金曜ロードショーでも多く公開されている、細田守監督の『バケモノの子』に触れて、細田守については一通り語ったことになるね
アニメ映画だけでもデジモンやワンピースもあるけれど、とりあえずここいらで終えるとしようか
カエルくん(以下カエル)
「でもさ、やっぱり、細田守は夏のイメージが強い監督だよねぇ」
主
「もう細田作品=夏、というイメージまで出来上がっているよ」
カエル「動物もたくさん出てくるし、僕たちもアニメ化するなら細田守監督にお願いしたいなぁ。
カエルくんが冒険をする活劇もいいし、可愛い女の子と知り合う恋愛ものでも……」
主「そんな映画、誰が見にいくんだ?
まあ、いいや、馬鹿話はこれくらいにして、感想記事を始めるよ」
1 細田守監督について
今だったら人気No,1と言ってもいいんじゃない?」
そうだな。オタク層やアニメに興味がある人だけではなくて、一般の観客や子供達にも人気だからな。
カエル「テレビで特集されるアニメ監督が、今何人いるかって話だよね。細田監督がでえきた2000年代の後半って、ジブリの後継者問題や宮崎駿監督の高齢化などで、次の世代の象徴的なアニメ監督を欲していた頃でもあったのかなぁ」
主「原恵一監督であったり、あとは日本のアニメーターでは日本でもトップクラスの実力を持つ沖浦啓之などもオリジナル監督作品を作ったけれど、2017年の現在で語るならば、結果として大成功したのは細田守だけになるのかもね。
新海誠も片渕須直も、まだ1作が大ヒットしただけだし……あの右肩上がりの興行収入を記録していったのは細田守だけ。今のアニメ映画界の中心にいるのは細田守でしょう。
個人的には橋本カツヨ名義の『少女革命ウテナ』とかの絵コンテだったり、『サムライチャンプルー』のOPの方が馴染みがあるけれどね。
特にウテナの33話なんてのは、伝説だから」
カエル「昔から才能ある演出家だったもんね。ノンクレジットだから真偽がよく分からないところもあるけれど『るろうに剣心 追憶編』の4幕Bパートを絵コンテを書いていたっていうのが本当だったらトンデモナイ才能だよ。あれはアニメ界に輝くひとつの完成系って言っていい作品だし」
主「演出能力だったり、絵の素晴らしさに関してはあまり文句がないと思う。それは過去の実績含めて、やっぱり飛び抜けている」
多くの人に大絶賛されている名作アニメ
細田守作品の特徴
カエル「演出能力は『は』ってことだけれど……欠点もまた、この特集で何度も語ってきたよね」
主「……なんというかさ、細田守もまた語りにくい監督なんだよ。
世間評価が高いけれど、個人的には過去の細田監督が演出や絵コンテで関わった作品も好きで……もちろん注目してみていたわけでもないけれど、後々振り返ってみれば特別好きな話が実は細田監督が仕事をしていた回だった、なんてことはザラにある。
そういう人間からすると、ここまでの評価は当然のものと思いながらも、若干物足りなく感じる部分もあるんだよね」
カエル「あれだけのクオリティなのに?」
主「やっぱり演出出身だけあって、絵の美しさだったり、魅せ方、構図、後は有名な影無し技法とか、そういう『動き』の部分に関してはすごく感心する。アニメは絵だっていうのは個人的にも納得する話だから、それで正解だと思う。
でもさ、やっぱり脚本で色々と語りたいタイプの人間からすると、違和感は大きいよね。
その絵に対して脚本が大味だから」
カエル「よく言われていることだけれどね」
主「基本的に魅せたいテーマに沿った脚本は書いているよ。『時をかける少女』でいえば、あれは原作もSFだけど、表現したかったのは青春ドラマなわけだ。だから青春ドラマとしては最高なのは認めるけれど、その代りにSFとしては突っ込んだらキリがなさすぎる。
わかりやすいところだとタイムリープで残り回数が0になって、他の人がタイムリープしたから元に戻るとかさ、それじゃ2人いれば無限に使えるんじゃない? とか。
そういう細かい部分の粗はどの作品にも共通しているから、語りにくい部分もある」
2 バケモノの子の感想
脚本の適当さというのは、バケモノの子でも同じなの?
