今回はブログ発の映画である”今日も嫌がらせ弁当”の感想記事になります
……ブログ発の映画って最近増えているよなぁ
カエルくん(以下カエル)
「人気になればそれだけ原作としても売れている作品ということで興行収入も見込めるとか、いろいろな計算もあるんだろうね」
主
「……いつかうちも映画化する日が来たりして」
カエル「……いや、うちはただの映画やアニメなどを中心としたレビューサイトだから、それは難しような気がするんだけれど……」
主「えー、難しいの!?
キャラクターだってカエル、亀、主と3人もいるのに!」
カエル「それだけで映画は成り立たないでしょ?
主要な物語はどうするのさ?」
主「……映画ブロガーたちが集まって映画を撮る、何てどうよ? 普段いろいろとこだわりがあるからこそ、全くまとまらないコメディ映画」
カエル「いや、それうちを下敷きにする必要ないじゃん!
しかも『嫌がらせ弁当』にしろ『光のお父さん』にしろ”実話!”という部分が売りの1つでもあるのに、これじゃ完全にフィクションでしょ?」
主「……なるほど、映画を撮ってリアルにしてしまえばいける気が……」
カエル「じゃあもう自分で映画を作りなさい!
馬鹿な話をしていないで記事のスタートです!」
作品紹介・あらすじ
ブログから書籍化されて人気を博した同名原作エッセイを映画化した作品。八丈島を舞台に、娘の反抗期に悩む母親の奮闘を描く。
監督・脚本は『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』などの映画作品のほか『特命係長只野仁』などのドラマ作品でも活躍する塚本連平が務める。
主演は母親役に篠原涼子、反抗期を迎える娘役に芳根京子、また芳根の姉の役に松井怜奈などを起用し家族ドラマも盛り上げる。他にもシングルファザーの父親役に佐藤隆太や、近所の飲み友達として村上知子が起用されている。
東京・八丈島。母一人で娘2人を育てていた”かおり(篠原涼子)”は上の娘が独り立ちし、下の娘である双葉(芳根京子)との二人暮らしをしていた。高校生に上がる双葉は反抗期真っ盛りであり、会話を交わすことも少なくなっており、コミュニケーションを図ることが難しくなっていた。
そんな娘に対する当てつけも兼ねて高校入学と共にお弁当を可愛らしくデコレーションする、いわゆる”キャラ弁”を作り始める。高校生にもなってキャラ弁を食べさせられうことに対して嫌がる双葉だったが、こちらも食べないのは敗北と考え毎日嫌がりながらも食べる日々が始まる……
感想
では、Twitterの短評からスタートです!
#今日も嫌がらせ弁当
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年6月28日
八丈島PRが強いものの良作娯楽映画
お弁当を使った母娘のコミュニケーションをコミカルに描きお弁当ならではの魅せ方もあり楽しい作品に
全体に1つ筋の通った物語&おきまりの展開がなければもっと称賛できた
しかし篠原涼子と芳根京子、松井玲奈とは美人すぎる家族だなぁ pic.twitter.com/s2szvTJo7N
いろいろと”邦画の悪癖”はありますが、面白く見せようという気概に満ちた良作です!
カエル「今回、うちがこの大激戦週とも言われる6月28日公開作品の中でも、本作を真っ先に鑑賞したのは理由があるんだよね?」
主「まあ、マイナスな理由を話せばこの映画以外の大作を素直に楽しめるとは思わなかったというものがあるけれど……それ以上にうちが注目する映画のジャンルとして”アニメ”と”料理映画”ってものがあるんだ。
最近は少し料理映画に関しては観れていない部分があったけれど、今作は久々に観たいなぁ、と思った。あとは……篠原涼子と芳根京子が特別好きだからってこともあるけれどさ」
カエル「でも映画自体も結構良かったんじゃないかな?
