もうだいぶ前の作品にはなりますが『ゾンビランド・サガ』の感想といきましょうか
最終話終了直後に書ければよかったなぁ
カエルくん(以下カエル)
「こちらはTwitter経由でお勧めされて鑑賞した作品になります」
主
「『宇宙よりも遠い場所』などもそうだし、こういった作品をリアルタイムで追いかけていきたい気持ちはあるんだけれどね」
カエル「いつも語るけれどテレビアニメも増加の一歩を辿る中でどれだけ追いかけることができるかが問題だよね……
間違いなく隠れた名作は見逃しているわけだし」
主「時間がない! は社会人に共通の悩みだよねぇ。
というわけで、今回はだいぶ遅くなりましたが『ゾンビランド・サガ』について軽く語っていきましょう!」
感想
では、いつもようにTwitterの短評からスタートです
ゾンビランドサガ全話鑑賞
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年1月2日
うまさが光る作品
全体の構成がとてつもなく上手く、全話終わった後にポイントポイントで見返すと描写の意味合いが大きく変わる
それでいながらもアイドル作品としての王道をいき、まさに伝説になるのにふさわしい一作
絶賛でございます
カエル「あのOPで『本当にこれが面白いのか?』からの最後は大感動するという作品であり、まさしく現代に見るべきアイドルアニメとなっています!」
主「本作は2018年の映画作品で例えると『グレイテストショーマン』に1番近いと思っている。そこに一部ではあるものの和楽器バンドや『閃光少女』などのような、古典的な楽器と新しい音楽ジャンルとの融合も見られるし、肝心の音楽の評価も高くなるんじゃないかな?
ゾンビという死人であり、それこそすでに人生が終わってしまった存在を主人公にすることで、佐賀県を盛り上げようという意図も働き見事な”弱者が復活する物語”に仕上がっている。
この”ゾンビがアイドルになる”という突飛とも思える設定こそがあるからこそ、ギャグとしても面白く、シリアスとしても見所の多い作劇になっているわけだ」
カエル「他のアイドル作品だとできない味になっているよね」
主「それでいながらも、決して奇をてらいすぎていない面もあり、物語自体は王道である。
言うなれば、いい意味での因果応報の物語なんだよね。
これは『愛しのアイリーン』などもそうだけれど、最初はギャグのようであった表現が後半は全く笑えなくなってくる。そして、改めて見直すとさらに大きな意味を持ってきて、さらに泣けるというのは、とてもうまく構成されているからできるものだろう。
もちろん1話の衝撃の冒頭もそうだし、その後の……例えば7話のトラブルなども考えると、もしかしたらそういうことだったのかな? という思いがよぎるわけじゃない?
この作りのうまさにも感激したね」
一気に引き込まれた2話
ここからは幾つかの話をピックアップしながら語っていきましょう!
最初に注目するのは2話だ
カエル「2話はゾンビから人間の意志が目覚めたメンバーたちとのやり取りを繰り返して、アイドルとして人生をやり直そう! という決意を固める話です」
主「本作って典型的な3話構成になっていて
- 1〜3話 起 目覚めからアイドルを目指すまで
- 4〜6話 承 ギャグを交えながらのアイドル活動の深堀り
- 7〜9話 承、転 それぞれの活動の結果を示す感動回
- 10〜12話 転、結 おおきな試練と因果応報
となっている。
その中でも自分が特にこの作品の方向性を示せた上に、とてもつもないポテンシャルを発揮したのが2話だと考えている」
カエル「特に最後のラップシーンが良かったよねぇ。
それに、首が取れるのもアニメだからギャグになるけれど、それ以外の……例えば実写映画だとしたら、単なるグロいだけの場面になるし……」
主「まずさ、ここであれだけのトラブルが発生した時に、リズムを刻み始めるのは幸太郎だけれど、この作品における本当の主人公は誰なのか? ということにもここで気がつくことができる。エンドクレジットロールで1番先頭に来るのが幸太郎であり、宮野真守だからね。
そしてここでラップが始まるわけだけれど、ここで痺れた。
一気に引き込まれた」
カエル「今までゾンビであることは単なるキャッチーな要素のようだったけれど、そうじゃなくて”ゾンビだからこそできるアイドルもの”というテーマを提示しているよね」
主「ゾンビはロメロが有名だけれど、そこにどのような意味を込めるのか? という問題がある。
ロメロはゾンビに社会性を込めて文明批評をしていたけれど、本作のゾンビはそれこそ”社会的な弱者、1回死んだ存在”として描いている。
