カエルくん(以下カエル)
「今回は旧作を語ろう! ということで、京都アニメーション作品であり、山田尚子監督のデビュー作である『映画けいおん!』について語っていきます!」
ブログ主(以下主)
「もう7年前の作品? ああ、もう嫌になるよねぇ」
カエル「あの時は大ヒットしたし、それこそ010年代のアニメを語るのに絶対欠かせない作品の1つだよね」
主「京アニって今でもそうだけれど、主要声優陣全員がこの時は新人を抜擢したんだよ。名前もほとんど知られていなかったのに、今や大人気声優たちばかり。しかも、5人のうち3人が既婚者だよ?
どんだけ時間が流れているんだ、って話だよね。この間に自分は何をやっているんだろって思うと、辛くなってくるというか……」
カエル「うん、そこいら辺はあんまり考えないようにしようか。
今改めて鑑賞して感じること、思うこともあるので、そこをしっかりと言葉にしていきたいね。
あと、先に言っておきますがファンの方には若干カチンとくることも語りますので、そこはご了承下さい」
主「というわけで、映画けいおんの感想&考察スタートです」
作品紹介・あらすじ
2度にわたりテレビシリーズが放送され、楽曲がオリコンチャートでも上位になるなど高い人気を博した日常計アニメ作品の劇場版作品。
監督はテレビシリーズに引き続いて山田尚子が担当し、劇場アニメとしては監督デビュー作となっている。脚本は吉田玲子が引き続いて担当とテレビシリーズと変わらない顔ぶれがそろう。
キャストも継続して参加し、当時新人声優だった5人の演技にも注目。
高校卒業を目前に控えて軽音部の面々はいつもと変わらないのんびりとした生活を送りながらも、一人残される後輩の梓に対して何か残せないか? と考え始めていていた。そんな中、クラスメイトが卒業旅行に向かうことを知り、軽音部でも行こうという話になる。
目的地はロックの聖地であるロンドン。梓も引き連れて最後の思い出作りが始まる……
1 けいおんに対する個人的な思い
カエル「まずはけいおんという作品について語っていくけれど、日常系アニメの代表作であり近年のアニメでは最も人気のあった作品の1つであるのは間違いないよね。発売したCDも大ヒット、楽器はバカ売れ、ちょっとした小物やヘッドホンも品切れ続出という異常な事態になって!
それだけの大ヒット作品だけれど、当時はどう考えていたの?」
主「大っっっっっっ嫌いだった」
カエル「……こりゃどストレートなことを」
主「この当時って萌えアニメ全盛の頃でさ、電車男から始まるアニメブームに加えてハルヒの爆発的ヒットもあって、もう猫も杓子も萌えアニメの時代だったのよ。今でもその感じはあるけれど、当時はもっと女子が主人公の作品ばっかりで……
その数年前まではきちんと少年やおっさんが主人公だった作品もあるのに、ほぼ全滅したの。
で、その流れにイライラしていて、その萌え文化の象徴がけいおんなわけ」
カエル「私怨がこもっている?」
主「私怨も私怨だよ。
こちとらガンダムやファフナー、カウボーイビバップやスクライド、ガングレイブやらを愛してきた人間だからさ。
おっさんや兄貴分、エロい姉ちゃんが出てこない作品は滅びろ!
ロボットや銃器を出せや!
って荒れ狂っていた。しかも女の子も可愛いけれど、全く趣味じゃないし」
カエル「今作のキャラクターデザインとかって可愛いらしさを重視して、若干ロリ風なところがあるけれど、もっと大人びたデザインだったらこの味は出なかったよね」
主「本作のうまさや売りが全く理解することができなかったね」
けいおんの欠点
主「で、これから語るのはそんな私怨を抜きにしたけいおんの欠点だけれど……結局のところ『日常系』の欠点にもなる。
つまりさ、ドラマ性や物語性がどうしても薄くなってくるんだよ」
カエル「まあ、それが日常系だからね」
主「トラブルと言っても笑えるレベルのものばかりで、しかも5分もすれば解決するものばかりでさ。誰も死なないどろこか喧嘩もほとんどない、極端なことを言えば10話から見ても、1話の次に12話を見ても意味が通じる作品なわけじゃない?」
カエル「すっごい極端だけれど……」
主「これが30分のアニメであればまだ持ったのかもしれないけれど、2時間のドラマにすると展開にメリハリがつきづらくなってしまう。
この映画版も初見時はすっごく長く感じて、一緒に見に行った友人に自分は……盛ったところもあるけれど8時間くらいに感じたって話をしたんだよ。友人も3時間くらいには感じた、ハルヒの方が短いんじゃないか? って話していたから、このドラマ性の無さというのはやはり映画には向かないんじゃないかな? という思いもある」
カエル「でもさ、日常の面白さを描写するってことも……」
主「この作品のどこが日常なのよ?
