それでは、今回は『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の考察記事となります
……不遜な気もするけれどね
カエルくん(以下カエル)
「1回目を見た時は『言葉が出ない』という感想でした。
その時の気持ちを詰め込んだ、感想記事はこちらになります」
主
「今回の記事は、例えるならばマジックのネタバラシをするようなものだから……もちろん、スタッフでもなんでもないから、単に外野から素人が見て『こうなっているんじゃないの?』という、ガヤ以外の何者でもないんだけれど。
でも……おそらく、公開直後のこのタイミングでは、ネット上で見れる最も熱くて、長くて、濃い論評になるように、していきます」
カエル「いつも読んでいただいている方にはお馴染みの、考察記事になります。
その性質上、ただのあらすじを語るだけとは異なりますが、ガッツリとネタバレをしていきますので、ご了承ください。
また、見ていない方は残念ながら置いてけぼりの書き方になると思います。
そちらも合わせて、ご了承ください」
主「自分で言うのもなんですが、本領発揮というところでしょうか。
それでは、久々の考察記事のスタートです。
あ、あとがんばったので、面白かったらTwitterで拡散なり、ブクマなりをお願いします」
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』本予告 2020年9月18日(金)公開
どこよりも詳しく!『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想&座談会(ネタバレあり)〜アニなら#2-2 ヴァイオレット 編〜
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序盤について
歩き続けてきたヴァイオレット
では、まずは序盤から考えていきましょう
思えば、ヴァイオレットって、ずっと歩いてきたんだよね
カエル「そう言われてみると、歩いているシーンがとても多い印象があるね。
それこそ、初期のCMでも歩くシーンが繰り返し使われていたよね」
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」 Violet Evergarden CM 第2弾
前の記事でも語ったけれど、ヴァイオレットはずっと同じ方向に向かって歩いていた
カエル「このCMでも右から左へ、つまり上座から下座へと歩くことで、彼女が過去を見つめている、過去に向かって歩いているということを表現しているという説明だったね」
主「この第2段のCMでは右(上座)→左(下座)の動きに加えて、さらに奥から手前の動きも取り入れている。
奥から手前っていうのは、前進を意味しているから、ここでマイナスになりすぎないようにしているんだろう」
カエル「ふむふむ……」
主「とりあえず上下の話はここは置いておいて、スタートでまるで線路のような畦道を歩く姿から始まる。
線路・電車は運命を象徴すると言われているけれど、今作はその線路がない。
だからこそ、ヴァイオレットは自分の道を選択し、荒野のような道を歩くことから始まるわけだ」
ずっと、ずっと歩いてきたヴァイオレットならではのスタートなわけだね
導入としても、映画的で自分はとても好きだよ
主「同時に……これは完全にファンの妄想として笑い飛ばして欲しいけれど、自分としては今作を見ていて連想したのは、新海誠監督の『天気の子』なんだよ」
それはやっぱり、雨の描写とか?
それもあるけれど”線路のような道を歩く”とかも
主「全く共通点がないと思われるかもしれないけれど、アニメ制作がデジタル化されて以降、最も成長しているセクションが撮影とされている。その中でも特に業界内でも大きな注目をされていると言われているのが、新海誠、京アニ、ufotableだ。
どこも映像の美しさに定評があるけれど、それは緻密な作画はもちろん、エフェクトなどの撮影処理がとてもレベルが高いことで達成できていることだ」
カエル「また、新海誠監督も京アニのファンとして知られているよね。特にどちらも水などの作画に定評があって、切磋琢磨してきたのでは? と言っていたし、なんなら記事の中でも京アニに影響を受けているので? って考察を語っていたし」
主「『天気の子』の関しては、近年の夏アニメや話題作の要素を結構取り入れているとも思うんだよね」
で、ヴァイオレットに話を戻すと、やはり”何もない線路のような道を歩く”というのは『天気の子』の名シーンとも被るなって話
主「まあ、ここは雨の描写と線路の描写だけじゃねぇかって言われたらその通りなんだけれど、間違いなく言えるのは、近年の日本のアニメは撮影技術の進化もあって、水などのエフェクト表現がとても高いレベルに……それこそ、世界基準で見ても目を見張るレベルになっている。
それには各スタジオ・監督が影響しあって、切磋琢磨して生まれているものではないか? 飛び抜けた1つのスタジオ、監督の力ではなく、それぞれの魅力や強みを生かしながら、多様なアニメ表現が生まれていて、本当に面白いことになっているんだよってことが語りたかったね」
上手下手で語ると、今作も子供たちはほぼ上→下へと走り、希望を持って明るい未来へ向かっていることが伝わってくる
スタートから神回のオマージュの意図
開始5分で泣いたって声もあって、それもよくわかるよ……いきなり神回であるアン・マグノリアのエピソードのその後から始まるなんて……
自分は、テレビアニメの最終回って10話だと思っているタイプかな
カエル「もちろん13話+OVA、外伝のどれもレベルが高いけれど、ヴァイオレットの歩みの物語としては、10話がピークとなっているのではないか? という意見だね」
主「11~13話に関しては、結果的にはこの劇場版につなげるための……助走というには壮大だけれど、でもそういうような役割だと思う。
その意味ではテレビシリーズ→劇場版という流れで、1つの物語として完結している。
OVAと外伝はヴァイオレットの物語というよりも、他の登場人物の物語になっているから、あくまでも外伝であるという評価かな」
じゃあ、なぜその10話のアンのお話を冒頭に持ってきたの?
