皆さま、あけましておめでとうございます
おめでとうございます
おめでとうございます
カエルくん(以下カエル)
「本年も映画やアニメ作品などの感想を中心にいろいろと語っていこうと思いますので、ご贔屓のほどを宜しくお願い致します」
亀爺
「今回は2020年最初の映画レビューということで、1月2日公開され、2019年最初に上映された『さよならテレビ』の話をしていくぞ」
カエル「新年1発目はドキュメンタリー映画からのスタートになります。
とは言っても、新年最初というだけが理由ではなくて、うちでも2017年に高い評価をした『人生フルーツ』『ヤクザと憲法』などの傑作を生み出している東海テレビということもあり、非常に楽しみにしている作品でもあります!」
亀「というわけで、感想記事を始めるとするかの」
作品紹介
2018年9月に東海テレビで放送された同名のドキュメンタリー番組(77分)に、追加シーンを加えて劇場上映されている作品。”今のテレビの現場はどのようになっているのか?”をテーマに、数々のドキュメンタリーを作ってきた東海テレビの社員である土方宏史監督と阿武野勝彦プロヂューサーが、自分たちの職場にカメラを向ける。
主な出演者は東海テレビの福島智之アナウンサー、契約社員の澤村慎太郎記者、契約社員であり新人の渡邊記者を中心にテレビ業界の”今”に迫る。
かつて、テレビはお茶の間の王様だった。しかし、今は以前の勢いはなく視聴率は低迷の一途、SNSでは”マスゴミ”と呼ばれることもある。なぜマスメディアの頂点とまで呼ばれたテレビがここまで低迷してしまったのか、東海テレビ内部にカメラを向ける。
そこにあった姿とは?
ジャーナリズムとマスコミのあるべき姿とは?
あの東海テレビを揺るがした放送事故とはなんだったのか?
今、テレビの裏側が暴かれていく……
薄っぺらいメディアリテラシーはもういらない!映画『さよならテレビ』予告編
(C)東海テレビ放送
感想
では、Twitterの短評です!
#さよならテレビ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年1月2日
新年から来ましたね…!
テレビ局がテレビを作る人々に迫ったドキュメンタリー
3人の主人公達の思いとメディア論が交差し理想と現実の先に炙りだされる歪みは社会人ならば誰にでも覚えがあるだろう
東海テレビの汚点にも触れ、社会派でもありながらエンタメとしても優れた傑作! pic.twitter.com/QVaF3BgY4D
現在、年間ベストじゃな
カエル「いや、1月2日で何も公開されていない(パラサイトは先行上映のため扱いに困る……)状態で年間ベストと言われても……という声も聞こえてきそうですが、この映画はマジで年間ベスト映画ランキングでも上位を狙えると思います!
さすがは東海テレビ、すごいものを作るとは思っていたけれど、まさかここまでやってくれるとは……」
亀「この映画をどのように見るか、議論が分かれて面白そうじゃな。
ドキュメンタリーであり、テーマからしても社会派の一面がある印象かもしれん。それも決して間違いではないのじゃが、本作はエンタメとしても高いレベルにある。そして……ドキュメンタリーやマスメディアが根源的に持つ”ある疑問”を監督に突きつける。
それが観客にも伝わっていき……この映画を見た後では色々と考え込んでしまう作品じゃな」
カエル「宣伝用のコメントで『テレビマンは居心地が悪いでしょう』と森達也監督が描いていたはずだけれど、本当にその通りだよね……
じゃあ、この映画が描き出したことというのはテレビだけの問題なのか? と言うと、実はそんなことは一切なくて!」
亀「もちろん、マスメディアの現状に対する疑問あるじゃろう。
じゃが、それ以上に……東海テレビという大企業の中にある歪みや、あるいは正社員と契約社員の格差などは、まさしく現代日本の状況をそのまま映し出しておる。
本来はそこを報道し、権力を監視し、あるいは大企業を糾弾しなければいけないメディア側が、実は同じことをしているという……そのような意地悪な見方も成り立つし、この映画を見て他人事で居られるサラリーマンはいないのではないか? と思う作品じゃったの」
見事なエンタメ力を発揮した構成能力
今作、何が1番すごいって、構成なんじゃいないかな?
