物語る亀

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物語愛好者の雑文

<ネタバレ>感想&評価『秒速5センチメートル』 成長と失う心情を解き明かす

2024年2月23日 漫画部分を追加しました

 

 

今回は『秒速5センチメートル』の感想記事になります!

 

改めて語り直そうかの

 

秒速5センチメートル

 

カエルくん(以下カエル)

以前にも語っている作品ではありますが、今回再上映に備えて改めて鑑賞して、語り直そうという企画になっています

 

亀爺(以下亀)

前の記事は残しておくので、これが2記事目ということになるの

 

カエル「ちなみに、前回の記事は読み返していません!

 なので、180°違うことを語っているかも知れないので、それはご勘弁ください!

 

亀「確か書いたのは2016年だったと記憶しておるし、その後も追記しているようなしていないような……あやふやな記憶じゃな。

 きっと語ることも、そのスキルも知識も向上しているはずじゃ。

 改めて再鑑賞して、どのようにこちらの気持ちが変化したのか、語っていこうとするかの」

 

それでは、感想記事のスタートです!

 

 

 

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chatGPTによるこの記事のまとめ

  • 新海作品の中でも特に高く評価しており、作家性が非常に強く現れた作品。SF要素を排除して日常のドラマを描いたことが成功と評価している。
  • 映像表現において高いレベルが特筆され、スタッフが少ない中で驚異的なクオリティを実現したことに関して改めて驚嘆する。特に撮影技術の進化により、現在でも色褪せない作品として評価され、その撮影技法がアニメ業界全体に影響を与えている。
  • 物語は、純粋な気持ちを持った少年少女期と、その気持ちを持て余す青年期、そして気持ちを失った成人期を描く。観客の感情移入が強すぎて物語に引き込まれ、期待と異なる結末にショックを受ける人もいるが、年齢によって受ける思いが異なる。

 

 

 

 

 

 

 

レビュー漫画はこちら

 

プロデュース・脚本 井中カエル

キャラクターデザイン 卯月凪沙様

作画担当 東条えてろう様

 

作品の責任は全て井中カエルにあります

 

 

 

 

感想

 

それではX(Twitter)の感想からスタートです!

 

 

改めて見返してみても、やはり名作というべきじゃろうな

 

カエル「結構、人によって評価が分かれる作品だけれど、うちは……特に主は、この作品にかなり強い影響を受けているんだよね。

 その辺りは後で本人に語ってもらうとして……まず、新海作品として、どういう評価になるの?」

 

亀「新海作品史上、最高傑作は何か? と問われたらうちは『秒速5センチメートル』を挙げるかの。

 もちろん『君の名は。』などをはじめとして、色々な名作がこの後にも登場するが……特に東宝と組んだ後の大作に関しては、エンタメ要素が強くなり、万人に愛される作品になった。

 しかし一方で、今作はその新海監督の作家性がとても強くでておる。

 その意味では、その原液ともいえる作家性の塊であることを、うちは高く評価したい」

 

 

君の名は。

君の名は。

  • 神木隆之介
Amazon

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それまでの作品と違ってSF要素を排除して、日常のドラマを描いたことも成功だよね

 

やはり新海作品の真骨頂は日常劇だとも思うわけじゃな

 

カエル「そういう意味では『言の葉の庭』と今作が、日常ドラマということになるのかな?」

 

亀「この辺りは賛否が分かれそうじゃが……わしとしては、新海作品は日常のドラマが強ければ強いほど、作品としての個性が際立つ印象じゃ。

 一方でそこから離れれば離れるほど……つまりSFやファンタジーが加わるほど、そこから乖離していく。

 うちは『すずめの戸締り』をあまり評価できていないが、その理由の1つに繊細な問題を扱うのにファンタジー要素が多すぎる、というのがあるのかもしれん。まあ、ファンタジーが悪いという意味ではないがの」

 

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意外と似ている? あの脚本家

 

あれ? そういえばその”SFやファンタジーが合わなくて、日常劇が合っている人”って他にも聞いたような……

 

そのまんま岡田麿里への評価と同じことを語っている

 

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アニメ界を代表する脚本家で、アニメ映画監督でもある岡田麿里監督だね

 

カエル「山田尚子監督とかもそうだし、うちが日常劇が大好きというのも大きそうだとは先に言っておくけれど……あれ、でもアリテレと今作ってなんか似ているかも?」

 