アンは、ヴァイオレットが初めて”どちらの気持ちも理解して手紙を届けた”相手なんだよ
カエル「この辺りは、以前に10話が再放送された際に実況されたツイートを参考にしながら、語っていくことにしましょう」
アンはこの話の前半の大半を家の中で過ごします
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年6月3日
アンは子供ということもあり母とヴァイオレットのやり取り見ていることしかできない=ガラス1枚の距離感で表現します
ここは後々の伏線でもありつつも家の中のアンは暗い、サンルームの外の母は明るいことから憧れの感情を描きます
#VioletEvergarden pic.twitter.com/RFdvKA0rYl
主「最初に、窓から外を眺めるシーンが劇場版でもあったけれど、ここは10話と同じようになっている。
- 家の中の世界=日が差さず、暗い世界
- 家の外の世界=日が当たり、明るい世界
こうすることで、多くを語らずともキャラクターたちの心情を表現している。それはこの映画でも同じだよね」
そして何よりも大事なのは、アンはヴァイオレットを”お人形から人間だと認めてくれた”存在ということなんだ
アンはヴァイオレットのことを「お人形」と呼びます
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年6月3日
この辺りは子供らしくて可愛いらしくも、ヴァイオレットの過去を考えるとなんと残酷な呼び方か
この話では人形であることを強調するように何度も何度も連呼します#ヴァイオレット・エヴァーガーデン
#VioletEvergarden pic.twitter.com/v1JE8MKQjw
父を戦争で亡くしたアン
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年6月3日
この暗い部屋で話し合われたことは、まるで過去のヴァイオレットのよう
そう、アンは明るくわがままという真逆の性格ながら、境遇は過去のヴァイオレットの象徴ともいえる存在です#ヴァイオレット・エヴァーガーデン
#VioletEvergarden pic.twitter.com/2iwnAHcxhC
「お人形じゃなかったの」
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年6月3日
人形扱いされ、1話では業火の中で焼かれている心にも気がつかなかったヴァイオレット
だけど彼女は様々な経験を通して人間になりました
それを認めてくれたのは過去のヴァイオレットと似たような境遇のアンでした#ヴァイオレット・エヴァーガーデン#VioletEvergarden pic.twitter.com/gwHcKzrQaq
アン=かつてのヴァイオレット
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年6月3日
母=親のような存在、ギルベルト
ヴァイオレットはアンへの母からの手紙を綴ることで、かつてのギルベルトが自分に向けた“愛してる“を追体験し、かつての自分に届けることができました
人形だった彼女はこの瞬間に人間になったと言えるでしょう#VioletEvergarden pic.twitter.com/85SfXYfsdk
ヴァイオレットにとってアンは過去の自分であり、同時にギルベルト達が自分を見ていた目線を教えてくれた存在でもあるんだね
主「その通り。
ドール、なんて言葉があるように、この作品ではヴァイオレットを人形・機械・道具のように語るシーンも多い。だけれど、お客様でヴァイオレットを血の通った人間だと認めてくれた存在は、アンなんだ。
そしてアンに母の手紙を届けるというのは、アン=過去のヴァイオレット(親を亡くした自分)に手紙を届けることの代行の行為である」
カエル「”あいしてる”を、過去の自分の代理であるアンに伝えるお手伝いができたわけだね」
