『響け! ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』のさらに深く入り込んだ考察の記事になります!
語りたいことがたくさんあるんだよねぇ
カエルくん(以下カエル)
「前回よりも細かく突っ込んだことを書いていきます!」
主
「特にキャラクター同士の描き方、それと本作が描いた工夫と……ある種の違和感について主に語っていくとしようか」
カエル「ちなみに、この記事が平成最後の記事になります!
やっぱり最後は絶賛評で終わらせないとね!」
主「あやうく心残りができるところだった……とは言っても、実は時間との勝負なってしまいましたが!」
カエル「サボりがちだったからねぇ……
では、誓いのフィナーレのネタバレありの考察記事のスタートです!
なお、感想記事はこちらになります!」
ユーフォシリーズと撮影の魅力について語ったyoutubeの自作動画はこちらです!
『響け!ユーフォニアム』の撮影と演出の魅力について語る!〜カメラジ#3〜
ユーフォシリーズの物語の描き方
これは前回の記事でも語ったことのおさらいになります
ユーフォシリーズとは”仮面”と”感情”の戦いを描いている
カエル「まず、久美子の最大の特徴というのは『周囲の空気を読むことはできるけれど、思わず口に出てしまう』というキャラクター像であり、それは仮面と感情の境目にいるんだよね。
そして、表情や感情を隠しがちな”仮面”の存在であるあすか先輩や希美に対して、感情の人間であるみぞれや麗奈に触発されて仮面が剥がれ感情を出すようになった久美子が、彼女たちの仮面を剥がして感情を出していく様を描いている、という話だったよね」
主「このパターンって思春期に限らず、とてもわかりやすいドラマでもある。
夢を追うことに対してちょっとシニカルな態度をとる時だってあるじゃない?
『そんなに本気になってどうすんの? 気楽にほどほどにやればいいじゃない』とかさ。それこそ、この映画の奏の心境はちょっと違うけれど、頑張ることの意義を問うと意味では似たようなところがある。
ユーフォでは努力を馬鹿にするようなキャラクターはいないんだけれど、あすかのように自分の感情や思いを表に出すことを拒む人もいれば、希美のように周囲にはかりそめの笑顔を浮かべているようにも受け止められるキャラクターもいる。
その……ある種の大人な、でも達観しすぎた態度に対して”それって違うんじゃないんですか?”と仮面を剥がし、その下にある思いをあらわにすることで感動するという構造のドラマが多くなっている」
新一年生のキャラクター像
それが新一年生のキャラクター像にもつながってるの?
その感動の形は全く一緒だろう
主「それは今作の最大の感動するポイントである、奏と久美子の雨の中の対話シーンでも顕著に出ている。
今作では素顔(感情)を隠して会話をする奏に対して、素顔で会話をする久美子という構図となっていた。これはユーフォシリーズで何度も行われていた”あすかと久美子”や”希美とみぞれ”と同じドラマとなっているのはいうまでもない。
そしてそれは”美玲とさつき”も全く同じだ。
自分の感情をうまく出すことできず、それができるさつきに対して苛立ちを募らせてしまい、時に当り散らしてしまう。
だけれど、その先にある融和の物語に心を打たれるわけだ」
カエル「本作を見終わった後にリズを見ると、あの大好きのハグのシーンがさらにグッと胸にくるよね……ここに来るまでどれだけの苦難があったんだろうって」
主「このように、そのドラマの根幹はそれまでと同じものとなっている。
ひいてはこれが建前と本音というどこの世界でもある、むしろ学生時代という狭い世界であればより強固に存在する悩みに焦点が当たることとなる。
さらに新一年生たちはテレビシリーズ1期や2期の面々の問題を内包している」
カエル「求くんは自分の家族との比較されるのが嫌なんだろうね……男子であればあの学校に行くことも当然考えたけれど、親戚とは違う学校で、しかも新進気鋭の滝先生がいる北宇治を選んだんだろうなぁって想像できるというか……
それで、家の名前に対しての葛藤という意味ではあすか先輩と似ているよね?」
主「ただしあすか先輩は”父親に吹奏楽をしている姿を見せたい”というものであり、求とは真逆のものと言えるかもしれない。
また、さつきは葉月と同じような性格で、人懐っこくて誰とでも友好的になれる初心者の役割がある。
美玲は多分麗奈に近いところ……つまり本気でうまくなりたいけれど、あそこまでば苛烈になりきれない部分などがある。
そして……奏は様々な人物の要素が複合的に合わさっている」
奏の役割と抱えた思い
奏はやっぱり別なんだね……
彼女は”麗奈と出会わなかった久美子”に該当するのではないかな?
