今回は『すずめの戸締まり』の<辛口>の感想記事ということですが……
両論併記の感想記事は書いたので、こちらは主観バリバリの、色々と考えてしまった点について語っていきます
カエルくん
何度も語りますが、今回は<辛口>なので、褒め意見以外は聞きたくない方は、ここでお帰りください
主
とはいえ、ボロクソにいうような映画ではない、とは先に語っておきますけれどね
カエル「これだけ注目度も大きいし、センシティブな内容も含まれているから、意見も多様なものになるのではないでしょうか」
主「最初、この映画を鑑賞したときに『あ、これは記事を書けないな』って思ったくらいに、自分の中では良さを見つけるのが難しい作品だったんだよ。
それを整理することはできたけれど、でも、やっぱり色々と合わない部分がある。
過去の新海作品はどれも好きだったのに、不思議だね……もしかしたら、過去ワーストにハマっていないかもしれない。
今回は、その理由をできる限り言語化していきます」
カエル「今回は全編ネタバレありの記事になります!
それでは、記事のスタートです!」
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こちらの記事も併せてお願いします
Twitterの短評
#すずめの戸締まり
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2022年11月10日
⚠️辛口注意⚠️
これまでの集大成…という触れ込みだけれど色々とガタガタに見えてしまい褒めたいポイントよりも気になる点が増えてしまいました
最大の武器であった歌と映像の共演や背景&撮影処理は控えめに封印した結果内容がぼやけてしまったように感じます pic.twitter.com/umLboid4I7
ボクは君の名は。天気の子と今作の三部作で新海作品の現在地は出尽くしたように思います
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2022年11月10日
だからこそ挑戦を!
次は新規軸を生み出すために、一度短編に挑戦してほしいです!
物語面について
作品の軸のなさ
まずは、物語の面について考えていこうということですが……
今作はその1本、筋の通った軸というものが不在に感じたんだよね
カエル「ジャンル分けすると、どういう映画なのか? ということだよね。
ファンタジー・ロードムービー・ディザスター(災害)・バディアクション・恋愛……色々な要素があるだろうけれど、じゃあ『〇〇映画』という括りを作り出すときに、この映画が何に該当するのかがわからない、という問題だね」
主「まあ、そんなのはいらないのかもしれないけれど……色々な要素を入れ過ぎて、その1つ1つが機能していないように見えたんだよね。
言うなれば、軸がない。
伝えたいことはわかるけれど、それが主軸として機能しているのかが、謎なんだよね。
ここからは〇〇映画だとしたら、ここがダメという部分について語っていくとしようか」
ジャンル映画として考えた場合
バディものと考えた場合
では、今作が岩戸鈴芽と宗像草太を中心としたバディものとして、どのように捉えるのか、という点について考えていきましょう
バディものとしては、全く評価できないかなぁ
カエル「鈴芽と草太を中心とした、日本中の危機を救うためのバディ作品として考えると、かなり問題があるということですが……
ここはパンフレットにて『映画におけるふたりってコンビであって、バディものっていったところもありますよね』というコメントがあったので、最初に語ろうか」
主「バディものと言えるのかなぁ……今作って。
最近さ、大好きな大空スバルが『TIGER & BUNNY』を見始めたし、2期2クール目が配信されたのもあって、少しずつ観ているんだけれど、バディとしては以下のようになっているのね」
デコボココンビであることが、物語の推進力を生むわけだ
カエル「片方が直情的ならば、片方は冷静で……みたいなことだよね。
うちではあまり高く評価をしていませんが、近年の洋画だと『グリーンブック』なども、この手のお互いの魅力と欠点を補い合うバディとして描かれています」
じゃあ、すずめの場合は”バディ”なり得たのだろうか? という思いだ
カエル「つまり……2人の目的が『各地の戸締まりをしていく』ことで、日本に災害を防ぐということである。
でも、その目的のための手段が食い違ったり、あるいは欠点を補い合うようなことをしましたか? ということだね」
主「草太が早々に椅子になってしまうけれど、あれは本来の姿では鈴芽の完全上位互換であり、鈴芽が冒険の旅に出る理由を作るための作劇・あるいは設定でしかない。
その後は助言者ではあるけれど、バディ、あるいはコンビとして活躍するシーンは案外少なくて、2人がいないとどうにもできなかった、というシーンがそこまで多くない。
ましてや、最後も2人で災害を終わらせるけれど、そこも”この2人だからできた!”というほどの感動が、あったかと言われたら、自分はNoという結論になる。
だから、ボクはバディ・あるいはコンビを描いた作品としては、否定的なものになってしまうんだ」
早々に椅子になり、コンビというよりは助言者になってしまう草太
恋愛作品として考えた場合
この2人のつながりとして恋愛作品として見た場合はどうなのか? ということだけれど……
これも問題山盛りだよなぁ
カエル「一応パンフレットでは『魔女の宅急便』をモチーフにして、2人の関係を単純な恋愛関係ではない、というようなことも語られていたね」
恋愛の機微を全く描けていなくて、物語として最悪だよね
主「なんで鈴芽が草太に対して、明確な好意を示すキスをするのか、その理由が全くわからなかった。
唐突も唐突だよ、一目惚れとかなのかもしれないけれど……恋愛作品てそういうことじゃないと思うんだよね。
例えば以下のようならば、わかるんだよ。
恋愛作品としての展開の一例
2人が歪み合う
↓
問題が解決するたびに草太の魅力に気がついていく
↓
恋に落ちる
でもあの時点では出会って数日の……1日も過ぎていなかったっけ?
