物語る亀

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物語愛好者の雑文

『映画 ゆるキャン△』ネタバレ感想&評価! 日常系作品だからこそ流れる時間と、どうしても出てくる疑問点

 

今回は『映画 ゆるキャン△』の感想記事になります!

 

こちらも大ヒットを記録しているな

 

(C)あfろ・芳文社/野外活動委員会

 

カエルくん(以下カエル)

 

この週は『バズ・ライトイヤー』などもあったけれど、公開規模が逆なんじゃ? と思うほどいい勝負をしていたね

 

初週で3位だっけ? ファン向けアニメ映画としては大健闘だ

 

カエル「今年はアニメ映画の中でも『五等分の花嫁』とかのサプライズヒットも多くて、びっくりするね」

 

主「どれも好評だし、ファンに受け入れられているようで良かったよ。

 これでアニメ業界、アニメ映画もまた1つ伸びてくれると嬉しいな。

 それでは、記事を始めようか」

 

この記事の短評

    • 全体的な感想 → 独特な流れる時間を感じられた作品
    • 良かった点  → 日常の終わりを感じさせる映画に
    • 物語について →  社会人の描き方に疑問符……

 

 

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感想

 

それでは、Twitterの短評からスタートです!

 

 

この作品に関しては、何を重視して映画を見にいくのか、という点が大きいだろう

 

カエル「ゆるキャンは一人でキャンプを楽しむソロキャンブームを牽引した存在としても知られています。

 もちろんファンも多い作品だし、それは120館ほどと決して大規模とは言えない公開規模にも関わらず、ファンが詰めかけて、興行収入3億5000万円を興行開始の3日間で売り上げたことでも、わかるよね」

 

主「一方で、この手の作品というのは……どうしても日常系作品は、劇場アニメには向いていない傾向にある。

 というのは、日常系というのは、劇的なヤマ・タニがない。

 エンタメとして重要な起伏がないからこその日常であり、のほほんとした空気が楽しめる作品でもある。それはテレビシリーズの30分、ないしは15分を楽しむには間が持つのだけれど、2時間の上映時間では、間を持たせるのがとても難しい

 

映画として成立させるために、何を映画で描くのかががとても重要なわけだね

 

一方で、作品のファンは劇的な展開……例えば恋愛の問題とか、家族の危機とか、もっと大きくして宇宙の問題とかは全くこの作品には求めていないわけだ

 

カエル「まあ、ゆるキャンでドラゴンボール並みに『宇宙が〜!最強の戦士が!』って、誰も求めていないよね……」

 

主「結局、ファンが求めているのはいつものメンバーが、いつものように楽しんでいる光景だろう。

 それを崩さずに映画としてどのように完成させるのか……それはとても難しいことだ。

 その中で自分が求めたのは『映画で流れる、ゆるキャンだからこその時間』になる。

 このことは、また後に語るとしよう」

 

 

 

 

映画として成立するための工夫

 

今作が映画として成立するために果たした工夫というと、どういう部分になるの?

 

やはり社会人の物語として、キャンプ場を作るという点にあるだろう

 

主「先行する作品の例で言えば、やはり日常系の代表格である『映画 けいおん!』がある。

 こちらはイギリスに卒業旅行に行くことで、いつものほんわかした日常の雰囲気を維持しながらも、その日常の終わり→卒業を描いた。作品のテイストは崩さずに、物語に大きな起伏をつけて、映画とする意義をもたらしたわけだよね」

 

 

 

blog.monogatarukame.net

 

ふむふむ……確かに日常系の面白さを内包しながらも、映画としてのテーマも兼ね備えていたよね

 

あるいは、近年だと『劇場版 からかい上手の高木さん』もそうだろう

 

主「うちでは大絶賛した作品だけれど、高木さんと西片の”からかい”といういつもの流れを通しながら、少年期・初恋の終焉を感じさせるという物語に仕上がっていた。

 そのことをまとめた記事も執筆させていただいたから、そちらも参考にしてほしい」

 

(C)2022 山本崇一朗・小学館/劇場版からかい上手の高木さん製作委員会

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↓ リアルサウンド映画部に寄稿した記事はこちら ↓

realsound.jp

 

