今回は『劇場版 Free! the Final Stroke 後編』の感想・考察記事になります!
いよいよ『Free』シリーズも終わるのかぁ
カエルくん(以下カエル)
「実を言えば、うちはそこまでいいファンではなかったかもしれないけれど、でもここまで追いかけてきたから、それはそれで感慨深いものがあるね」
主
「前編では色々語ったけれど、面白い作品に仕上がっているといいな」
カエル「それでは、早速ですが感想記事のスタートです!」
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- 今記事の簡単なまとめ
- 全体的な感想 → キャラクターと音楽で魅了する物語に
- 良かった点 → 京都アニメーションらしい”繋ぐ”ことを意識した物語
- 今作で感じたポイント → 全員の想いが繋げてきた完結編に!
前編の記事はこちら
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#Free_Final
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2022年4月22日
キャラクターと音楽で紡がれるはfreeシリーズの歴史…!
多少物語は強引ながらも集められた成長譚の数々に思わず涙腺が刺激されていきます
freeシリーズは京アニ作品の中でもあまり注目できなかった部分がありましたが今作でいい意味で爆発して愛したい作品になりました! pic.twitter.com/3YYbITktFC
独特な作りで、正直、不器用なところもあるけれど……でも、好きと言わざるを得ない作品だね
カエル「正直に言えば、うちは『Free!』シリーズに関しては、そこまでいい視聴者ではなかったと思います。アニメが好きで、京アニが好きだからなんとなく観ていたけれど、でも、そこまでハマることはなく、惰性で観ているようなところもあった……そんな作品です」
主「偏見込みで言えば、やはり女性向け作品だという印象がとても強かったし、逆に女の子山盛りの萌え系作品を観る女性の気持ちって、こんなものかなって冷めた部分もあった。
とは言っても、いわゆる乙女ゲー原作の作品とかと比較すれば、男性でもだいぶ観やすい部類の作品ではあるけれどね。
そういうわけで、今まではそこまで熱が入っていなかったはずなんだけれど……
今作は別。
もうさ、大好きな作品になったんだよ!」
物語を語らず、音楽とキャラクターで語る
それは、やっぱり物語の作りこみが上手いから?
いや、変な話に聞こえるかもしれないけれど、逆だと思う
カエル「……逆?」
主「正直に言えば、物語の作りはかなり雑&歪なものであると言わざるを得ない。
多くの物語では、作品のテーマや伝えたいことは、細やかな流れで語る。アクションなどの見せ場があって、物語が停滞するダレ場があって……もっと専門的なことを言えば、シド・フィールドが提唱した3幕構成とか、あるいは13メソッドとか、色々ある。
だけれど、この作品はそういった流れといったものを、基本的に強引に誘導していると言ってもいい」
カエル「……え、それらって、いわば”物語の作り方”の基本だよね?
それを強引に誘導してもいいの?」
主「本当はダメ。
だから、この作品ってある視点で立つとボロボロと言える。
そもそも二部構成の意味があんまりないし、映画としては流れが強引。実は、細かく物語を語るということが全くできていない……やろうとしていない?
その意味では、実はダイジェスト的で総集編映画に近い作りなんだよ。
物語のキーとなる部分を集めて、物語を構成しています、というね」
物語を語らないで、何を語るような作品になっているの?
それはキャラクターと音楽、そして『Free』という作品が辿ってきた歴史を語るんだよ
カエル「今回も音響がいい劇場で見たこともあったけれど、音楽がとても印象に残る作品だったよね」
主「自分は先に挙げたように、シリーズにとって優れた観客ではないから、音楽に込められた想いとかは、あんまりわからなかった。多分、そこを読み取れるほどのファンであり、観客であれば、その思いもひとしおなのだろう。
じゃあ、この作品は物語を語らずに何を語ったのか?
