今回は東京国際映画祭にて先行的に見させていただいたドキュメンタリー映画『I 新聞記者ドキュメント』についての記事になります
……色々と気を使う記事になりそうだよなぁ
カエルくん(以下カエル)
「先に述べておきますが『安倍政権に反対したから』とか『自民党をぶっ壊せ!』という価値観のみで、この映画を評価・あるいは罵倒する人はお帰りください」
主
「あくまでも自分は映画として評価をするし、森達也監督の新作ドキュメンタリーだから見に行った、ということを言わせていただきます。相手が望月記者であろうが、あるいは百田尚樹であっても見にいきます」
カエル「何度か『政治映画はもう語るのをやめようかなぁ……』とすらつぶやいていたくらいに、毎度毎度荒れるお話ではあるからね」
主「もちろん政権を担う安倍首相や自民党に非難だったり、逆に応援の声があるのもわかる。野党に対して激励を送ったり、あるいは批判の声を送るのも当然だ。だけれど、政権と100%意見が同じ、あるいは異なるってことはないだろう。
まあ、政治に関してはそれでもいいんですけれど、自分は映画の話がしたいので。
あと、自分は右派も左派も同じくらい嫌いです。
そこは先に述べておきたいです」
カエル「ちなみに、今回も先行上映ということでネタバレなしでいきます!
とは言っても……ドキュメンタリーだし、そこまでネタバレを気にするような映画でもないのかな?
というわけで、色々と慎重さが求められそうですが、記事のスタートです!」
作品紹介
ドキュメンタリーなどを中心に撮影し日本を代表する監督である森達也が、東京新聞の望月衣塑子記者に密着したドキュメンタリー映画作品。安倍政権や菅官房長官との丁々発止のやり取りなどを捉えている。
また籠池夫妻、前川喜平などの政権のスキャンダルの鍵を握る人物たちの素顔にも迫る。
森達也監督の社会派ドキュメンタリー『i-新聞記者ドキュメント-』予告
感想
では、Twitterの短評からスタートです!
#i新聞記者ドキュメント
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年11月1日
東京国際映画祭にて鑑賞
森達哉監督が東京新聞の望月記者を追ったドキュメンタリー作品。我々は新聞やニュースの主役であった彼ら、彼女たちの何を知っているのだろう?
左派にも右派にも観て欲しい、望月記者の素顔に迫った2019年ドキュメンタリー&政治映画のベスト! pic.twitter.com/Vp6COMMmWr
2019年の政治映画でもベストでしょう!
カエル「お、今年は『ヴァイス』『新聞記者』などの多くの政治映画が生まれた年だったけれど、その中でもトップクラスという評価なんだ!」
主「上記のフィクションの映画とドキュメンタリーを同一で比べるのも難しいけれど……まあ、そういうことです。
リベラルな森達也監督が、リベラルのジャンヌダルクのような扱いを受けている望月記者を扱うということだけで、色眼鏡で見て評価する人もいるかもしれない。実際、自分のそんな一面は確かにあったよ。
わざわざ映画祭まで行って、高いお金を払って良くも悪くも偏っていそうな政治映画を見るのもなぁ……と思ったのも事実。
だけれど、そんな偏見が一切晴れた。
自分は森達也監督が好きだけれど、この映画はどうだろう? という思いもあったんだけれど……やはり現代を代表するドキュメンタリー映画監督だと改めて思い知った形だ」
しかもこの作品、結構ゲラゲラと笑えるコメディの要素もあるんだよね!
