約1年ぶりに公開したねぇ
あの衝撃の予告編からずっと待っていたもんなぁ
カエルくん(以下カエル)
「果たして今回、アネモネは歌って踊るのか!?
ドミニクとの恋模様はどうなるか! というところも乞うご期待ですねぇ」
主
「自分はアネモネの方が好きだったから、結構期待しているんだけれど……何よりも小清水亜美の快演にも期待したいし」
カエル「テレビシリーズの『バレェメカニック』はエウレカ史上1番の神回だと強く推したいくらいに、アネモネとドミニクが好きな人の感想になります」
主「それでは、早速記事のスタート!
ちなみに今回は、いきなりネタバレありになりますが……まあ、ネタバレしようがないと言えばない映画です!」
カエル「……なんだそれ?」
映画 『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』 本予告60秒
感想
では、まずはTwitterの短評からです
#アネモネ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年11月10日
理解不能、説明する気もなし、キャラも改変ばかり
でも、なんかすごいと勘が告げている
3章次第ではエウレカセブンというシリーズの評価を根底から覆す可能性の予感を見せつけられた
もしかしたら…エヴァを超えるかも?
評価不能です pic.twitter.com/i2Fw8gwXgf
いや、本当に理解が出来ない作品なんよねぇ
カエル「その理解が出来ないというのは、やっぱり駄作という意味なの?」
主「いや、それは間違いなく違う。というのも、理解と作品の質というのは、実は違うところにある。
簡単にいえば
- 理解が出来やすい傑作(娯楽要素の強い傑作など)
- 理解が難しい傑作(文芸的な作品)
- 理解が出来やすい駄作(娯楽的な駄作など)
- 理解が難しい駄作(文芸作品の駄作など)
の大きく分けて4種類ある。
で、本作は理解が難しい傑作に該当する可能性が高い」
カエル「ふむ……なんかややこしいのね」
主「ややこしいのよぉ……
しかも、その理解が難しいというのも色々あるけれど、本作は独特の構造をしていて、しかもファン向け作品でもある。あるんだけれど、この構造でこれだけの力がある作品もそうそうなくて……」
カエル「もっとわかりやすくさ、鑑賞後の印象として近い作品てなに?」
主「やっぱりEVAに近いのかなぁ。
しかも、テレビシリーズ26話終わった後。あとは……これは賛否分かれるけれど、新劇場版のQを見終わった後にも近い」
カエル「おお、褒めているのかそうじゃないのか、全くわからなくなってきた!」
エウレカセブンとは何か?
なんでそんなにわからなくなるの?
……本作ってさ”エウレカセブンとは何か?”ということについて考えなければいけないんだ
カエル「なにそれ? レントンとエウレカが出てくればそれがエウレカセブンなんじゃないの?」
主「それも1つの回答だよね。
これはものすごく当たり前のことを語るけれど、エウレカセブンシリーズって色々な派生した作品があって、テレビアニメを皮切りに、漫画版、劇場版、AOなどもあるわけだよね。
さらにいえば基本はテレビシリーズを基になっているから除外してもいいけれど、パチンコやらゲームやらがあるわけだ」
カエル「人気作品だから、それぞれの媒体で色々な作品が生まれているよね」
主「で、これもまた当たり前だけれど、それぞれで違う物語が生まれているわけ。
劇場版なんて結構叩かれているけれど、あのテレビシリーズの終わり方からしたら、ああいう作品になるのはある程度仕方ないのかな、とは思うけれどさ。
そして、今回はそれを作品の構造にブッ込んできたのよ」
カエル「はぁ……?」
主「つまり、色々な時間軸の物語がある中、エウレカセブン全てを統合しようとしているの、本作は」
カエル「え? ちょっと待って、今作ってテレビアニメの続編とか、再構成じゃないの?」
主「そう思っていたよ、自分も。
だけれど違うの。
本作はエウレカセブンシリーズ全てを再構築しているの!」
本質を掴み取る必要性
……あれ、なんか色々とごちゃごちゃしてきた。前回のハイレボの続編じゃないの?
