今回は女性を中心に大ヒットを記録した『おそ松さん』の劇場版のお話です!
そもそも、この作品って本来女性向けだったのかね?
カエルくん(以下カエル)
「まあ、なんていうか変なアニメだよね。『今時赤塚不二夫の作品をリメイクするの?』と思っていたら、まさかの大ヒットを記録して監督達も驚いてしまうというね」
主
「あの1期1話は痺れたよ。
リアルタイムで見ていたけれど、ずっと大爆笑していた」
カエル「気になる方はいるでしょうが、残念ながらパロディーネタなどをやりすぎてしまったため、封印されてしまい公的な視聴方法はすでにないと思われます。
とは言っても、オススメしないやり方だったらいくらでも見る手段はあるかもしれないけれど……」
主「うちのトルネにはまだ録画してあるけれどね!
これは消せないよなぁ……まさしく、伝説としか言いようのない1話だった。
そこからあれよあれよと大ヒットを記録したのにも関わらず、2期は大コケしたという話も聞いていて、映画版に続くというね……」
カエル「まあ、でもその現在の人気がどれほどのものなのかは、本作の興行収入ではっきりわかるんじゃないかな?
その意味でも楽しみな作品だね!」
主「この声優陣からして、それなりに稼ぎそうではあるけれどね……
というわけで、早速感想記事のスタートです」
作品紹介・あらすじ
赤塚不二夫原作の名作ギャグ漫画である『おそ松くん』を原作に、2期にわたって放送された『おそ松さん』の劇場アニメ作品。監督・脚本はテレビシリーズと変わらずに藤田陽一、松原秀の2人が行う。
テレビシリーズ同様、櫻井孝宏、中村悠一、神谷浩史、福山潤、小野大輔、入野自由などの女性に人気のキャストの他、鈴村健一、遠藤綾などが声を担当する。
高校の同窓会に出席したクズでニートで童貞な六ご達は、大人となり社会や家庭で活躍する同級生達の姿に遣る瀬無さを覚える。やけ酒を食らって眠りについたあと、起き上がると高校の卒業式の1日前にタイムスリップしていた。ここが過去の世界かと思いデカパンに相談すると「ここは思い出の世界であり、この中の誰かが後悔しているからここに来たのではないか」と言われてしまい、真実を知るために6人はかつて通っていた高校へ向かうことに……
「えいがのおそ松さん」本予告【2019年3月15日全国ロードショー】
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです
#えいがのおそ松さん
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年3月15日
ギャグ漫画(アニメ)を劇場版にする難しさがはっきりと出てしまった感も強い
全体としては言いたいこともある
ただしやろとした(と思われること)の片鱗もきちんと出ており、それは否定することのできないほど大事なことでもある
本作の最終的な評価はファンが行うべきかもなぁ pic.twitter.com/3dOF1Bx5Uo
映画としての評価は正直高くないものの、完成度云々以外の魅力が強い作品だな
カエル「アニメ映画ではもしかした珍しい評価になるかもしれないね……
もちろん、ファン向け作品はいくらでもあるけれどさ」
主「最近色々あったからなぁ……『ファンが喜ぶからいいんです、ファンでもない人が勝手なことを言わないでください』なんて言われることもあったし。だったら劇場公開しないで、ファンのためにOVAだけで販売しとけよ! なんて言いたくなる気持ちもあるにはあるんだけれど……まあファンの気持ちもわからないでもない。
確かに……そのシリーズのファンだから、あるいは監督や脚本家のファンだからわかることってたくさんあるし、そこには暗黙の了解だってあるわけだしね」
カエル「全部予習しておくのがベストとはわかっているけれど、実際問題としておそ松さんならばテレビシリーズ2期50話以上に、原作も加えたら膨大な時間がかかってしまうから、なかなか難しいところはあるよね……」
主「本作に話を戻すと、映画としてはそこまでレベルが高いとは全く思わない。
脚本、作画、そのほかにも色々と言いたいことがある。もっとできるだろう! と思うシーンだってあった。
だけれど、それらの批判が全て意味がないものにも思える作品でもあって……とても評価が難しい。
だから、今作の最終的な評価はずっとおそ松さんを追い続けてきたファンや、色々な思いがある元ファンがすべきであり、自分みたいな門外漢は何かを語るべきではないのかもしれない、という思いが強いかな」
挑戦的な手法〜おそ松さんの戦い〜
そこまで思わせたものってなんなの?