カメ「劇場内も笑い声が絶えなかったなぁ。
それで……政治的な偏向性はあまりないの?」
主「う〜ん……0ではないと思うよ。
だけれど、多分この映画から受ける印象は様々だと思う。
望月記者や他の人に対しても肯定もできるし、否定もできる。かなり多層的な見方ができる映画として作られている一方で、それが逃げになっていない。
自分の目にはちゃんとした答えを提示している映画となっている上で、中立的というか、肯定的、あるいは否定的な視点も入り混じりながら撮られた映画だと感じたかな。
監督が東京国際映画祭のQ&Aで『iの意味がわかりましたか? LOVEです』と冗談めかして答えていたけれど、自分はこれがこの映画を説明するには最も適した言葉だと思う。
今作は明確に "LOVE"の映画ですよ。
まあ、愛と言ってもアガペーやエロスではなくて、フィリオ(友愛)だろうけれどね」
多層的なメディアの目
菅官房長官の撮り方の演出
映画として印象に残ったのはどういったところなの?
やっぱり、菅官房長官の撮り方だなぁ
カエル「今作では菅官房長官の会見も含めて多くのシーンで登場していますが、様々な事情もあり一部シーン以外はニュース等の映像を使っている印象を受けました」
主「明らかにそこだけ画質が悪いんですけれど、その理由は単純に菅官房長官の会見に森監督は行けないんですよ。
だから撮ることができず、ニュースなどの映像を流用するしかない。
だけれど、それによって”政府の顔が見えない”という映像表現にも繋がっており、まるで政府が後ろめたいことをしているような印象を受けるだろう」
この画質の悪さは仕方ない部分もあるし、どこまでが狙い通りかはわからないけれどね
それが印象操作だっていうならそうなんだけれど……もう1つ面白いのが、本作は”撮る側と撮られる側の逆転”なんだよね
主「つまり、本来であれば撮る側、調査する側である記者が逆に撮られている。そのことによって見えてくるものが違うのでは? という視点だ。
そう考えると菅官房長官の会見の画質の悪さも別の解釈が成り立つ。
それは”記者会見のカメラのフィルター”を強調している言える。
つまり、2重でカメラのフィルターを通すことによって、より深い……というか、別の階層を作り出している」
カエル「まとめると以下のようになるのかな?」
- テレビなどで使われている菅官房長官の映像←映画内のメディア(第1階層)
- 望月記者などを撮る森監督のカメラ←映画で主に撮られるメディアの外の世界(第2階層)
主「マトリョーシカみたいなものだよ。
メディアの報道の奥にいるのが菅官房長官、その外にいるのが記者、そして映画のカメラの外にいるのが森監督。
多くのシーンにおいて第2階層の外に森監督はいるけれど、時折映画内に出てくるから、それぞれの階層を行き来することになる。
これってどうでもいいように思えて、実はドキュメンタリーにおいては大事なことで、カメラでどこを撮るかによって意味合いは変わってしまう。我々が普段見聞きするのは第1階層である。今作はその外側、記者側を捉えており、それが第2階層になる。
そしてその記者の外にいる目線……それが”映画の画面の外”にいる森監督の視点であり、我々の視点に近いものとなる」
森監督の視線の面白さ
う〜んっと……それにどのような意味合いがあるの?
では、我々観客の視点はどこになるのだろうか?
カエル「えっと……
- 菅官房長官を捉えたカメラ(メディアの目線・第1階層)
- 第1階層の外にいる記者を捉えたカメラ(映画の内のメインの目線・第2階層)
となると……森監督の視線である、強いて言えば第3階層、あるいはその森監督をカメラやメディアを通して見ているわけだから、第4階層になるのかなぁ」
主「つまりさ、従来我々が事件や会見を通して見ているのは第1階層のメディアの目線であることが多いわけ。
会見、事件をそのままリアルタイムで伝えたり、あるいは情報を切りはりして報道する新聞やニュースの目線。
菅官房長官も主にここで登場する。
そしてその外にはそのメディアを作る記者やテレビマンの目線(第2階層)がある。
で、その外に森監督の視点があり、その映画を眺めている我々がいる」
えっと……それがどういう意味があるの?