ある意味ではそうとも言えるし、そうじゃないとも言える。
主「つまり、バラバラになってしまった全てのエウレカという存在、そしてレントン、アネモネ、その他全てのエウレカセブンを統合するんだよ。
じゃあ、ここで大きな問題となってくるのが、そもそも”エウレカセブンってなに?”って問題なわけ」
カエル「あ、話が戻ってきた」
主「これがまあ語るのがきつくてさ……というのも、自分はテレビシリーズ1期と劇場版は完走、AOは6話くらいで脱落、漫画もパチンコも知らないんですよ。
そんな人間が”エウレカセブンとは何か?”という問題にたどり着き、さらにレントンとは、エウレカとか、アネモネとは何者なのか? という疑問の答えを探している。
今作は映画から観客に問われているんだよ。
それに回答しないと、おそらく考察すらさせてくれないような構造に思えて仕方ない」
カエル「ぐるぐる迷い込んでいるねぇ」
主「そりゃ迷い込みますよ。
それで自分の仮説としては、恒例の『エウレカなんていなかったんだ……』という押井理論を適用したいけれど、それが出来ないのは自明なので、必死に考えた、
その結果たどり着いた結論は……今作は”レントンと呼ばれる少年”が”エウレカと呼ばれる少女”を探しにいき、”アネモネと呼ばれる少女”がそのアシストをする、という構図にたどり着いた」
カエル「あー、いい感じで行き詰まってる!」
エウレカを探す冒険
時間の横軸、空間の縦軸
ここで参考になる評論を見つけたので紹介します
公式サイトに載っているコラムで、アニメ評論家の藤津亮太の評論があるんだ
主「ここで藤津さんはハイエボ1を『時間軸を前後しながらレントンの物語を語るという構図で、即ち”水平移動の映画”だった』と述べています。
そのあとも藤津さんの評論は続きますが、ここは自分も同じ意見であり、ハイレボ1はテレビシリーズのレントンを回想する物語が中心となっており、そこからリアルタイムで10年以上過ぎた時間を表現してきたとも言える。
では、今回のハイレボ2は? というと、自分はここまで語ってきているように”作品間の次元の壁を突き抜ける”という形で縦軸の物語になっていると考えているんだ」
カエル「……もっとわかりやすく!」
主「ここまでバラバラに構成されてしまったエウレカセブンという物語であったり、エウレカという少女を”探しに行く”というのが本作の構図なわけ。
じゃあ、エウレカって誰なのよ? なんなのよってことをメタ的に考える必要がある。
つまりそのエウレカという存在を規定し、捉える必要があるわけだよね。
まずレントンはエウレカと辿った”時間”を遡って彼女を探す。
そしてアネモネはある種の次元の壁を超えて、昔のテレビサイズと、今の映画の画面を超えてエウレカという存在を知っていく。
その先で見つけたエウレカは、テレビシリーズ1期の存在でもあり、さらに劇場版、漫画、AO、その他多くの媒体の影響を受けたエウレカだったわけだ。
つまりね、レントンが辿る『時間を巡る冒険』の横軸と、アネモネが辿る『媒体や次元を超えた冒険』の縦軸が交差するポイントにいる、エウレカという少女を追い求める物語になっているわけ!」
カエル「……今回、どれだけの人がついて行っているんだろう……」
メタ的でもあり、特殊な構造な物語
えっと……ものすごく単純に聞くけれど、そんなことを探求したアニメ作品は他にあるの?
多分、EVAくらいじゃないかなぁ
カエル「作品構造の壁を超えてしまうんだもんね」
主「まあ、一部では『作者がラスボスだ!』という作品もあるし、劇場の外にいる観客を意識するメタ的な作品もあるけれど、それとはそもそも次元が違うしねぇ。
EVAはテレビシリーズの最終話で、有名な絵コンテを写すシーンや学園ラブコメ風のシンジくんたちが出てくるけれど、あれに近い印象。つまり、そうなる可能性もあったけれど、それをEVAは選ばなかったという話だよね」
カエル「話をエウレカに戻しましょう」
主「そうなってくると、今度はニルバーシュってなんだ? って話にもなってくるわけだ。
もちろんエウレカとレントンをつなぐ存在であり、あの世界では特別なLFOであるといこともあるけれど、かなり謎に包まれている部分もある。時には暴走することもあるけれど、2人を守ってくれる存在でもあり、とても複雑だ」
カエル「今回もちょっとよくわからない感じで登場したよね」
主「……おそらく、これは想像だけれど全てのエウレカセブンという物語をつなぐことが出来る、唯一の存在なんじゃないかな?