亀「わしとしては、同じカテゴリーに入る作品だと思っておる。

 新海監督が1973年生まれの長野県出身、岡田監督が1976年生まれの埼玉県の秩父地方出身と年齢も都会への距離感というのも、似ている印象じゃ。

 この辺りは後ほど主が語るじゃろうが……『秒速5センチメートル』が描いたことと『アリスとテレスのまぼろし工場』が描いたこと、そしてうちが抱いた感情は、かなり近いところにある

 

ふむふむ……この2作が似ているというのは、時代を経たからこその感覚かもね

 

今の新海監督は、全く違うところにいるような気がするがの

 

 

 

新海誠流の映像表現

 

デジタル撮影を進化させた新海作品

 

映像表現に関しても、とてもレベルが高いよね!

 

今の時代に見ても、よくあの時代で完成したなと思うほどじゃな

 

カエル「今だからこそ思うのは、スタッフの少なさだよね。

 特に原画・動画を含めたスタッフが本当に少なくて……‼️

 小規模制作映画に該当するんだろうけれど、よくあの人数でこのクオリティで完成したなぁ、と改めて驚愕しました」

 

亀「その意味では動きの部分、作画としては、今の時代のビックプロジェクトと比較したら、印象に残らないのかもしれん。

 しかし、背景も含めた美術表現、そして撮影技術によって、2024年の現在に観ても色褪せない作品となっておる

 

冒頭の桜の表現とか、当時も度肝抜かれたけれど、今見返しても異常と言えるほどに素晴らしいよね

 

今でもアニメーションで歴代1位の桜表現と言えるかもしれんの

 

(C)Makoto Shinkai / CoMix Wave Films

 

 

カエル「新海作品といえば『映像表現の綺麗さ』を語る方も多いでしょうが、その要因の1つとして撮影セクションの進化があります。

 新海監督は撮影セクションを一変させ、アニメ表現を変えた表現者として注目されています

 

亀「ここで注目したい記事があるので、それを引用しよう」

 

◆リアルサウンドの記事より抜粋◆

近年はTwitterなどでも一部で「ジェネリック新海誠」というワードが飛び交っている。『君の名は。』以降のSF混じりの写実的な恋愛アニメ映画作品に対して、“新海っぽい”という印象だけで雑に括り語る、制作者に失礼なワードだ。しかし一方で、それだけ新海の模索した撮影技法が一般化し、それがアニメ業界全体の撮影技法の発達による変化だと観客が理解していなくても、“新海っぽい”と認識されるようになったという例でもある。

 

以下の記事より抜粋

realsound.jp

 

あれ……なんか……って、これ、書いたの主じゃん!

 

いや、本人も書いたことを完全に忘れていたようじゃな

 

カエル「え、書いた本人が、しかも1年ちょっと前に書いたことを忘れているの…?」

 

亀「うちの主の長期記憶力のなさを舐めてはいかん。

 今回も『資料が汚部屋に埋もれて発見できない…仕方ない、ネットで検索するか』として出てきたのが、この記事で『ほぇ~いい記事だな、誰の記事だろう』と思ったら、自分だったとのことじゃ」

 

カエル「……なんか、それを信じていいの?」

 

亀「まあ、いいのではないかの?

 ちなみにちゃんとした制作者の意見も引用しよう。

 アニメ研究に携わる高瀬康司と、現役の撮影監督である泉津井陽一と山田豊徳の対談記事からの引用じゃ」

 

◆書籍より抜粋◆

『秒速5センチメートル』がスマッシュヒットしたことで、(中略)先進的な演出家の方々が、新海作品のような既存のアニメとは異なるビジュアルを生み出すにはどうすればいいかを探り始め、その結果、撮影に注目が集まるようになった。

以下の書籍より抜粋

 

重要なのは、新海監督が進化させた撮影技法じゃ

 

カエル「主が書いた記事でもそうだけれど、今は”ジェネリック新海”というワードがあって……多分撮影処理が特徴的な日常ドラマアニメ映画のことを指すと認識しているけれど、そういう言葉が生まれるくらいに、感覚的に新海作品の映像表現が受け入れられているってことだよね」

 

亀「上記の記事にもあるように、演出家や撮影監督たちが既存のアニメ表現と異なる方法を模索し始めた。

 その結果がフレアなどの表現を追求し、写実的なカメラ表現を生み出した京都アニメーション、そしてド派手なエフェクトで一世を風靡したufotableに繋がっていくわけじゃな

