原作、アニメもお気に入りの『恋は雨上がりのように』の実写映画がいよいよ公開です!
ここ数ヶ月で一気に知名度を伸ばした作品だよね
カエルくん(以下カエル)
「アニメ版が今年の1月に放送開始、原作は4月末くらいに最終巻発売だから、全部タイミングを合わせてきたね」
主
「だいぶ前から色々と動いていたんだろうな」
カエル「今回は原作、アニメ版との違いなどについても考察していこうと思います!」
主「では、早速記事を始めます」
作品紹介・あらすじ
テレビアニメも放送された眉月じゅんの原作コミックを実写映画化。
監督は『帝一の国』『世界から猫が消えたなら』の監督を務めた永井聡が務め、脚本は『かぐや姫の物語』『メアリと魔女の花』などの坂口理子が担当。
主役の元陸上部で恋する17歳女子高生を小松菜奈、その相手役のファミレス店長を大泉洋が熱演。また、清野菜名、磯村勇斗などのフレッシュな面々に加えて、濱田マリ、戸次重幸などが脇を固める。
怪我で陸上の夢を断たれた女子高生、橘あきらはファミレスの店長、近藤正己の優しさに惹かれて恋をしていた。近藤はあきらよりもずっと年上の45歳、バツイチ子持ちであり、ファミレススタッフにも呆れられるような冴えない男。
あきらのまっすぐな思いは近藤に伝わるのか?
そしてその恋の結末は?
1 ネタバレなしの感想
では、まずはTwitterの短評です
#恋は雨上がりのように
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年5月25日
まあ、こんなもんでしょう
どうしても作品のテイストで盛り上がりにかけるシーンも散見されるものの、悪くはない
特に光るシーンもある!
でもアニメが傑作なので比べると…
個人的には原作、アニメよりも好きなラスト!
ぜひ違いも楽しんで! pic.twitter.com/jiC8kFElSy
やっぱりアニメや原作の印象が強いかなぁ
主「もうこれ自体はどうしようもないけれど……どうしても映像化ではアニメの印象が強すぎて、観ている最中も違和感がある部分もあった。
ちなみに、テレビアニメ版も傑作です。
例えばキャラクターの印象とかさ……近藤店長はアニメではジョニー・デップなどの吹き替えでもおなじみの平田広明が演じているけれど、情けない部分の奥に格好良さがあってさ……大泉洋は確かに合っているんだけれど、どうしてもアニメよりもコミカルに見えてしまったり。
その意味ではフラットな目線での評価は難しい部分もあるけれど……でも、悪い映画では全くないです」
カエル「世間の作品評価も悪くないどころか、賞賛の声も多数聞こえるね。少しだけ地味かな? と思うシーンも続いたりするけれど、邦画の恋愛作品としては落ち着いていて、ゆっくりと、じっくりと見ることができる作品でもあります」
主「原作やアニメとはちょっと変えた部分……物語としては大筋では同じだけれど、映画が独自の解釈でとても力強く演出したシーンもあって、そういうシーンはとても光り輝いていた。
派手なシーンや見せ場もきちんとあって、映画としてかなりの見所がある作品となっています」
役者について
カエル「どうしても漫画やアニメの実写化となると違和感が出てしまう部分でもあるけれど……
本作の役者陣はとてもキャラクターの印象と合っていたんじゃない?
まずは主演の橘あきら役の小松菜奈だけれど、とても役に合っていたんじゃないかな?」
主「自分は漫画版やアニメが基準になってしまっているから『あきらはもっと可愛いよ!』と言いたい部分もあったけれど(笑)
でもさ、この作品のキャラクターデザインは独特な部分もあって、結構頭身も高い上に、すらっとものすごく細い。
細長いデザインなんだよね。
その点で言えば、作中で最も原作のキャラクターを再現しているのは間違いなく小松菜奈。
さすがモデルさんだけあって、ただ立っているだけのシーンや、他にも走るシーンも様になっている。
細かい演技自体では……例えば倒れるシーンでは違和感がないわけではないけれど、20歳ぐらいの役者さんとして、よく演じきったのではないかな?」
立っているだけで美しい
カエル「次に近藤店長だけれど、こちらは大泉洋が演じていて……これもベストキャストだよね!」
主「個人的にはもう少し大泉洋のカッコいい面も出してもよかったかなぁ? という思いもあるけれど、でもコミカルな中にも芯の強さがあって、良かった」
カエル「その他のキャストに関しては?」
主「う〜ん……基本的に若手役者は演技の難はあるけれど、でも20歳前後の役者が多い作品としても違和感は少ない方だと思う。
そして絶賛するのは店長のツッコミ役である久保さんを演じた濱田マリと、店長の親友の九条ちひろを演じた戸次重幸!
