亀爺(以下亀)
「今週も見たい映画がたくさんある中で、あえてこの映画を選択したんじゃな」
ブログ主(以下主)
「まあね。本当は渋谷なんて一歩も足を踏み入れたくなかったんだけど、一番近い劇場が渋谷だったから、仕方なくね」
亀「渋谷か……確かに大都会ではあるものの、恐れるような場所かの?」
主「こんなオタクがさ、ダサい格好して歩いているだけで
『プーくすくす、あのダサオタク、渋谷という舞踏会をあんな格好で歩いているわよ』
『こらこら失礼でしょ? あれでも精一杯のお洒落のつもりなのよ』
なんて声が四方八方から聞こえてきてさ。こちとらしかも、行く途中に何を間違えたのかホテル街や風俗街に迷い込んで、余計に『あーあ、相当溜まってるのね、デリヘル? ソープ?』なんて声が聞こえてきそうだし……」
亀「自意識過剰も過ぎるの」
1 映画としての『Fake』の魅力
亀「森達也の15年振りの新作というところの注目されるが、映画としても中々優れた出来だったの」
主「そうね。基本的に映画の醍醐味って個人的には『視点の変更』とか『思想の転換』にあると思うわけよ。たった一瞬ですべてが変わる面白さっていうかさ。
その点において元々この作品は佐村河内という『嘘』のイメージが凝り固まった問題を相手にしているから、映画を観る前は佐村河内=悪というイメージが頭にこびりついているわけだ。
それが映画が始まった直後から佐村河内目線でスタートするんだから、いきなり『視点の変更』『思想の転換』を強いられるわけだよ。そりゃ面白いに決まっているわなって話で」
亀「ドキュメンタリーという映像方式に、佐村河内問題と聞くと相当『お堅い』内容かと思いきや、そうでもないからの。驚きだったわ」
主「エンタメとして見事に成功しているんだよな、面白く作れている。あまりにもエンタメすぎるという意見もあるかもしれないけれど、普段ドキュメンタリーを見なれない人からするとこれくらいでちょうどいいかもな。
個人的には2016年No,1の衝撃だったかもしれんな」
亀「特にネタバレ厳禁の最後の12分間は……言葉にし難いものがあるの」
主「当然このブログでもここは口を開けないから、是非とも映画館で鑑賞してほしいね……そうね、一言だけ言うならば『映画館で観る価値が絶対あるよ』とだけ言っておくかな」
亀「そうじゃの。『映画館で観る価値がある』作品じゃの。じゃあこれからはそのネタバレ部分以外で佐村河内問題に切り込んでいくかの」
2 佐村河内守という存在
亀「主は佐村河内問題について、当初はどう考えておった?」
主「正直、何が問題なのか特に理解できなかったんだよね。面白い事件ではあると思ったけれど、ここまでバッシングされるとは正直思っていなかったというかさ、多分、擁護する側の意見だったと思う」
亀「あの当時から擁護しておったのか?」
主「個人的にはさ、作者の人間性と作品の性質は別問題だと思うわけよ。百田尚樹や坂本龍一が何を言おうと作品の質は変わらないし、人間性だけで見たら石川啄木とか太宰、安吾とかも非難されるべき人間だけど、その作品は圧巻の一言だし」
亀「じゃが、この問題は作者自身が別という問題であって、人間性を叩いた問題とはまた違うぞ?」
主「同じだよ、少なくとも俺にとっては。佐村河内という名前とストーリーがなければ作品も、新垣という人間も世に出てこなかったわけだし、世の中には埋もれた天才なんていくらでもいるよ。それでいったら、素人音楽家でも面白いのはたくさんいるし。でも評価されるか、売れるか売れないかは別問題でさ、例えば邦楽だけど『YUI』がブッサイクな40代のおばちゃんだったら絶対に売れてない。でもあんな可愛い女の子が一人で路上で歌っているというストーリーにみんな乗せられたわけでさ。
辻井伸行も『盲目のピアニスト』というストーリーも加味されて評価されているわけで、そのストーリーがなければ人気の面では一段落ちると思う。
そのストーリーはいいんだよ、そんなの成功秘話とか言ってどの人間もやっていることだから。それが100%真実である必要はないし、どこかで盛る必要もあるだろうし」
ゴーストライター問題
亀「ゴーストライターはありだと?」
主「ありというかさ、根本的にこれがゴーストライターや捏造かというと微妙な問題よ。例えば野球が好きだから野村克也の本とかもよく読むわけよ。他にも学者筋なら福岡伸一とか養老孟司とかさ。じゃあその全てをその人達が書いているかというと、よくわからない。学者は全部書いているかもしれないけれど、スポーツ選手とか芸能人の自伝なんかは本人が書いているとは限らないわけよ