この階層が変わると見えてくるものが変わるんだよ
主「望月記者は東京新聞での仕事の他にも、テレビなどのメディアに出るご意見番のような仕事もしている。それが……多分東京MXの番組だろうけれど、その収録シーンもでてくる。
そこでは菅官房長官と同じ、第1階層の”カメラの奥の人物”になる。仕事だから笑顔で出演している様子などを、わざわざ望月記者を映しているカメラの映像を映画でも撮ったりしてさ。
で、その様子を森監督が見つめているんだけれど……スッゲェつまんそうなのね」
カエル「もともとそこまではっきりと感情を表に出す人ではないというのもあるんだろうけれど……」
主「森監督がゲラゲラ笑っている方がびっくりするけれどさ、座り込んでぼーっと眺めている。
その様子は色々な場面で出てくるし『FAKE』でも印象的だったのはネコなんだけれど、今作でももちろん別のネコではあるけれど、ネコ自体は出てきます。
じゃあ、その森監督とネコの視線が意味するものは? ってこと。
自分はメディアに対してある種の批判的とも言える、つまんないなぁ……という視点で見つめているように見えたね。メディアの映し出す熱狂を冷静に、俯瞰的に見ている人物たちの目を描き出していると考える」
渦中の人物を知ることの重要性
森達也監督が撮ってきたもの
森監督といえば、やはりドキュメンタリー映画の印象が強いよね
今回はちょっとだけ撮り方が変わった印象もあるかな
カエル「あれ、ドキュメンタリーなのに撮り方が変わったの?」
主「作風というか、題材というか……
森監督がこれまで撮ってきたのはオウム真理教の信者であったり、あるいは佐村河内守などのような、世間的に悪党のレッテルを貼られた人たちである。
そういう人たちに密着することによって、新しい視点を観客に提供しているわけだ。
だけれど、望月記者は……どうだろう、そこまでで世間の見方が一面的ではないじゃない?
彼女を政権批判のジャンヌダルクとして見るか、あるいは政権に仇なす敵と見るかは人によって評価が異なるだろう」
カエル「オウムも佐村河内も日本を揺るがしたと言っても過言ではない大事件に対して、望月記者自体は何か悪いことをしている訳でもなく、現在進行形で戦っている人だから扱いは異なるよね」
主「だけれど、やろうとしたこと、その作家性は何一つとして揺らいでいない。
つまりさ、我々は望月記者の何を知っているのか? って話だよ。
政権に批判的で、菅官房長官に丁々発止のやり取りを繰り広げる、パワフルで賛否のある女性……そんなことしか知らない。
でも”人間・望月衣塑子”については全くの無知なわけだ
今作はそこを重点的に撮ってきている」
前作の『FAKE』でも佐村河内さんが豆乳が好きって聞いた瞬間に、ちょっと見方が変わった部分もあるよね
新聞の記事やニュース番組では報じられないようや、本当に大事な人間性が伝わらないままでイメージだけが闊歩している部分がある
主「だから、この映画において”事件や騒動の真相を知りたい!”という人は、多分向いていないと思う。
というか、この映画が取り上げている問題そのものは、決して目新しいものではなく、リベラル・保守の両方によく知られたことだろう。
だけれど、望月記者や多くの世間を賑わせた人の人間性を……その事件よりも大事なものを描き出している作品である。
自分が森監督を好きだというのは、その視点であり撮り方なんだよね。
その点で自分は満足しました」
他の人物の一面も知ることができる作品に
そういえば、本作って籠池夫妻であったり、前川元事務次官、伊藤詩織さんなどの、メディアの中心にいた人たちが多く出ているよね
上記と同じだけれど、やっぱり印象がちょっと変わると思うよ
カエル「会場には籠池夫妻と伊藤詩織さんが来場しており、観客席で映画をご覧になっていました」
主「この人たちをどう評するのかはどうしても政治的なスタンスもあって、難しい部分もあるだろう。