まあ、濱田マリはちょっとズルいけれどね。濱田マリのイメージそのままの役だから、やりやすいところもあったと思うよ」
カエル「特に今作では近藤のクラスメイトであるちひろの役に、大泉洋も所属しているTEAM NACSの一員である戸次重幸が起用されたことによって、とても自然な演技がなされていたよね」
主「旧友との掛け合いは、近藤の別の面が見られるいいシーンだった。
ちひろと久保さんに絡んでいる時の近藤は……大泉洋の魅力を最大限引き出していると感じたね」
この3人ともいい味を出しています
見所について
カエル「では、本作の見所というとどこになるの?」
主「結構細かい演出が光る作品でもあるので、そこも見所の1つ。
あとは……そうだな、小松菜奈が走るシーンかな。
いつも語るけれど、青春映画において『走る』という行為はとても重要な意味を持つ。多くの青春映画でも走り出すシーンは多いけれど、やはり『走る=青春!』と言っても過言ではないほどの影響力がある」
カエル「もちろん、前述したように小松菜奈の走りっぷりがすごくいいというのもあるよね」
主「それと同時にどのように『走る』という行為を描いているのか? という面に注目してほしい。
あとは……本作でとても重要な意味を持つ『空』について。
その時の空がどんな色をしているのか、雲はあるのかないのか、などについて考えてみても面白い作品に仕上がっています」
カエル「あ、あと音楽もとてもいいので、そちらも要チェックです!」
以下ネタバレあり
7
2 作品考察
引き込むスタート
では、ここからは作品考察をしていきます!
スタートの引き込みが良かったね
主「映像作品に限らず、物語はスタートの描き方が非常に大事!
スタートから15分ほどで作品クオリティの半分以上を決めると言っても過言じゃない。もちろん例外は当然あるにしろ、だいたいどんな作品もスタートが良ければそのままいい作品になるし、悪いと挽回しようが無くなる。
その意味では本作はとてもスタートがいい!」
カエル「まずは空からの空撮で学校に迫っていくように撮っているよね」
主「まず空がとても澄み渡る快晴なんだよ。そして学校のグラウンドには生徒がたくさんいて、とても活発な状況を表している。そこにある教室の一部屋にカメラは迫って行く。
本作はもちろん近藤店長がいるファミレスも大事だけれど、それと同じくらい学校という場も大切なんだよね。
それだけ魅力的に、明るく『外の世界』が描かれているのに、あきらは外に出ることができずに机で寝ている。これだけであきらがなんらかの事情を抱えている、もしくは退屈そうにしていると伝わってくるよね」
カエル「そこに吉澤くんもいるけれど、それがコメディとしても面白かったしね」
主「そしてこの作品ではそぐわないような小松菜奈が走るOPが始まる。
自分はOPがある作品は傑作が多い! といつも言うけれど、作品世界に没入させるためにはとても重要で有効な手段だ。
なぜ多くの監督が取り入れないのか、よくわからないくらい。
昔の邦画でもOPに該当するもの……例えばテロップや役者紹介とかは多くあったのに……」
カエル「話を戻して、そこで躍動感を与えながらも観客を作品世界に引き込んでいるんだね」
主「あのOPを見るだけでそれだけ『走ることが好き』というあきらの少女像が伝わってくるでしょ?
それがとてもよく出ていたスタートだったんじゃないかな?」
少しの違和感
カエル「そしてあきらの日常を描くシーンが続いて……店長がいかに他の人たちから情けなく、しかも邪険に扱われているのかもわかるエピソードが出てくるね。
とても笑える一方で、ちょっと不憫な気もしてきたり……」
主「ただ、ここでの描写で自分は少し引っかかってしまった。
ほら、アニメや漫画だとファミレスのスタッフはそんなに多くないんだよ。今作もメインの調理スタッフは3人だけ、ホールもあきら、ユイ、久保の3人にプラスして店長が入っている。でもこの実写版はファミレスの調理スタッフだけでも、それなりの人数がいるんだよね。
ここで1つの違和感でさ……確かに『たかだかファミレスの店長』ではあるのかもしれないけれど、あれだけの人数をまとめていると考えると、結構立派な店長にも見えてくる」
カエル「リアルに寄せてきたからこその違和感かもねぇ」
主「それに、序盤であきらが走り出す重要なシーンで久保さんが携帯電話を届けに来るじゃない?