主「だから、この映画でアンから始まるというのは
- ヴァイオレットが届けた思いの象徴
- その思いが届いた先の、幸せな未来
ということができる。その意味では、この冒頭とラストの、デイジーの話だけで、思いを届けるという1つの物語として完結しているとも言えるんだよ。
ただ、それはヴァイオレット・エヴァーガーデンの物語ではないけれど。
そしてここから、ヴァイオレットの最後の旅が始まるわけだね」
序盤から中盤にかけて
変わるものと、変わらないもの
ようやくヴァイオレットの物語について語っていきましょうか
この映画の中で繰り返し出てくるのは、変わるものと変わらないものだよ
主「変わらないものは……例えばヴァイオレットの登場シーンだ。
海への祝詞を捧げるシーンでこの映画では初登場する彼女は、上座→下座といういつもの流れに加えて、手前→奥に動く。ここは、マイナスなイメージを与える演出とされているわけだ。
なぜマイナスな印象を抱くのか、というと……前回の記事でも語ったように、その相手が”海”だからだよ」
カエル「海は生きとし生けるものの母であると同時に、死者が帰るべき場所、という描写がされているよね……」
主「でもさ、この海がとても美しいんだよね。
その海をバックにしながらヴァイレットは市長と語る。ここは後々の伏線でもあるけれど、同時に”分かり合えない距離”を表しているわけだ」
……わかり合えない距離?
それが”変わったもの”だよ
主「軍靴を履いて、戦場に立つ足は変わった。今はきれいなブーツを履いて、整備された道路の上を歩いている。
それは大きな変化だろう。
でも、その足元には大きな影がある……それを守るために亡くなってしまった命、生き残ってしまったものとして、そこに向き合う必要がある。
その苦痛。
それは、外の人からではわからない。もしかしたら、あの市長も過酷な戦場経験をしていたかもしれないけれど、それはヴァイオレットとは決して共有することはできないものだろう」
カエル「その悩みは、さすがに市長さんには関係ないよね……」
主「確かにヴァイオレットの境遇は変わった。
だけれど大佐に思わず手を出してしまったり、変わらないものもある。
彼女は”感受性が豊かなドール”としての一面と同時に”敵を攻撃する武器であり道具”としての一面も、変わらず残ってしまっている。
これが変わらないものだ」
……なんか、悲しい話だね
でもね、嬉しい変わったものもあるんだよ
主「それが花火なんだ。
作中では、戦争時に閃光弾として使われていた。だけれど、それが花火となっていた。
同じ空に打ち上がる火薬でも、その意味合いは大きく変わる。
もちろん、電波塔なども含めて……時代は変わる。
だけれど、変わらないものもある。
変われないものもある。
それを描き出したのが、この序盤から中盤だね」
大きく変化していく街
だけれど、アンが暮らした家のように、変わらないものもある
3人の物語へ
あとは……とても大事なのは、3という数字だよね。これはヴァイオレットの外伝でも、よく論調に上がっていたかなぁ……
……なんか、京アニってキリスト教徒みたいな引用の仕方をするよね
カエル「それこそ、十字架の演出は今作でも使われているような気がしていて……夜の中で、ヴァイオレットが一人部屋でタイプライターを打ってギルベルトへの思いを書くシーンがあるけれど、その外から見たカットが、窓枠を十字架に見立てていた気がするんだよね」
主「単純に引用としてキリスト教のモチーフを使っているのか、それともスタッフにクリスチャンがいるのかはわからないけれど、そういう点もモチーフを読み取りやすさなどにつながっている印象がある。
そういう話だと、今作は『聲の形』の要素を……というか、京アニ過去作からの引用を多く感じたかな。
これに関しては、演出筆頭が聲の形で絵コンテ・演出も担当した山村卓也だし、小川太一、それから石立監督も聲の形では演出でも携わっているから、当然なのかもしれないけれど」