全ての時間と次元の壁という空間を超越し、エウレカとレントンのために行動することが出来るのが、ニルバーシュだろう」
アネモネの存在について
じゃあ、今度はアネモネだけれど、かなりテレビシリーズとは印象が違うよね
途中テレビシリーズのカットが挟まれるたびに、顔が全然違うから笑ってしまったな
カエル「では、今作におけるアネモネの役割って一体なんなの?」
主「まあ、一言で語るとレントン以外でエウレカを救いうる存在、つまり友達だよね。
エウレカセブンの物語の中で、エウレカとアネモネはライバル関係でもあり、ある種の対になる存在として描かれていた。
誰もが存在を見失ってしまい、レントンを求めても見つからないエウレカの悲劇に寄り添い、エウレカを再定義してくれる存在ってアネモネしかいないんだよ」
カエル「……はぁ?」
主「メタの話になるけれど、本作で『あの現象ってなんだ!?』という研究者達の叫びというのは、エウレカセブンという物語、そしてエウレカという存在を見失ってしまったスタッフやファンだということも出来る。
それを探すのがアネモネの役割なんだけれど、ここで重要なのはお父さんの存在だ」
カエル「アネモネの父親問題って結構重い話だよねぇ」
主「これは自分の解釈になるけれど……というか、この記事は自分の解釈しかないけれど、アネモネとデューイの関係って一種の父娘関係だと思うわけですよ。
もちろん、実の父親ではないけれど、誰にも求められなかったからこそ、自分を必要としてくれた父親代わりの男に強く惹かれて、ある種の依存関係に至った。
そこを自分を本当に愛してくれるドミニクを見つけて、父親代わりの男から脱却し、新たな男と結ばれる道を選んだ愛の女という描き方をしたのが1期のテレビシリーズ」
カエル「ふむふむ……今作も母親がいないというのもあるけれど、ちょっとブラコンチックな部分もあったよね」
主「ただし、今回はアネモネは依存関係に陥っていないんだよね。
父親とも交流を重ねることができて満足しているし、ドミニクにも依存していない。だからこそ、一人の独立する女としてエウレカに接し、その友達として彼女を救い出す。
自分はエウレカよりもアネモネの方が昔から好きだし、なんなら病みヒロイン時代も好きだけれど、今回は……まあ、こういってはなんだけれどちょっと物足りないくらいに彼女は活発で満たされている。
それはなぜならば、本作においての彼女は男に依存するヒロインではなく、エウレカを救い出すから。
この違いはものすごく大きいものだよね」
3章に望むもの
えっと、最後に3章に何を望むの?
正直、どうすればいいのか想像もできない
主「もう自分が手を出すというか、ウンタラと語る次元は遥かに超えちゃっている。
いつも語るけれど、自分は商業的でエンタメな作品が大好きなんだけレド、でも本作はすでにエウレカセブンというシリーズに関する純文学的な作品になってしまっている。
はっきり言えば、もう3章は崩壊する姿しか見えない。
これがうまくいくはずがないという思いもある。どんなにうまくいってもEVAになるんじゃないか、というね。
でももしかしたら……この2章を見終えた今の期待値は、もしかしたら本当に革命を、ハイエボリューションを成し遂げてくれるような気もしてならない」
カエル「僕も何をどう語ればいいのか、全くわからない状況ですよ……」
主「はっきり言えばこの記事だって、書きながら考えている部分もあるし、自分がどこまで理解できているかも怪しいよ。
でも、自分の勘が告げているんだよ……
本作は間違いなく、自分が理解できないだけでとんでもない作品だと。
それは傑作とかそういう次元ではなく、もっと大きな括りで考えるべきだってね」
カエル「評価不能な作品です」
まとめ
では、この記事のまとめです!
- 理解できないけれどすごい作品!? ……だと思う!
- それまでのエウレカセブンシリーズ全てを内包しようとする意欲作!
- 何もかもが規格外すぎて、判定不能です……
これは噛めば噛むほど深く味わえる作品ですよ
カエル「う〜ん……どこまで伝わっているのか気になるなぁ……」
主「全く伝わってなくても仕方ないよ。そもそも、これだって独自解釈だし……というか解釈の幅が広すぎるし。
でも本当にとてつもない作品だから……エウレカセブンを好きだって人はとりあえず観てから判断してほしいな。
まあ、絶対に万人向けではないですが!」
カエル「次の公開は……また1年後かなぁ。
その時にはもっと楽しめているといいね」