのエールが抱きしめてあげたシーンというのは、とてもいい。
描写自体に一切の文句もないし、自分も大好きなシーンだし、もうそれしかないという方法ではあるけれど……でも、難しいよね。
これが全ての解決になるというわけでもない。
そのあたりはテーマ設定がかなり壮大なところへ行ってしまったからこそ、とても作劇が難しくなってしまったという思いもある」
大人たちの改心?
結構、大きな疑問として残ってしまったのがここかなぁ
終盤の展開が尺不足のようにも見えてしまった要因だな
カエル「特にクライアス社のビストル、ビシン、ジェロスの離脱については、ちょっと無理くり感もあったかも……」
主「ここも難しいなぁ……
そもそも、ハムスター族のお話自体がこれでよかったのか?
なんかまとめきれていない印象はあった。おそらく、愛によって縛られてしまう人々を描いていたのだろうけれど……ここも結論なんて出しようがない問題でもあるしね」
カエル「ジェロスに関しては『どれだけ頑張っても可愛がられるのは若いうち』という、かなりドキッとするような発言もあったね」
主「HUGプリ最大の弱点でもあるけれど、未来は白紙だし明るいと言えるのは、まだ10代の女の子だから、というのは確かにある。
というかさ、これだけ物語に感動している自分ですら、それでも未来は明るいと言えますか? と訊かられたら多分NOと答える。
問われなくてもクライアス社に入るし、今のままで時が止まるならば、それはそれでいいよ。
どうしたって体は老化していくし、できることは限られていくし、社会からの”〇〇歳なのに独身なの? 年収は〇〇〇万円以下なの? まだ夢を追いかけているの?” みたいな無言の圧力もかかるし、何よりも転職やら何やらも年齢制限もあったりして難しかったり」
カエル「生々しい意見だね」
主「最終回でもトゲパワワは無くならないし、そういう思いを抱えた人はたくさんいる。
もちろん、人生はいくらでもやり直せる! というのも1つの真実ではあるけれど……この辺りは描き方などが難しく、苦心した印象もある。
子供向けアニメでそんなことを生々しく描くことが、果たして正しいのだろうか? と問われたらそれもそうだし。
その辺りがやっぱり引っかかりとしてはどうしても残ってしまった」
”全員がプリキュア”の違和感
ここも話題になりました、誰もがプリキュアになれるという展開ですが……
う〜ん……意義はとてもわかるけれど、違和感はあったかな
カエル「まず、意義としては『誰だって自分の夢を叶えられる、スペシャルな存在になれる』という意味があり、みんなの未来は明るいよ、ということを訴えているんだよね」
主「それはHUGっとが表現してきたことだし、もちろん意図は間違っていないと思うけれど……
これは賛否が分かれる手法だよなぁ……
そもそも、プリキュアって”選ばれし者”であるわけで、じゃあ誰でもなれることが果たして正しいのか? という疑問がある」
カエル「ドラゴンボールでいうところの、スーパーサイヤ人のバーゲンセールみたいな、インフレの問題ってこと?」
主「それもちょっとは含まれるかもなぁ。
なんというかさ……確かにイチローや大谷は素晴らしいけれど、でも全ての野球選手がそうなれるわけではないじゃない? もちろん、物語の中ではなれるんだけれど、そうなったら、それはもう野球という競技は面白くはないんじゃないの? って違和感。
それにプリキュアという最大の個性を誰にでも身につけることができるというのは、メッセージとしてはそうなんだけれど、同時に個性的だったものを没個性的にしてしまう選択にも思えた
ものすごく極端なことを言うと、共産主義的な?」
カエル「そこまで言うの?」
主「運動会の『みんな1等賞』みたいな話で、それはちょっと違うと個人的にはおもっている。
足が速い子もいれば遅い子もいる、その両方が個性であるという方が好きなんだよなぁ。
後ろから虎が追いかけてきていたら足が遅い子は襲われるけれど、前にライオンが待ち伏せしていたら足が速い子が襲われるかもしれない。足が速いことは良いけれど、でも足が遅いことを悲観する必要はないっていう方が教育的だと感じている。
もちろん、みんなが『輝く明日を抱きしめる』ことができて、自分の個性を理解したらプリキュアというキラキラした存在になれるというメッセージはわかるけれど。
……ここはテーマが大きいからこそ、作劇の難しさを感じるという話になるのかな」
最終回から見るHUGプリの魅力
はなの髪型の物語
でも、もちろん素晴らしいポイントだっていっぱいあります!
むしろ上記の不満は大人だからこそであり、女児向けアニメで必要ないと言われたらその通りだ
カエル「うちは何度か”HUGプリははなの髪型の物語だ”という風に語っているけれど、最終話はそれが強調されたような形だったね!」
主「本作のキャラクターデザインの中でも、特にはなが素晴らしいのは”切りすぎてざっくりとした前髪”なんだ。これは彼女がそれまでの自分と決別して、変わろうという気持ちを抱いていることをアピールしている。
だけれど、彼女からしたら”切りすぎてメチョック”な髪型でもある。
傍目から見たら可愛らしくて違和感があまりなくても、本人はどこか欠けているように思う……そういった心境を表している髪型であり、このキャラクターデザインと性格描写のリンクは見事だ」
カエル「そして、最終回ではその切りすぎた前髪を誇るような描写からスタートします」
主「自分の人生のみならず、そのような欠点だと思う部分も心持ち1つで簡単に変わるんだ! ということを示している。
それははなの最大の成長でもあるし、視聴者にもわかりやすく伝わるポイントだったのではないかな?」
電車でのお別れ
あれは東映ということもあって、デジモンを連想した方も多いのではないでしょうか?
