物語る亀

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物語愛好者の雑文

表現の自由について考える〜ヘイズ・コードから見る表現規制〜

 カエル君(以下カエル)

「ねえ、亀爺。雑誌を読んでいるときにごめんね。前にあったこんな記事を見つけたんだけどさ……」

 

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  亀爺(以下亀)

「ああ、主がビリーワイルダーとヘイズコードの関係性について語った記事じゃな」

 

カエル「そうそう。それでね、この記事に書いてあることを考えると、ヘイズコードってトンデモナイもののように思うんだけど、そこら辺ってどうなの?

亀「そうじゃなぁ、今回はヘイズコードと表現規制について話してみようかの。ちなみに、わしや主は表現の自由は最も重要な自由の一つであり、それを規制する運動には反感を覚える人間だということは、予め言っておきたい」

 

 

 

 1 そもそもヘイズコードって?

カエル「そもそもヘイズコードって何?」

亀「簡単に言うと、アメリカの映画業界が作り上げた自主規制じゃな。今でいうR-18やらというレイティングシステムの元になっておる。

 ここで注目して欲しいのは、決して法律などで規定されたようなものではなく、業界が自主的に規制したものだということじゃ。つまり、映画を縛るような規制を作ったのは、他ならぬ映画業界なのじゃよ」

 

カエル「ええ〜!! なんでわざわざ規制したの!?」

亀「規制が始まった1930年代になるがこの時代は世界中が第一次世界大戦の余波もあり、不安定な情勢じゃ。さらに大恐慌が訪れたり、禁酒法によりマフィアがより力を発揮した時代でもある。アメリカも問題を多く抱えておったのじゃな。

 そんな中で時代が不安定なればなるほど、強い力を発揮するのがやはり『宗教』じゃ。溺れる者は藁をも掴む、困った時の神頼みじゃの。近年も『スポットライト 世紀のスクープ』なんて映画もあったが、1930年はスポットライトの時代よりももっと力を持っているのは明らかじゃ。

 元々禁酒法も教会の一部勢力の暴走じゃから、それに目をつけられたらもっと厳しい規制が始まると予見しておったのじゃな。だから自主規制を始めた」

 

カエル「今の『自由の国アメリカ』とは思えないね」

亀「むしろ差別や様々な問題があったからこそ、その反省から今のアメリカになったという方が近いかもしれんな。例えば野球のメジャーリーグもこの時代は黒人系と白人系ではリーグ自体が別だったのじゃが、ジャッキー・ロビンソンが初の有色人種系野球選手となったことで野球界における人種差別は撤廃の方向に進んでいった。その前からサチェル・ペイジなどの伝説的な名選手もおったのじゃが、ペイジもMLBデビューは42歳になってしまっておる」

 

 

2 ヘイズ・コードの影響

カエル「でもヘイズ・コードってどれだけの影響力があったの?」

亀「今でいう映倫や、テレビ局の放送禁止コードみたいなものじゃからな、それはそれは影響力はあったようじゃ。規制の中には現代でも理解はできるもの、例えばグロテスクなシーンや犯罪を助長するようなシーン、セックスシーンは写さない、というのもあるのじゃが、偏見に満ちたものも多くてな。黒人はださない、出産シーンもダメ。当然宗教が絡んどるから、聖職者を馬鹿にするようなものもアウトじゃ」

 

カエル「それだけ色々あると撮る方は大変だね」

亀「そうじゃな古い映画を見とると、不自然に場面が飛ぶ作品などもあるんじゃ例えば仲睦まじい男女が部屋で会話をしておる。それが昼のシーンであったはずなのに、次のシーンでは夜になっておる、とかな。これは、まあ、そういうシーンは映画として撮影できないからこそ、それを示唆するような撮り方をしておる」

カエル「でも映画業界は息苦しかったろうね」

亀「そうじゃろうな。だが、その時代にハリウッド映画黄金時代と呼ばれて、今でも通用するような名作映画がたくさん生まれたのじゃから、必ずしも悪い影響しかなかったわけではないじゃろう。

 それだけの規制をしているから国などから関与を受けなかったのであろうし、圧力もなかったとすれば、その思惑は成功したと言っていいのではないじゃろうか」

 

カエル「……複雑なお話なんだね。でも現代においてはそれがなくなったから、めでたし、めでたし! これで面白い作品が自由に撮れるね!」

亀「……そうじゃな。それが良いか悪いかは別として、な」

カエル「……亀爺?」

 

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3 『表現の自由』とは何か?