でもその本の内容が嘘かというとそんなことはなくて、おそらく野村克也だったり、学者が普段話していることを聞いたライターがそのまま書き起こしして、文章を整えている。じゃあその本は野村克也の本なの? と言われると100%本人が手がけたわけではないけれど、事の始まりはノムさんの思想なわけじゃん」
亀「佐村河内問題も似たようなものかもしれんの。耳が聞こえんから指示書だけ渡して、新垣に作ってもらって。確認もしないからそのままアレンジをたくさん加えて」
主「だから余計にややこしい。聴覚障害者が音楽を作るんだから、それなりの手助けは必要だろうし」
非難されることが文学的
主「結局、町山智浩の評論を読んじゃったからこう言っちゃうんだけどさ、小保方問題然り、オリンピックエンブレム問題然り、それから不倫騒動もそうだけど、あの手の問題って個人的には非難されていた人たちに注目しちゃうのね」
亀「元々天邪鬼じゃからな。世間と真逆のことを言いたいのじゃろう」
主「……まあ、それもあるのは認めるけれどさ、結局はそう言った部分にこそ文学的素養は宿ると思うわけよ。
例えば文豪の面々で言ったら、太宰や安吾なんて人間性はひどいもんだよ。不倫に毛ほども悪気を感じてないし、ヒロポン(覚せい剤)とかの薬漬けにもなるし。でもそれがあるからこそ、無頼の所以でもあるけどさ」
亀「そうじゃの。なんの性格的破綻のない人間なんて文学的には面白味がないからの」
主「結局映画も小説もそうだけど、『人間の業』を愛するという行為から始まる物語って絶対あるわけよ。不倫もそうだけど。で、佐村河内も小保方もオリンピックも、個人的に本音を言えば、本当か嘘かなんてどうでもいいの。大切なのはその業を愛せるかどうか、その一点だから。
小保方問題は死者が出ちゃったけれど、基本的には存在しようが、捏造であろうがどっちに転んでも面白い話なわけよ。存在したら世間が否定した『現代のガリレオ事件』となるし、捏造だったら『如何にして一介の小娘が世界中の科学者と理研という組織を騙したか』という話になるからね。
あとはそこに至った心情が加われば、文学や物語になっていく」
亀「それは外野だから言えることでもあるがの」
主「もちろんそうだけど、この件で叩く人達は外野がほとんどだからね」
3 印象が変わっていく
主「正直な話さ、佐村河内を見ていると親戚の親父を思い出すんだよね」
亀「ほお、それは見た目が? 中身が?」
主「両方。見た目もそっくりなんだけど、本人はどうにかしようと頑張ってはいるのかもしれないけれど、周囲から見ると突っ込みどころが多すぎてさ。結局楽な方に流れて、よりジリ貧なことになってしまうっていうね」
亀「聴覚障害者のためのイヤホンがあることも知らんかったようだしの。その部分だけを見ても、あのズブズブの関係に甘えていておったのはいただけんの。事が発覚した後も勉強する気もなくずっと落ち込んでいたのは同情もするが、やはり厳しい言い方をすると楽な方向に逃げていたにすぎん」
主「……あー耳が痛いわ……
結局佐村河内の最大の罪って何かと言われたら、怠惰なことだったんだろうな。本当はきっちりしなくてはいけないことがたくさんあったにも関わらず、全く何もしてこなかったというね」
亀「もっと早くに適切な処理を行ったり、発表をしていたらこうはならなかったかもしれんの」
主「まあ、そこが人間らしいんだけどね」
障害の証明
主「しかし、聴覚障害の証明というのは難しいもんだね」
亀「結局のところ自分が自分であることを示すということは相当に難しいことということかの。科学的データもあるのにも関わらず、誰も信じてもらえない苦しみがあるからの。例えば聴覚障害者の中には読唇術を使って、まるで健常者のように振る舞う人だっていて、場合によってはその人が障害持ちということを忘れるレベルで使いこなしておる。
わしらも飲みの席とかでガヤガヤしていて音が正確に聞き取れなくても、それまでの話の流れなどで言いたいことがわかる時もある。あの会見の時のやり取りもそういう類のものじゃったのだろうな」
主「その意味においても怠惰は怠惰なんだよ。読唇術をもっと深いレベルで使いこなすとかさ、そういうのがあればもっと聴覚障害者として違和感も減ったかもしれないけれど、あの態度は明らかな聴覚障害者すぎたから、余計に演技かもしれないと思わせたのかもな」
4 新垣氏との『政治的敗北』
主「結局この登場人物って新垣VS佐村河内の二点対立になっていたけれど、そんな分かりやすい『正義VS悪』であるはずもないのに、そんな風にされてしまったな」