 

この撮影技法の話がより詳しく知りたい方は、こちらの記事もオススメです

 

うちなどよりも遥かにアニメや映像表現に詳しい杉本穂高ライターの記事になるぞ

 

realsound.jp

 

工程をいくつも管理する新海作品

 

あと、もう1つ語っておきたいのは、工程管理をいくつもこなすところだよね

 

基本的にアニメ作品は特定のセクションは、そのセクションの担当者(監督者)に任せることが多いらしいの

 

カエル「この記事で語られていますが、新海監督の強みはほとんどの工程を見ることができるという点にあるのかもしれません」

 

◆インタビュー記事より抜粋◆

津田 新海監督はツールとしては一緒にやれるんだからやればいい、という感覚なんだと思います。一般的なテレビアニメの現場は、週ベースで量産しなければいけないので、セクションごとに責任の所在が明確にされていますよね。だから前の工程の上がりのクオリティについては、ほかからは口を出せないところがある。でも新海監督は個人作家出身ということもあってか、もちろん配慮はしてくださるんですが、生産ライン的な割り切りはしないところが特徴的だと思います。

 

以下の記事より抜粋

mapdate.net

 

考えてみれば、そのセクションの監督がいるからお任せになるのはわかるの

 

カエル「もちろん、作品ごとや監督の裁量にもよるのでしょうけれど、そのセクションの監督がいるのだから、そのセクションに関しては任せるというのは、一般社会でも同じなのかな。

 時々聞くのは……例えば音響監督は音響に関しては監督よりも強い、という話もあったり」

 

亀「その辺りも作品や監督によるのじゃろうがな。

 おそらく新海監督の本来最も得意なところは、やはり撮影処理ということになるのではないか。その意味では撮影監督が監督になった例ということもできるかもしれん。しかし、個人作家出身だから、全てを自分でコントロールしてきた。

 それも作家性の強い作品を生み出すことができる要因と言えるのかもしれんな

 

以下ネタバレあり

 

 

 

物語について

 

作品に対する印象の変化

 

では、ここからはネタバレありで物語について語っていきましょう!

 

ようやく、自分の出番といったところだね

 

カエル「……このまま休んでいてもよかったのに」

 

主「いやいや、語りたいことはたくさんあるからね!

 まずは何から語ろうかなぁ」

 

じゃあ、改めて鑑賞してみてどうだった?

 

作品に対する印象が変わったことが驚いた

 

主「実は、最初に見た時ってかなり若い時で……それこそ公開して1年過ぎるか過ぎないかかなぁ。

 今から10年以上も前になるけれど、知り合いに勧められて観たんだよね」

 

カエル「よく言われるのは”鬱になる作品”という評価だけれど、やっぱり鬱になったの?」

 

主「なったなった‼️

 なんなら、2日間ぐらい引きずったかもしれない。

 それくらいガツンときたし、思うことが多かった」

 

その”ガツンときた”とか”鬱になる”って、今言葉にするとどんな感覚なの?

 

単純にいえば、今作ってBSSだからじゃない?

 

カエル「……また微妙なオタク用語というか、ネット用語を使うなぁ。

 BSSというのはNTR(ネトラレ)の一種で『僕の方が(B)先に(S)好きだったのに(S)』の略称になっています。まあ、なんだ……幼馴染ものがわかりやすいんだろうけれど、先に好きになったのにウカウカしていたら、ぽっと出のヒロインやヒーローに取られてしまうという感覚でしょうか」

 

主「またの名をユニコーン症候群という。

 まあ、ユニコーン症候群は自分が名付けたけれど、純粋で可愛い女の子と仲良くしていたのに、汚いヤンキーに寝取られてしまうという作品に近い感情かね。

 ちょっと前にネット広告でよく見たムフフ漫画であったよね」

 

それはいいとして、もうちょっと真面目に語ってよ!

 

いや、真面目は真面目なんだけれどなぁ

 

主「結果的に、ものすごく純粋な気持ちを持った少年少女期と、その気持ちを持て余す青年期、そしてその気持ちを失った成人期を描く。

 いつまでも子供ではいられないし、でもそれを割り切れるほど大人ではない。

 その絶妙な気持ちを描いている

 

 

 

 

今作における新海監督の”失敗”

 

ここではあえて失敗という強い表現を使っているけれど、それはどういうことなの?