バタフライが流れるのかと思ったよ
カエル「ちなみに、世代が変わると銀河鉄道999になるらしいよ」
主「さすがに999は世代を外れるからわからんわぁ……
では、なぜ電車が使われているのでしょうか? という問題だ」
カエル「そういえば映画などに限らず、電車を魅力的に扱う作品は多いよね」
主「1つは座っていても勝手に電車は進むから、止まっているような描写(ダレ場や会話の場)でも、物語自体は進むというメリットがある。旅行などでも電車は絶対と言っていいほど使い易い乗り物だしね。
そして演出技法としては、ほぼ一方通行であることもあり、動き出したら止まらないことなどもあり、ある種の運命的なものを連想させるわけだ」
カエル「デジモンにしろ、プリキュアにしろ電車でお別れなのも、2つの世界をまたがるお別れだから、それ自体が逃れらない運命であるということもあるのかな」
主「未来へ帰る者たちと、現代に残る者たちを分ける部分でもある。
そして、HUGっプリが描いてきた重要な意味は他にもあるわけ」
親離れと子離れ
あのハグたんの泣き声とか、それだけで1年の積み重ねがあるから胸にグッとくるものがあるよね
電車によって分けられる運命の子供たちは、育児の終焉を予感させる
主「これは絶対に必要な描写だった。
親子というのは必ず親離れと子離れという形で別れる時が来る。
子供だっていつまでも親元にいるわけにもいかず、いつかは独り立ちしないといけない時が訪れるわけだ。
そして新しい家庭を作り、家族関係というのは継承されていく。
それを擬似的に描いたのがあのシーンだ」
カエル「そっか……さっきの”電車は運命のメタファー”という話を考えると、ここは逃れらない別れの運命を描いているとも解釈できるんだね」
主「育児というのはずっと育てていればいいというわけではないからね。
そこを電車というモチーフと、未来と現代という物語で見せたことはとても大きいんじゃないかな。
それとこれはちょっと小ネタみたいなところだけれど……2030年の未来になった時に漫才が流れて『もうやめさせてもらいます』と締めて笑いを取っていたけれど、倒されていく敵が最後に語ってきた、やめるというネガティブなイメージもある言葉でも笑いに変えることができる。
この辺りも言葉のマジックが感じられて、脚本の力が発揮されたシーンの1つではないかな?」
応援する物語
今年のプリキュアで大事なのは”応援するプリキュア”というポイントです!
それこそ”キュアエール”が主人公だしね
カエル「育児を頑張るお母さん、明日へ、未来に向かって努力する子供たちなど、多くの人々を励まして応援してきました」
主「これって、今の日本では1番大事なことなのかな、って思いもあるんだ。
というのは、近年アイドルアニメなどもそうだけれど、誰かの背中を押してあげるという応援する物語が存在感を増しているようにも感じている。
一時期は”頑張れというのは本当に頑張っている人に対して失礼だ”という意見もあるし、それはこの作品でも序盤で描いてきたことでもある。
でも、頑張れと言われたことが力になり、それが最後の一押しになることだって十分あるんだよ」
カエル「やっぱり、どうしても頑張れないときもあって……それが病気などであればゆっくりと休んで欲しいけれど、大半はやる気がなかったり、ちょっと他のことに気移りしてしまったりするからね。
そんなの時に”応援しているよ”と言われると、もうちょっと頑張ろうかな、という気分になることはよくあります」
主「本作は多くの社会的なテーマを描いてきた。決して全てが完璧だったわけでもないし、中には違和感を覚える人もいたと思う。
だけれど、同時に勇気付けられた、元気になったという人もたくさんいる。
そうやって色々な人を元気にして、応援して、子供たちに明日から頑張ろうと思わせることができた作品としても大変意義ある作品になったのではないでしょうか?」
まとめ
それでは、この記事のまとめです!
- 社会的な意義も多くある傑作!
- ただし扱うテーマが大きすぎて作劇が難しい部分も……
- 応援するプリキュアは現代も求められていたのでは?
大好きな作品を1年間楽しめて幸せでした!
カエル「まだ終わった直後だけれど、来週にはプリキュアロスが襲ってくるのかな……」
主「いやいやいや! 来週からは新作もありますから!
そっちにも注目ですよ!」
カエル「来年も追っかけていくの?」
主「確約はしないけれど、少なくとも3話くらいまでは見てから判断しようかなぁ。
自分の中にある女児向けアニメへの思いも変わったし、次も傑作だったらいいなと応援しながら、この記事を終えたいと思います!」