亀「この場合新垣の政治的勝利じゃからな。まず佐村河内という巨悪の存在を演出することに成功し、その後対応も完璧に出遅れてしまっておる。世間は誰が見ても佐村河内が悪で、新垣は単なるその操り人形で一種の被害者だという風潮ができてしまっていた。
その後もメディアに引っ張りだこで笑い飛ばし、自分の名前を売ることができたし、出来過ぎなくらいこの事件で成功しておるのも新垣氏であったからの」
主「ただ、その辺りは新垣が上手かったってだけだからな」
亀「そうじゃの。立ち回り方が上手かっただけで、それ自体は褒めるべきことであっても、貶すことではないの。逆に佐村河内氏はその自分が創り上げたイメージが足を引っ張ってしまったとも言えるからの。ストーリーがうますぎたというか」
主「結局、新垣はその問題をすべて笑いに変えていったわけじゃない。そのやり方に賛否はあるだろうけれどさ。円楽の不倫の時もそうだけど、自分のミスを笑いに変えることができる人は強いよね。その吹っ切れ方が圧倒的にうまかった」
亀「新垣を褒め称えることがあるとすれば、メディアに媒体や中身を区別せずにたくさん出たところじゃろうな。あれで世間が好意的な視線を送ったことは間違いないからの」
主「その後の立ち回り方もうまかったからな。ちょっとやりすぎた感はあったけれど」
結局真実は?(個人的憶測)
亀「主が思うに、この件の真相はどう思う?」
主「……まあ、どっちもそれなりに本当のことを言っているんだと思う。ただし、お互いに盛っているけれど。
佐村河内本人は確かに作曲しているつもりだったし、指示書もあったと思う。だけど結局耳が聞こえないから、それを音にするときは新垣に頼んでいた。
新垣としては佐村河内の確認もないから(できないから)、その指示書を無視して作っても問題ないわけだ。基本的にはバレないだろうし。そうなると『俺の作品なのに……』という思いを募らせるのも理解できるけどね。
別の言い方をすると『厨房に立たないシェフ(オーナー)』と『実作業をする調理人』みたいな関係でさ、アイディアやメニューは決めるけれど一切確認しないから料理人が好き勝手やっていた、みたいな。
結局この問題がここまで大きくなったのはパンフにあるけれど、友川カズキが言っているように『成功し過ぎたこと』であり、プロデューサー、作曲者、アレンジャーとして二人とも優秀だったという話だろうね」
亀「全部憶測じゃがの」
最後にこの問題から学ぶこと
亀「この映画を見て『新垣はクソ、メディアもクソ、佐村河内は神』とか言い出すようなことがあると、何一つとして成長しとらんの」
主「そりゃあね。『カメラの外にあるもの』とよく森達也は言っているけれど、結局この映画は佐村河内の主観でしかないわけだよ。だから真実というものはこの世の中に存在しない」
亀「中立なんて視点は存在しないからの」
主「存在はするとしても、それは定点カメラなんだよ。いわば監視カメラでさ、同じ場所をずっと撮り続けているカメラ。しかも時間も弄らないっていうね。それは中立かもしれないけれど、そんなのテレビや映画にならないし、編集が入った時点で中立性は損なわれる。さらに言えばその場所にカメラを置くのも、誰かの意図があるかもしれないし」
亀「物事を反対側から見るというのも重要じゃな」
主「個人的には森達也の本とかに書かれている思想や政治観についていけないところもあるんだけどさ、でも自分と全く違う意見を取り入れるってのは絶対大切な作業だからね。その目的も相手を論破することではなくて、知るという行為そのものに意味がある。
これはイスラムもそうだし、難民もそうだし、犯罪者に対してもそう。『知りたくない』という拒否から偏見は生まれるから」
亀「……まあ、知りたくないという気持ちもわからんでもない件もあるがの」
主「だから『猫の目』が大切なんだよね。少なくともこの作品に登場する中で、猫だけは間違い無く第三者で無関係だから」
主「いやー今回は長いレビューになったね」
亀「それだけ語りたいこともたくさんある映画だからの」
主「そうね。人によって何通りもの答えがあって、色々と解釈可能な映画だからな……そうだ! 俺も盲目の作家っていう程にして、小説を発表しようかしら」
亀「……炎上することもなく誰にも注目されずに消えるだけかもしれんがな」
ドキュメント・森達也の『ドキュメンタリーは嘘をつく』 (DVD付)
- 作者: 森達也,替山茂樹
- 出版社/メーカー: キネマ旬報社
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