 

これは『新海誠展』でのブックレットのインタビュー記事から抜粋しよう

 

◆新海誠展ブックレットより抜粋◆

「ひたすら悲しかった」「ショックで座席から立てなかった」という感想がとても多かったんですよね。観客を励まそうと思ったのに落ち込ませたということは、完全に逆の作用じゃないですか。

 

以下の書籍より抜粋

 

この監督の意図と真逆の反応をされてしまったこと、あえて失敗と呼びます

 

カエル「強い表現ではあるけれど、監督自身もこの時の思いが結構強いみたいだよね」

 

主「個人的には新海監督は『自分の思いを誤解なく伝えよう』という意図が強すぎるようにも感じるけれどね。

 うちは基本理念として物語表現というのは『作者と受け手の”相互誤解”の元に成り立つ』というのがあるからさ。

 作者は『こうすれば受け手(読者・観客)に伝わるはずだ』という誤解。

 受け手は『作者はこう考えていたに違いない』という誤解。

 その誤解と誤解がぶつかり合って、解釈が生まれ、物語表現は熟成されていく。

 その意味では、今作が”誤解”されたことは失敗ではない。

 むしろ、それで作家性が強くなったから、それが正解まである」

 

それはいいとして、この部分で語ろうとしたことに戻りましょう

 

あまりにも映像表現が巧み過ぎたんだよね

 

カエル「映像表現が巧みすぎて、貴樹に感情移入した人は、3章の内容に呆然としてしまうということだね。

 そしてそれだけの感情移入を促すほどのリアリティが……誰も体験したことがないはずなのに、体験したかのような感覚に陥るほどの映像表現がこの作品にはあると。

 今作が好きか嫌いかって、結局貴樹、あるいは花苗に感情移入できるかどうか、という点があるような気がするね」

 

主「1話の桜花抄の映像表現が巧みだったのと、観客が存在しない記憶を植え付けられてしまったんだよね。

 だからこそ、本当に明里に恋をしているような気持ちになってしまった。そしてそれが叶うラブストーリーだと思い込んでいたら、全くそうはならない。

 しかも3話に関しては貴樹を出して、明里の駅での結婚話をして、観客は貴樹と結婚するとミスリードしてしまった。

 これが故意でないとしたら、相当無自覚的に上手いBSSな演出をしてしまったということになる。

 しかも天性の才能で音楽の合わせ方も最高だしね

 

ラストが異なる漫画版もオススメです

個人的には映画とは別の良さがあります

 

少年期の夢を失う物語

 

それは恋だけではないってことだよね?

 

何か、熱中していたものを失う体験って、とても大きなものなんじゃないかな

 

カエル「少年から成年になる、つまり大人になるということは”何かを失う”という理論に近いのかなぁ

 

主「この感覚がわかる人って、結構多いのではないか? と思うんだよね。

 若い頃はがむしゃらに頑張ってきた夢だったり、大切に思う人がいた。

 だけれど人生が進むにつれて、その思いは少しずつなくなってしまう。

 結果的には、切実だったはずのその思いがなくなってしまう……その喪失感って、めちゃくちゃわかるんだよね

 

それが10代・20代の頃に観るのと、それ以上の歳で観ることの違いなのかな?

 

新海監督が”失敗”した要因って、ここにあると思うんだよね

 

主「30代以上が観たら『その気持ちわかるわかる。でも人生はどうしようもなく続いていくし、そこから先も頑張って生きるしかないんだよね』という気持ちを抱けるだろう。

 だけれど、10代や20代はまだその喪失感を抱く前で……これからその喪失感を抱く立場だ。いや、喪失感を抱かない人もいるだろうけれどさ。

 だからこそ、体験していないのにこれから起こりうる未来を感じてしまった、というのもあるのではないだろうか」

 

年齢によって受ける思いが違うんだぁ

 

あくまでも個人的な経験を基にすると、そういう話になる

 

主「少なくとも自分は10年以上前は、相当ショックを受けた。

 でも今は『わかるわかる。ここからスタートだから頑張れよ』って気持ちなんだよね。

 物語はそこで終わるけれど、人生は終わらない。むしろ貴樹の年頃なんて、これからスタートみたいなところがある。

 個人事業主として独立して、これから結婚して……ライフイベント盛りだくさんじゃん。

 でも若い時にそれを言っても、気が付かないよねって話」

 