カエル「亀爺、いつも言ってるじゃない。人間が生きる上で一番大事な自由は表現の自由だって。それがないとこんな風にブログも書けないし、小説も書けなくなるんだよ?」

亀「もちろんそうじゃ。表現の自由は最大限守らなければならないし、尊重されねばならぬものじゃ。それは大前提で揺るがぬし、それを否定するような運動には反対する。じゃがな、今の状況が正しいかというと、そうとも言えないように思うのじゃ」

カエル「……それはヘイトスピーチとか?」

 

亀「わしはヘイトスピーチに関しては基本的に規制には慎重じゃ。デモというのは不平、不満があるから行われるもので、その相手が自民党であろうが、民進党であろうが、米軍、自衛隊、政治家、運動家、国籍にであろうが、それに対する不平不満を訴えることは当然の権利じゃ。そのうちに言葉が強くなることもあるじゃろう。

 米軍の起こした事件をきっかけに米軍移設運動が活発化するじゃろうが、中には激しい言葉を使う運動家もおるじゃろう。だが、それを規制してしまうとデモそのものを規制することになりかねんからな

 じゃが、自由の尺度はきっちりとしなければならんとは思う」

カエル「自由の尺度?」

 

亀「そうじゃ。例えば万引きやいじめなどの犯罪行為を動画で撮影し、twitterなどであげることは『表現の自由』の範囲外であることは誰にでも理解できるじゃろう。じゃが、舛添ではないが『違法ではないが不適切』な表現、例えば自傷行為などがそうじゃろうが、見ていて不快だけども違法ではない表現というものがある」

カエル「でもそれはネットモラルの問題じゃない? 」

亀「わしには最近、プロの業界でも似たような傾向にあるように思うのじゃ……」

 

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4 過激化する表現

亀「『バトル・ロワイアル』が大ヒットして以降というもの、映画界やマンガ界の一部ではいかにグロテスクな設定を作り上げるか、映像を作るのかを競い合うような作品がたくさん出回った。海外作品じゃが『ソウ』や『キューブ』といった作品が流行ったしの。もちろん、表には出てこないような作品ではもっとえげつない作品も生まれているじゃろう。海外アニメの『ハッピーツリーフレンズ』とかの。わしはアウトだと思っておるがな。

 結局のところ、読み手の側はその手の刺激に慣れてしまうから、その次の作品はさらに過激にならなければいけなくなる。そうして際限ないグロテスク、ないしはエロチック描写が果たして許されるのか、考えなければいけない時に来ているように思うのじゃ」

 

カエル「でもお客さんは喜んでいるんじゃないの?」

亀「お客さんが喜べばいい、というものでもあるまい。プロ、アマ問わず表現者が相手をするのはお客さんのように考えがちじゃが、その後ろには世間というものがあるしの

カエル「じゃあ、亀爺は東京都の表現規制に賛成なわけ?」

亀「難しいところじゃが、この場合国や都が制限するということに問題があるの。杓子定規で規制されてはたまったものではない。それから、表現規制はできないからと『非実在青少年』などと訳のわからんことをしているのが問題じゃ。

 本来であれば製作者サイドの良心にて自主的に控えるということが望ましいのじゃが、良心に頼るようではタガが外れた時にはどうしようもないからの」

 

黒澤明の『過ち』

亀「かつて黒澤明が『椿三十郎』にて派手な血しぶきを噴き出させてしまい、日本映画がこぞって真似たことがあった。その際に黒澤明は自分の過ちによるものだと認めて、そのような演出を控えたという話もある。

 わしはこの逸話を聞いていつも考えてしまうのじゃ。派手な演出、人間の本能に直結する、グロテスクやエロティックな表現の果てにあるものは何か、とな。それだったら最後には本物の死体を出したり、裸体の男女を出せばいいだけではないか、と。

 そこまで行けば、それはもう表現と言えるのかの? ISと何が違う?」

カエル「……極論だけどね」

 

亀「日本は『間の美学』がある。小説は行間を読むというし、時間、空間、人間など『間』というものが非常に大切にされてきた。その間がないものを『間抜け』なんて言うように。

 本来はあえて抑えたり、そのような場面を映し出さないことで余韻や間を生み出すというのも立派な演出方法じゃ。だが、今ではわかりやすく伝わりやすい表現を好みすぎて、強い表現ばかりになってしまっておる。

 ヘイズ・コードはそのような反射的な表現を抑えることにより、より『映画的な』表現などを発達させて、その結果映画黄金時代を築き上げた。そしてヘイズ・コードがなくなると、より過激な演出、派手な絵を求めるばかりとなってしまっているのではないだろうかの?

 表現規制によって、表現時代が成長したとは皮肉な話じゃがな」

 

 

最後に

カエル「……結局、亀爺は表現規制に賛成なの?」

亀「……実を言うとわからんというのが本音じゃな。もちろん、ないに越したことはない。だが現状はまだいいかもしれんが、その先を考えると、そろそろそれを取り入れなければいけない時代が来たのではないかと言う思いに駆られる。

 最近、ネット業界では少年 Aがブログを始めたという話もあったの。それからPVを集めるためにあの手、この手と次々に新しい手法が出てくるが……中には悪質なものもあるようじゃ

 これはプロ、アマ問わず、全員が考えねばならぬ問題と、わしは思っておる。

 どんな回答になろうが、その答えが正しいとは限らないからの

 さて、わしは食事にするから、カエルも早く帰るんじゃよ」

 

 

「今日の亀爺、すごく真面目だったなぁ。やっぱり根は真面目な亀なんだよね……

 そういえば、何の雑誌を読んでたんだろ? どれどれ……

 

『柔らか頭を固くする! 過激! 衝撃! 限界突破! メス亀の全てを……』

 

 ……見なかったことにしよう」

 

 

 

マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書)

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