今回は『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の感想記事になります
……難しいね
カエルくん(以下カエル)
「今回は映画レビュー記事ではありますが、それ以上に自分語り的な要素も多くなっているかと思います」
主
「……これだけの魂に、どう応えようか、色々と試行錯誤した結果ですね」
カエル
「いつもの記事とはノリもテイストも異なると思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
それでは……感想記事のスタートです」
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』本予告第2弾 2020年9月18日(金)公開
感想
それでは、Twitterの短評からのスタートです!
この映画はずっと叫んでいる
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年9月18日
でもそれは呪詛じゃない
理念を、祈りを、願いを、そして「愛してる」をずっとずっと、映像の、音響の物語を全て使って叫んでいる
その切実な想いに言葉が詰まる
これは、神様がもたらしてくれた贈り物だ
#VioletEvergarden#ヴァイオレット・エヴァーガーデン pic.twitter.com/YRHpFYxp1S
……言葉が見つからないね
カエル「ホントに、全てにおいてレベルが高く、圧巻という他ない作品だったと思います。
確かに細かいことを言えば、少し色々と出てくるのかもしれないけれど……これ以上ない作品に仕上がっていたのではないでしょうか。
正直、これは記事にできるのかわからないっていうレベルで、打ちのめされています」
主「……見終わった後に『これ以上の表現は見たことがない』と思った。
それくらいの作品です」
いまの、率直な、感想
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年9月18日
これ以上の表現は見たことがありません
ほんとに、安っぽい言い方だけど、神様からの贈り物だと思います
神様の贈り物って、すごく大仰なようだけれど、それくらい大切な作品になっているってことだね
やっぱり、表現に対する思いがビシビシ伝わってくる
主「もちろん、上手い下手とかもとても大事だし、今作はとてつもなく上手い……それこそ、全ての仕事が丁寧に行き届いているっていうことは、先に言っておきたい。
だけれどそれ以上に大切なこと……それこそ、魂という他ないものが、この作品には込められている。
画面の端から、あるいは音響、演技……どこをみてもそれが伝わってくるんだよ」
カエル「その魂に強く共感したと」
主「じゃあ、その魂って何だったのか? というと……
- 京都アニメーションが体現してきた理念
- アニメ制作に対する覚悟
- 多くの人、物事に対する視線
つまり『愛してる』ってことだ。
この映画を彩る全てのシーンに、そのあちこちに『愛してる』が刻まれている」
それを囁くなんてレベルじゃない、とてつもなく叫んでいるんだよ
カエル「叫び……
でも、怒りとか、憤りの感情からくる叫びではなくて、もっと優しくて、暖かくて、でも切実な思いなんだよね」
主「それこそ『表現がしたい』ということだ。
それは前作の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』でも感じたけれど、さらに倍増している
もちろん、いい表現者は表現欲があるものだし、映画であれば画面の端々から”〇〇監督作品”という印字がされているような気がしてくる。だけれど、これほど……これほどまでにそれを強く感じた作品は、他にない。
だからこそ、唯一無二という評価です」
多層的な表現たち
それを象徴する場面を挙げるとしたら、どういったところになるの?
……ヴァイオレットをはじめとした、各キャラクターの仕草、かな
主「ヴァイオレットってさ、ものすごく感情豊かな子なんだよね」
カエル「確かに、それを表情に出すのが下手なだけであって、感受性は豊かだし、だからこそ一流のドールとして人気を博しているわけだもんね」
主「じゃあ……その感情ってどうやって出すの?」
カエル「……確かに、表情には出せないし、しかも記号的な表現もなしなんだもんなぁ」
主「この映画は全身で叫んでいるんだよ。
それは例えば……序盤のこのシーン。
海辺に佇む、ヴァイオレットだね
これだけで全てが伝わってくる
主「どことなくもの悲しさを感じるし、レイアウトから何か、全てが叫びに満ちているんだ。その表現力はもはや、アニメというレベルを超えたのではないか? という気がしてくる。
元々、アニメって全て計算でできるものであり、描かれたものには全て絵コンテ・演出・原画・動画……などなど、誰かしらの意図があるわけだ。