女子高生5人だけでロンドンに行くことを急に決めて許可してくれる親や金銭的余裕がある家ばかりなわけ?
なんで卒業旅行に梓が付いてくるのよ?
しかも初海外でツアーでなくて、自由にプランを組んでいくんだよ?
英語能力はほとんどないのに。
こんなの、ご都合主義の極みじゃない」
カエル「……ロンドンに行かないと話が始まらないからでしょ?」
主「卒業旅行なんてディズニーランドとか東京、京都、大阪、福岡とか国内で十分じゃない? それでも贅沢な話だよ。いくら金持ちのクラスメイトがいるからってさ。
その意味では自分には日常の物語ですらなかった。
リアリティのないドラマであり、起伏のないファンタジー。
そんなの、つまらないに決まっているじゃない?」
そんな自分も楽曲の良さは当時から認めていて、始めてEDを聞いた時は衝撃でした
なぜ京アニは本作を選んだのか?
カエル「今更ながら、けいおんを選んだというのは謎だったよね。
だって原作も有名だったわけではないし、ハルヒの後にらき☆すた、けいおんという流れもなんだか面白いけれど、一貫するものはなんだろう? って考えちゃうし……」
主「たぶん、京アニが描きたかったのは『日常』と『音楽』なんじゃないかな?
この後にそれこそ『日常』というアニメを描いているし、本作の前年公開の『涼宮ハルヒの消失』では学校生活が極めてリアルに描かれていて衝撃を受けた。
それは絵が精巧といういうだけではなくて、空気感も素晴らしかったんだよ。
そしてそれは『氷菓』や『たまこまーけっと、ラブストーリー』そして『響け! ユーフォニアム』『聲の形』などに引き継がれているわけだ」
カエル「リアルな絵! というのは京アニ売りだけれど、もっと根本的なことから違うもんね」
主「人気原作の角川系の『フルメタ』『ハルヒ』や、泣けるエロゲー原作であり、人間ドラマの方に力を入れている『AIR』『Kanon』などの恋愛作品を制作して知名度や注目度を増していきながら、その次にオタクあるあるのつまった『らき☆すた』を制作するという流れを見ると、相当リアリティのある物語作りを模索していたように見える。
そのリアリティも……例えば高畑勲系のリアリティではなくて、萌えや柔らかいアニメ表現を含みながらの……つまり、若干デフォルメしても通じるリアル。
それを模索していた頃なんじゃないかな?