同じというか、より悪化しているよ
主「もうさ、結論から言うと個人的に……あくまでも個人的にだけど過去最悪の脚本崩壊をしていると思う。テーマすらわからなくなってきた。
それでも絵がいいから誤魔化しが効いているけれど、それでもカバーしきれていない」
カエル「辛辣だね……」
主「ただ、誤解がないように言っておくけれども、普段アニメに興味がない人が鑑賞する上において、アニメにおいて脚本の整合性ってのはそこまで問われないんだよ、実は。
宮崎駿は脚本構成とか整合性に関しては結構破茶滅茶なんだけど、多分そこを気にしている人は少ないと思う。千と千尋の神隠しは脚本構成は失敗していると思うけれど、名作であることは変わらない。それは自分もそう思う。
その意味でも宮崎駿の後継者なのかもね」
脚本構成について
カエル「でもさ、そこまで悪かったように思えないんだよね。特にスタートとかはワクワクしたし」
主「スタートから途中までは悪くない。
あの世界に迷い込んで、熊徹に会って修行するっところは良いんだよ。オマージュもあるし。問題は九太が大人になった後でさ、そこからはどうしようもないんだよ」
カエル「やっぱり渋谷に帰っちゃったことがねぇ」
主「まず、千と千尋もそうだけど異世界に迷い込んだ作品というのは、帰ることが最大の目的になるんだよ。不思議の国のアリスもそうか。異世界に迷い込むって意味は何なんだ? ってことだよね。
そこで帰れるなら初めから帰ればいい。
熊徹に入れ込んだっていうならば、もうこの時点で主人公から『目的』がなくなってしまう。
大きな目的がないからこそ、後半の迷走につながったと思う」
カエル「そこから先は賛否両論の雨あられだよね」
主「もうさ、見ていられなかった。厳粛な試合がプロレスだったりさ……いや、プロレスは大好きだよ? だけど、プロレスでも審判が起きていればカウントを続けるもんだよ。
明らかに10カウント以上ダウンしているのに、立ち上がって大逆転なんてとてもじゃないけれど、この作品は個人的に擁護のしようがない」
キャラクターについて
キャラクターについては? 結構アニメでは大事な要素じゃない
九太と熊徹は良かったよ。でも楓はいらなかったね。」
主「突然入る恋愛描写ってのは、大型映画では入れなければいけないもので、あの熊徹じゃ恋愛描写は描けそうにないから(描いてもコメディになる)楓を用意したってのはわかるけれどさ……
広瀬すずはまあまあ上手かったけれど、それ以前の問題。キャラクターとして必要ない」
カエル「そうねぇ……そこは難しいよねぇ」
主「なんだろう、細田守て女性が書けないのかな? と思ったよ。まあ、アニメにおける美少女の描き方って難しくて、ジェンダー論の視点からは賛否が分かれる監督でもあるけれどね。
紺野真琴がバカな子のように描いたことや、花の描き方に賛否があるのは……まあ、わからないでもない」
カエル「でも、なんで今作の楓はこうなっちゃったんだろうね?」
主「単純にもう『細田守』の名前が大きくなりすぎたんだろうね。
多分、細田監督っていい人なんだよ。誰も損をしないように頑張ろうっていうタイプで、色々な人の意見を聞いて、要素を取り入れちゃうタイプ。だから芸能人声優も使うし、恋愛もいれるし、アニメらしくバケモノも取り入れた。
だけど、だからこそ無理が生じちゃったんだろうね。大きくなればなるほど、口出す人は多いだろうし。
憶測だけど『時をかける少女』の時は殆ど口を出されなかったんじゃないかな?」
カエル「でも大きい看板を背負った人といえば宮崎駿がいるじゃん」
主「宮崎駿だったり、高畑勲が人の話をウンウンと聞くと思う? あとは鈴木敏夫の功績も大きいだろうね。そういった……このブログもそうだけど『雑音』を入れずに、宮崎駿の作家性を大事にしていたからこそ、成立したのが宮崎駿作品じゃないかな。
その意味では細田守の作家性を守る盾になる人って誰かいるのかな?」
カエル「表立っては聞かないよね」
楓の魅力や必要性が伝わり辛いのが1番の欠点なのかなぁ……
声優について
カエル「今回も豪華芸能人声優だったね」
主「別に芸能人声優が悪いとは思ってないから、それはいいんだけどね。たださ、やめて欲しいのは本職の声優、しかもビックネームと絡ませないでほしんだよ」
カエル「声の作り方とか、全然違うから?」
主「そう。宮野真守とか山口勝平が演技をすると、逆に浮くんだよ。しかも、今作は自然な演技を求められているわけじゃなくて、バケモノを演じるアニメ作品という、如何にもアニメらしい作品だからアニメっぽい演技をする。そうなると浮くんだよね、本職の声優陣が」