……この映画は、もはや娯楽アニメ映画ではないんだよ
カエル「……? ただのギャグアニメじゃないの?」
主「これはテレビシリーズからそうなんだけれど、一見ただのギャグ漫画のように見せておいて、その内実はかなり攻めたメッセージ性の強い作品でもあった。
例えば自分も先ほどあげた1期1話において、現代風のイケメン達のように描くことで、現代の腐女子文化・BL文化を揶揄する作品にも仕上がっていたんだ」
カエル「だけれど、逆にそれが女性を中心に受けたということだよね?」
主「これはプロ・アマ問わずおそ松さんの論評を読むと、かなり深いものに突き当たる。つまり、今作は『ただ視聴者をゲラゲラと笑わせよう』という意図があるギャグ漫画ではない。
その内実は……もしかしたら赤塚不二夫の精神もそうかもしれないけれど、痛烈な社会や文化、大衆に対する批判的な見方も内包されている作品だった」
カエル「2期では人気が落ちたのも、そのあたりのゴタゴタ……というべきかはわからないけれど、色々な変換があってのことではないか? という論評も多いね」
主「今作に関して話をすると、その物語としての、作劇の内容はほとんどないです。
中ダレはするし、退屈な描写も多い。1番笑ったのは冒頭の週替わりだと思われる2分間のコントだったよ。
その意味では、ひどい作品と言えるかもしれない。
だけれど、今作が披露した精神だったり、そのメッセージ性に関しては文句がつけようもなく……なんていうかなぁ……もう物語を楽しむのではなく”おそ松さんというコンテンツが抱える挑戦と結論”について見に行くような……そんな作品に仕上がっているんだよねぇ」
カエル「このあたりは長くなりそうなのでネタバレありで語りましょうか」
悪かった点について
じゃあさ、悪かった点はどこなの?
もう、ほぼ全部と言えるかもしれない
カエル「……ということは酷評?」
主「いや、そこまでは言わない……駄作ではなくて、凡作と言ったところかな。
というのも、ギャグアニメを劇場版にする難しさが出てしまった印象もある。
物語としては1本の軸が見えてこないために、彼らの目的が一切ない。そのためにカタルシスもなくなり、物語自体が相当ふわふわしている。
また、ギャグ自身も滑りがちで……エログロな描写もあるんだけれど、それで自分は引いてしまった感もある」
カエル「う〜ん……酷評にしか思えないけれど……」
主「でも、それが赤塚イズムでもあり、またおそ松さんが行ってきた挑戦の一環でもあるんだから否定はできないよね……
作画の方ももっとできただろう! と言いたくなる部分もあって……劇場版アニメのリッチな作風に慣れてしまうと、本作の作画はかなり物足りない思いもある。まあ、頑張っているシーンも結構あったんだけれどね」
カエル「……褒めるポイントはないの?」
主「自分が好きなのはやっぱりOPかなぁ。おそ松さんってテレビシリーズではおでんを動かすことでEDアニメーションを作っていたりと、旧来のアニメーションの形にこだわらないものを作りあげている。
今作もそれは同じで、面白い試みだなぁ……と思いながら見ていたよ」
以下ネタバレあり
作品考察
アニメに対して喧嘩をうるスタイル
では、ここからはネタバレなしで語っていきましょうか
今作に限らず、おそ松さんはアニメ文化に対して喧嘩を売るスタイルが見受けられた
カエル「それこそ、先にあげた腐女子批判などだよね」
主「今作でもそれは健在で、例えばトト子のヒロイン批判というのは現代の完璧なヒロイン像というものに対する批判精神があった。
また『名前を間違えるな!』とか『おそ松はこうで〜から松はこんな性格で〜』という言葉は、その作品を愛してきたファンだったり……あるいは自分のようなよく知りもしないのに論じるような輩に対する批判がこもっている」
カエル「それを考えると、冒頭の同窓会もあるあるとはいえ、クズでニートに対する批判というのは、そう言ったステータスで色眼鏡をしてしまう一般大衆に対する批判にも思えてくるね」
主「本作はギャグアニメだからメタな発言も多くて、デカパンに事情を説明する際に『かくかくしかじかで〜』なんていうけれど、それだけで伝わってしまう。その時に『ギャグアニメってこの辺りが楽だよなぁ』と語る。
このように、おそ松さんという作品全体にはある種の批判精神、批評精神が随所に見られる作品になっている」
カエル「下ネタ描写に関しても”女性向けコンテンツからの脱却をはかり、本来のギャグアニメに戻るために必要なものだ!”という意見もあるもんね」
主「自分としては赤塚イズムがそのまま出ている形でもあると思うんだ。
そう考えると本作はとても面白いよね……赤塚イズムがそのまま出てきただけ、という見方もできるけれどね。
ただし、それらをはじめとしてたくさんの要素が混ざり合った結果、言うなれば闇鍋のような状況になってしまった……
だからこそ、作劇や物語としてはケチが多い作品となってしまったという印象がある」
”おそ松さん現象”に対する公式の総決算?