そしてそのリアリティがキャッチーな形で発揮できるのが音楽であり、ハルヒのヒットによってもっと本格的に取り組んでいこう! となったのがけいおんだと思うね」
2 映画 けいおんについて
カエル「で、改めて見直してみてどうだったの?」
主「もう素晴らしいよ。
ここまで印象が変わるものなのか……って衝撃を受けるほどの傑作。
この作品をいくらテレビシリーズを監督していたとはいえ、映画デビューで描けた山田尚子の恐ろしさよ……
しかも、物語としてのメリハリが……ドラマ性が若干欠けてしまうからこそ、それを全体でカバーしている。
もちろん、脚本の吉田玲子や作画スタッフ、キャストも含めて全員が最大限の力を発揮して、ここまでの作品になった」
カエル「……ここまで評価が変わるものなんだね。手の平返しをしすぎて手首が折れているんだじゃない?」
主「状況と環境によって印象は大きく変わるよね。あとは見方も変わったし。
全体的な構成は3段構成であり、きっちりと『国内編』『イギリス編』『帰国編』と分けてある。で、ライブシーンはスタートのやつはちょっとあれだけれど、大体全体の半分を超える辺りから徐々に増えていき、ラスト付近で怒涛のように増える。
つまり、前半で彼女たちの普段と変わらない日常描写を見せておきながら、後半では一気にその変化をスピーディーに見せているわけだね」
カエル「ふむふむ」
主「もちろん脚本構成やセリフもいいけれど、キャストの演技もいいんだよ。特に好きなのが律役の佐藤聡美の演技でさ、まあ、他に比べて演技できる幅が広いというのもあるんだけれど、かなりアドリブのような自然な感じが出ている。
序盤で話しかけられて時の返事が『ナンジャラホイ』という言い方だったり、律の持つ静と動の両面性を見事に演じている。
他のキャラクターは割と一面的だけれど、律は幾つかの面を出すことができる。お調子者の顔、部長の顔などね。」
カエル「……強いていうならりっちゃん推しだもんね」
主「もちろん他のキャストの演技も安定しているし、純粋な声優陣の演技力だけでは……他の作品も考慮すると、豊崎愛生と日笠陽子が特に卓越したものがあるけれど、本作では限られた幅の中でも味のある演技になっているよね」
本作が描いたもの
カエル「で、全体評として、このけいおんの映画版って何を描いたの?」
主「『日常の変化と終焉』だよね。
例えば、究極の日常系アニメっていうとやはり『サザエさん』なんだよ。
10年、20年過ぎても何も変化しない、誰も成長しないし、誰も亡くなることもない。それこそ10年ぶりに観ても何も問題がないし、理解できる物語。
だけれど、けいおんの物語は学生である以上いつかは必ず変化と終わりがやってくる。
その日常系アニメが背を向けがちな宿命に対して向き合ったのが本作だ」
カエル「変化しない日常を変化させる物語、かぁ」
主「まず本作の売りの1つに『旅行』というのがある。これはつまり『非日常』だよね。だけれど、旅行は冒険などとは違って劇的な展開もそこまでない上に、必ず帰ってくる行為でもある。
つまり『日常』『非日常』『日常』という流れで描いている。ただし、この最後の日常は必ずしもいつもと同じものという意味の日常ではない」
カエル「……えっと、どういうこと?」
主「より詳しく言えば
『日常の中の日常』=国内編
『非日常の中の日常』=イギリス編
『日常の中の非日常』=帰国後
を描いているんだよ。変化しているようで変化しないもの、変化していないようで変化するもの、だね。
それを象徴する場面について、これから詳しく語っていこう」
3 各シーンが示すこと
カエル「では、ここからは各シーンで考察をしていくけれど……まずはHTTらしからぬロックサウンドから始まったかと思ったら、実は音源に合わせたものでした、というシーンだね」
主「ここがもうすでに『日常と変化』だよね。
1期のOPと同じように、いつもの立ち位置にいるんだけれど、でも弾いている曲が違う。ここで意外性を出して観客を集中させる一方で、実はいつも通りのHTTでした! というオチをつけて、OPが始まる。
すごくけいおんらしいスタートなんだけれど、同時に
『日常の中の変化(いつもと違いヘビメタの演奏)』と、
『変化の中の日常(彼女たちの変わらない生活)』
を見せつけているわけだ」
カエル「ふ〜ん……このスタートもこうやってみると面白いよね」
主「しかも光の演出が抜群にうまい。
梓が昇ってきた階段は真っ暗なんだけれど、窓から差し込む光は部室がある上階に向かっている。つまり、光に沿って登る=梓がワクワクしながら、楽しみながら部室に向かっていることを示している。
そして演奏シーン後、梓が入ってきたシーンなどでは窓が画面右側(上手)にあり、太陽はそちらから当たっている。右から紬、律、唯、梓、澪の順で並んでいるけれど、ここではこの茶番劇にノリノリなのが右にいる3人であり、そこまででもない、もしくは状況を理解していないのが影にいる2人であることを示している。
このように、その時の状況にどのような心境なのか? というのも光と影の演出が有効に機能しているわけだ」
光に近い3人はノリノリ、影に近い澪はちょっと乗り気じゃない……
OP後の変化の予感
カエル「OPが終わった後にはいつもの日常パートが始まるけれど……」
主「4人が並んで廊下を渡るシーンになる。
ここってすごく光が強くして、画面が白くなっているんだよね。ここでは『日常の終焉と変化』を予感させる。
つまり、卒業と別れだよね。本作の中で卒業生組4人が卒業という現実に向かって、残される梓に何を残そうか? ということを考えるわけだ」
カエル「そうなると先に歩いているのが卒業組4人で、その後から梓が続くというのも……」
主「意味があるよ。
しかも、唯が落としたもの=残したきたものを拾ってから、廊下を進むというのは先に卒業する先輩たちから後輩が受け取るという継承の意味合いもあるし、そしていつかは梓も卒業するけれど、先輩たちと同じように明るい希望のある未来が待っている、という演出にもなっている。
その意味では本作も『たまこラブストーリー』と同じように、若者の進路、未来への希望と変化を描いているわけだ」
ロンドン編
カエル「あんまり逐一とやっていくと大変だから、一気にロンドンに飛ぶけれど……どこを見どころとして語るの?」
主「時間にすると1時間8分、ロンドン編のちょうど中盤くらいかな?