佐賀県というとはなわの歌もあるけれど、どうしても九州の中でも地味な印象があるし、何があるかわからない人もいるでしょう。そこに集まる高齢者なんて、典型的な過疎化している地域にも思えてくる。
そこで地域密着のアイドルになるというのは、無謀もいいところだ。
そんないくつもの要素……”ゾンビ””佐賀””地方のアイドル”といういくつもの弱者の要素が絡みついた時に生まれる、あのリリックこそがこの作品の肝だと思っている」
弱者の作品として
ここで表現されるのが”ラップ”なんだよね
アニメとも佐賀、そして高齢者とも遠いとされる音楽だよね
カエル「若者音楽の代表みたいなところもあるけれど、ラップやヒップホップとアニメって結構相性が悪い……とまでは言わないけれど、縁遠い印象がどうしてもあるんだよね。もちろん『グレンラガン』のように劇伴でヒップホップを意識した作品なども登場してきて、話題になったこともあるけれど……」
主「どうしてもオタク文化を愛する層と、ラップ文化を愛する層には隔たりがありがちである。
その2つを繋げるのが、自分はゆうぎりが奏でる三味線の音だと思っている」
カエル「それこそ、小規模映画である『閃光少女』を絶賛した理由にも近いよね」
主「閃光少女は香港で作られた低予算映画(とは思えないけれど)なんだけれど中国の伝統的な楽器で現代の音楽ジャンルを奏でることにより、新しい音楽表現を行っている。
中国の楽器だけれど音色は日本の伝統的な楽器にも近いから、まるで和楽器バンドを聞いているような、身近な楽曲にも思えてくるんだよね。
そしてラップというどこか遠い部分もあるかもしれない音が、ぐっと身近になって、ものすごく聴きやすい音になる」
カエル「本当にラップが好きな人がどう評価するかはわからないけれど、ぐっとくるものがあったねぇ」
主「ラップは本来政治的な活動やメッセージを伴うものも多い側面があるけれど、この作品では先に挙げた要素……ゾンビ、佐賀、地方のアイドル、高齢者など様々な要素を歌い上げることにより、今作が持つ”弱者の物語”としてのテーマをわかりやすく表現している。
そしてそれが自分の語る『グレイテスト・ショーマン』要素でもあるわけで、音楽で弱者たちの物語をよりエモーショナルなものにしているわけだ。
楽曲に関しては他にも様々なジャンルがあって、王道のアイドルソングからヤンキー風のものもあるし『徒然ネクロマンシー』のカップリングである『FANTASTIC LOVERS』なんかはハロプロを連想するような曲に仕上がっていて、聞いているだけで面白いね」
カエル「論より証拠ってことで、気になる人はまず1話と2話まで見てほしいね」
主「逆に、そこでダメな人はダメかもしれない。
でもこの2話だけでも相当のものだと思うので、ぜひ鑑賞してほしいね」
本作の見どころ
ギャグの中にあるシリアス
本作最大の見所はギャグの中に含まれているシリアスです
特にそれが強く発揮されたのが8話だよ
カエル「誰もが感動する、ともすればお涙頂戴の物語けれど、ゾンビランドサガで最高の1話と言っても過言ではないお話となっています。
あれは反則だよねぇ……EDで誰もが泣くよ……」
主「今作のうまいポイントは”ギャグに見せたシリアス”である。
ここでリリィが亡くなってしまった理由が足に毛が生えたり、ヒゲが生えてきたことによる精神的な強いショックだ。これは描写としてはギャグ調ではあるけれど、強い意味がある。
成長期の問題であり……子役として可愛らしさの喪失、つまり『芸能人としてのリリィの死』だ」
カエル「この問題ってコメディのようで実はめちゃめちゃ重いよね……それこそ、子役でスターだった子だからこそ、あそこまでのショックを受けるわけで……」
主「いやさ、大人になってみればヒゲが生えるとか足の毛が生えるなんてどうでもいいことですよ。
だけれど、思春期の頃を思い出してみると、そのわずかな変化だけでも衝撃を受けることもある。
特に体と心の変化が激しい時だから、安定しないしね。
今は……フィギュアスケートなどの体の成長に伴う安定感の欠如なども問題になっているし、子役として可愛らしく活躍していた子供や、ボーイソプラノが売りだった子供が変声期を迎えてその声がなくなっていくという問題もある。
実は、ギャグのようだけれど”人に魅せる”ということを重視するアイドルという職業だからこそ、大きな問題になってくるわけだ」
カエル「そこまで風呂敷は広げていないけれど、LGBTの問題にも言及しているようだったし……」
主「ゾンビランドサガの素晴らしいところは、新旧アイドル論なども含めて、そのようなアイドルの問題から逃げずに正面からぶつかったところにあるのではないかな?」
本作が描いた”因果応報”
何度も言っているけれど、この因果応報ってどういうことなの?