 

新海誠と岡田麿里

 

ここで先ほど挙げた新海監督と岡田麿里監督がつながると

 

『秒速5センチメートル』と『アリストテレスのまぼろし工場』が描いたことは、ほぼ同じなんだよ

 

カエル「色々な解釈があると思いますが、うちはそう解釈したんだ」

 

主「秒速は1章・2章で距離による離れ離れになることで、気持ちが離れていくことを描いた。そして3章は時間によって変化する気持ちを描いた。

 『アリスとテレスのまぼろし工場』はそれをまぼろし工場の世界に閉じ込められた少年少女たちという舞台を用意して、そこで激情を抱きぶつかり合う中学生たちを描いた。

 そのこめられた感情はほとんど同じ。

 地方にいるから都会から離れて、時代や距離などの感覚的に閉塞感を抱えながら、どこに行けばいいのかわからないという、少年・青年期の悩みを鮮やかに描き抜いた

 

新海監督は『アリスとテレスのまぼろし工場』も褒めているよね

 

元々、作品を貶すような人ではないけれどね

 

 

ふむふむ……となると、ラストに描いたことも

 

ほとんど同じなんじゃないかな

 

主「両作品のネタバレになるから、あまり『アリスとテレスのまぼろし工場』のラストは濁すけれど、でも描こうとしたこと……少年・青年期の感情の終了という意味では、全く同じなのではないか。

 少なくとも今の自分は晴々とした気持ちになったし、観ている最中も、観終わった後の感情も似たようなものだった」

 

 

2人の似ているポイント

 

それ以外に共通点ってあるの?

 

どっちも童貞っぽいところじゃない

 

カエル「……いや、なんか身も蓋もないような」

 

主「でもこの童貞っぽさって、純粋な少年・青年期を描く上ではとても大事だと思うんだよね。

 変な話に聞こえるかもしれないけれど、1章の桜花抄でなんで貴樹と明里はヤらなかったんだって話」

 

 

……有料パートでいうことがそれ? それこそ変な話だよ、おっさんの妄想じゃん

 

いや、これってめっちゃ大事でさ

 

主「あんな劇的なことがあって、それでも相手に手を出さない。一番性欲が強い時代で、最高のシュチュエーションなのに、手を出せない。下手すれば大人だったら女性に嫌われてもおかしくないよ、まだ2人が学生だから納得できるけれど。

 でも、これくらいピュアな……童貞だからこその思いって大事で。

 すっごく大切で、何よりも守り抜きたい相手だからこそ、触れる・キスをする以上のことができない。

 それが童貞っぽさってわけだ。

 だから、何もしないのにその相手に執着する。

 そしていつの間にか、なぜ執着していたのか忘れてしまう。

 一方で岡田麿里もそれがあって、マリーの場合はちょっとドロリとしているけれど、切実な子供っぽいピュアな感情は同じ。

 だからこそ、現実で同じような思いをする少年少女やオタクのおっさんには刺さるんじゃないかな

 

 

 

まとめ

 

 

そろそろまとめをお願いします

 

新海誠監督っぽいものが全て詰まっている作品だよね

 

カエル「新海誠監督の最高傑作という評価だもんね」

 

主「やっぱりさ、自分には新海監督は短編の作家だと思うんだよね。しかも、日常劇を描く作家。

 そこが1番力を発揮する。

 だから実は自分が1番何度も繰り返し観ているのも『彼女と彼女の猫』なんだよね。短いというのもあるけれど、ほぼデビュー作みたいな作品で、あれだけ作家性が込められている作品は素晴らしいの一言だよ」

 

 

 

だから、多分自分の意見なんか届かないし……届かなくていいんだけれど、新海監督は1回短編に戻るべきだと思うんだよね

 

カエル「これだけの大監督になっちゃったら、長編以外はやらせてくれないんじゃないかなぁ」

 

主「それもわかるけれどさ、宮崎駿も実は短編作家だって押井監督は言っているわけで。

 自分は新海監督も同じだと思うし、それを発表する場があるならば……CMでもいいから、1回観てみたいもんだ

 

 

まとめになっているかわかりませんが、これで終わりにしますよ!

 

まあ、与太話で終えるのも一興だよね

 

 

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