では『恋は雨上がりのように』の原作について語っていこうか!
今回初めて電子書籍に手を出してみたんだけれどさ……
カエル「ずっと紙の本を買っていたけれど、かさばるしねぇ」
主「だけど、カバー裏を読むことができないんだよね……それは単行本のオマケだ! というのかもしれないけれど、そちらも楽しみにしていただけに残念だなぁ」
カエル「電子書籍の1つの課題ということになるのかな?
では、感想記事を始めます!」
感想
では、まずは漫画版の感想から始めようか
ちょっと心配していた部分はあったけれど、綺麗に着地したね
主「最終話が一部で炎上騒ぎになっていると言われていて……あの作品で炎上するってことは、もしかしたら店長が死んだのか? とまで考えながら読んでいたけれど、そんな心配が全くいらないラストでよかったわぁ……
むしろ、この作品にはあのラストしか最初から用意されていなかったのではないか? という思いすらあるよ」
カエル「炎上騒ぎになる程でもないし、きちんと綺麗に着地した終わり方だったよね」
主「そもそもとして、この手の年の差恋愛モノってどうやっても揉めるところはあるんだよ。
例えば……他作品のラストに言及するから、かなり濁した言い方になるけれど、ノイタミナでも放送された女の子を育てるお話では、最後に2人はくっつくんだけれど……それもまた『気持ち悪い』と否定されてしまった」
カエル「年の差の恋って現実でも中には気持ち悪いと思う人もいるよね。
芸能人でも時々40、50歳くらいのタレントと20代のモデルさんが付き合うことをもあるけれど、それも否定的な意見がどうしても出てくるし……」
主「結ばれたら『倫理的に気持ち悪い』
別れたら『ひどい! 失恋エンドだ!』
結局、どちらに転んでも荒れるわけ。
そんな状況の中でブレずに描ききったと思うし、やはりそれだけの魅力を兼ね備えた作品だったね」
店長の味
カエル「これはアニメ版の記事でも何度も言及したけれど、やはりこの作品は店長がとてもいいよね!
見所が多いし、情けない中でも分別のついた大人であって……これがすぐに女子高生に手を出すような大人であったら、この作品の魅力は一気になくなってしまうしさ」
主「それに加えて本作では『小説家になることを諦めた(諦めかけている)』という事情があって……それが胸にガツンときた。
特に最終巻に話を絞ると……羅生門の勇気の話とリンクするように語られている『文学を諦める勇気』というのはとてもよく分かる」
カエル「これは……別に文学じゃなくても、なんでもそうだけれど『やりたいことがあっても、それを諦める勇気』もあるということだよね……」
主「何かを諦めるということは、選択した結果なんだよね。
『諦めずに頑張ろう!』ということも大事だけれど、それは現状維持の結論先延ばしでもある場合もある。現に、店長はずっとそうだったわけだ。
それをあきらは『諦めなかった勇気』だと解釈した。
これはすごく残酷な差でもあるんだよ」
カエル「20歳の人間がずっと夢を追い続けているのと、40歳の人間が夢を追いつつけているのは、全く意味合いが違うからね……」
主「店長の抱いていた諦念が光り輝くあきらと出会うことでどのように変化して行ったのか?
それもまた1つの見所だったかな」
今作が描く2つの世界
この作品でとても重要なのが『雨』の描写だけれど……
最終巻でこの描写がとても生きていたよ
カエル「最終巻の構成ってちょっと特殊なものになっていて、店長が高校生であきらと同級生だったら? という仮定の設定が付け加えられているんだよね。
それと同時に、現実の店長とあきらの交流する1日を中心に物語は展開していくわけだけれど……」
主「ここで重要なのが2人の住む世界が全く違うということ。
あきらは陸上部だから、基本的に屋外競技であるし、練習場も屋外にある。雨の日ではグラウンドも荒れて走ることもままならないだろう。つまり、明確に『晴れの世界』の人間である。
一方で店長は図書室に閉じこもって雨の中、一人で小説を書いている。完全にインドアな人間だし、さらに言えば草食系男子であって『雨の世界』の人間なんだよ」
カエル「『近藤』『橘』の苗字で呼びあうところが2人の距離感を見事に表現しているね」
主「この作品でずっと描かれてきたのが、住む世界が違う人間が出会った時に果たしてどのようになるのだろうか? ということだ。
本来はハレの人間であるはずのあきらは、ケガによって雨の人間となってしまった。その時に雨の世界の人、店長と知り合って恋に落ちる。
これが本作の基本線としてある」
雪の世界
