少しばかりお休みしていたブログの更新が、1年以上前に発売したゲームタイトルになってしまった。
だが、FEファンとしてこの作品はどうしても語らなければいけないと思ったので、語らせていただくことにしたい。
(発売直後に買いたい気持ちもあったが、Switchを持っていなかった)
感想
風花雪月、金鹿ルートクリア
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年10月5日
確かに1番FEしてたな‥諸々の謎が明らかになるけれど…過去2ルートプレイしてからだとあの2人がなんと切ないことか…
ここまでやり込んで確かに風花雪月の評価の高さに納得せざるを得ない pic.twitter.com/m06WzDa08L
FE史上に残る、確かな傑作!
多くの人が語るように、今作は確かに名作の名ふさわしい作品だろう。
ボリューム、ゲーム性、シナリオ、キャラクター、音楽……多くの面で高い評価がつく。ノーマルは若干簡単すぎるような印象もあるが、ハードの場合はしっかりとした手応えも感じる作品となっており、文句があるならばこちらを選べ、という話になるだろう。
シナリオ面はともかく、ゲーム性に関しては文句なしだった『if 闇夜』に比べると、各マップの作り込みなどは若干足りないようにも感じたが、それでも楽しめるレベルにあった。というか、基本的にシナリオ消化重視&支援会話埋め重視な人間なので、外伝以外も出撃を繰り返してしまった結果キャラクターを育てすぎてしまった印象もある。
(逆に闇夜はゲーム性以外は、かなりボロボロに近い)
それでも最終マップに近づくとしっかりと難易度が上がっていたので、ゲーム性も悪くない。前作? の『Echors』(というか大元のFE外伝が)が途中から難易度が一気に上がったようにも感じたし、色々と不親切な仕様もあったように感じたので、それに比べたら見事というほかない。
今作はシナリオのレベルが全体的に高く、無駄が少なく多くの要素が複雑に絡まり、それが物語とキャラクター性の深掘りにも繋がり、多くの考察ができるような作りには感心するほどだった。
個人的には3ルートの感想としては
- 青→感情を揺さぶる物語、映画にするならば最も映えるであろうシナリオ
- 黄→最もFEらしい、多くの謎が明らかになるゲームとして納得感の強いシナリオ
- 赤→2部が最も短いことも示すようにIFの感覚が強いシナリオ
自分は赤(帝国ルート)から始めたが、これは少しおまけ(隠し)要素としての側面が強かっただろうか。
だが、全体を通して今ならばこう思う。
風花雪月とは、エーデルガルトの物語である。
個人的なFEの思い出
自分はそこまでゲーマーというタイプではない。たくさんの作品をプレイするというよりは、同じタイトルをずっと繰り返してプレイするタイプだ。そのために、やり込み系ゲームをプレイすると、何年も同じタイトルをやり続けている時もザラにある。
(プロスピはいまだに2012のペナントをやり続けているし、パワプロ15はたまに引っ張り出して1ヶ月くらいペナントして……を繰り返した結果、現実世界10年くらいプレイしていた。過去に育てたチームを引き継いで、しかも12球団自分で運営しながら試合はプレイしないという監督&GMプレイをすると、延々とできてしまう)
基本的にはFE、パワプロ(プロスピ)、信長の野望辺りを延々と繰り返してプレイして、その合間にRPGなどをプレイする。
FEではないが、加賀さんが制作したSRPGという意味では『ベルウィックサーガ』は今でも人生マイベストゲームであり、たまに引っ張り出してはプレイしているくらい大好きなタイトルである。
ゲーム性を引き継いだ作品を発売して欲しいくらいだ。
FEは『封印の剣』から入っており、GBA三部作は何度も繰り返した。特に『封印の剣』『烈火の剣』は支援会話を埋めるくらいにプレイしたし、それぞれ10周はしているのではないだろうか。
一部タイトルはプレイできていないが、そこそこのタイトルはプレイ済みだ。その中でも、やはり『封印』と『烈火』は特別な思い入れがある。
……で、これも誰もが語るだろうが、近年のFEは若干微妙な作品が続いていたのも事実だった。何よりもシナリオがあまりにも悪く、キャラクターもキャッチーだけれど、深みがない。結婚システムと各キャラクターの子供が出てくるのはいいが、2世代にまたがるやり方が強引など、批判するポイントはあまりに多かった。
そういった過去作の欠点を排除し、改めてFEらしく作り上げたのが『風花雪月』だった。