カエル「つまり、悔しいという思いにぶつかることも抱えることもなく、周囲に混じって仮面を被ってうまくやり過ごそうとする姿というのかな?」
主「まあ、久美子の場合はあそこまで腹黒くはならないだろうけれど……でも、奏はその仮面の要素と感情の要素の両面性を抱えているわけ。
そして仮面の女という意味ではあすか先輩と同じなんだけれど、違いがあるとすれば”他者を圧倒する能力や努力を重ねるあすか”と”そこまで圧倒することはできない奏”ということになるのだろう」
カエル「あの化け物みたいなあすか先輩と比べるのはかわいそうなところもあるけれど……」
主「ただ、この後輩たちはそれぞれのキャラクターを象徴するような何らかの属性が入っており、それに対してどのように先輩として久美子たちが向き合うのか? ということが描かれている。
つまり、久美子が対峙するのは”ありえたかもしれない久美子の可能性”であり、他のキャラクター……いや、麗奈と緑輝は実力もあり変化をしないキャラクターだから、正確に言えば久美子と葉月にありえたかもしれない自分たちの過去、あるいは未来ということになる。
なぜこのような結論になるのかというと、それは後述になります」
キャラクターデザインから見えてくる性格
本作では”モブがいない”と何度も連呼しているけれど、この新1年生のキャラクターデザインも個性的だね
どこまで計算かはわからないけれど、ある程度の理論は成り立つ
カエル「ユーフォのすごいところって吹奏楽部員は全員キャラクターや服装のセンスなどが粒立っていることだよね。
特に女子はみんなそれぞれおしゃれをしていて、すごく個性的で!」
主「判を押したようなキャラクターがほとんどいないけれど、メイン格もその普段の制服の着こなし方からなんとなく性格が見て取れる。
例えば、麗奈は黒のニーハイソックスを履いているけれど、それは全キャラクターを見ても彼女だけ……のはず。
少なくとも自分が確認した1期の吹奏楽部員の中にはニーハイのキャラクターはいなかった。
つまり、そこだけで彼女の”特別になりたい”という思いが如実に表れているわけだ」
カエル「ふむふむ……」
主「そしてあすかに目をやると、黒のタイツを履き肌を一切露出していない。
ここで彼女の持つ強固な仮面性を感じさせられる。他にも緑輝の靴下の丸いアクセサリーなどで彼女の個性が出ているし、リズでも足元だけで誰が誰だかわかるっていうね。これはなかなかすごいことなんですよ」
カエル「細かいニッチなポイントだけれど、でもユーフォにはいないけれどルーズソックスとか、あるいはくるぶしまでの靴下という選択肢だってあるわけだもんね」
主「その中でも今回新一年生で注目したのは”スカートの長さ”であるわけ。
これは現実でもそうだけれど、スカートが短い子は活発、スカートが長い子はおとなしい印象を与える。割とわかりやすいところでは久美子たちど同学年で髪の毛で目が隠れた高久ちえりだけれど、彼女はその見た目とスカートの長さから大人しい印象を与えている。
そしてパンフレットでも語られているけれど、本作の新一年生はとても制服の着こなし方が自由なんだ」
一年生のキャラクターデザインから見えてくるもの
ふむふむ……では、新一年生のキャラクターデザインから見えてくるものは?
基本的には同じで、スカートの長さに注目しよう
カエル「えっと……求くんは男子だから除くとしてもメインキャラクターの中ではさつきが1番スカートが短いのかな?