主「一方で本作の最後に描かれている現実の世界は『雪』の世界なんだよね。
つまり、どちらの世界でもない。
どちらかといえば雨に近いけれど、でも店長が住む雨の世界とも少し違うわけだ」
カエル「ふむふむ……」
主「この最終巻の2人の関係性はそれまでと特殊な世界にいることが、この背景描写だけでもわかる。だからこそ、時間を超えて2人が同級生であったならば? という仮定が働いている。
そこでは色々な可能性があった。もちろん、あのまま家に帰って2人が結ばれる可能性だってあった。多分、あきらはそれを望んでいたし、そういうことになることを覚悟していた。
でも、そうはならなかった……」
カエル「えっと……それはなぜ?」
主「結局は店長が最後まで大人だったということだよ。
雨の世界の人間と、晴れの世界の人間が一緒になることはできない。
そんな言い方でなくても年齢や立場による関係性、倫理などの壁を考えても誰がどう見てもこの2人には結ばれることは難しい。
それを誰よりも理解していたのは、実は店長だった。
だから、本作を『ロリコン中年男性の妄想劇』という人もいるかもしれないけれど、自分はその意見には疑問を称する。
なぜならば、店長の描き方からは『モテたいロリコン中年の妄想』は一切感じられない。
むしろ、この作品は『年上の大人との恋に夢見る女子高生』の目線で作られていて……店長はずっと冷静だったんだよ」
やはり感じる『あの人』の影響
これはアニメ版でも言及したけれど、本作は新海誠っぽいよね
もう隠すつもりもないんじゃないかな?
カエル「それこそ雨の中の年の差のある恋愛劇、年上が小説が好き、しかも心に傷を抱えている。
主人公が高校生で、やりたいことがあるけれどそれに向かってどれだけ打ち込めるのかわからない……この設定だけでも『言の葉の庭』と酷似しているし」
主「そして雪の中での印象的なシーンは『秒速5センチメートル』を思わせるものがあるし、明らかに『君の名は。』オマージュのシーンもあった。
鑑賞後に抱く思いも似たようなものでさ、明らかに新海誠からの影響が強い作品だというのがわかる。
他にも、最後に店長が告げる『忘れてもいい』という言葉を考えよう。これは秒速5センチメートルが描いたことであり、あの作品は『初恋の人を忘れるまでの物語』であったわけだ」
カエル「新海誠の作品の多くが恋の物語であるように、本作もまた『恋』の物語なんだね」
主「恋が愛になる瞬間を描く作品もあるけれど、本作は初恋がいかにして終わるのか? ということを主軸にして描いている。
恋はいつか終わるから恋なんだよ。
それが実ったら今度は愛に変わる。
だから、本作は『恋は雨上がりのように』というタイトルがつけられている。明確に恋の物語である、と告げているんだ」
割とどうでもいい違和感について
カエル「えっと……これは何?」
主「なんかさ、最近の……最近だけでもないのかな? 小説を扱った漫画に対して違和感があるんだけれど、なんで『芥川賞=1番すごい!』みたいに扱われているわけ?
いや、もちろん日本で1番有名な文学賞であることは認めるし、獲れたら実力のある作家であることもよく分かるよ。でもさ……ちひろって既に映像化もされているし、雑誌のインタビューも受けていて、小説家としてのキャリアも結構長そうじゃない?
年齢も店長と同い年で45歳なわけだしさ。
芥川賞は純文学の新人賞ですよ?
ちひろがそれを受賞するようなキャリアには全く思えないんだけれど」
カエル「まあ、でも実際にその年齢でも芥川賞を受賞する人もいるし、舞城王太郎のように人気もあるけれど何度もノミネートされている作家もいるわけだからね」
主「確かに小説の賞で1番有名だからそういう描写になるのもわかるけれど、野球で言えば新人賞がMVPや沢村賞みたいな扱いをされているような違和感があるんだよなぁ……
あ? もしかしてちひろって舞城王太郎がモデルなのか?」
カエル「いや、多分違うと思うよ」
まとめ
では、今作のまとめになります!
- 歳の差の恋愛モノとして落ち着いた着地を見せる
- 2つの世界と、どちらでもない雪の世界の描き方
- 随所に現れている新海誠の影響も
実写映画公開前に読んでおいてよかったね
カエル「いよいよ『恋は雨上がりのように』のラストを飾る実写映画も公開されます!
どんな作品に仕上がっているのか、本当に楽しみだね!」
主「アニメや原作とは違う道を見せるのか、どのようなアレンジを効かせてくるのか、注目していきたいな。
もちろん、鑑賞して感想を書く予定なので、そちらも楽しみにしていてください」