それで、3というとキリスト教では神聖な数字とされているよね
今作では3人の男が中心となる
カエル「もちろん、ギルベルト、ホッジンズ、ディートフリートの3人だよね」
主「彼らは東方の3賢者だ!……というのは、さすがに突飛すぎるけれど(笑)」
カエル「……いや、何が笑いどころなのかわからないです。
簡単にまとめると、以下のような役割があるね」
- ギルベルト → 思いを受け取る人・全てのスタート
- ホッジンズ → 手紙を見つける人・ヴァイオレットの親
- ディートフリート → 手紙を届ける人・弟への思いを繋ぐ人
主「この親友&兄弟の3人がいなければ、この物語は始まらなかった。
ギルベルトが請われて手紙を出さなかったら……
ホッジンズがそれを見つけなかったら……
ディートフリートが協力しなかったら……
ヴァイオレットの思いが届くことはなかった。
そもそも、ホッジンズが郵便局を始めなければ、手紙が届くことはなかった。ギルベルトは当然、CH郵便社のことも知らないはずだから、全て偶然の果ての出来事だね」
……これも、戦争が終わって変わったことの1つだね
平和になって軍が手を回せていないからこそ、郵便事業と立ち上げたわけだしね
カエル「全てがつながるように作られているわけだね……」
主「それは、ギルベルトとディートフリートの兄弟も同じで……父親とのコミュニケーションがうまくいかなかったから、みんな自分の心を偽ることになってしまった。
この後に語られるけれど『みんな、簡単には素直になれない』ってところで……そのすれ違った思いも、解いていくのがテーマになっていくね」
親としてのホッジンズと、最優秀助演女優賞もののカトレア
今作はコメディパートは少ないけれど、そこを受け持ったのはホッジンズなのではないでしょうか?
実は、ヴァイオレットもめっちゃボケているんだけれどね
カエル「あ、あの『お子様価格です!』とか?」
主「そうそう。
あれは規律を重視することしか知らなかったヴァイオレットの成長でもあるよね。
人間らしい心を手に入れているけれど、でも感情が顔に出ないから、それがボケなのかわからない。
そういうところも可愛いけれど。
そして、親としてのホッジンズの悩みが色々と語られている」
カエル「『女の子は身が持たない』『男の子も身が持たない』って流れは、とてもよかったね」
主「ここで自分が注目したのはテニスをするシーンで……なんでテニスなのかな? って思ったけれど、多分、ネットが多く使われている競技だからだろう。
ネット(網)=囚われている心、という見方もできる。
この場合は、親心としての迷い、ということができるわけだね」
それと忘れちゃいけないの、カトレアの存在だ!
……本当、カトレアさん大好きなのね
主「いやー、カトレアさん、最高だよね!
本当に魅力しかない!」
カエル「……まあ、ロリキャラが好きというよりはずっとマシだろうけれど」
主「真面目な話をすると、カトレアは今回、1番いい仕事をしたんじゃないかな?
適切に助言を行い、多くの人を導くような役割を果たしている。しかも、自分は出しゃばらない。だけれど、実は視線とかいろいろな仕草で観客に発見を与えているという……もう名脇役!」
カエル「それは、まあ、そうだろうけれど」
主「そんで、カトレアの役割はそのまんま”母親”なんだよね。
ホッジンズにヴァイオレットを思うからこその子離れの勧めをして、ヴァイオレットが悩む時は適切に助言を行う。彼女が『手紙を書きなさい』と言わなければ、この映画の話は進まないんだよ」
カエル「あ、ちゃんと意味があって話始めたんだ……
てっきりカトレアがどれだけ好きかって話で終わるのかと……」
主「まあ、それでも良かったけれど、
この映画って脇役のほんの少しの仕草まで計算されている……だから、本当にすごい映画だと思うよ」
ユリスのパートについて
アンをひきづっているヴァイオレット
ここで、大事なもう1人の主人公とも言える、ユリスについても語っておきましょうか
初めて会った時から、丁寧に芝居されていたよね