なんでそんな闇鍋みたいな作品にしようとしたのかなぁ?
一度、おそ松さんというコンテンツに対して総決算をしようとしたんじゃないかな?
カエル「総決算? ここで終わりにするってこと?」
主「流石にこれで終わるのかどうかは、この作品の興行次第な部分もあると思うよ……ブームに関しては一時期よりは確実に盛り下がっているわけだしね。あれだけ盛り上がったこともすごいけれど。
今作ってギャグアニメであり、明確なゴールもなければ、やろうと思えば永遠に続く日常的なアニメなわけだ。
ではなぜ、今作で”卒業式の日”を選んだと思う?」
カエル「……それが一区切りをつけるためなの?」
主「というのが、自分の想像。
つまり、卒業式を作中で描くことによって、物語に1つの”卒業”あるいは”区切り”というものをつけようとしたのではないか? ということ。もちろん、ここは作劇としても卒業式である理由がちゃんとあったけれどね。
そして、今作もう1つは”過去(思い出)を探る物語”だろう。
これも自分の見解としては、過去のおそ松さんたちを探る=過去のおそ松さん現象やアニメシリーズを探求、内包し、その決算を行おうという意思に感じられる」
カエル「う〜む……どうなんだろう?」
主「同時に、過去のおそ松たちの性格が違っていたじゃない?
これはありえたかもしれない可能性……あるいは”二次創作”によるおそ松たちの可能性を描いていると解釈した。
つまり、二次創作として消費されていったおそ松さん現象すらも、公式として内包し、その結果をこの物語の中で決算しようという心意気だよ」
カエル「えっと……それってどれだけ大きなことをしようとしているの?」
主「だからすごい作品でもあるんだよ。作劇としては文句があっても、これだけのことをしようとしている映画は他にあまりない。
自分が連想したのは……『ANEMONE エウレカセブン ハイレボリューション』かなぁ……あれもエウレカセブンシリーズ全ての総決算をしようとした作品にも感じられたしね」
今作で重要な意味をもつ”高橋”の存在
じゃあさ、あの”高橋”についてはどう思うの? 多分映画オリジナルの子だろうけれど……
映画としての欠点でもあり、この作品のやりたいことを象徴する存在だよ
カエル「この作品の鍵を握る存在としてはキャラクターが弱くて、しかも唐突に現れてしまった感もあるよね?」
主「普通だったら、あの手紙を出した人は本作のヒロインであるトト子であるべきなんだ。つまり、トト子が誰かに思いのこもった手紙を出した→その相手は誰だ? というギャグ混じりの作劇が可能となる。
だけれど、本作はその道を選ばずに高橋のぞみというキャラクターが出した手紙ということにしてしまった……これは作劇としては大きなミスだろう」
カエル「そりゃ、最終的な目標となる存在が突然現れた女の子で、しかもキャラクター性もほとんど深掘りされないというのは、物語としてのカタルシスは出てこないもんね……」
主「だけれど、彼女の存在は非常に大きい。
今作は高橋のぞみのキャラクター性を書けなかったんじゃない……書かなかったんだよ」
カエル「? どういうこと?」
主「あの子のキャラクターデザインもそうだけれど、絶世の美少女でもなく、ブサイクでもない、言うなれば特徴の薄い普通の女の子だ。メガネをかけていて、地味な印象もあるし典型的な内向的な少女だ。
だけれど、そういう子だからこそできる象徴性を宿した存在……それは”観客の代理人”であり、同時に”ファンの象徴”そのものなんだ」
今作が表現した”ファンに対する大きな思い”
……どういうこと?