主「ただ出会って不思議な力を持つイケメンってだけじゃん」
カエル「そこはイケメンだから、では……恋愛ものとして成立しないよね」
主「草太を助けたいのはわかるけれど、恋愛感情にはならないと感じるけれどなぁ」
ロードムービーとして考えた場合
次はロードムービーとしてどうなのか、ということですが……
う〜ん……鈴芽を助けてくれる大人たち以上のものが出ていたのだろうか? という思いがある
カエル「鈴芽が未成年ということもあり、お金は高校生だからで解決するとしても、それだけではどうしようもない部分を助けてくれる存在として、その町々に出てくる大人たちが助けてくれる、というものでしたね」
主「ここは2つの点がイマイチだと感じた」
ロードムービーである必要性が、日本の地方を描くという制作上の都合や思い以上のものが、何もないんだよね
カエル「①に関してですが、鈴芽の成長が見られない、と?」
主「例えばこの流れならばどう?」
成長する展開の一例
伯母さんと喧嘩している
↓
夜の町で苦労して子供を育てながら働く人の姿を見る
↓
鈴芽も自分の態度を反省する
これならば、明確に成長しているよね
カエル「鈴芽が色々な人と出会うけれど、その成長がない、と……」
主「最初からいい子なこともあるけれど、鈴芽の心境に変化が少ないんだよね。
だから誰と出会っても『友達が増えました』以上のものがない。
最初から学校で居場所がない、引きこもりだったら、外の世界を知る意味があるかもしれないけれど、別にそういうわけでもない。
だったら、外の世界を知る意味がそこまでないんだよね」
それから②の『その町でなければならない理由が何かあったのだろうか?』ですが……
別に四国・神戸・東京・宮城のうち、その場所でないといけない理由は宮城だけだったのではないだろうか
カエル「東日本大震災を描きたい、という理由を考えれば、宮城県を舞台にしたのは、当然といえば当然ですが……」
主「それ以外が、その町である理由がとても薄い。
例えば、その町の遺跡や神社がありました……だったら、まだわかる。
それこそ『天気の子』の舞台となったビルは現存していたわけだし、その場所でなければいけないといえば、そうだろう」
でも例えば神戸の遊園地とかだと、じゃあなぜ神戸でないといけないのか? だよね。
主「もしかしたら四国は南海トラフ、神戸は阪神淡路大震災、あるいは東京で関東大震災をモチーフにしたのもあったかもしれない。だけれど、日本は地震国家でどこでも大震災が起こる可能性がある。
その町の特色が出ていたとは思えず、ちょっと自分にはロードムービーとして弱いように感じたかなぁ」
ファンタジーとして考えた場合
それでは最後に、ファンタジーアニメとしてどうなのだろう? というのは……
ここは前回の記事でも語ったけれど、現実の出来事を語っている以上、ファンタジーではないと感じるんだよね
カエル「もちろん、本作は完全な空想ではなく、ファンタジーと現実が地続きではありますが……」
主「ボクは『寓話は寓話として語ってほしい』と感じている。
ファンタジーにするならば、徹底的にファンタジーにしてほしい。例えば地震ではなく、大蛇が暴れるだけでもいい。地震があり、宮城に行くとなると、誰もが明確に東日本大震災を思い浮かべるじゃない?
そもそもファンタジー描写が薄い上に、東日本大震災を連想している時点で、幻想、あるいは寓話として語ることは失敗しているようにも感じるんだよね」
物語の設定重視? に見える疑問点
唐突な展開、設定を展開することに尽力しすぎ?
上記のような問題点を一言でまとめると、どういうことなの?