カエル「今作においても、とても重要な人物だよね。ヴァイオレットが手紙を届けなければいけない人物でもあるし……」
主「ここは最初はコメディまじりで、ほっこりとする場面でさ、重くなりがちな話を軽くしたり、息抜きをさせてくれる、とても大事なところだった。
うまいなぁ……と思ったのは飛行船の下りかな」
カエル「飛行船が来て、影ができるシーンだね。
ちょうどアンの話をしていて、ヴァイオレットがまだ彼女を引きずっていることがわかる演出でもあったね」
主「細かいよね。
それでいうと、『僕の分まで甘えてよ』という手紙の内容を語っているときに、ヴァイオレットは鏡で曇って見えているけれど、ユリスは全く曇らない。これは、ユリスはそれが言えたことでスッキリしているけれど、ヴァイオレットは全く明るい気持ちになっていないことを示している。
やっぱり、人の死に関して、まだ受け止めきれないものがあるのだろう。
……死を間近でたくさん見てきた、ヴァイオレットだからこそ、ね」
リュカとユリスの関係性
リュカとユリスの関係性も、結構泣けるものだったね……
……ちょっと、関係ない話をしていいかな
主「最近上がっていた記事で、プロレスラーの高山善廣の記事があったんだよ」
……高山選手は試合中の事故によって頸椎損傷の大怪我をおい、現在もリハビリ中です
主「あの、筋肉ガチガチでさ。パンツとブーツだけでリングに上がっていた、どう見ても強いレスラーが、今はここまで細い腕になるのかと、衝撃を受けた。昔は200キロもあげていたペンチプレスを、今は10キロであげている。
その姿を公開するのって、本当にすごいことだと思うんだよ。
尊敬する」
カエル「……自分の体が弱っていく姿を、大切な人だからこそ見せたくないって思いは、あって当然のものだよね……」
主「そうだね。
だから、ユリスがリュカを遠ざけたのって、あの年頃ならばむしろ当然というか……あの明らかに細い脚を見たとき、やっぱり自分の中でギョッとする感覚がどこかにあった。
でも、気持ち悪くはなくて……そこには人間ならば当たり前に存在するもの、つまり生老病死を、臆面もなく描いている。
そこまで描き抜いたからこそ、宿る真実ってものがあるのではないかな?」
もう一つの3人の関係と、ユリスについて
……ユリスくんには、とても大変なことが待っているね
あの展開は、正直リスキーだったなという思いもある
カエル「正直に言えば、うちは人が簡単に亡くなるような話だったり、そこで涙を誘うような物語は、あまり好きではない傾向にあります。
だから、見ている最中も少しだけ引っかかるものがありました」
主「今、本当に死が安易に使われているなって思う。
それがとても意義があるものならばともかく、前触れもなく、ただ観客を泣かせるために死なせる物語が多い。
この作品くらいに、深く描くならば、まだ理解できるし、納得もするし……実際、胸にきたし。
本当に死を描くのであれば、ここまで深いものにしてほしい」
カエル「ヴァイオレットが苦境にいる中で救ってくれたのは、アイリスとベネディクトでした。うがった見方をすれば、全員に見せ場を与えるための展開、ということも可能だとは思います」
主「でもさ、やっぱり3人の関係なんじゃないかな。
- ヴァイオレット → 手紙の作り手
- アイリス → 思いを届ける人
- ベネディクト → 思いを届ける人
ここもさ、ヴァイオレットがCH郵便局で必死になったからこそ、手に入れた関係じゃない?
3の数字にこだわるには無理やりかもしれないけれど……でも、やっぱり意味があったと思う」
すんごく美しいなと思ったのは、アイリスはユリスくんの最期に立ち会わないんだよね
主「人の死というのは、とても大事な儀式だ。
そこを家族だけにしてあげるという……この製作陣の配慮が、とても美しいと思う。しかも、亡くなるシーンを描くような無粋で下品な真似はしなかった。確かに、そこで感動を煽るようなことはあったけれど……」
ヴァイオレットが描き続けた『四苦八苦』
それでも、必要なシーンだったと?