本作は徹底して『おそ松さん』というシリーズに対するスタッフ・キャストの思いが詰まった作品である
カエル「ここまでを軽くまとめると……
- おそ松さんという”作品”あるいは”現象”が抱えるものを詰め込んだ作品
- 二次創作も含めた様々な”可能性”を示したキャラクターたち
- 高橋のぞみはファンの象徴でもある
ということになるんだよね?」
主「ここまで出せばわかるじゃない?
作中でも未来の6つ子が過去の6つ子に対して『そのままでいいんだ』というような言葉を残す。それはおそ松さんという作品は、ある種ファンの中でも論争が巻き起こったり、あるいは断絶してしまうような状況も……外野からすると見受けられる部分もあった。スタッフ側もそれに苦慮しているように見受けられる部分もあった。
だけれど、それらも含めて……そのある種の黒歴史とも思える”過去、思い出”すらも内包し、受け入れて、そこの愛を伝える物語として成立している」
カエル「……となると、あの高橋の存在と写真って……」
主「公式からのファンに対する感謝と受け取るべきなんじゃないかな?
最後にみんなで写真を撮けれど、あそこに写っているのはファンであり、ずっとおそ松さんを追い続けてきた女性たち1人1人なんです。
その代表として、キャラクター性も薄く、美人でもブサイクでもない普通の人であり、ずっと6つ子を見守ってきた高橋の存在が大事になってくるんだ」
カエル「……それってすごいことじゃない?」
主「だから何度も語っているけれど、この映画の最終的な評価をするべきは”ずっとおそ松さんを追いかけてきて、1期の熱狂やおそ松さんを取り巻く状況の変化、論争にも付き合ってきたファン”なんだよ。
作劇が微妙とか、作画がどうとかという批判は一切通用しない。娯楽作品としては致命的な欠点を抱えているかもしれないけれど、でもそんなことは関係ないと考えた(かもしれない)スタッフ陣の心意気と、これだけ文化批判などを繰り返したきたおそ松さんがたどり着いたメッセージとしては、ほぼ完璧なものと言えるのではないかな?」
公式ビジュアルとキャッチコピーから見えるもの
それを象徴するのが、以下の公式ビジュアルとキャッチコピーです
すごく考えられたビジュアルだよなぁ
カエル「この『どんな思い出も、ぜんぶ宝物』というのが、この映画のメッセージであると推測する”ギャグアニメとしても、女性向け作品としても愛してくれたファンや論争、黒歴史も含めて全ての肯定をしている”というものなんだね」
主「同時に彼らが上から見下ろしているけれど、これは偉そうに見下しているわけではない。むしろ、その表情や視線からは優しい意味合いが強く感じられる。
自分は見つめられているのは卒業していく人たちのようにも思えてさ……そういう人たちをも眺めながらも『今までありがとう』という意図がこもっているようにも感じられるんだよ。
ちゃんとアニメ好きのおたくっぽいことを言うと、今作って『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』でもあると思うわけ。つまり、永遠に終わらない物語=日常的なギャグアニメというものを逆手にとって、終わるようでもありながらも、でも延々と続くおそ松ワールドを描くというね。
6つ子達の日常はいつまでも続くだろうけれど、もしかしたら作品はここで終わるかもしれないし、ファンは卒業するかもしれない……
それを覚悟して、全ての感謝を述べる。
その思いがこもっている映画だったんだろうな」
カエル「……最後に、劇場内で泣いていた方がいたというのは伝えておくべきことなんだろうね」
まとめ
では、この記事のまとめです
- 作劇や作画などには若干難ありな印象も……
- おそ松さんシリーズらしい文化などの批判にも満ちている作品!
- 最終評価はファンがするべき!? メッセージ性の強さが素晴らしい!
評価不能な作品です
カエル「なお、ネタバレあり以降の考察に関しては個人の見解であり、あくまで公式のものではないというのは言っておきますよー」
主「あくまでもそんな受け取り方もできるよ、というだけの話で。
この映画に関してはファン向けすぎるかもしれないけれど、最終評価はファン以外にはできないような気がしているので……まあ、自分の意見の正誤や気にいるかどうかは別として、おそ松さんに興味がある方は劇場に向かうべきではないでしょうか?」
カエル「……ちなみに男性ファンに対しては?」
主「男はあのギャグ描写で笑ってればいいんじゃない?
最後はおそ松さん……というかギャグアニメらしく笑いで終えてくれたしさ」
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