それはキャラクター、ひいては『Free』という作品の歴史なんだ」
カエル「……歴史?」
主「そう。
物語の流れを重視して語ることは、ある種放棄している。
その代わり、そのキャラクターに寄り添うように、そして音楽で積極的に盛り上げていくスタイルを採用しているんだ。
だから、それが感じる人にはものすごくエモい。
それこそ、『Free』に対して思い入れがあればあるほど、ね。
キャラクターの心情を音楽で表現して、その先に語るのがキャラクター、そして『Free』という作品が辿ってきた”歴史”そのものを、語ろうとしている作品なんだよ」
それが”物語”で語らず、”音楽”と”キャラクター”で語るということなんだね
京都アニメーションの特性
これは、やっぱり京アニ制作ということもあるのかなぁ
自分が京アニ好きで、ずっと見てきているからかもしれないけれど、京アニらしさを感じさせる作りだよね
カエル「いつも語るけれど、その”京アニらしさ”って、一体どんなものなの?」
主「今の時代は、色々なアニメ制作会社があるし、京アニ以外でもメジャーな会社や、個性を感じるところはある。
それこそ……最も個性的なのは新房監督率いた時のシャフトかもね。近年はそこまでではないかもしれないけれど、やっぱり、あの独特の演出術や映像術は、とても印象に残る。
他にもWITスタジオだったら、『進撃の巨人』に代表されるように、アクションシーン、特に背景動画を用いた空間的な見せ方をするアクションが素晴らしい。
CloverWorksだったら、近年は『明日ちゃんのセーラー服』のように、日常表現が飛び抜けている印象がある。
ufotableだったら、 CGや撮影技術を駆使して、目にも止まらぬハイスピードアクション&派手派手なアクションを展開しているだろう」
○ WIT→『進撃の巨人』の立体機動装置など背景動画を駆使した空間的なアクション
○ CloverWorks → 細かい日常芝居を重視
○ ufotable → CGや撮影技術を駆使した高速&派手なアクション
⬇︎
- アニメスタジオの特徴とは作画・演出面の映像面に強く出る!
ふむふむ……こういった映像的な工夫が感じられるわけね
それこそ、京アニだって”自然でリアルな作画”の最高峰と言われているわけだし、『Free』シリーズも水の作画が特に素晴らしいわけだ
カエル「だけれど、他のスタジオと京アニの違いってなんなの?」
主「京アニ作品には、その根底に”京アニの理念”と呼ぶべきものが揃っている。
上記のスタジオたちは、もちろんオリジナルを手掛けたり、あるいは原作ものを手がけている。だから映像的なスタジオごとの違いは感じるけれど、けれど物語としてはバラバラだったりする。
例えば……ufotableで言えば『鬼滅の刃』と『Fate』って、物語的に共通項はほとんどないよね?
これは当たり前なんだけれど、本来スタジオの個性とは映像表現に宿るものであり、物語や作品選択では宿りづらいんだよ」
もちろん、今は名称変更したけれどサンライズ=ロボットアニメ、とか、あるいは……P.A.WORKS=オリジナルアニメ、というイメージはできているけれどね
そう言ったオリジナル作品を手がけると、スタジオの個性が物語にも宿りやすくなるけれど、多くは原作ものだから、物語にまでスタジオの個性を宿すのは難しいんだ
カエル「そりゃ、アニメスタジオだってオリジナル企画ばかりを作るわけではないし、原作の物語を勝手に大改変することは、実際問題難しいしね」
主「だけれど、京都アニメーションは、この物語にも一貫性を感じる。
特に近年の作品……『響け!ユーフォニアム』と『Free』は”個人ではなく団体の協調性”という意味で一致しているし、あるいは『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』と『小林さんちのメイドラゴン』も、戦争(偏見)と平和というテーマなどで一致している。
かなり、理念が強く感じられるスタジオであるわけだ」
スタジオの理念……
これは、京アニが原作も公募で選んでいたこともあるだろうし……結構大胆に原作をアレンジするスタジオだからということもあるだろう