それで、ゆるキャンに話を戻すと……やはり社会人の物語にしたというのが、とても大きいのかな

 

そこが最大の差別化であり、映画的なテーマをもたらすものだよね

 

カエル「女子高生がキャンプします! だと、なかなか映画的にはなりづらいという判断もあったのかなぁ。

 あとはファン向けだからこそ、いつもと違うオリジナルストーリーを見せたいということもあったのかもしれないね」

 

主「その点において、今作は”好きの先へ”というテーマが生まれた。

 キャンプが好き、ソロでやったり、時々は友達と一緒に行ったり……という楽しむ側、消費者側でいたメンバーたちが、自分たちが楽しいを提供する側へと向かうということを描く。

 そして同時に、思春期の終わりを描くということも行っているのが、本作だと言えるわけだ」

 

 

 

 

映画だからこその時間

 

先ほど語っていた『映画だからこその時間』というのは、どういうことなの?

 

1つの究極として、映画は時間の表現の媒体だとも考えている

 

カエル「映画には映画にあった時間がある、という考え方だね。

 小説や漫画のように読む時間や楽しむ時間が個人差で左右されることもなく、テレビのように途中でCMを挟まない。2時間なら2時間、3時間なら3時間で一気に集中して見ることができるメディアだからこそ、そこに流れる時間が制御することができるという考え方なのかな」

 

主「映画には映画にしか流れない時間があるんだよ。

 例えば近年だと『THE BATMAN ザ・バットマン』『ドライブ・マイ・カー』がそうだった。3時間という長尺の映画だったけれど、それだけの時間をかけないとできない、独特の時間が流れていたんだ。

 時々『この映画は2時間に収められる』という意見もあるし、自分もそう言いがちだけれど、でも3時間の映画は3時間かけないとできない時間がある。

 その時間を表現し、楽しむのも1つの映画の表現であり、ある種の究極だと言える

 

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アニメ映画でいうと押井守監督の『スカイ・クロラ』なんかはそうなのかなぁ

 

退屈な映画と言われがちだけれど、でも流れている独特な時間があり、その表現に注目するととても豊かな映画だと感じさせる作品だね

 

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あとは、先に挙げた『映画 けいおん!』なんかも独特な時間表現がなされた印象だね

 

初見の時、当時の自分は日常系が苦手&山田監督のやりたいことも理解していなかったから、5時間の映画に感じられたんだよなぁ……

 

カエル「まあ、それはいいとして。

 ゆるキャンに臨んだのもの、その独特な時間なんだね」

 

主「これは持論に近くなるけれど……先ほども語ったように、ゆるキャンなどの日常系はどうしてもエンタメとしてのヤマ・タニは弱くなる。途中で誰かが亡くなるわけもないし、特別な事件も発生しないし、恋愛も失恋もない。

 つまり、ドラマがどうしても弱くなる。

 その中で日常系の強みというのは、日常系にしか流れない独特の時間にあると考えている。

 ほっこりとしたというか、日常を強く感じる時間。

 それが流れているか、そこを重視した

 

カエル「その結果としては、どうだったの?」

 

主「全パートでそれが流れたわけではない。

 だけれど、極一部のパートで、自分が期待したその”時間”がはっきりと流れているのが感じられたし、意外とドラマも出てきて面白かった部分もある。だから、一定の答えは感じられたかな」

 

以下具体的なネタバレあり

 

 

 

 

作品の良かった点、気になった点

 

気に入ったパート

 

その独特な時間が流れて、気に入ったパートはどこだったの?

 

キャンプ場作りがストップしてしまってからの、一連の流れかな

 

カエル「キャンプ場を作っているけれど、遺跡が見つかってしまい工事がストップしてってパートだね」

 

主「そこまではゆる〜い雰囲気が流れていたけれど、ここで独特な時間が流れていた。

 例えば老いてきた犬のちくわに対して『ゆっくりでもいいんだよ』と話しかけるシーン。そしてそのあと、撫でてあげてしばらくちくわが返答をしなかったシーンなんかは、いつかは訪れるであろうちくわの死=別れを暗示しているようにも感じられた。