そこで唯が1人でロンドンの街を歩く。そして鉄格子……と言っていいのかな? そこを掴みながら梓のことを考えている場面だね。
このシーンがロンドン編の多くを物語っている」
カエル「ふむふむ……」
主「ここで唯は一人で梓にどんな歌を残そうか? と考えているわけだよね。
光と影はインスピレーションを表していて、何か伝えたいいいフレーズが見つかったと思ったら、やっぱりまた影の中に入る……つまりまた暗礁に乗り上げてしまう。その創作の当たり前のことを絵にしている。
そして鉄格子に囲まれているけれど、ここでは『発想が囚われている』ことを示している。にっちもさっちもいかない中で、どうすればいいのか? という悩みを描いているんだね」
カエル「鉄格子の奥に光はあるけれど、その光に向かって行くことができないということだね」
主「そして梓が迎えに来るけれど、唯は転んでしまうわけ。これはまだ梓に自分の思いが伝わっていない、もしくは伝わるほどの練り込みになっていないことを表している。
一方の梓も走り寄ってきてはくれるけれど、唯を抱きとめたり触れるまでは至っていない。
これは単なるギャグ描写のようだけれど、この2人の関係性を表現しているんだよ」
本作の売りの1つ、ロンドン編
これもビートルズ……聲の形といい、山田監督は UKロックが好きなのかな?
たくさんの唯
主「次に語るのが1時間13分の部分で、ちょっとしたシーンだけれどエレベーターから降りるときの場面だね。
このエレベーターが不思議でさ、合わせ鏡になっている。そしてたくさんの唯が梓を見守っているんだよね。
その後輩の後ろ姿を、先輩としていつでも見守っているよ、という意味になる。
後輩としての梓は唯の方を向いていないとしても、気がつかないところでカバーしてくれたり、見てくれている先輩としての唯を表現したシーンだ」
カエル「このロンドン編って当たり前だけれど、ロンドンな街並みがすごく綺麗だよね。聖地巡礼の映画だけれど、けいおんで出てきたから、という理由で聖地巡礼したいという気分にさせてくれるような……」
主「ロンドンの街を引きの絵で見せながらも、そこで変わらずに存在するHTTの日常を描くことで『非日常の中の日常』や『変化の中の普遍的なもの』を見事に描ききっている部分だ。
場所は変わってもいつもと同じように制服を着て、いつもと同じ曲を歌う……この変化のなさこそがロンドン編だろう。
ただし、その中でも唯はちょっとだけ英語を交えたり変化をつけているけれどね」
そして日本へ
カエル「そして日本に帰ってくるわけだけれど……ここからは『日常の中の非日常』のパートになってくるんだよね?」
主「このパートの約30分ほどは語ることがすごく多いけれど、まずは教室でのライブの時。
ここでノリノリのクラスメイトは当然のことながら、カメラを若干動かしているんだよね。これは……例えば実際にカメラを持ってこの様子を……歌っているHTTを撮っている人たちもノリノリであることを示している。
音楽自体もいいんだけれど、観客もそこに引き込まれるようにカメラの揺れも足してこの時の場の空気感を表現して工夫している。
そして日本に帰ってきてからはロンドンよりも光が若干強めにすることによって、光り輝く未来と、この日常が終わってしまう予感があるようになっている」
カエル「ライブシーンの後は一気にノスタルジックなように……なんとくいか、少し色を淡くしているよね」
主「そういったノスタルジーが一気に爆発する瞬間……それが屋上なんだよ」
このシーンにけいおんの全てが詰まっているのでは?
