今回は2011年に放送された『輪るピングドラム』の劇場版である、『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM 前編 君の列車は生存戦略』の感想記事になります!
前編だけということもあって、短い記事になりますね
カエルくん(以下カエル)
こちらも根強いファンの多い、アニメ界の奇才と呼んでもいいでしょう、幾原邦彦監督作品となっています!
主
クラウドファンディングもあって、そこも応募しようと思ったけれど、お手軽なコースが瞬殺だったんだよなぁ〜
カエル「それだけファンの多い監督ってことだよね。
ちなみに今回は前編だけということで、テレビシリーズは放映済みですが、そちらも含めて後半のネタバレはしないように気をつけます。
なので物語の核心に関わることなどはあまりいえず、少し短めの感想となりますが、ご了承ください」
主「それでは、久々のピンドラの感想記事をスタートさせよう!」
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#劇場版ピンドラ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2022年4月29日
久々のピンドラ〜!
まだ前半なため語れることも少ないが謎が謎を呼ぶ独特な作りは今見ても癖になる〜!
アニメ表現でなければできないイクニ&武内演出の宝庫でジャンル分けができない面白さに包まれる!
総合評価は後半次第ですがテレビシリーズファンにはたまらない作品でした pic.twitter.com/OM0Dc5IvVG
久々にピンドラが楽しめて良かった〜!
カエル「熱心なファンも多い作品だけに、久々に鑑賞することができて良かったね。
また2時間強の上映時間ということもあって、元々12話くらい(約5時間ほど)がぎゅっと詰まった形にはなったけれど、でもそこまでダイジェスト感もなかったね」
主「当然ながら、ファン向けの作品ということは否定できない。
ここから初見さんが入ってもいいけれど、かなり独特な作品だから……もしかしたら理解できずに、面食らうかもしれない。それでも楽しめるものは大いにあるのではないか、とは思うけれどね。
だけれど、往年のピンドラファン、あるいはイクニ監督ファンであれば、兎にも角にも楽しめることができる作品に仕上がっているのではないかな」
アニメでしかできないことを追求するイクニ作品
アニメ表現そのものが独特だし、まさに”アニメでしかできないこと”を追求している監督の1人でもあるよね
最近、この路線の抽象的なアニメ表現って、少し珍しくなりつつあるかも……
カエル「近年のアニメ作品はリアル路線が多くて、実写と見間違えるような映像美だったり、あるいはCG、撮影を駆使した迫力のあるアクションなどを披露する作品が増えています。
一方で、イクニ作品というのはそういった路線とは違くて……アニメだからこそできる表現を目指しているような感覚を味わえるよね」
主「それこそモブがピクトグラムで表現されているのも、独特だよね。
そこにも読み取ろうとすると、批評性が隠れているという指摘も多々あって……個人としての意思が希薄だったり、あるいは個性をあまり持たない一般大衆の存在を、ピクトグラムで表現しているのでは? という意見があったりする。
このような形でモブを表現できるのは、アニメだからこそできる表現ということだ」
ピクドグラムの一例。今作ではモブがこのように表現されることも
その意味では、今作では副監督についている武内宣之も、アニメでしかできないことを追求するタイプの監督と言えるよね
『少女革命ウテナ』では作画監督を務めるなど、昔からイクニ監督作品の常連だな
カエル「イクニ監督作品であったり、あるいはアニメスタジオのシャフトが制作する作品に多く参加するなど、独特なアニメ表現を模索している印象が強いね」
主「その意味では、今作は総集編を基本としており、オリジナルパートがそこまで多いわけではないように見受けられたけれど、オリジナルパートではイクニ監督はもちろん、武内宣之の仕事も光ったのではないだろうか。
とにかく、”アニメでないと見れない表現”を追求したい! という人には、見ておいて損がない作品と言える」
個人的に感じたこと
それで、今作を映画として考えた場合、どのようなことを感じたの?