あそこは確かに大泉洋の魅力が発揮されていた、いいコメディパートで劇場内でも笑い声が上がった。
だけれど、冷静に考えたら携帯電話の忘れ物を店長に届けるのではなく、そのままお客さんに渡せよ! と思うじゃない?」
カエル「多分、普通は店長に渡す前に出ていったお客さんを追いかけるよね。それでも多分間に合いそうな距離だったし……」
主「原作やアニメだと
あきら見つける→店長に届けて、店長が呼びかけるが既に自転車は走り出している→あきらが走り出す、なんだけれど……流れに違和感があった。
他にも……これは邦画だからしょうがないけれど、説明は多いかなぁ。特に自分から『小説書いていたんだ』という人ってそんなに多くない。
特に店長はそういうタイプじゃないから……それが違和感につながっている」
悲しき中年バツイチ中間管理職……
足の映画
えっと……これは何?
この作品は明確に『足』を意識した映画なんだ
カエル「……足?」
主「そうそう。違和感があったのがさ、あきらが家に帰ってくるシーンで、なぜか極端にローアングルな視点なんだよね。普通さ、スカート履いた女子高生が家に帰ってきて、ローファーを脱ぐシーンをローアングルで撮る?」
カエル「……まあ、ちょっと扇情的な絵面にはなりそうだよね」
主「じゃあ、なぜそのようなシーンを入れたのか? と言うと、彼女の足に刻まれた傷を演出するためだよ。
普段は靴下に隠れているから気がつかないけれど、実は大きな傷を抱えている。それはもちろん足の傷もそうだけれど、あきらの心もまた同じで。
それを描写するために本作は『足』に注目を集めるような撮り方をしている」
カエル「あ〜……ただ扇情的に撮ったわけじゃないんだ」
主「本作は『走る』と『足』と……そして『天気』と『光と影』の演出に大きな意味がある作品だからね。
その点を意識しながら鑑賞すると、さらにいろいろな発見があるでしょう」
小松菜奈の足を魅せるシーンがかなり多い
光ったシーン
カエル「違和感があるシーンがある一方で、光ったシーンはどこになるの?」
主「やはり、図書館デートでしょう!
その前の加瀬くんとのデートでは全くやる気がないけれど、店長とのデートはものすごくやる気がある、とかね。全く同じことをしているのに、それに対する印象が違う。
例えば喫茶店のシーン1つとっても、お客さんの数や賑やかさが全然違って、それがあきらの心情を表す1つの効果的な意味を発揮していた」
カエル「ふむふむ……」
主「そして、さらにその先にある図書館のシーンは特に必見!
ここではとてもお洒落な図書館と、光が強く意識しているけれど、どれだけ店長が本が好きなのか、そしてあきらが楽しんでいるのか? というのがとてもよく伝わってくる。
このデートシーンは、初めて2人が心から楽しんでいる、通じ合っているシーンだから、それだけ美しく撮っている。
あとは……海を走るシーンがあるけれど、そこもとてもいいシーンだった。
必見の映像です!」
3 原作、アニメ版との比較
『RUN』と『坊ちゃん』と『友情』
ここからは少し映画版と離れて、原作やアニメ版との比較になります!