カエル「『時をかける少女』では殆ど芸能人声優だけど、名作とされているし」
主「そう。『サマーウォーズ』はあまり気にならなかったかな……『おおかみこどもの雨と雪』は林原めぐみが急に入ってきて、違和感があった。
なんて言うかさ……下手というほどではないんだけど、オペラ歌手とロックバンドの歌手を同じ舞台に立たせないじゃない? 当たり前だけど、どっちかが浮くよ。同じ歌でも表現する方法などが全然違うんだから」
演出について
カエル「でも、やっぱり演出は抜群にいいよね」
主「そうね。同じ場面をカメラの移動だけで二人の変化を見せたり、見せられないシーンは音だけで表現したり……スタートのあの世界に入り込むシーンのめり込んだし。渋谷の街も綺麗だったし、演出や絵についてはどうだろう、満点に近いんじゃない?」
カエル「だから賛否が分かれていると」
3 本作が描きたかったことの考察
では、今回細田守特集をする上で1番語りたかったのがこの部分だということだけれど……
まあ、いつものように個人的な考察ですよ
主「自分が参考にする評論家や研究家の1人が氷川竜介なんだけれど、メルクという雑誌でバケモノの子についてバカ話として『本作に出てくる賢人は有名アニメ監督みたいだ』と語っている。
氷川竜介は技術論を中心に語っていて、監督のバックボーンや作品のメッセージ性の裏に込められていることを考察すること……まあ、一言で語ると邪推はしないんだよね。だからバカ話として語っているけれど……自分はここが1番気になった」
カエル「まあ、考察というか邪推するのがうちの特徴ですからね」
主「じゃあ、本作に出てくる熊徹って誰なのか? と言うと、これはもちろん宮崎駿なんだよね。実力は高くて、誰も教えることができない……それは今のジブリの現状を見ればわかるよね。
本作はなんでもない少年……九太=細田守であって、熊徹が=宮崎駿だということもできる。
そこから、アニメ業界に入って宮崎駿に育てられた男ということもできるんだよね」
カエル「じゃあ、楓との出会いって……」
主「多分、サマーウォーズで言う所の親戚であり、やはり信頼できるスタッフだと語ることもできる。
自分は新しい道を見つけたし、ジブリという渋天街ではなくて、現実の渋谷という街で戦うことを……表現していくことを選んだ細田守の物語ということもできる」
実際の渋谷の街と似たように作られている街並みは面白みもある
ケモノの国とCG
カエル「もう1つ語って置きたい視点が、このケモノの国とCGということだけれど、細田守作品は『デジモン』をはじめとして、動物を描くことがとても多いよね。
そこを揶揄して、ケモナーだという人もいるけれど……」
主「そういう性癖があるかもしれないけれど、でも、元々アニメーションってメタモルフォーゼは重要な意味を持つ。ディズニーもそうだけれど、動物を描くことが、アニメーションの技術の高さを示す、1つの基準になっているところもある。
他にも意味はあって……例えば『おおかみこども』は狼と人間の間を行き来するけれど、それは子供の持つ野獣性、自然性と、人間性という両面を表現しているということもできる」
カエル「ディスニーは初期からずっと擬人化された動物を主人公とすることや、動物の作画に力を入れることで高い実力を示し続けて着たわけだしねぇ」
主「つまり、旧世代の手書きアニメーションの最高の技術=メタモルフォーゼ(変態)であり、動物を描くことである、という考え方もある。
それで見ると、本作はやはり最高の技術を持って作られている作品なんだよ」
新たなるアニメーションの模索
カエル「そして、ここからは新たなるアニメを作りたい、という細田監督の意気込みが見える、という話だけれど……」
主「つまりさ、渋天街っていうのは、宮崎駿や過去の天才アニメーター、アニメ監督が作り上げた、旧来のアニメの街とも言える。
だからこそ、人々はアニメーションの最高の技術である獣人であり、メタモルフォーゼを果たしていて、賢人たちは有名アニメ監督をモチーフとしているわけだ。
そして物語に登場する渋谷の街というのは、その技術が衰退していく現代の日本アニメ界ということもできるわけだ」
カエル「ふむふむ……」
主「今回、ラスボスのような立ち位置にいるクジラは、CGでとても美しく描かれている。これは新しい技術であるとも言える。
つまり、本作は『細田守=九太は宮崎駿=熊徹などの賢人がいるアニメで育ち、そこで腕を磨いたが、そのアニメと決別し、新たなる技術や人生=楓やCG表現を模索する』という決意表明でもある」