ユーフォは女の子がたくさん出てくるアニメということもあってスカート丈がリズ以外は短い印象だけれど、小さい身長もあってここまで短い子はいなかったよね?」
主「これは自分の思いだけれど、ユーフォって黒靴下と白靴下組に別れるけれど、メインキャラクターの黒靴下組は一癖ある印象だ。
麗奈、あすか、希美、そして奏、美玲とね。もちろん久美子も一癖も二癖もあるけれど。
自分はこの色の分け方は先ほどから語る”仮面組”に共通するもののように感じている。
ただし、これはおそらく制作側が意図していないものであり、偶然の一致だろうけれどね」
カエル「それでいうと、さつきはスカートが短くて白い靴下だね」
主「つまり、彼女の天真爛漫で誰とでも仲良くできる素直な性格が反映されあデザインだろう。
一方で美玲と奏はスカートも長く、黒ハイソックスだけれど……多分、美玲は高身長もあってバランスを考えた結果もあると思うけれど、やっぱり感情を隠しがちな子だよね。
先ほども語ったけれどあすかは強固な仮面を肌を見せないということで表現していたけれど、この2人もそれは同じ効果があるのではないか? というのが自分の推測。
特に奏は似たような身長の久美子たちと並んだ時にスカートの長さが一際目立つけれど、それが彼女の強固な仮面と、そしてあすかほどではないわずかな仮面の隙間が見えるということではないか?」
カエル「ふむふむ……」
主「そして仮面組はまっすぐな感情とぶつかった時にそれが剥がれる。
その瞬間に青春の清々しさが訪れるようになっている。
今作では明るい画面が強調されていたし、光と影のメリハリがとても強く演出としても強固。さらにサンフェスでの美玲の告白シーンでは、そのさらに奥に本当に真っ黒な通路が用意されていることで、奏と美玲がそちらに行く可能性の暗示、まだそこまではダークサイドに落ちていないことを表現したりとしていたのが印象的だったな」
今作が予感させる各キャラクターの”未来”
演出上の疑問点
それでは、次に語るのは演出上からうかがえる各キャラクターの未来という話だけれど……
ここの疑問点というのは”欠点”ではなく”特徴”と捉えてもらいたい
カエル「その疑問点って何?」
主「この映画は徹底的に”別れ”あるいは”独り立ち”を予感させるものとなっている。
例えば久美子がお父さんと話すシーンは顕著だよね。彼女が将来や未来をどのようにに考えるのか、それが見事に現れていた。
また、この作品で別れといえば……ネタバレになるけれど秀一との関係もそうだろう」
カエル「あのスタートからここまでいくとは、結構早い段階で話が進むよね……」
主「ここで気になったのが前回も語ったけれど”秀一との距離”なんだよ。例えば最初に2人のデート? となる公園のブランコのシーンでは鎖という明確な鎖があり、スペースが生まれている。おそらくブランコがわずかに揺れたりするのは、もちろん画面が飽きないものとする意図もあるだろうけれど、それと同時に2人の心情表現……つまり相手への恋心で揺れる想いを表現しているとも言える」
カエル「ブランコが揺れる=心が揺れている、ということかぁ」
主「そしてそれは続き、電車を待つシーンでは異様な空間がある。普通は付き合っている男女はもっと近づくものだけれど……しかも、久美子と麗奈たちのシーンではもっと密着していたのに、秀一との距離となるとかなり空く。そして2人が急速に近づくシーンがあるけれど、そこで拒否をしてしまう。
つまり2人の関係性は必ずしも近いものではない、ということが表現されているわけだな」
カエル「その結果があの2人の関係につながるんだ……」
主「この距離感の演出って結構大事にされていると思っていて、久美子と麗奈は言及されている通り近いんだよ。ここで対比表現となっているわけであり……秀一さん、ガンバって話だね」
なぜそこでそのような演出を?
他にも疑問がある演出があるの?
……1番大きいのは”孤独”の演出なんだ
カエル「孤独? そんなに1人でいるシーンは多くないし、なんか印象的なシーンも多かったっけ?」
主「いや、細かいところなんだけれどさ……鳥が1羽だったんだよね」
カエル「鳥?」
主「そう。
例えば『リズと青い鳥』ではたくさんの鳥が羽ばたくことによって、希美とみぞれの両方がリズであり、両方が青い鳥であることを表現していた。けれどこの映画では鳥は1羽しか飛んでいないシーンが挿入されている。
また他にも色々なシーン……例えば桜の下のベンチで座るシーン、橋の下で演奏するシーンもそれまでの作品では誰かが横にいたのに、今作では1人になっている。
それらはノスタルジィを感じさせるための演出と言えるかもしれないけれど、きわめつけは大吉山の演奏シーン。
1年生の頃は久美子と麗奈の2人で『愛を見つけた場所』を吹いていたのに、今回は麗奈1人で『リズと青い鳥』を吹いている」
カエル「そういえば、リズでも2人の演奏を披露したけれど今回はソロなんだね……」
主「この辺りは麗奈との距離感……というよりも未来を意識しているのではないだろうか?
それは関西大会にて『リズと青い鳥』を吹いているところでもこの2人はピックアップされている。すなわち、映画のリズで表現された希美とみぞれの関係性が、また久美子と麗奈にやってくるという暗示でもある」
カエル「……久美子の演奏がどのレベルなのかはわからないけれど、明確にプロを目指せる麗奈くらい上手いかと言われると微妙なところで……学校ではエースだとしても、全体で見るとそこまでではないという希美と同じレベルである可能性もあるわけかなぁ」
主「リズの演奏の盛り上がるポイントで久美子の瞳にカメラが寄るけれど、ここは彼女の将来を暗示しているように感じられる。
久美子はいくつもの”未来の可能性”を見てきた……あすかのような道、そして加部先輩のような道をね。
その中で彼女が何を選び、何を捨てるのか……それが今後の物語の注目ポイントになるのではないだろうか?」
葉月に与えられた役割
そしてそれは葉月にも同じなわけ?