大きく分けて気になったのは以下の2点だた
カエル「やっぱり、すでに10年以上前に完結している作品を、なぜ今の時代に行うのか? という部分がとても気になるよね。
作品そのものもヒットしているし、クラウドファンディングの結果を見ても根強いファンがいるのはとてもよくわかるけれど、でも作品そのもは歴史的な大ヒット! という作品ではないし……」
主「この10年の間にもイクニ監督は『ユリ熊嵐』や『さらざんまい』も手がけており、一定の評価を獲得している。
その中で、なぜ新作ではなく、ピンドラを手掛けようと思ったのか……それがまだ作品を見る限りでは、見えてこないのが気になったかな」
カエル「多分”輪る”というのがキーワードで、循環するとかの意味合いがあるのだろうけれど……
特にピンドラはネタバレしないように濁して語りますが、ある事件をモチーフにしているために、2011年という時期に放映したことが、とても意義がある作品だったんですよね……」
主「多分、どのような意図があったのかはわからないけれど、少なくとも意図が見つけられるように作るはずだ! という思いもあるので、それは後々にわかるのかもしれないな」
次にあげるのがテレビシリーズとは異なる、映画という媒体ということですが……
やっぱり、どうしてもスケールやノリはテレビシリーズと一緒になっているよね
カエル「この場合は”テレビシリーズは下、映画は上”などという単純な話ではない、ということは、先に説明しておきます。
毎週ある程度区切りがありながら、見ることを前提としているテレビアニメと、一気に2時間駆け抜ける映画では、そもそも作りが違うよ、という意味です」
主「今回は総集編映画にありがちなダイジェスト感は少なく、丁寧に作られていることはよく伝わってきた。
一方で、テンポ感などは、やはり映画というよりはテレビシリーズに近い。
自分なんかはテレビシリーズの頃から好きだし、大音量であの音楽や、独特のアニメ表現を見ることができるので楽しめるけれど……果たして”映画”として評価することが可能なのか、その評価に困るというのが本音かな。
だけれど、ここも前編だけで結論を出すことはできないので、今後にどのような形になるか、しっかりと見極めていきたい」
個人的ピンドラ論
ではでは、ネタバレがあまりない範囲でピンドラ論を少しだけ展開していきましょうか
これはいつも語るけれど、イクニ監督作品って、いつも行うテーマは同じに感じられるんだよね
主「つまり”無償の愛とその代償”というのがテーマ。
ウテナ、ピンドラ、ユリ熊嵐などは明確にそういった話になっているわけだ。
で。ピンドラというのは暗喩に次ぐ暗喩を重ねることで、物語が成立している。だからこそ解釈は多様だし、同時に難解な作品となっている。
様々な作品や事件、さらには聖書などを参照する人もいて……もう、何が正解かははっきりとはわからない。まあ、それでいいのだろうけれどね」
カエル「ふむふむ……」
主「その中で自分は”これは2011年だからこそできる表現であって、今の時代では問題があるかもしれない”という思いがどこかにある。
現代って自己犠牲の美学が否定される時代になってきているだろう。
誰かのために……というのは美しいが、そのために犠牲になるのはよろしくない。
それこそ……他者が搾取するという構図に近しいものや思いが出てくるからね。
その意味では、10年前には通用したピンドラのテーマ、あるいは美学というのが現代では通用するのか……
もちろん、その解釈は多様だけれど、自分が当時感じた”正解”は、現代の自分の価値観でも”正解”たりうるのだろうか、ということがとても楽しみになっている。
後編はそこにも注目していきたいね」
最後に
ちなみに、後編に関しては7月22日、学生さんは夏休みに入った頃に公開です!
今回もそうだけれど、根強いファンがいることを見越して、強力な作品がやってくるあたりで強気に勝負しているなぁ
カエル「果たして次回はどのような展開になるのか、楽しみにしていきましょう!」