各々の正義
自分は昔から正義の味方があまり好きではない方で、どちらかといえば悪役の方に惹かれていた。
FEでいえば『封印の剣』のゼフィールは魅力的な悪役だろう。単体では見えてこないものもあるが、過去編の『烈火の剣』をプレイすると、色々と考えてしまうものがある。
また『烈火の剣』の敵であるネルガルも(断定はされないが)切ない過去を持つし、むしろロイドとライナスたちがいる時代の黒い牙に入りたくなる。主人公たち以上にニノちゃんはヒロインをしており、終章は色々と感慨深い。
それから『聖魔の光石』もリオン……と呟くことが多いだろう。
GBA三部作は味方と同等、あるいはそれ以上に敵が魅力的に描かれていた。
FEHでも10凸するくらいに好きなゼフィール
微課金なので配布キャラの育成の方が楽というのもある
哀しき皇帝、リオン
もちろん、それはGBAだけではない。
『紋章の謎』のハーディン、あるいはミシェイルの苦悩。
『聖戦の系譜』のアルヴィスやユリウス、エルトシャン。
そういった、各キャラクターの”正義””信念”があり、時に暴走しながらもぶつかり合っていく様を描いてきた。
その特徴は、風花雪月にも強く現れている。
王国の王子であるディミトリ。
大陸最大の帝国の次期皇帝の少女、エーデルガルト
貴族同盟を束ねる盟主の家に生まれたクロード。
後々に国を背負って立つことが約束されている3人の正義は、決して相容れないものではない。むしろ、とても近いものだ。
人々を苦しめている旧来の価値観を壊し、新時代を迎える。
目的は同じなのに、立場が、過去が、環境が、信念が、どうしようもなくすれ違う様を描く。
以下ネタバレあり
作品考察
科学と宗教の関係性
今作をプレイしていて『この視点は面白いな……』と思わされたのが、科学と宗教の関係性だ。この世界で大多数が信仰しているセイロス教の最高指導者であるレアは、何か裏がありそうな感を醸し出し、自らに歯向かうものたちは容赦無く断罪する。
そして宗教的な面から人間たちを管理することで、世界の均衡を保とうとしている。その権威性はとても強く、序盤のムービー『大司教』ではクロードが「この世の縮図のような場所さ、いろんな意味でね」と語るが、そこでは3大勢力の次期指導者であるディミトリ・エーデルガルト・クロードの3人がいるという意味だけではないだろう。
それらを監視、あるいは教育を行うのがガルグ=マグ大聖堂……つまり、セイロス教であり、セイロス騎士団という強力な武力すらも持つ教団、そのトップであるレアだった。
ただし、レアの行いが非難されるべきものなのかは、考える余地が大いにあるだろう。
冒頭のムービーにおいてセイロスとネメシスの戦いが描かれるが、その時に注目されるがセイロスの足だ。
彼女は自ら泥を踏み、その体が汚れようとも大事を為す。
それだけの覚悟があり、実際に1000年にも及び支配と管理を重ねながらも、安定した基盤作りを果たした。
一方で、レアはどこか人類に大して見下した視線があるのも事実だろう。それは敵対した紅花の章でも明らかなように、怒りで周りが見えていないこともあるだろうが、人を人とも思わぬ手段にも出る。
この科学と宗教の関係は中世ヨーロッパを思わせる。
この両者は単純に語れるようなものではないが、時にはガリレオ裁判のように(といっても、この裁判も複雑ないくつもの理由があるのだが)宗教と科学は対立することがあっても、教会の権威性がとても強く、宗教がより力を持つが故にその教えに逆らうような結果は発表が難しい時代もあった。
おそらく、レアも教会と宗教の力を用いて、歴史を書き換えるだけでなく多くの進歩などを管理してきたのではないだろうか。
アガルタの民は言うなれば科学の民ともいえるだろう。その数々の自身の研究結果による功績を流用され、勝手に歴史を書き換えられ、時には教会によって潰されていく……
”闇に蠢く者たち”は教会に対して不遜な態度をとり、時に非道な手段を取りながらも、そうしなければ自分たちの研究が発展することがないと考えると、そのような行為に走るのも致し方ないのかもしれない。
このフォドラを中世から近代へと成長させるためには、教会の権威性を弱め、さらに闇に蠢く者たちの力を利用しながらも、その邪悪な試みを排除する必要がある。
3人に与えられたもの
ここで1度、主要な人物である級長の3人プラス、レアの正義について考えてみよう。
- エーデルガルト→教会の権威を弱体化、貴族社会を破棄し、身分差別のない世界へ
- ディミトリ→帝国の打破、弱者を救う国を作り上げたい(現状の世界の延長線?)