まず語りたいのはここだね
カエル「え〜この図書館で本を借りるというのはどこも同じです。
ただ、借りる本が違っていて、以下のようになっています」
- 原作・アニメ→『RUN』と『坊ちゃん』
- 映画→『RUN』のみ
主「自分が『アニメ版と比べると……』と語ってしまうのがこの部分でさ。
ここで坊ちゃんと RUNを借りるというのがどんな意味を持つのか、というと、あきらが気にしている『走る』ことと、店長の象徴でもある『文学』を代表する夏目漱石の対比になっている。
そしてやはりあきらは走ることを思っている、ということを描いているのがこのシーンに現れている」
カエル「でも、確か映画版はRUNだけだったような……」
主「そしてアニメ版が素晴らしいのが、店長が手に取っているのが『友情』という本で、純文学で友情といえば武者小路実篤の作品だろう。そのあとも夏目漱石の『それから』が重要な意味を持ち、これがこの先の展開と演出をさらに魅力的なものにしている。
もちろん、尺が比較的長いアニメと、限られている映画版を同一視することはできないけれど……
自分はこの簡略化がとても気になってしまった」
カエル「あきらが走ることに未練を抱えている、というのが表現できればいいシーンではあるけれどね」
主「図書館でどのような本を選ぶのか、それが大きな意味を持ってくる作品だと思うけれどね」
印象深い図書館のシーン
店長の描き方
カエル「次は店長のキャラクターの描き方ということだけれど……そんなに変化していたっけ?」
主「というよりも……本作は明確に『あきらの物語』になっていたんだよ。
本作は原作は途中から『店長の物語』になっているし、アニメ版もあきらと店長の違いをはっきりと見せながら、はるかとちひろを絡ませていた。
今作は店長の描き方が薄いんだよね。
店長の性格がかいま見えるのが、ちひろとの交流だけのように思えてしまった」
カエル「まあ、尺も限られている中でそこも描いたらトンデモナイ時間がかかるから、それは英断だよねぇ」
主「そうだね。
たださ……すごく細かい上に、感覚的な話だけれど、自分が本作の店長の好きな理由の1つが『執着の仕方』なんだよ」
カエル「……執着の仕方?」
主「『未練ではなく、執着では?』と語るシーンがあるけれど、言いたいことは全部一緒なのかもしれない。ただ、原作、アニメ、映画では全て語り方が違う。
原作は羅生門になぞらえて『諦める勇気がなかった』と考えていた。
アニメは再び困難に立ち向かうあきらを見て夢に向かうことを考えた。
映画もそれは同じなんだけれど……なんというか『諦念』が足りない印象があるんだよね」
カエル「……えっと? どういうこと?」
主「つまりさ『諦めていたけれど、もう1回やってみるか』と『諦めていなかったんだ、執着していたんだ、よしやろう』というのは同じようだけれど、全く違う。
原作、アニメは前者であって、映画は後者である。
前述の借りた本の描き方などもそうだけれど、この作品が持つ複雑さがどうしても損なわれているような気がして、そこは惜しいなぁ、と思ってしまったいかな」
本作の主題歌も盛り上げる!
ラストについて
カエル「一方で映画版が優れていると感じたのが、このラストです!」
主「あんまり結末について言うのは憚られるので濁しながら語りますが……
漫画版の記事でも語ったけれど、この手の年の差の恋愛モノはちょっとラストが難しい。くっついたらくっついたで文句が出るし、別れても文句が出るのでね。
それでいうと、映画版のラストは、自分は原作、アニメよりもいいと感じた!」
カエル「えっと……実は大筋では変わらないですが、どういう違いがあるのか、抽象的に語ると以下になります」
- 原作→2人の最後を決定的に描く
- アニメ→2人の最後を匂わせながら、もう1つの可能性も描く
- 映画→2人の最後を決定的に描きながらも、別の道も描く
主「アニメと映画の違いは……アニメは二者択一の場合、もう1つのルートを見せながらも、やはり原作と同じルートになることを匂わせて終わる。結構曖昧なエンドでもある。
映画は二者択一かと思われた中で、もう1つの道を描くんだよね。
この最後は痺れた!
確かにその選択肢もあるんだけれど、それは今まで描かれてなかったからさ」
カエル「それを補完するのが最後のランニングシーンなんだね」
主「そうそう。それまで孤独に走っていたあきらが、集団に交じってランニングをする。それだけであきらがどのような状況に変化したのか? ということをはっきりと描いている。
そしてどのように変化をしても、2人の中にあるあの日々は共通のものである、という思いを残すようにできている。
自分はこのラストが1番すき。あれだけ賞賛しているアニメ版もラストの着地には疑問の部分もあるからさ……
この点だけでも、この映画は実写化した意義が多いにあったと自分は確信するね」
まとめ
では、この記事のまとめになります!
- きっちりと合ったキャスティングが見事!
- 細かいところでは違和感があれど、全体的に作り込まれており見所が多い!
- 特にラストは映画版が1番お気に入り!
原作・アニメ・映画と三者三様の物語です!
カエル「どれが1番いいか? というのは簡単には比べれらない作品に仕上がっているんじゃないかな?」
主「原作をそのままコピーして実写化する作品もある中で、新解釈を提示してきた点もとても意義がある。
その意味ではこの3作品、どれも味わいが違い、まさしくメディアミックスの成功例の1つとなるんじゃないかな?
作品を大きく改変せず、しかし映像でしか描けない新解釈を描く……漫画原作映画の理想の関係の1つだね」
カエル「映画、原作、アニメとどれも楽しんで、ぜひ比べて見てください!」