特に原作を知らなくても誰でも楽しめる作品になっているし、八丈島の自然の美しさだったり、料理の見せ方なども工夫されていたし……
こちらも万人に楽しんでもらえる映画となっているんじゃない?」
主「今作の場合はバイオレンスな要素なども皆無だから、それこそファミリー層にも受ける作品となっているし、ふらっと見るには最適な1作でもあるよ。
じゃあ映画としてのパンチはないんじゃないの? と思われるかもしれないけれど、しっかりと最後まで楽しめる配慮がされており、決して悪い作品ではない。
ただなぁ……この週は激戦区だから、それが残念かも。
その意味ではパンチが弱いと言えてしまうかもしれないね」
演出や見せ方の工夫
ある意味では単純な物語を盛り上げていたのが、工夫されていた映像です
まずは、お弁当描写からかなぁ
主「例えば近年いろいろと言われがちな若者向け恋愛映画……通称スイーツ映画だけれど、これはこれで見どころのある作品が多い。
その中でも近年実写邦画でも増えてきたなぁ……と思うのが”アニメーションを用いた演出”だ」
カエル「『3D彼女リアルガール』という作品ではオタクな少年を主人公として描きますが、そのイマジナリーフレンド(空想の友達)であるアニメのキャラクターを、実在の役者さんの隣に描くことで、実写とアニメの融合で魅せるということをしています。
あとは『ちはやふる』シリーズなどでもアニメーションがうまく使われていたね」
主「多くの映画で使われているCGとの融合などは、自分に言わせてもらえばアニメーションとの融合なんだよ。
そして今作でもそれが映像としてうまく使われていた。
つまり”お弁当をアニメーションとして動かす”という手法だ」
カエル「イメージがつきにくい方は『おそ松さん』1期のEDなどをみてください。おでんに書かれたおそ松さんのキャラクターが動き回るというアニメーションであり、アニメ表現の奥深さを感じられます」
主「食材で描かれたキャラクター達、というのは既存のアニメキャラクターたちと何も変わらない。
書かれるのが白い紙やパソコンの画面か、あるいはお弁当箱の中か、という違いだけなんだ。
といううことは、それを動かすことも可能。
そしてお弁当を動かすことで、本作は”お弁当だからできる演出”というものを見せてくれている」
見えないものを可視化すること
映像表現の1つの見どころとして挙がるのが”目に見えないものを可視化する”ということでしょう
今作の場合は2つのアイテムが特徴的で、1つはお弁当、そしてもう1つはふすまなんだ
カエル「例えば時間とか、あるいは人物同士のコミュニケーションの壁とか、そういった目には見えないものをどのように可視化するのか? という問題だね」
主「これがメチャクチャうまくいっている作品が……テレビアニメだけれど『宇宙よりも遠い場所』という作品であり、終盤でパソコンにメールが大量に届くことにより、時間の流れを象徴するシーンがある。
今作でもそれは行われており……それが”お弁当”と”ふすま”である」
カエル「お弁当は今作の場合、家族の内のコミュニケーション手段だよね」
主「そもそも映画や物語における食事シーンというのは『同じ釜の飯を食う』ということで、仲間であることを強調することが多い。特にお弁当という毎日食べる日常的なものであれば、その仲をより強調することができる。
お弁当をコミュニケーション手段として描く一方で、さらにそれぞれの成長を描くのは面白い手法だ。
また、親子間の仲の悪さ、壁があることを物理的に示す描写として部屋のふすまがいい味を出している。
よくある描写といえばそうだけれど、わかりやすく関係性の変化を描いた描写と言えるのではないかな?」
脚本の問題点
では、逆に問題点は?
……いつもの”邦画の悪癖”が出てきてしまっている
カエル「なんでもかんでもセリフで説明してしまい、映像表現である意味がない、というやつだね」
主「例えば冒頭でシングルマザーであることが説明される。お父さんがなくなっていることをセリフで説明するけれど、このシーンは仏壇に備えられた遺影を見せればそれだけで誰でもすぐにわかるんだ。
だけれど、それをわざわざ説明してしまう……これで多くの人に状況を教えようとしているのだろうけれど、それは失敗といわざえるをえない」
カエル「やっぱり、ドラマ出身の監督さんだからかなぁ。テレビドラマの場合は老若男女はもちろん……こんな言い方はあまり良くないけれど、物語を見慣れない人や少し注意力が欠ける人にも伝わるようにみせる必要があるから、かなりオーバーで丁寧な説明過剰になりがちなんだよね」
主「バラエティ番組で大きな字幕で説明したり、笑いを足したり、あるいは文字演出で面白いポイントを強調したりするのもその一環だろう。というのも、テレビの場合はみんながみんな集中している訳ではない。
ご飯を食べながらとか、お風呂上がりに途中からとか、誰かと会話をしながら見るということだって普通にある。
だからこそ、説明が過剰になってしまう面がある。
それを映画にそのまま持ってきても、映画を見るためにお金を払って暗い中で集中している観客には、かなり説明過剰になってしまうのだろう」