- クロード→閉じたフォドラの地を開国し、他国などと交易、差別のない世界へ
- レア→自らがフォドラの民を管理し、人々を”正しく”導いていく
上記のように、この世界の歪みの多くはレア(セイロス教団)が、自分の正義や善意のためはいえ生まれてしまっているものだ。紋章の重視、貴族社会、身分制度などはそのほうがレアが管理しやすいため、と考えるのが妥当だろう。
そうなると、エーデルガルト、ディミトリ、クロードの求める先は、ほとんど同じものだ。
エーデルガルドとディミトリはフォドラや自身の国ばかりに目がいってしまっている。一方でクロードは外の世界を知るからこそ、フォドラの開国という大きな視野で物事を考えることができている。
個人的には、最も自分の好みに合う正義はクロードのものである。
そしてその目的に、エーデルガルトもディミトリも賛同できたのではないだろうか。
ただし、そのクロードの視点は彼の生まれ育った環境があるからだろう。
ディミトリのダスカーの悲劇を。
エーデルガルトの帝国の暗部を。
自らの人生を歪められる大きな事件を、クロードは体験していない。
(無論、フォドラからもパラミラからも差別されてきたという思いはあるだろうが)
”配られたカードで勝負するっきゃないのさ。それがどんな意味であれ”
ピーナッツより
この3人は……特にエーデルガルトは、その恵まれた地位とは裏腹に、与えられたカードがあまりにも限られていた。
そして、平等に与えられる可能性があった最後にして最も強力な1枚……それが主人公(ベレト/ペレス)であり、つまりはプレイヤーだった。
だが、そのカードも1枚しかなく、平等に渡されるものではなかった。
あまりにも残酷な運命の選択に委ねるしかなかったのだ。
彼らが立ち向かう敵の存在
印象深いムービーの1つが『舞踏会』だ。
ここでは華やかな学園の舞踏会が開催され、学生生活の花を堪能する。そこでディミトリとエーデルガルトは背中合わせになりながらも、お互いに顔を合わせることもなくすれ違う。
このシーンが、この2人の関係性を最も端的に描いているのではないだろうか。
エーデルガルトとディミトリは義兄妹という関係にある。
そして、互いに初恋の相手でもある。
このあたりは『聖戦の系譜』に代表されるように、過去のFEシリーズでもあったドロドロの血縁関係を踏襲したものだろう。
それと同時に、この2人の関係性をより深めることに成功している。
青ルートはディミトリという男が、自身の過去や復讐の念から、いかに脱出していくのかを描く物語だ。
それはある種、過去の因縁に縛られ続けているエーデルガルトと対になるものかもしれない。
だから、このルートでは教会は敵ではなく、レアも空気だ。
なぜならば、主となる目的がフォドラの変革ではなく、1人の男の変化であり、そこからいかに過去の因習から立ち直るか、という物語であるからだ。
だからこそ、あの青ルートのラストにおいて、ディミトリはレアの犯し続けている過ちを超えることができたのと同時に、どうしようもなく超えられない者との対峙を迫られる。
クロードの敵は”歴史・過去”だろう。
だからこそ、ラスボスであの人物が立ちはだかる。正直に言えば少し唐突な感もあったように思うが、偽りの歴史を作る原因でもあり、歴史の負の側面、フォドラを縛り付ける者との対峙という意味では、適切なのだろう。
教会ルートのラスボスの人物と対になる人選であり、最も初期に作られたという教会ルートとほぼ同じような展開ながらも、クロードの思いを描くには最適な選択だったろうか。
(教会ルートはあの人がラスボスになるのは、物語上妥当なものだったのではないだろうか)
炎帝の思惑
改めて考えてみれば、作中において炎帝がその思惑通りになし得たことなど、ほぼなかったのではないだろうか。
序章の『必然の出会い』では盗賊たちに追いかけられている場面が登場するが、その盗賊たちをけしかけたのは炎帝だ。しかしクロードの機転によって主人公たちがいる傭兵団の元へと逃げ出し、人的被害を抑えることに成功している。
炎帝の目的としては何人かの貴族に犠牲者が出ることだろう。場合によってはディミトリ・クロードが亡くなれば王国、同盟に大打撃、そうでなくても王国や同盟にダメージは与えられるだろうし、教会に責任を問い権威性の失墜などもあっただろう。
だが、その思惑は失敗した。
そして主人公という、炎帝としても最大の切り札にして、最も恐れる存在と出会うことになってしまう。