だからこそ、偶然はあまり入り込みづらい」
カエル「つまり、全シーン、全カット、全ショットが”誰かの意図の上に成り立つ”ということだね」
主「そして、それと同時に京アニ的なリアル……あくまでも写実的に、こだわり抜く表現がここまで合致した結果が、この作品だ。
だから、自分は”密度”と称しているけれど、2時間20分、ずっとその密度に圧倒された。
リアルなのに、意図的。
意図的だけれど、リアル。
そこにいやらしさや技巧の巧さを誇示することはなく、第一にヴァイオレットの人生に対する賛歌を描き切ろうという思いが、そして世界に対する祈りの叫びが込められていた。
ここまで作り込み、叫び、途中で息切れしそうになることもあるけれど、自分の表現に向き合ってさらに叫ぶ。その熱量がとんでもないことになっていた」
カエル「……熱量」
主「最近『もののけ姫』をリバイバルで見直したけれど、あれはセルアニメにおける頂点であり、一種のオーパーツのような、今後真似しようとしても辿り着けない境地に達している。同じように、どこもこのヴァイオレットというアニメを、映画を、表現を超えることができないのではないだろうか。
超えるとしたら、それは京アニだけなのではないだろうか」
”神様からの贈り物”って表現は、自分は全く大袈裟だと思っていないんだよ
主「これは、もう超えることが難しい。
確かにタイミングもある、いろいろなことがあった、それが評価を高めているだけだって指摘されたら、その通りかもしれない。
今の自分はこの映画に対してどう向き合い、どのような文章を書けばいいのか、まるでわからないんだ」
喜び、怒り、悲しみ、笑い、寂しさ…その言葉で大別できない、1と0の間にある複雑な思いを文章にして伝えるのがライターやブロガーなどの言葉の表現者だと思っている
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年9月18日
だけど言葉にしてしまうことで固定化してしまうことがある
神様の名前の発音がわからないように、本当に大切なものは言葉にしないほうがいいのかもしれない
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年9月18日
だけど自分の胸から喉にかけて、何かが詰まっている
あふれたがっている感情が、言葉がある
ひとたび溢れたら、雪崩のように続いてしまうだろう
ボクは、この思いを言葉にすべきか迷ってます
少しだけ、映画の感想と離れて自分語りに入ると思いますので、興味がない方は次の項目へ行ってください
……なんだろうね、ホントに
主「例えばブログで言ったらアクセス数が欲しいとか、評価されたいとか、お金が欲しいとか、いろいろな思いがある。もちろん、本作だって商業作品だし、それは間違ってないし、この4連休に合わせて公開している以上、興行収入を狙ってきている。
でも、そういうことじゃないよね。
なんでここまで、世界に対して祈りと願い……呪詛の、恨み辛みがない魂の叫びを描けるのか、まるで理解できない。
さっきも言ったように、アニメは意図的なものだけれど、その意図があまりにも純粋すぎる。
ここまで純粋で、丁寧で、磨き上げられると、もはや人の手を離れて神様からの贈り物なんじゃないか……本気でそう思う」
カエル「変なところに入っちゃうくらいに、考え込んじゃうね……」
主「こういう表現に対して、魂にどう向き合えばいいんだろうって……ずっと考え続けなければいけない。
そして、この作品は石立監督の1人絵コンテなんだよね……もちろん、演出や原画はたくさんいるけれど、この密度の設計図にあたる絵コンテを1人で作り上げたって、なんだろう。
もう、とてつもない宗教画の域にまで達しているのではないか……そう感じざるを得ない作品だね」
キャストについて
少し、声優さんにも触れておこうか
石川由依は、演技を超えていたのではないだろうか
カエル「元々、この映画は『ヴァイオレットの行く末を見届けたい』という作品であったけれど、そこに声優さんもきちんと向き合い、創意を尽くした結果の演技だった、という印象だね」
主「アニメって、実写と違うのは映像を演じる人(キャラクター・キャラクターを描くアニメーター)と、声を充てる声優が違うってことだよね。
例えば……半沢直樹でいったら、半沢直樹=堺雅人になる。もちろん、演出や監督の意向などもあるけれど。
だけれど、声優はそうじゃない。
ヴァイオレット=石川由依ではない。確かに声を当てているけれど、そこには絵があり、それを作った演出・アニメーターの演技がある」
カエル「今のアニメ界の花形は声優さんとなっているし、そこ自体に文句はないけれど、もっともっとアニメーターさんが評価されるようにならないといけないのではないか? ということをよく語るよね。