映画としての爆弾が爆発した瞬間などは、思わず小さな感嘆の声が出てしまったからの
カエル「別に大どんでん返しってわけでもないので、それを期待されると辛いものがありますが……なんていうのかなぁ、最後のオチが見事、という他ないかな」
亀「わしらは商業的なエンタメ映画が特に好きで、さらにその中でもアート的な作品よりも、物語で観客を楽しませようとするエンタメバリバリな映画やアニメ、漫画などを愛好しておる。
その意味では、この映画を観に行くようなドキュメンタリーファンであったり、社会派作品を愛好する人々、強い思想を持つ人々とは、少し違うかもしれん。
ドキュメンタリー映画というのは、わしからすると編集が甘いと思うものもある。じゃがそれは”ありのままの事実”を描き出し、それを伝えようとする意思が強いからかもしれん。わしらは、脚色されて演出された編集に慣れすぎているのかもしれん。
しかし、この映画は編集面で快楽性が強くなるように強調されておる。
うまく観客の意識をコントロールしておるのじゃな。
インタビューを読んだのだが『ドキュメンタリーファンから苦言をもらった』ということも書かれており、さもありなん、といういったところかもしれんの」
カエル「それを詳しく解説してしまうと、もうこの映画のネタバレになってしまうので……ここから先は具体的に作品内容に言及していきます!
でも、なるべく真っさらな状態で見て欲しいという思いもあるかなぁ」
以下ネタバレあり
作品考察
キャラクター性バツグンの3人組
登場人物も……変な言い方かもしれないけれど”面白すぎる”んだよね
あまりにもキャラクターが立ち過ぎており、ある種の悪意すら感じるほど意図的な物語じゃからな
カエル「本作の最大の面白さの元は、登場人物たちの”キャラクター”の濃さにあると思います」
- 福島アナウンサー→自分を出すことがあまりできないアナウンサー
- 澤村記者→理想に厚く勉強熱心なベテラン。契約社員
- 渡邊記者→頼りない新人記者。契約社員
亀「これらの”登場人物”の描き方が記号としてよくできておる。はっきり言えば、このまま若干設定や物語としていじれば、フィクション作品が1作完成するほどじゃな。
見ている最中に……そうじゃな、半沢直樹などのお仕事ものシリーズであったり、あるいはアニメ的なキャラクターに感じてしまったほどじゃ」
カエル「実際の人間が演じているとはいえ、どこまでが作為的なのか……それは台本があるなどの、いわゆるヤラセの部分の他に”カメラやマイクを前にすると人は無意識に演じ始める”などの意図できない部分も含めて、どこまでが計算でどこまでが偶然なのか……それこそ”現実と虚構”の間にも入ってくるというね」
亀「近年ではニュースなどの切り取り方で偏向報道と呼ばれることも多い。NHKは左派のいいなりの売国放送局と呼ばれたり、あるいは政権擁護のネトウヨ放送局などと呼ばれたりと、色々と大変だなぁ…と思う部分もある。
元のニュースがあるとはいえ、そこを全て放送するわけにもいかず、誰かが切り取ったり解釈をしなければ”伝える”ということは難しい。
そしてそのキャラクターを補完するために、様々な”編集という名の演出”がされておる」
(C)東海テレビ放送
本作のテーマと演出と”テレビ感”
なんというか……1つ1つの情報を観客に与えるのが、本当にうまいよね……
その見せ方もとても考えられておる
カエル「今作のスタートは『これから東海テレビ内を撮ります』と告げるところから始まります。そして、撮り始めていくうちに当然のようにゴタゴタが発生し『勝手に撮っていくんじゃねぇ!』という怒号すら飛び交う事態に発展、2ヶ月後に取り決めが交わされて撮影は再開されます」
亀「この時点でも、非常に面白い絵になり、また観客のコントロールに成功している。作中では『このシーンなんか使わないよ』という声もはっきりとはいって使われており、また『撮影対象との信頼関係が大事!』ということまで言われておる」
カエル「でさ……僕なんかは京アニ報道問題を連想するんだよね。
東海テレビの問題ではないけれど、報道機関の役割と報道される側の思いが乖離してしまった問題だよね。あれだけ『撮らないでくれ、報道しないでくれ』と言われても強行したのに、自分たちが撮られる側になったらそれを嫌がる……このある種の矛盾がすでに面白いんだよねぇ」
亀「こうやって”メディアの問題”を映し出すことに成功し、それはこの先も続いていく。福島アナウンサーに『SNSでなんか言われるのが怖いのかねぇ』なんて、ちょっと頼りないように撮る。
あるいは渡邊記者の頼りないところを多く撮り、さらにアイドル好きなオタク趣味の一面をさらけ出しいかにも”仕事で使えないオタク”のイメージを使う。