全てが詰まった屋上のシーン
カエル「ここは『たまこラブストーリー』を連想させるよね。みんなで大きな声を上げながら、屋上を疾走するわけだけれど……」
主「このシーンは本当に素晴らしい!
ここがけいおんという物語がどういう作品なのか、如実に表しているんだよ。
まず注目してほしいのは走り出す順番。
唯ががむしゃらに走り出す→律がそれに続く→ちょっと転びそうになりながら澪が続く→紬も走り出す
この順番のように、けいおんというのは主人公であり天然ボケの唯が最初に考えなしに、がむしゃらに走り出して、それに律も続く。その後に最初は尻込みしながらも澪が続き、最後に紬がそれに続くという物語である」
カエル「けいおんのキャラクター性がすごく出ているね……」
主「そして先頭から唯、澪、紬、律なわけ。
つまり唯が先陣を切って走り出し、澪はそれに続いて転びかけても走り出したら先に行こうとする。紬はそんなみんなについていき、最後が律なんだよ。
つまり唯と律が焚きつけてみんなを先導するけれど、唯はそのまま先頭を走り続けるのに対して、律は最後を走る。
それがこの2人の違いであり、HTTで部長を務めてみんなを後ろから見ているのは、やっぱり律なの。だけれど、それが嫌なわけは全くない。むしろ、その状況を楽しんで踊っているのが律なわけ」
カエル「おー、さすが律推しだ……
でも4人が走り出すと光がさらに増して、より綺麗だよね。光に、太陽に向かって走っている! という感じがしてさ」
主「ここで注目してほしいのはそれぞれの表情ね。
叫びながら先頭を走る唯は目を開けたらちょっとスキップする、お調子者な一面がある。
澪は叫んだ後に目を開けて、そのまま走り続けて一度動いたら最後までやり遂げる様を表している。
紬はずっと叫び続けているけれど……このあたりがマイペースな紬らしいよね。
このように屋上で走るだけの1シーンでこの4人の性格と役割などを説明しているんだよ」
本作のもう1つの見所が、ラストの足の描写
ラストのタメ
カエル「そして演奏シーンの後のラストシーンだよね。
山田尚子らしい、足のアップが印象的だけれど……」
主「ここのタメと爆発も良いんだよ!
最後に梓に残すものは残したけれど、最後はやはりこの4人の物語になるわけだ。ここで足の動き、ちょっとしたスキップだったり、リズムが変わるだけでその時誰がどんな気持ちだったのかわかるようになっている。
これはけいおんの特徴だけれど、この4人って足を見るだけで誰なのかわかるんだよね。
靴下が違うし、紬と律は同じ白靴下だけれど足の色と太さを若干変えている」
カエル「変態的な見方のようだけれど、この足に関する描写ってすごく大事なんです」
主「暗転から4人が走り出すまで、大体45秒くらいかけている。結構たっぷりと尺を使ってただ歩くだけの足を描写して、いざ走り出すと5秒ほどでバストアップのカットになる。
そして夕日の中で走る姿を映して話は終わるわけだ。
このタメと爆発が青春物語の最後にふさわしい爽快感を与えている」
カエル「走る描写は青春映画の鉄則ともいうべきシーンだもんね」
主「そしてこのシーンは『歩くという日常』と『走るという変化』を描くことによって、本作の主題も表している。
それは日常系映画のラストシーンとしてこれ以上ないほどの意義があるシーンだし、しかも美しい場面であり、明るく終えることもできていて、まさしくけいおんらしくもあり、劇場版にふさわしいラストだったね」
4 山田尚子作品として
カエル「では、最後に山田尚子の劇場アニメ作品としてのどう捉えるのか? という話をしようか。
山田尚子の映画ってテレビシリーズの完結版となる作品が多いこともあるだろうけれど、そういう『日常と変化』を扱った作品が多いのかなぁ。
『たまこラブストーリー』もそうだし『聲の形』も人間関係の変化を扱った映画だし……」