だけれど上記と同じでさ、肯定する人も、批判する人も人間性の部分をよく知る必要があるのではないか? ということだ」
カエル「特に籠池夫妻は描き方が良かったよね。
言葉はあれだけれど……普通の関西のおじさんとおばさんの夫婦って印象だったな」
主「例の問題については判断が難しい部分もあったけれど、この映画内ではとても人間として好感を持った。メディアに出ていたような……”真実に目覚めた告発者”あるいは”世紀の嘘つき”とは違う一面を見ることができた。
別になんて事はないんだよ。
普通のおじさんとおばさんでさ、その振る舞いも夫婦としての在り方も特に異常なところはない」
作中ではそこまで深く掘り下げられることはありませんでしたが、伊藤詩織さんや訴訟の相手である山口敬之さんも出演しています
この問題では自分はどちらかを肩入れすることはできません
主「もちろん伊藤さんの訴えも分かるし、感情としては支持する人も理解できるけれど、日本は司法社会であり、司法が不起訴と決めた相手に、半ば感情論で司法外で追い打ちをするような真似をするのはいいのか? という難しい問題をはらんでいる。感情で裁くことを防ぐために法があるわけだからね。
その司法や法がおかしいという意見もわかるけれど……そこいら辺は専門家ではない以上、なんとも言うことができない。
ただ、この映画の印象としては伊藤さんも山口さんも、どちらかが嘘つきだとか、不誠実という風には見えなかった。
どちらも自分の言い分を訴えている印象だったかな」
カエル「どう受け取るかは、その人によるとおもいます」
個人的なお話
舞台挨拶で変化した河村Pの印象
この回では森達也監督と河村光康プロデューサーが登壇されました
こちらもいい変化があったかなぁ
カエル「タイトルで察した方もいるかもしれませんが、2019年の6月に公開された、藤井道人監督の映画『新聞記者』と同じプロデューサーであり、本当は2作同時公開をしたかった、などとお話しされていました」
主「はっきりと言わせてもらえば『新聞記者』の映画は嫌いですし、かなり批判的なことを書きました。
あれは色々と理由もあるんだけれど、1番は『デイアンドナイト』などで感動した藤井監督の良さ、つまり”悪党の言い分や正義を描く”という部分が消えているどころか真逆のものになっているように感じたのが大きい。
タイミングも選挙の直前だったし、河村プロデューサーは安倍政治を打倒したいだけの人の映画だと思っていたんだよね」
その印象が変わったと?
おそらく、安倍政治に対して反感を抱いているのはあると思うけれど、それ以上に新聞に対して熱い思いがある人だというのが、直に伝わってきた
主「自分は新聞に対しての思い入れは一切ないし、今後は衰退していくオールドメディアだと思っている。おそらく、紙を売るという今のスタイルが通用するのもそこまで長くはないだろう」
カエル「日本はまだまだ現金とかのアナログ志向があるけれど、本や雑誌、CDと同じように消えてしまうのかもね……」
主「結局は情報屋さんとしてどう生き残るのか? ということになると思う。
だけれど……これは世代的なものかもしれないけれど河村プロデューサーは本当に新聞というメディアが好きだし、大事だと思っている。
そして、新聞や記者が世界や政治を変えてくれるはずだと信じている。
だから、望月記者に密接に関係した作品を2作も作っている。
安倍政権批判もあるだろうけれど、新聞記者そのものを……新聞を応援したい人なんじゃないかな、というのが伝わってきたのが、今回の舞台挨拶で大きなできことだった」
個人的なこの映画の受け止め方
じゃあ、ここからは政治的な意見も気にせずに語っていきましょうか
多分さ、この映画も賛否が割れると思う
主「公開前の現時点においても、映画サイトの感想などでは、すでに安倍政権に反対の立場の人たちが『望月さん素晴らしい! この国は異常だ!』のシュプレヒコールを繰り広げている。まあ、そういう反応になるんだろうなぁ、とは思いつつも、辟易してしまうのが正直なところだ。