……この世には、四苦と八苦があるんだよ
主「生・老・病・死。
これらの苦しみは、生きているものであれば全員が抗うことはできない。生物が生まれ持ってしまった苦しみだ。
そして上記の四苦に、
- 愛別離苦あいべつりく(親愛な者との別れの苦しみ)
- 怨憎会苦おんぞうえく(恨み憎む者に会う苦しみ)
- 求不得苦ぐふとくく(求めているものが得られない苦しみ)
- 五蘊盛苦ごうんじょうく(心身を形成する五つの要素から生じる苦しみ)
goo辞書より
を加えた八苦がある。
上記の4苦が生物としての苦しみであれば、下記の4苦は人間が人間社会で生きるからこその苦しみだ」
その意味では、ヴァイオレットの物語はキリスト教的でもあり、仏教的でもある
カエル「……特に愛別離苦なんて、ヴァイオレットの苦しみの根本みたいなものだよね。
求不得苦も『どんなに強く願っても、叶わない思いがある』という言葉もあったし……」
主「その意味では、この八苦も全て入っているとも言える。五蘊盛苦ってすごく説明が難しいけれど……ちょう大雑把に、怒られる言い方をしたら『生きてるって苦しいよね』みたいなことだと思うんだよ。
その苦しみに、絶対に向き合わなければいけない」
カエル「……その辺りは、なんというか、吉田玲子っぽいなって印象かな。
現代を代表する名脚本家だけれど、必ず辛い現実を描きつつも、”でも!”というその先を提示する脚本家だよね」
主「ここを描かないと、嘘になるから。
もちろん、制作スタッフがそこまで意識していたとは思わない。
だけれど、結果的には……この世の苦しみに向き合うための物語になっているんだ」
京都アニメーションが表現しようとしてきたもの
アニメと日常について語ってきた京アニ
ここからは、いよいよラストスパートです
それでもここからが長いとも言える
カエル「……そう言えば、うちの書籍の中でこんな話を載せていたよね?」
その思いは、この映画でさらに強くなった
主「わりかし序盤のほうに出てくるけれど、電話をめぐる印象的な会話がある」
カエル「アイリスが電話を取ったけれど、ヴァイオレットに仕事が回ってイライラして、電話に大して怒りを向けるシーンだよね」
主「電話、というのは時代の進歩である。
そしてドールというのは、いずれなくなってしまうかもしれない技術だ。
これは……手書き文化にこだわる、京都アニメーションそのものではないだろうか?」
カエル「……CGではなく、あくまでも手書きにこだわるスタジオ、だね。もちろん、パソコンなどのデジタルを取り入れているだろうけれど……それでも手書きだからこそできる表現にこだわり続けているスタジオだもんね」
ここでもカトレアがいい働きをしている
『表情は声に出るわよ』だね
カエル「ここって、たぶんそのまま京アニの理念だと思うんだよね」
主「これも多くの場所で語られているけれど、京アニの理念というのは木上益治さんが作り上げたと言われている。入社当初、木上さんの仕事に臨む姿勢を見て、新人は衝撃を受けるのが通過儀礼だった、という声もいくつもあった。
つまり、態度から仕事は始まり、その態度は表現……紙に出るよってことだよね。
でも、それって京アニからすごく感じるんだよ。
前の記事でも語ったけれど、思いがものすごく詰まっている。ここまでの密度って、たぶん技術だけじゃ生み出せなくて……精神論にもなるけれど、もっともっと、根本的なところから違うのだろうなって」
業火と海
……そのアニメ論だとして、どこに話はつながっていくの?
ヴァイオレットを象徴する台詞が鍵だよ
カエル「えっと……『あいしてる』かな?」
主「それもそうだけれど、1話にあったセリフだよ」
『キミは燃えているよ
中略
いつか俺が言ったことがわかる時が来る。
そして初めて、自分がたくさん火傷していることに気づくんだ』
主「ヴァイオレットの燃え方は、確かに少し癒えたかもしれない。
でも……ギルベルトは?」
カエル「……まだ、ギルベルトは炎の中で燃えているんだ」
主「そう。
そして、その火を起こすもの……自身の心の後悔になっているもの、それがヴァイオレットなんだ」
その象徴があの雨の中のヴァイオレットと、火を見つめるギルベルトだ
カエル「……あの時、ギルベルトは自分の中の燃え盛っている炎を、過去の自分の後悔を見つめていたんだね……」
主「この映画は”海”の映画でもあるし、同時に”水”の映画でもある。
なぜ水でなければいけなかったのか?