主「派手な展開、派手な描写が少ない、アニメには不向きの日常の描写を魅力的に、そして関係性の変化について描く。
それが山田尚子の最大の作家性なのかもしれないし、やっぱり演出力がすごく卓越したものがある。
自分は山田尚子作品は『邦画』だと思っている。
それは日本で作られたから当たり前だろ? と思うかもしれないけれどそういう意味ではなくて、アニメというよりも実写邦画に近い作品だと考えている。
アニメというのはある種のお約束があって……萌え描写とか、ギャグ描写とかね。それからハードねSF設定や戦闘シーンなどもそうだし、『アニメっぽいなぁ』と思わせるものはある。
例えばアメリカの大作映画とかは結構アニメっぽくて、自分はヒーロー映画などはアニメの延長線上で考えている」
カエル「キャラクターとかも萌えを意識したり『人物』というよりは『キャラクター』と称する、ある種の定型的な表現が多い気はするかなぁ」
主「でも山田尚子はそういったアニメらしさからの脱却を図っている印象がある。
それは一時期の高畑勲(火垂るの墓ぐらいの頃)なども目指していたけれど……そういうリアリティとはまた違うものを目標としているよね。
その第一歩としては、本作はまだまだアニメ的だ。元々大人気アニメシリーズの劇場版だし、当たり前といえば当たり前だけれどね。
でも、ここからけいおん→たまこ→聲の形とよりアニメらしさを減らしている。
だけれど、アニメじゃないとできない表現や演出もきっちりと入れていて、そのバランスがとても素晴らしい」
多分本作が純化した作品がたまこになるんじゃないかなぁ?
山田尚子の映画作品に共通するテーマ
カエル「ふむふむ」
主「そして山田尚子の各テーマはやっぱり似ているんだよ。
少年少女の変化と未来への希望だよね。
本作は日常の中にいた少女たちが、後輩に何かを託して自らが成長(変化)する物語。
たまこは心地いい関係性からの脱却し、新たな関係性を構築する物語。
そして聲の形はもっと根本的に……美しい思い出などを抱えることのできない存在が自分の人生や性格を肯定し、変化していく物語。
となる次回作の『リズと青い鳥』がどのようになるのか、なんとなく想像できるし楽しみだよ」
カエル「描き方やそのスタートなるものは違うけれど、その終わり方は結構似ていると言えるのかな?」
主「もちろん、山田一人ですべて決めているとは言わないし、京アニが学生が主人公の作品が多いのはあるけれど……でもこの流れは偶然ではないんじゃないかな?」
カエル「一度原作なしの作品も見てみたいなぁ……」
主「本作もある意味では原作がない作品と言えるけれど、テレビシリーズにすら縛られない、完全オリジナル作品で自由にやらせたらどんな作品を作り上げるのか……気になるなぁ」
最後に
カエル「では、これで本当の最後だけれど、まさかここまで印象が変わるとは……」
主「自分でもすごく驚いている。
あの当時だったら『つまらん!』と酷評していたかもしれない。でもさ、それもまたこの作品が示したところの『日常と変化』じゃない?」
カエル「……そんな変化することある? って言いたくなるくらい変化しているねぇ」
主「やっぱり映画に対する見方が変化しているのはあるよ。あとは少しアニメ業界でも自分が望むような作品が制作されているから、変な意識がなくなったのも大きい。
実際、派手な描写はないしさ、万人ウケする作品ではないんじゃないかな? と思っている。かなりテレビシリーズから引用している演出も多いし、映画単体として完成しているとまでは……いいづらいのかなぁ」
カエル「さて、これで一応山田尚子の劇場映画は3作品すべて語ったけれど……」
主「どれも一定以上に面白い……というよりも、トンデモナイ作品ばかりで、やはりその才能に恐れ入る。
これさ、今から『リズと青い鳥』が今年1番の傑作になる気配しかしないんだけれど……」
カエル「ファンの贔屓目込みとはいえ、楽しみにしていましょう!」