カエル「う〜ん……まあ、穿った見方だけれど、そうも言えるのかな?」
主「ここ最近、特に『未来のミライ』と本作に関しては、細田守は『ポスト宮崎駿論争』と近年のアニメ界に対して、かなり意見を発しているように見えるんだよ。
おそらく、この人の脚本は物語の整合性に興味はなくて、その奥にあるメッセージ生にしか興味がある。そう考えると、この映画も納得するね」
もう一方の見方
でもさ、それで語ると熊徹の描き方がかなり粗暴すぎるような……
ここで2つ目の見方が出てきて、この作品はもちろん『父と子』の物語でもあるんだよね
主「前作の『おおかみこどもの雨と雪』の製作後、細田守には息子が生まれて、父親になっている。もちろん、この作品では立派な父親である。
その父親像としての迷いも見て取れるよね。
熊徹ってのは宮崎駿でもあり、細田守でもあるんだよ。父親になって子供を育てる細田守ってね」
カエル「その2つが複雑に交差しているんだね……」
主「やっぱり父親としてこの子を立派に育てているのだろうか? という思いはあると思うんだよ。特にライバルの猪王山は熊徹の対比になるように造形されているけれど、やはりあれは誰もが思う理想の父親像でもあり、師匠像でもある。
子供は知らないうちに友達を作り、そして成長した九太は熊徹の下から飛び出して、友人を父の教えに従って救い、最後には新しい世界で暮らす……これは父と息子の物語では王道の終わり方でもある。
楓というのは、それこそお嫁さんなんだよね。誤用されてがちな妻という意味でのお嫁さんではなくて、息子の配偶者としてのお嫁さん。
育てた子供がいつかは自分の元を去っていき、新しい世界へ出向いて外の世界を生きる姿を追った作品として見れば、確かに祈りにも満ちている」
炎から始まる導入もとても印象的で、絵の力はとてもクオリティが高く惹かれていく
結局のところ
カエル「ふむふむ……でもさ、それは失敗した、と言ってしまうわけだよね?」
主「少なくとも自分は成功したとは言い難い。
やはりこの2つの視点がごちゃごちゃしすぎているのはあるよね。先ほども語ったように色々な人が口を出してきたり、細田守自身の中の迷いもあって、この作品は複合的な見方ができるようにもなっているけれど、その分話が迷走しているところもある。
だからこそ賛否が割れてしまう作品に仕上がっているところはあるのだろう」
カエル「公開直後は大批判をしていたけれど、今となってはどんな気分?」
主「う〜ん……でもさ、不細工な映画にはなっているかもしれないけれど、それが却って父親としての迷いだったり、子育ての大変さを表しているようにも思えるんだよね。
師匠と弟子も、そして創作もそうだけれど、子育てにも正解はない。甘やかしかても伸びる子は伸びるだろうし、厳しくしてもグレる子はいる。
その、子育ての映画としてみたら見所のある作品に仕上がっていると……言えなくはないのかな?」
最後に
細田守は今後宮崎駿みたいになるのかな?
……どうだろうね。あそこまでの大成功は難しいかもしれないけれど……
主「というかあのレベルの成功を収める人が実写含めて今後現れるかわからないけれど、ある程度の知名度も獲得したし、この作品も不幸になった人はいないと思う。興行収入も良かったから次回作を撮れるだろうし。
でも個人的には細田守一強時代にはなってほしくない」
カエル「というと?」
主「今の時代はさ、負けていない監督もいるわけじゃん。
それこそ原恵一とか、新海誠とかさ。湯浅政明、長井龍雪、吉浦康裕とか。水島努はオリジナルで映画は作らないのかな? そういった監督もいる中で、細田守がダントツのNo,1ということはできないと思う」
カエル「でも湯浅政明監督とかは、一般受けしないでしょ。現にルーも評価はされたけれど大ヒットはしていないし。」
主「そうかもしれないけれど、でもこれだけアニメ映画が多様性がある時代って実は無かったのかもしれない。一時代を築いた人が引退か、もしくは制作できない状況下で切磋琢磨している。
自分は中国が伸びてきたり、日本のアニメ業界も明るい部分は少なくて、暗いことが叫ばれているけれど……でもこの群雄割拠こそが、最も多様性と競争原理を産んでアニメ映画業界を盛り上げると信じている。
だから、細田守はトップではあっても一強にはなってほしくないね」
カエル「今作ではちょっと評価を落としたかもしれないけれど、細田監督の次回作も2018年に公開するし、注目するべき映画監督なのは変わらないよね」
主「そうね。やっぱり絵の作り方は上手い監督だと思うし、知名度も今では一番高いんじゃない? 楽しみなことには変わりないかな」