 もちろん、ゆるキャン△ではそのようなドラマは、多分起こらない。

 起こらないけれど、でも可能性は絶対にある。いつかはそのような別れは出てくるわけだから。そのような今の時間の終焉の予感に満ちた演出技法は、とても楽しかった

 

(C)あfろ・芳文社/野外活動委員会

 

ふむふむ

 

他にも、閉校する小学校であったり、あるいは温泉に入っているシーンなども含めて、今の時間の終焉の物悲しさに溢れている作品でもあったんだ

 

カエル「実は日常系でありながらも、日常の終焉にも言及していると」

 

主「そうだね。

 変わりゆく日常の中で、変わらない魅力を出してくれている。

 それと同時に、止まらない時間の中で変化せざるをえない可能性をも描いている。

 それがこの作品の魅力でもあると感じた。

 同時に、このパートは全体としてはタニ場、あるいはダレ場に近いのだろうけれど、この停滞した雰囲気がとても好きだった。緩やかながらも流れていったそれまでの時間と比べて、止まっているけれど、変化の予感が頭をよぎる時間とでも言うのか……

 これは日常系だからこそできる時間の流れ方だと思う。

 時間表現って話の流れとか、音楽とか、映像のみならずトータルでコントロールしないとできないものだけれど、今作はそれが見事にできているような気がしていて……それがたまらなく好きだったね

 

(C)あfろ・芳文社/野外活動委員会

 

一方で気になった点

 

それじゃ、逆に気になった点は?

 

この見方が間違っているのはわかるけれど……社会人もの、お仕事ものとしては、全く評価できないよなぁ……

 

カエル「みんなゆる〜いキャンプ生活を見にきているわけで、お仕事ものとして見にきているわけではない、いわばお仕事描写においてはファンタジーであると言うことをわかった上でのツッコミとなります」

 

主「冷静に考えて、キャンプ場を作ると言う行為は立派なビジネスなわけじゃない?

 土地を用意して、キャンプができる設備を用意して、お客さんを呼び込んで……どれも立派なビジネス、起業だよ。

 そのレベルのことをやるにしては、全くこの映画は重要なことを無視している。

 例えば予算。あれほどの工事などを行う予算はどこから出ているのよ?

 人件費は? 0なの? ボランティア扱い?

 建物を改修したりしているけれど、法的な資格とかはいらないの?

 それに運営開始したのはいいとして、どうやって回していくのよ。初日はみんなのボランティアでいいかもしれないけれど、これが1年、2年と続いていくうちに必ず人手が必要になる。どうするの?」

 

……そういう冷静な視点で見る作品ではないと思うけれど

 

もちろん、それはわかっているけれど、あまりにも社会人に対するファンタジーがすぎるよ

 

主「ゆるキャン△だからさ、20代前半から半ばの女の子5人集まって恋愛の1つもないのは、まあいいとしよう。違和感バリバリだけれどね。

 お仕事描写もブラック要素があまりないのも、現代的なホワイト革命が進んだ世界と言えなくもない。

 けれど、それが続いちゃうと……社会人を扱った物語としては、あまりにもファンタジーがすぎるよね。

 それを言い出したら、女子高生がソロでキャンプという時点で、確かにファンタジーかもしれないけれど、さらにそれを超えちゃっている。

 主人公を社会人としてしまったことで、日常は描けていても、社会や仕事を描くことができなくなってしまった。

 そうなると、実は彼女たちの善意は、やりがい搾取でしかないとか、色々なことが気になってしまう。

 もちろん、そういう作品ではないのはわかるけれど……ファンタジーですから、で処理するには、あまりにもノイズが大きすぎた印象かな」

 

 

 

最後に

 

といわけで『映画 ゆるキャン△』の感想でした

 

全体的には、とても意図通りの作品のテイストに合っていると感じたかな

 

カエル「いろいろ言ったけれど、日常系という最も映画館に向かない題材の1つにしては、しっかりと映画館で楽しめる作品になっていたよね」

 

主「どうしてもバトルや迫力のある作画があるわけではないし、映像的な見応えも少なくなりがちな中で、それでも面白い作品ができたのは良かったんじゃないかな。

 気になる点はあったけれど、それもゆるキャンらしさなんだ、と言われたらそうかもしれないし……まあ、これでいいのかもしれないね」