設定の開示に終止してしまっている印象なんだよね
カエル「設定の開示……例えばファンタジーで説明するのはいいけれど、途中から東の要石のネコが登場したり、唐突だけれど設定を語ることで物語を進行するということだね」
主「料理番組で言えばそうだなぁ……最初に食材を用意して、調理をするのが理想とするじゃない?
今作の場合は『〇〇を作るのに足りないから、途中から足そう』としているように感じられるんだよね。
だから途中から急に食材が増える。そんなの、家庭の料理ならばともかく、料理番組としては最悪だよね」
物語を進めるため、あるいは観客を納得させるために新しい設定を用意している状態なんだね
それが”設定を語る=世界観を語る”という作品ならばいいけれど、今作はそうではない
主「例えばSF作品とか、『アバター』みたいな作品は映像、あるいは世界観設定が先にあるから、それでもいいかもしれない。明らかにその設定された異世界の映像面や世界観設定が魅力なんだから。
でも、本作はそうではないと感じる。
設定そのものの魅力は薄い。
だったら、設定を新たに追加するのではなく、既存の観客に説明した設定を基に作ってほしんだよね」
伯母さんが登場した意味は?
そこを象徴するのが、中盤の伯母さんが登場したことだという話ですが……
あれ、なんの意味があったの?
カエル「えっと……鈴芽をつれ帰すためなんだよね?」
主「いや、別に伯母さんが出てくる必要性が全くないじゃん。
車での移動は芹澤朋也がやってくれるしさ。
元々、伯母さんと仲が悪いわけではなくて、多少過保護気味だけれど……まあセリフでは『放任主義』といっていたけれど、高校生女子を持つ親としては普通の保護者であり、良好な家族関係だと感じていた。
中盤で伯母さんが本音の一端を吐露していたけれど……あれは、一体なんの意味があったの?」
えっと……そこで要石の黒猫の一面を出したのと、鈴芽に対して本音の1つをぶつけたのと……
何1つ回収されてないじゃん
主「なんかハッピーエンドでOK! になっているけれどさ、あの吐露がなんの意味があったの?
先にも述べたようにこの展開ならばわかるんだ」
成長する展開の一例
叔母さんと喧嘩している
↓
夜の町で苦労して子供を育てながら働く人の姿を見る
↓
伯母さんの思いの一端を知る
↓
ピンチで伯母さんが手助けしてくれる
↓
鈴芽も自分の態度を反省する
これなれば、伯母さんが出て来た意味もわかるし、鈴芽の成長と、親を亡くした自分のことを守ってくれていた人の思いを知ることができる感動話だろう
カエル「ふむふむ……」
主「だけれど、今の形だとただ単に『子どものロードムービーには保護者が必要で、女子高生と成人男性の2人旅は危険だから女性の保護者をつけました』という、大人向けの事情でしかないんだよ。
あの伯母さんが最後に活躍することもなく、途中で退場して最後まで出てこない。
せめてあの世界に送るまでに、何かあれば良かったよね」
カエル「一応、自転車は漕いでいたけれど……
鈴芽を移動させるのは大人の役割、ということがあったのではないかなぁ」
主「う〜ん……弱くない?
自転車自体は鈴芽も最初に漕いでいたし。
一人乗りの自転車が二人乗りになってエモさを、というならば、そこをもっと強調する必要があると思うけれどなぁ」
物語の流れがかなり雑に見える
結論を言ってしまうと、以上のような状況から物語の流れはかなり雑に感じてしまうんだ
カエル「だから、そこまでハマることができない、と……」
主「疑問点ばかりが湧いてしまい、うまいと全く思えなかった。
その意味では前作の『天気の子』も雑な部分はあったけれど、でも強力な音楽とエモさと、言い切った言葉でカバーした部分はある。
でも今作はそうではないから……音楽描写もイマイチに感じたし、映像的にもレベルはとんでもなく高いけれど、TOPだとも思えない。
大作ではあるけれど……前回の記事で語ったような『キョロキョロしすぎ』あるいは『軸がない』というのは、このようなところから、感じてしまうのかもしれなね」
最後に
まだまだ語りたいないことはありますが、かなり長くなってしまうので、この記事はここで一度閉じようと思います
この後は次の記事に持ち越そうかな
カエル「ちなみに、次の記事では何を語る予定なの」
主「以下のラインナップになるのかな」
○宮城県と震災〜その描き方の是非
○『星を追う子ども』と本作
○新海作品の次回作は?
ここまでは具体的なツッコミポイントだけれど、ここから先は抽象的なポイントになるわけだね
なるべく早く公開できるように頑張ります!