昔のディズニーは1人のキャラクターを1人のアニメーターが描くというのが当たり前で、作画の癖などもそのアニメーターの個性で統一されているけれど、今はそういう時代ではないし……」
石川由依の声が、ヴァイオレットの声になっていたんだよね
主「これはこの映画全体に、何度も語るけれど、作為的な……役者でいえば演技的なものを感じなかった。
全て意図的なものであるのは間違いがないし、その意図も理解できるけれど”ヴァイオレットの最後までを描き切る”という思いに触発されていた。
その結果、ヴァイオレットという人物をこの世に存在させることができていた。
”感情表現が苦手だけれど、とても感受性が豊かで根底に感情がある女性”を演じるってどうすればいいのか理解もできないけれど、その難題に向き合った。
ベストアクト、とか、そんな言葉で語るのが安いほど、役者としての本分というものを感じさせるものだった」
以下ネタバレあり
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込められた思いの量と重さ
テレビシリーズのシーンの挿入
ここからはネタバレありで語っていきます
今回は、技術論とか演出論も入るけれど、それ以上に1つ1つの描写の叫びと魂について考えたい
カエル「まずは、冒頭の描写だけれど……あれは泣く、という人も多いよね」
主「テレビシリーズの描写を映画に挿入するって、少し考えるところがあると感じている。
だって、今回は劇場版であり、総集編でもないわけじゃない。
単純に画面が浮くし、今作もそこは異質な感覚はした。
しかも、それを入れないほうが……自分は純度というか、そういったものが上がると思うし、今回入ったのは屈指の神回と呼ばれる10話なんだよ。
それを冒頭で入れることは、作品にブーストをかけることにもなるけれど、下手をすればそこが1番となることもあり得る」
カエル「劇場版だからと意気込んでも、テレビシリーズの方が良かったな……となる作品も、中にはあるからね……」
主「でも、それでもテレビシリーズのシーンを入れた。しかも、1番の見せ場を。
それってなんだろうって考えると……”作り上げてきた過去を、積極的に肯定する”という姿勢だよね」
あとは……あのシーンを描けば、担当したアニメーターの名前がエンドクレジットに乗せられるとか
いろいろな意図や思いがあるんだろう
主「結局、外部の自分には想像しかできない……これはいつもそうだけれど、でもここにはそれなりの覚悟があり、明確に”受け継がれるもの”を意識していることが伝わってきた。
時代を超えて愛されるもの、思い。
ずっと京都アニメーションが言っていた”思いを繋ぐ”っていうのは、こういうことなんだろうなっていうことを、すごく感じさせられたな」
海
この映画は”水の映画”ではありますが、同時に海のシーンが非常に多いよね
この2枚だけでも、惚れ惚れしちゃうな
カエル「映像的な美しさもさることながら、レイアウトの良さ、あるいは色味、見せ方も含めて、いろいろな”叫び”を感じることができるね」
主「本作は確かにテレビシリーズも含めた完結編だけれど”1作の映画”として、誰でも楽しめるように配慮している。
そしてそれは、自分は成功していると確信している。
その象徴が、このシーンで……上記の2枚、というかこの一連のシーンではヴァイオレットという少女がいかに感情表現が下手で、でも感情が豊かな子なのかが伝わってくる。
人物紹介を改めて行うわけだ」
カエル「そこで登場するのが海、というのも……」
主「象徴的だよね。
海は古来より、母なるもの、生命の源であるとされている。
同時に死者が帰る場所でもあるんだよ。
そこに捧げる祝詞を書いたのは、戦争の生者であるヴァイオレット。その顔が浮かないのは、愛する人を思うからであり、彼女の中にも様々な思いが交差しているから」
彼女は、本質的には海の人なんだろう
カエル「市長さんたちが人がいっぱいいる中にいるのに対して、ヴァイオレットは広大な海の前に1人でいるわけだもんね……」
主「もちろん、後の伏線でもあるわけだけれど……同時にこの作品のテーマを語っている。
それは、まさしく”海”なんだよ。
生きる者として何ができるのか、何をするべきなのか。
それを問い続ける、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの旅路が、まだまだ続いていることを象徴しているわけだ」
義手
ヴァイオレットの物語では、手がとても重要な役割を果たします
予告編でも印象的だったのは、ここだろう
主「ヴァイオレットの手というものは、ゴツゴツとした機械仕立てのものだ。まだ10代の少女には全く似つかわしくないものであり、そこから思いの詰まった手紙を生み出す。
それは……戦争の被害を直接的に伝えるものでもある」