そして契約社員という立場でも熱い思いを体現しているうような、澤村記者の”理想のジャーナリストの姿”を描き出す。
こうやってイメージを固めていき、テレビ的にエンターテイメントとして面白い姿を出していくわけじゃな。
そしてテレビ業界だからの『”ぜひネタ”=ぜひ使って欲しいと営業やスポンサーから売り込みがあったネタ』という専門用語まで教えてくれる。
まるでテレビドラマのような、そんな構成じゃった」
カエル「それが伏線としても効いているんだよねぇ」
東海テレビの大きな問題の描きかた
東海テレビといえば、日本中から非難を浴びた大きな放送事故である”セシウム米”問題がありました
その辺りにもきちんと突っ込んでいったの
カエル「”テレビの今に迫ります”と言っておいて、テレビの役割として『事件などを報道する、弱者の代弁者になる、権力を監視する』などと、色々と立派なことを語っておいて、その役割ほ根底から揺るがした事件に触れなければ単なる嘘だもんね……
色々なテレビの問題があるけれど近年でも特に印象が残る事件を語らないとね」
亀「そこに関わっていた人もおり、そうなることで人に見方が変わるという見事な仕掛けがされておる。
他にも色々と立派なことを言っているのに、東海テレビの内部は問題だらけ……と見るようにできているわけじゃな」
カエル「あとは8月4日にあの事故が発生して、毎年社員を集めての集会を行っていることなども知れたことも良かったね。
この辺りも大きな事故を経験した企業であれば、どこにでもあることなのではないかな?」
亀「今作は”テレビ局の物語”と思いきや、どこにでもある会社内や社会人に共通する問題でもあるからの。
新人教育の問題、やる気にあふれるのは契約社員などの外部の者達、過去に大きな傷を負う者……それらが混じり合っていく。」
(C)東海テレビ放送
本作が持つ構造が描き出した”問い”
色々語ってきたけれど、じゃあ、今作が描き出したことってなんだと思う?
言葉は難しいが、わしは叙述トリックみたいなものだと思っておる
カエル「叙述トリック?」
亀「本作で最大の問いというのは『ドキュメンタリーってリアルなんですか?』というものであることは、間違いないじゃろう。本作が描き出したことは、果たしてリアルと言えるものなのか……そこは難しい問題であると思う。
この問いをした澤村記者は当然森達也の著作も読んでおると、わしは思っておる。
その森がよく語ることでもあるの」
カエル「その問いそのものは、あまり突飛なものではないよね?」
亀「しかし、今作が異色なのは”テレビマンがテレビの現場を撮るドキュメンタリー”問いう構図じゃ。そして、明らかに編集という点でエンタメ性を発揮しておる。
果たしてそれが”リアル”と呼べるものだろうか?
今作はテレビなのか、ドキュメンタリーなのか……そこすらも怪しくなってくる。
この作品で描かれたことは真実なのか?
この作品の問いは、実は作られたものではないかな?
そういったグルグルと迷宮のように入っていく映画じゃな。
わしなどは……今となっては原一男監督のドキュメンタリー『全身小説家』を見終わった後に、感覚としては似ているかもしれん」
カエル「でもさ、それがテレビってものじゃないかな? という思いもどこかにあるんだよね……
素材となる映像を撮って、視聴者が望む形に……というと語弊はあるけれど1番視聴率を集める形に編集していくものだし……
もしかしたら、ニュースにしろバラエティにしろ、プロデューサーや編集マンが誰かをチェックしながらテレビを見る人ってほとんどいないと思うけれど、それってすごい怖いことなのかも……
誰が、どうやって、何の意図の元に編集しているのか……それを知らずにいるのが、果たして正しいのだろうか?」
亀「本当は渡邊記者はもっと愛されるキャラクターだった、と監督が語っていたりするからの。
そういった構造も含めて……テレビとは何か? ということなど、色々と考えることの多い作品じゃったの」
最後に
この記事を終えようと思います!
意外とぬるい映画ではあるんじゃよ
カエル「正直、もっと衝撃的な部分も出てくるかなぁ? とか、もっと先鋭的なテーマが見えてくるのかなぁ? と思いきや、実はパッと見はそうでもないという。
ちょっと自分の会社だから忖度を感じる、という意見もわかるかなぁ」
亀「しかし、本当にそれだけの素材を撮ることができなかったのかもしれん。
それこそ TBSのバラエティ番組のヤラセ問題などもあるが……あのクラスのことが起きんように注意していたということもあるじゃろう。
しかし、本当に何も起きなかったのではないとしたら……と色々とメディア論を考えるにふさわしい、いいドキュメンタリーだったの」