主「つまり、京アニ作品というのは、映像のみでなく”物語にも京アニらしい共通項”が見られるということだ。
それは”全体による協調”であったり、あるいは”平和への祈り”であったり……そう言った、ある種日本では美徳として扱われやすいテーマが宿っている」
カエル「京アニって、誰かを敵として、その人物を悪だから倒す、みたいな単純な作品がほとんどないのも特徴だよね」
主「そうだね。
そういう意味では、思想性が強いスタジオということもできる。
そして『Free』という作品、あるいはシリーズでも、その京アニらしい思想が溢れているし、それがものすごく発揮されている。
今回はそこを中心に語っていこう」
声優について
今回は声優さんについても語っていくということだけれど……
これは、演技そのものは、もう語ることはない。今回語りたいのは”鈴木達央を引き続き起用した”ということだ
カエル「ここは色々な意見があると思いますが……すでにご存知の方も多いと思いますが、真琴を演じている鈴木達央は昨年不祥事を起こしてしまい、多くの役から降板することになりました。
その中で『Free』シリーズは、引き続き、鈴木達央を起用することを決定して、結構早い段階から公表していました」
主「あの時にこの決断は、とても大きなものだったろう。
確かに『Free』はすでに最終章、おそらく収録も終えていた可能性もある。主題歌もOLDCODEXということで、鈴木達央を降ろすと大きな影響が出てしまう作品だった。それでも、あの件では鈴木達央を降板させている作品がいくつもあり、むしろ続投した作品がどれほどあったのか? というレベルになってしまっている」
カエル「起こしたことに対する反応は様々でしょうが、制作現場は本当に大変な決断を迫られたところが多いでしょうね」
主「ここで続投を決断した、というのが、この作品では活きてくる。
もちろん、制作上の都合、経済的な理由もあっただろうし、犯罪行為ではないから、そのほうが合理的だという意見もあるだろう。
だけれど『Free』は”みんなで繋ぐ”ということを意識してきたシリーズだ。
ここで不祥事がらみとはいえ、1人が外されてしまうとこの作品のテーマが揺らぐことになってしまう。
だからこそ、続投を発表したのではないか。
これはあくまでも推論ではあるけれど、結果的にこの決断によって 『Free』が持つ”全員で繋いでいく”という思いは、より強くなったシリーズだということも可能なんだ」
以下ネタバレあり
ラストシーケンスが語るもの
ここからはネタバレありで語っていきましょう!
個人的に、なるほどなぁ……と感じたのが物語の終盤なんだ
カエル「物語としてはやはり『Free』らしく、リレーの話につながっていったね。
その後色々とあって、渋谷の広告を見上げる女性がピックアップされています」
主「先ほども語ったように、京アニらしい思想というのは”個の力ではなく、全体の力”という思想だ。それは今作でも大きくピックアップされていた。
だから最後はあの展開になるわけだよね。
その”全体の力”の重視というのは、そのまんまアニメーション制作にも繋がる。どうしてもアニメファン的には監督、声優、あるいはスーパーアニメーターが注目をしがちだけれど、でも演出、絵コンテはもちろん、原画、動画、背景美術、仕上げ、撮影、音響監督、ミキサー、編集……さらには制作進行や設定進行、文芸などのセクションがいないと成り立たないのがアニメ制作だ。
つまり、いらないセクションは1つもないわけ。
その”全体の力”がアニメ制作の力となり、高いクオリティにつながってくる」
ふむふむ……だからこそリレーの話が重要というわけだね
今回は、その中に、さらに”ファン”の存在が出ていたわけだ
カエル「今作のような作品は……いい意味でも悪い意味でも”ファン向け映画”とよく言われているよね」
主「そうだね。
その意味では、今作はまさしくファン向け映画だ。
自分もスタートはちょっと面食らった部分もあるけれど、見方がわかった(ノリ方がわかった)ので、そこにグッと入っていくと、ものすごくファンには嬉しい作品になっていると感じた。
それまでの『Free』という作品の歴史を辿るという意味でも、また懐かしいような映像がたくさんあったという意味でも、ね」
そのファンの象徴が、ラストに出てきた女の子なんだよ