カエル「ギルベルトも片手がないんだもんね……」
主「映画で象徴的なシーンの1つが、ギルベルトが作り出す機械だ。
ゴンドラのような、貨物を運搬する機械を作る。
そこには”鉄”というものへの向き合い方がある。
戦争の時は銃となり、人をあやめるための機械を作るための工具だった。だけれど、戦争が終わり、かつて戦っていた、もしかしたらその手で命を奪ってしまったかもしれない人のためにスパナをとり機械を作り、ハサミで果実を収穫する」
……同じ鉄を扱うとしても、目的によって作り方が全く異なるんだね
そこには、戦争というものに対する様々な思いがある
主「テレビシリーズでは、悪役のような立ち回りとなってしまったディートフリートだけれど、今作ではとても重要な役割を果たす」
カエル「一部シーンでは、ヴァイオレットを引き取ったことについて、ディートフリートの語ることが正しかったのではないか? と思わせる部分もあったよね」
主「でも、彼がいなければこの物語はそもそも始まりもしていない。
そして、2人があのような結末を迎えることもなかったんだよ」
位置関係
これもよく言われていることではありますが、ヴァイオレットの物語は、その多くのシーンで左向きとなっています
下座に向く……つまり過去を見つめる、という表現だよね
カエル「この映画も足のシーンが多いよね……山田尚子監督作品が顕著だけれど、同じ京都アニメーション作品だから当然か」
主「ブーツを履いた足がたくさん出てくるけれど、ヴァイオレットはほぼ下手(左手側)に進行していく。
これは彼女が過去を抱えており、暗い気持ちであることが多いという表現になっている。
そしてもう1つ象徴的なのは、このシーンだ」
ギルベルトが歩くシーンだね
靴が、ないんだよね
カエル「靴がない=自分を守るるものがないとか、あるいは素直な気持ちとか……この場合は、とても辛い思いに傷ついているということも言えるのかな」
主「ヴァイオレットとギルベルトが……というよりも、この映画に出てくる人の多くが、いろいろな過去に囚われていることを示している。
だけれど……この、ずっとずっとず〜っっと、テレビシリーズも含めて行われていたものが、全て結実するのが、あの終盤の大団円になる」
カエル「……ようやく、ようやくあの場面に辿り着いたんだね」
主「全部のシーンが伏線となり、あの場面の美しさになる。
あそこは自分が理解できないくらい、ぐちゃぐちゃになってしまった。ホント、すごいとしか言いようがない」
世界の全てに祝福と祈りを
その……京アニの魂って、なんだったの?
……全ての魂に祝福と祈りを捧げること、かな
主「この映画は祈り、願いの叫びが満ち溢れている。
とても辛い戦争があった、失われた命があった。後悔も、届いた思い、届かなかった思いもある。
でも、その何か1つでも欠けていれば、ヴァイオレットのあの未来はなかった」
- 孤児でなく家族のもとで幸せに暮らしていたら → ギルベルトと出会えなかった
- 戦争でなかったら → ギルベルトの元に行くことができなかった
- あの日、両腕を失くさずに逃げていたら → 2人とも生き残れなかった
- ホッジンズの元へ行かなかったら → ドールになれなかった
- ディートフリートの元へ行かなかったら → ギルベルトに合う術が絶たれていた
ヴァイオレットの不幸なことも、全てはあの瞬間のため……
物語って、基本的に呪詛の方が楽なんだよ
主「だって、わかりやすいじゃん。
『自分がいまこんなに不遇なのは、〇〇のせいだ』って、怒りの叫びを込めると、それは伝わりやすい。
逆に、祝福って基本的には届きにくい。わかりにくいし。
でも、そこから逃げなかった。
逃げちゃダメだったんだよ。
そこに呪詛が入ると、ヴァイオレットの人生や思いに、呪詛が入るから」
カエル「ヴァイオレット自身は、呪詛の念が一切ない……それは純粋ということもあるけれど、それ以上に自責の念とか、色々と囚われている人だもんね」
主「……最後に花火が上がった瞬間にさ、『あ、京都アニメーションってすごいな』って本気で思ったよ。
これでこの映画のテーマとか、そういうことが全部昇華される、
花火は祝福と同時に鎮魂の象徴だから……ヴァイオレットの抱えてきた苦難とか、全部を美しく打ち上げた。
ここまでの祈りと願いを、自分は知らない。
だからこそ、神様の贈り物という他に、形容することができないんだ」
最後に
それでは、この記事の最後になります
……言葉にすると、陳腐なのかもね
カエル「同じような言葉が並んでしまったところもあるね」
主「この映画を年間ベストとかに、入れられない気がする。そういう次元ではないのかなって。
すごいね……表現ってここまでいくんだね。
驚いたよ。
ちょっと、色々と考え続けなければいけないな」
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