その後も時には主人公たちによって、また時には闇に蠢くものたちの手によって、炎帝の思惑通りに物事を進んだことは、むしろ少ないのではないだろうか。帝国の実権を握る……その時以外、もしかしたら1度たりとも思い通りに進んでいないのかもしれない。
炎帝……エーデルガルトは決して万全に状況を整えて、思惑通りに物事を進めることができなかった敵役なのだ。
『フレスベルグの少女』の解釈
今作の主題歌である、フレスベルグの少女はエーデルガルトについて歌っている。
その中でも、以下の歌詞に着目したい。
『鈴の音が響くような蒼い月明かりに照らされて
テラスを渡る風が頬の火照り冷ますまではこのままで』
この主題歌は教会・青・黄ルートで流れるのが、歌詞は明らかにエーデルガルトが幸せな時=1部の学園パートについて思いを馳せていることを歌っている。
だが、この上記の歌詞を、私はこのように解釈した。
『鈴の音が響くような<蒼い月明かり>(ディミトリ)に照らされて
<テラスを渡る風>(クロード)が<頬の火照り>(エーデルガルト)冷ますまではこのままで』
蒼い月は蒼月の章=ディミトリを意識しており、風は翠風の章=クロードを意識している。(もしかしたら、鈴の音は鈴=金属、あるいは銀色ということで銀雪を意識しているのかもしれないが、これは少し強引すぎるか)
そして頬の火照り=紅潮などから、紅花の章、つまりエーデルガルトを意識していると思われる。
さて、ここで重要なのは”頬の火照りを冷ますまで”だ。
赤く染まった頬が冷める……つまり、エーデルガルトの夢は潰えることを、この歌詞は暗喩しているのではないだろうか。
『炎帝の死』のムービーのラストで語るように、その最期を受け入れている。
その責任の負い方も、彼女は理解している。
それだけの覚悟がある。
そして……全てが潰えることを予期しながらも、走り続けるしかない彼女の思いを語る歌なのだ。
あの愛おしい日々が全て壊れることを知っていても、自分の夢が叶わないとしても、それでも立ち向かうしかない運命を抱える少女の思いを。
紅花の章とは、なんだったのか〜炎帝が果たした革命〜
『夜明けの手を取り、高く羽ばたく日まで
安らぎのよすがに身を預けて震えている』
エーデルガルト(黒鷲)は夜明けの手=夜明けの王、主人公の手をとるその日が来なければ、空に飛び立つことができない。
そして紅花の章でようやく、彼女は高く羽ばたくことができるのだ。
紅花の章は他ルートに比べても短く、しかも特に大きな波乱も少ない印象がある。これは元々強力な帝国の戦力が、さらに2つの翼を得ることでより強力になったこともあるのだろう。
また、システム的なことを言えばこのルートが隠しに近い扱いだったこともあるのかもしれない。
ただ、自分はこう解釈したい。
紅花の章は、エーデルガルトの淡い夢なのだと。
絶望の中にいて、自分の手持ちのカードがなく、誰にも頼ることができず孤高の中にいた覇道を突き進む1人の少女の描いた、泡沫の夢。
それが紅花の章だったのではないだろうか。
討たれることで世界を変えるしかない、多くの悪役が……ハーディンが、ゼフィールが、ネルガルが、リオンが抱いた理想や夢を叶えるためのシナリオだったのではないだろうか。
歴史は勝者が作るものだ。
きっと、後の世ではエーデルガルトは戦争を巻き起こした暴君として記録されるだろう。その扱いは決していいものではなく、場合によってはその目指した理想を語られることもなく、単なる悪党として残るかもしれない。
ただ、彼女は4つのルート、その全てである功績を打ち立てた。
それは”レアの排除=教会の変革”だ。
その結果、フォドラは宗教が強い影響力を持ち支配する中世から、科学などの新しい価値観がもたらす近代へと変化を遂げていく。
彼女の思惑とは異なるかもしれないが、教会の権威性を排除し、変革を促し、世界を変えるという夢は、ディミトリ、クロード、主人公へと託すことができたのである。
いくつものルートが分岐し、時間すらも巻き戻る世界で、それでもプレイ時間は巻き戻らない。
例えあの世界の歴史が勝者の手によって書かれても、選択肢がない中で変革を望んだ、あどけない少女の姿を覚えている存在……それがプレイヤーの役割でなのではないだろうか。
風花雪月とは
世界の変革を望む覇王でありつつも
愛する人を望みながらも得ることができず
孤高であらねばならなかった
年相応の可憐な少女……エーデルガルトの物語である。