近年の表現の自由の問題も含めて大騒ぎするのもわかるし、大事な問題だろうけれどTwitterをやめたくなるような事ばかりが呟かれている。
では、その先に何があるのだろうか? って事ですよ。
自分は”正義の果てには焼け野原”だと思っている」
カエル「ここで『機動戦士ガンダムUC』のEP4の一部を抜き出します」
モーテルの老店主「まあ、しょうがない。全て善意から始まっている事だ」
オードリー(ヒロイン)「善意?」
老店主「連邦も移民も元は人類を救いたいという善意から始まっている。会社を儲けさせたり、家族の暮らしを良くしたいと願うのと同じで」
オードリー「でもそれは、ともすればエゴと呼ぶべきものになります」
老店主「そうかもしれんがね。それを否定してしまったら、この世は闇だよ」
自分はこのシーンが殊の外好きなんだけれど、ここで今の政治状況の問題点が詰まっていると感じている
主「右派も左派も、最初は善意から始まっている。
でもそれがエゴとなり、自分と異なる者を攻撃しあっている。そしてそこに本来無関係だった人や物事すらも巻き込み、悲劇が生まれている。
今の政権をナチスドイツに例える人もいるだろう。だけれど、では左派政党はみな問題ないのか? と言うと、それは違うと歴史が証明している。右派も左派も等しく危険な部分は存在し、どちらも大量虐殺を巻き起こす可能性があると自分は思っている。
もちろん、許せないこともあるだろう。大事に思うものも違うし、政治において正解はない以上、必ず誰かが割りを食うことになる。それに反対することは大事かもしれない。
しかし、だからと言ってその自分とは異なる善意を否定してしまったら、それこそこの世は闇になるのではないだろうか?」
……でも、多分この映画の評価も政権に対するスタンスで割れるよね
その態度が1番バカらしいよ
主「安倍政権に反対だからこの映画を批判します、あるいはその逆もそうだけれど、それじゃダメなんだ。
観客に求められているのは”望月衣塑子という一人の人間を知ること”なんだ。
その結果、やっぱり望月記者を応援します、あるいは批判しますというのはいい。でも彼女も1人の人間である。美点もあれば欠点もある、極めて当たり前なことだ。
でも、今の状況はそうなっていない。
彼女をジャンヌダルクとして、英雄視する先に平和があるのか?
自分はそう思わない。
だけど、一部の世の中の流れは彼女を英雄に祭り上げようとしているに見える。
1回みんな落ち着いた方がいいんじゃないの? っていうのは、自分のこの映画の感想。
で、その人となりを知った後にも同じようなことを言えるのか? って話だ」
カエル「以前に高橋源一郎が自身を批判した相手の著書を全部読んで、相手の人となりを知った上で反論した、という話があったよね」
主「ここまでやるのは難しい部分はあるだろうけれど、我々はメディアのイメージで物事を語りすぎている。そのそれぞれの正義が暴走しているような状況に見えるのが残念だなぁ」
最後に
では、この記事を終えるとしましょう
実はネタバレありで語りたいこともあるけれど、それは後日加筆しようかなぁ
カエル「ちなみに映画祭にて森監督・川村プロデューサーに質問する機会をいただきました。その際に『荒れてなんぼだと思いますので、(賛否を巻き起こすように)荒らしてください』と言われましたので、この記事をあげています」
主「人となりを知るってことはとても大事なんだよ。
だから、森監督は多分やらないと思うけれど、今度は菅官房長官か安倍総理に密着したドキュメンタリーを作ると面白いかもね。
『権力に擦り寄っている!』って言われそうだし、絶対にやらないほうがいいとも思うけれどさ」
カエル「イーストウッドがアメリカ側と日本側の第二次世界大戦を描いた、みたいなことだね」
主「それで見えてくるものもあるんだよ、きっとね」