カエル「あの子って一体なんだろう? という意見もちらほらあって、ボクが忘れただけかなぁ? と思って調べたけれど、やっぱり色々な説があるけれど、確定的なものはなかった印象かな」
主「あれって、自分の解釈だと”作品を愛してくれたファン”そのものなんだよ。
画面を通してFreeの世界を愛してくれた人々、そのファンが最後に作品世界に入り込む。
実は、ファン向けのアニメ映画ってたまにああいうことをするんだ。
近い例では『えいがのおそ松さん』とかだね」
ネタバレになるので、あまり深くは語れませんが、この作品で登場する女の子についても、色々と考察されていました
うちは”ファンの象徴”として捉えている
主「それこそ古い例だと『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の中盤あたりでも、登場人物を見下ろす謎の男が出てくるのだけれど、その正体は監督を務めた押井守という意見もあった。
それは余談だけれど、今作においてあの女の子というのは、画面を通して登場人物を応援した=この作品を愛してくれたファンであり、そのお礼をかねて登場した、と見ることもできるだろう」
誰の”編集した”物語か
そういえば、エンドロール後も長くエピローグが続いていたよね
ここでも自分が語る”歴史”と、あれが”ファン”と言う意味を補完するものがあるんだ
カエル「今作のエンドロールでは歴代の『Free』の作品のビジュアルが並んでいて、とても懐かしいような気持ちにもなったね」
主「だから”歴史”を語ることを重視しているのは、とてもよく伝わってくるよね。
そして最後のエピローグで『これは”みんな”が撮ってきたもので、ただ編集しただけだ』と言う発言が出てくる。
じゃあ、ここで問題となるのは”誰が”編集したのか? と言う問題だ」
カエル「……誰が?」
主「それはもちろん、今作の監督である河浪栄作だろう。
『Free』の歴史をざっくりとまとめると、以下のようになる。
○ 第1期、第2期TVシリーズ・内海紘子監督
○ 劇場版1作目・武本康弘監督
○ TV3期、劇場版など 河浪栄作監督
色々な監督たちが紡いできたんだね
もちろん、キャラクターデザインの西屋太志、音楽の加藤達也などの尽力もあった
主「だから『Free』って誰の作品か? と言われると、言葉が難しいところがある。
もちろん、全員が頑張ったからこその結果なんだよ。
誰か1人の天才的な作家性が発揮された作品ではない。
河浪栄作監督は、”みんなが紡いできた Freeの1場面1場面”を編集し、今作では監督してまとめた。でも、それはここまでみんなが……スタッフやクリエイターたちが尽力してできた素材があったからこそ、できた作品にもなっているわけだ。
『ボクはただまとめただけにすぎない』って言うのは、多分本音じゃないかな。
だからこそ、最後に監督の名前がバーンと出てくる。普通の映画では監督は作品に対する現場責任者として名前が上がるけれど、今作の場合は、それと同時に”この作品をまとめた人”と言う意味があるのではないだろうか」
カエル「そしてその”みんな”の中に、これまで作品を愛してくれたファンも含まれているわけだね」
主「そうだね。
今まで歴代の作品に携わってきたスタッフ、キャスト、今のスタッフ、そしてファン……それらの人々が繋がり、リレーをすることで、この作品が完成した。
だからこの作品は”ファン向け作品”なんだよ。
ある意味では内向きだと判断されるかもしれないけれど……でも、ここまで育ててきたファンへの感謝、そして歴代スタッフへの感謝を含めて、キャラクターやファンを愛して”歴史”を語り切った作品として、自分は大きな賞賛を送りたいね」
最後に
と言うわけで、『Free』の感想記事でした
ボクは優れたファンではないし、正直映画としては歪な作品だと思ったけれど、でも感動しました
カエル「物語の流れがうまくはないけれど、でも好きなんだね」
主「そう言う作品って、本当に自分に合った作品なんだろう。
その意味では、本当に素晴らしい作品を見ることができました!」
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