おそらく、今後の葉月には辛い道が待っている……と思う
カエル「1人だけ初心者で、ちょっとレベルとしては強豪校では辛いものがあるもんね……それでも懸命な努力を重ねているけれど、それだけではどうにもならない残酷な才能の壁を描いてきたのもユーフォだし。
もちろん、才能がある人たちが誰よりも努力を重ねている描写もたくさんあるけれど、そうなると初心者が追いつくのはほぼほぼ無理なんじゃないか? と思ってしまうというか……」
主「今回では葉月の役割はとても大事で、最初は1人でチューバの練習をしていたんだよ。
だけれど、次第に人が集まっていき、3人で練習するシーンが増えた。ということは、彼女には人望があり人がついてくるということがうかがえる。
だけれど……それだけではないんだろうな」
カエル「それこそ、加部先輩の発表の瞬間など色々な思いがあったんだろうね」
主「同じ選抜メンバーから漏れた吹奏楽部員たちで構成される、チームもなかの面々としても思うところがあったのだろう。結果的には、加部は自ら引いたとはいえ、1度もコンクールに出ることはなかった……はず。1年生の時はわからないけれど、まあでも出てないだろうね。
でも、それでも支えることができるという、その姿を目に焼き付けた葉月は一体どんな選択をするのだろうか?」
カエル「もちろんプレイヤーとしても頑張って欲しいけれど、他にも道はあるもんね」
主「これはリズの1つのアンサーだと思っていて、希美がみぞれを支える形というのは決してプレイヤーだけではない。
それこそマネージャーとして、あるいは楽器の調律師だったり、運営側、そのほか多くの支え方がある。どうしても花形であるプレイヤーに注目が集まるけれど、その下にはたくさんの人々の支えがあって音楽は……もちろんそれ以外の文化は成立している。
だから、この映画は”久美子と葉月の未来の可能性”を暗示させる方向で表現しているんだろうな」
アイフォンを用いた独特の演出について
最後にさ、あのアイフォンを用いた演出ってなんだったの?
京アニってカメラに対する意識がとても強いんだよ
カエル「インタビューとかでも今作でチーフ演出を務める山田尚子が『画面のゴミなどが気に入っている』と語っていたし、被写体深度や、ぼかしなどの表現が高く評価されているよね」
主「よくよく考えてみると、そもそも京アニって”カメラで撮る/撮られる”という意識がものすごく強いんだよ。例えば『涼宮ハルヒの憂鬱』の衝撃の1話だった『朝比奈みくるの冒険』でも、下手くそな学生の自主制作映画のような映像を作っていた。
それは明らかに”カメラで撮る”ということを強く意識しているじゃない。
まあ、この回の絵コンテやら演出やらを担当したのはあの人なので、あまり触れたくはない部分もあるんですが……普通に一般人にも絡んでくるからめんどくさいのでね」
カエル「とりあえずあの人のことは置いておいても、石原監督にしても山田尚子にしてもカメラで撮るということを強く意識しているよね」
主「近年でもグザヴィエ・ドランが『Mommy/マミー』にてアイフォンで映画を撮影しているけれど……そしてそれがある瞬間に大きな意味を持つんだけれど、やはりアイフォンで撮ることによって”撮る/撮られる”という意識が強くなる。
それこそ、最後のシーンで『3年生編への意欲表明だ!』と語る人もいるけれど、やっぱりキャラクターたちが実際にそこいる感覚は強くなると考えたのではないか?」
カエル「それはうまくいっているの?」
主「う〜ん……今作では微妙。
でもいいアクセントにはなったよね。
多分、石原監督か山田尚子はまた挑戦するのではないだろうか?
特に石原監督はキャラクターたちを生き生きと見せる監督だから、この手法は使い方などがはまれば強いと思うよ」
まとめ
では、この記事のまとめです!
- ”仮面”と”感情”の対立の果てにあるユーフォらしいドラマに!
- 服装からもそれぞれの個性が感じられる!
- 演出では孤独や距離感がテーマになる?
- 今後のそれぞれのキャラクターたちの選択に注目!
平成最後にいい映画が登場して、最高の気持ちですよ
カエル「よくよく考えてみると平成の後半は京アニが台頭してきたアニメ業界だったもんね」
主「アニメのクオリティなどを更新したし、青春モノとして最高の作品を提供してくれた。自分はハルヒ、けいおんブームにちょっと思うところもあったけれど……今となってはもっともっと売れてほしいな、と思うね」
カエル「とてもいい作品ですので、複数回鑑賞していきたいと思います!」