ここでは悪いことをしたら悪いことが返ってくる、という意味の因果応報の考え方からは離れてほしい
カエル「それこそ、本来の意味である”自分の行いは他者から返ってくる”という意味だよね?」
主「これって、アイドルものの王道の展開でもあるんだよ。というのは、アイドルとは何か? ということに言及するからだ。
アイドルとは基本的には誰かを応援する存在でもある。
ファンが応援するアイドルは応援されることだけではなく、アイドルは応援されることで、さらにファンを応援するという構造の上に成り立っている。
偶像的な理想像の女性、あるいは男性としてのアイドルもあるけれど、現代は会えるアイドルが主流になってきていることもあって、このアイドルとファンの相互の関係性が重要になっている」
カエル「最近はそれが近すぎて大きな問題に発展していることもあるよね……」
主「この手のアイドルものは”主人公が周囲の人物を応援する、盛り上げる”ということが序盤の主流となっている。特別な才能を持たないけれど、やる気だけは人一倍ある主人公がメンバーを鼓舞することで、さらにグループが発展していくというお話だね。
そして、それがある瞬間に自分に返ってくる……それが終盤の展開だ」
カエル「落ち込んで、もう2度と立ち上がれない時に、周りが鼓舞してくれるということだね」
主「ゆうぎりが語るけれど『あんたにはわっちらを励ましてきた、責任っちゅうもんがある。記憶があろうがなかろうが、わっちらと一緒に踊ってもらいんす』という言葉が全てといえば全てである。
他作品で言えば、やっぱり『アイドルマスター』のアニメと同じで……あの20話の『約束』は屈指の神回だけれど、その正体は”最高のお節介”なんだよね。だけれど、そのお節介が重なって、それが自分の苦しい時に再び立ち上がる力をくれる。
それがアイドルの構造に……つまり先ほどから語る”応援してくれる存在がいるからこそ頑張れる、頑張れるからこそ応援する”という構図に発展していく。
これはアイドル作品だからこその持ち味なんじゃないかな?」
メンバーのバランスについて
最後に、メンバーのバランスがとてもいいという話もしておこうか
今回は7人のアイドルというのが、とてもいい味を発揮しているよね
カエル「ちなみに、うちが一番推しているのは、ここまで読めばなんとなくわかるでしょうがゆうぎりです」
主「ゆうぎりって本当に便利なポジションでさ、一応年齢的には微妙なところがあるけれど、ポジションとしては最年長である。
ギャグシリアスもできて、周りが見えていて前に出過ぎない、物語の調整をしてくれるポジションである。
7人というのは物語における1つの重要な単位であり、味方側のチームを組む時はだいたい3、5、7人で1セットとするのがいいとされている。最大でも7人、それ以上になると物語がごちゃごちゃしすぎてしまうからね」
カエル「では、それぞれの役割を簡単に表しましょう」
- さくら→物語の主役、周囲を鼓舞する役
- サキ→さくらとは違う方向のエンジン役
- 愛→さくらの憧れ、平成のアイドルであり物語のブレーキ役
- 純子→愛と似たような立ち位置、昭和のアイドル代表
- ゆうぎり→物語の調整役
- リリィ→物語の賑やかし役
- たえ→トリッキーながらも重要な役割を果たす
主「基本的にはさくらとサキがツインエンジンとなってお話を動かし、愛と純子がそれを支えて、ゆうぎりとリリィが調整したり、にぎやかすという役になっている。ゆうぎりとリリィは相当便利で使い易いんじゃないかな?
たえは簡単にいえば白雪姫でいうところのおとぼけに近く、他とは全く違う動きをするからこその魅力があるキャラクターだ。
そして方向性は幸太郎が与えるという構図になっているわけで……これがハマった形だな」
まとめ
では、この記事のまとめです!
- 弱者の物語として機能しているゾンビランドサガ!
- バラエティに富んだ楽曲も魅力!
- ギャグの中にあるシリアスが見事!
これはヒットするのも納得です!
カエル「そして改めて考えてみると、幸太郎の物語として考えてみるとさらに感動もひとしおで……あの1話の時点とか、どう思っていたのかなって」
主「ギャグでありながらも、必死になってみんなを鼓舞してきたからなぁ。
この計画を信じていた存在だし、生者と死者という壁があることで、さらに色々な想像が膨らむキャラクターでもある」
カエル「ちなみに、2期はあると思いますか?」
主「さすがにあるんじゃないかな? 話はまだまだ作れそうだし、やり残したこともあるし。
これで綺麗に終えてもいいけれど……2年後には何らかの動きがあると思うよ。
あと、1つどうでもいい話をしていい?」
カエル「……どうでもいい話?」
主「ゾンビランドサガのCMで、女子高生が走るCMがあるじゃない?
あれの出来が本当によくてさ、あの監督に青春映画を撮ってほしいなぁ……きっといいものができると思うんだよ」
カエル「……本当にどうでもいい話でびっくりした……
では、ここで感想記事を終えます!」