カエル「誰にでも届かせようとする上での難しいバランスだね」
主「それと、今作の場合は物語に大きな軸がなかった。
ただの”お弁当を3年間作り続ける”というだけでは、どう考えても物語が弱い。
そこに娘の成長なども入れているけれど、明確な1つの軸が見えてこなかったのが残念だ。
さらにいえば、今作のような”家族の再生を描いた物語”の場合、必ずと言っていいほどのおきまりのパターンがある。
この描き方も誰もが予想できるものだった。
よくいえば王道なんだけれどね。自分にはありきたりに見えてしまった。
もっと別の大きなハードルを作ることができなければ、物語としては凡なるものになりがちだろう。
演出としては工夫も重ねていたけれど……そこいら辺は残念なポイントだったかな」
役者について
では、今作の役者について語りましょう
座組みが最高にいいよね
カエル「お母さん役に篠原涼子、反抗期を迎える下の娘役に芳根京子という座組みは最高だよね。そこに松井怜奈となると、なんて美人すぎるんだ! って現実感は一切ないけれどさ」
主「自分は篠原涼子も芳根京子も大好きなんですが、この2人って演技がうまいタイプではないと思うんですよ」
カエル「えっと……罵倒ではないんだよね?」
主「役者って色々なタイプがいるけれど、七色の演技力を持って全く違う印象の役を演じるタイプの役者さんではない。篠原涼子はいつものように気が強い女性の演技だったし、目新しさは特にない。
だけれど、彼女はその型ができているからそれでいいわけ。
むしろ、それを望まれての起用だったろうし、なんでもできるのが理想かもしれないけれど、篠原涼子の味としてあるからそれはそれでいいの」
カエル「はぁ……で、芳根京子は?」
主「芳根京子も特別好きな女優で、20代そこそこの若手女優の中でもトップクラスに好きなんだけれど、彼女も篠原涼子と同じタイプだと思う。
つまり、今の所はなんでも演じることができるタイプではない。
だけれど、ある瞬間に絶対的に輝くことができる。
それは”自分の力ではどうしようもない、世の中の不条理に反発する時の怒りの演技”だ」
カエル「芳根京子が過去に演じた映画作品の中で、うちが記事であげているのが『わさび』と『累』です。
『わさび』は父親が倒れてしまい、実家の寿司屋が閉店の危機に。芳根京子が演じる女子高生の主人公は継ぎたいけれど、女性は『寿司職人になれない』という偏見の前に迷いを持ってしまいます。
また『累』はうちでも非常に高く評価した作品であり、土屋太鳳とのW主演ではありますが”演技力があるけれど顔が見にくい女性”を演じきり、その目力の強さなどを絶讃しました」
主「芳根京子ってすごく勝気そうでありながらも、どこかに弱さが醸し出されていると思っている。そしてそれが爆発する瞬間、不条理に怒鳴りつける瞬間にゾクゾクするね。
そして、それって篠原涼子も同じだと思うわけよ。
自分はこの2人が親子っていうのはかなり納得する。
それは顔が云々とかそういう問題よりも、演技の系統が似ている気がするからかな」
カエル「はぁ……で、その2人の間に入ることの多かった松井怜奈は?」
主「また2人とは系統が違うよね。すごく柔らかそうだけれど、芯の強さは感じさせる演技。
多分、この家族の中で1番したたかな女性だと思う。
彼女が柔らかく、それでいながら芯のある演技をしていたから家族として成立していたのではないだろうか?」
カエル「そのほかの俳優陣に関しててはどうでしょうか?」
主「佐藤隆太は相変わらずいいね。
シングルファザーの役だけれど、彼の苦しみがわかりつつも基本的には明るいので映画が暗くなりすぎない。そのいい塩梅だったと思う。今作の場合は子役も含めてそこまで違和感もなかったかなぁ……特に中盤の回想シーンの、お姉ちゃん役の子役がSOSを出すシーンは反則だろ! と思ったよ」
カエル「ということはほぼ文句ないのね?」
主「ただし、邦画の場合はかなり文句を言っているんだけれど、料理映画は食べることが大事なのでちゃんと食べてください。
最後の方で頬張るシーンが出てくるのでそこまで目くじらを立てませんが、ご飯の食べ方などは重要な表現です。
せっかくの美味しいご飯ならば、それにがっつくくらいでもいいと思いますよ、自分は」
カエル「まあ、女の子だし食べ方はお上品な方が、ね」
主「特に料理映画は『食べる』ことが大事なので、そこは何度でも繰り返して指摘させていただきます!」
まとめ
では、この記事のまとめです!
- 多くの人の鑑賞を想定されている万人向けの作品
- お弁当の描写なども工夫されている
- ただしドラマの多くを会話で説明してしまう悪癖は健在
- 篠原涼子と芳根京子の親子設定には納得!
これはこれでありなのではないでしょうか?
カエル「大丈夫? 好きな女優が出ているから評価が甘くなっているところとかない?」
主「否定はしないけれど、でもこういう映画も重要よ。特に大作となると作家性を発揮したり、過去のシリーズやテレビドラマなどを見ないといけない作品もあるから、こうした本当の意味で万人向けの作品が求められているのではないかな?」
カエル「というわけで、ブログ発の映画である”今日も嫌がらせ弁当”のレビュー記事でした!」