……もう、答えはわかっているだろう。
火を消すもの、火と対になるもの、それが水だからだ」
嵐の後、雨水は草木を優しく育てる
……だからこそ、水を美しく描いたと
ヴァイオレットが海の者であるならば、同時にギルベルトもまた、海の人にならなければいけなかった
主「序盤でヴァイオレットが海を背負って一人で市長と会話するシーンがあったけれど、それはギルベルトにも訪れる。
もちろん、ディートフリートとの対話だ。
ここで彼は海を背負う……そこにおいて、生命の始まりと終わり、自分の罪と罰に向き合い、炎を鎮めて水の人になる必要があった」
カエル「じゃあ、ヴァイオレットが船から飛び降りたのも……」
主「もちろん、死者を癒す意味合いのあった、7話のセルフオマージュもあっただろう。
だけれど、ヴァイオレットは生まれなおす必要があった。
命が溢れ、死者が眠る海から陸へと戻り、自らの炎を沈めていく必要があった。
だからこそ、炎に包まれた2人の再会は海でなければいけなかったんだ」
このシーンは同時に、古きものと新しきものの幸せな結婚でもある
カエル「……あ、作画技術と……おそらく、パソコンを使って作られたであろう水などのエフェクト表現……」
主「そうだね。
ラストのシーンに至る前に、船からヴァイオレットが顔を出す場面がある。そこでは光が丸い玉のようになっている。自分はカメラに関して無知なのであっているかわからないけれど、これはエンジェルリングと呼ばれるもの……らしいんだよ。
光の中央に穴が開いて、ドーナツ状になる。それが天使の輪っかのように見えるという、ね。
このシーンに新しい、デジタルの技術が使われているかまではわからないけれど、でもおそらく、その力は発揮されているはずだ。
それが、水を美しく描く理由であり、そしてアニメを語ってきた京アニの1つの到達点なのだろう」
人が生きるということ、生きた証を残すということ
……いよいよ、結論のパートになります
この映画は、生;老・病・死などの四苦八苦を見つめ、その先へ進む祈りに満ちている
カエル「この前の記事で何度も語っていた”叫び”の正体……つまり『あいしている』だね」
主「……本当にすごいなって思うよ。
感銘を受けたのはさ、ギルベルトに語るおじいさんの言葉。
あの人は全てをわかっている。もしかしたら、自分たちの愛しい人を手にかけたかもしれないと、わかっている。
だけれど……言葉は正確ではないけれど、こう語るんだよね。
『一人で背負うことはない。わしら、みんなのせいかもしれん。戦えば豊かになると思っていた。ライデンの人が憎かった。だだ、みんな、傷ついていた……みんな』
こ
の言葉を語れることが……作品にのせられることが信じられなかった
主「これは、もう、持論だけれどさ、自分にとっての正義とは、悪党を成敗してはいおしまい、ではない。
その悪党を理解しようと努め、落とし所を見つけて、共に生きていくことが、本当の正義だと思っている。
でも、それはあくまでも理想だ。現実はそうはならない。悪党はいるし、許せないことは多いし、四苦八苦はいつもつきまとう。
それでも……それでも、それでもと叫びつづけ、理想を願うのが、表現なのではないだろうか」
……しかも、そこに、怒りや呪詛は一切ないんだね
怖いよね……ほんと、怖い
主「怖いって言葉が適切ではないのかもしれないけれど、でも凄い、以上にその危うさってものもあると思う。
だけれど、だからこそ、これだけの作品を作り上げたのだろう。
四苦八苦を超え、人が生きた証を残す、それを届けるために手紙を書き続けたヴァイオレットの姿は、フィクションなのに嘘が一切なかった。
『物語とは願いであり、祈りである』というのは自論だけれど……それで言えば、これ以上の願いと祈りの質量がこもった作品は見たことがないし、今後も生まれないだろう。
そう、思わずにはいられない作品だったよ」
最後に
久々に、長い記事になりました
やっぱりさ、語りたいことが溢れてくるんだよ
カエル「これでも、細かいことを言い出したらもっともっと語りたいことがあるというね」
主「でも、マジでこの映画はオーパーツみたいな扱いになると思う。
この映画を超えることは、たぶんできない。
手書きアニメの最高峰であり、現代の表現でもこれ以上はないレベル。まさに、神様のプレゼントだから。
そんなものをこれだけズラズラと語って……なんというか、不遜だよね。
あとは……京アニって、最初はポップに作りすぎて、途中から軌道修正するけれど、そこがカバーしきれないところがあるなって印象」
カエル「カトレアの衣装とか、さすがにあれは、今回の話だと浮くよね……おっぱい見せすぎというか」
主「まあ、ヴァイオレットはだいぶその辺りが、最初からシリアス目ではあったけれどね」
カエル「今後の京アニさんの活躍を心よりお祈りしております!」
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*1:『亀爺「ワシは特に近年の京都アニメーションの作品を見ると、このスタジオは”アニメ制作とは何か?”ということを語ろうとしていたと感じることが多い」』