今回は藤井道人監督の最新作『ヤクザと家族 The Family』について語っていきます!
とても好きな監督の新作だから、注目度も高いです!
カエルくん(以下カエル)
「おそらく1月の実写邦画の中でも、特に注目度の高い作品ではないでしょうか?」
主
「このご時世でもしっかりと流行ってほしい作品だよね」
カエル「では、早速ですが記事のスタートです!」
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綾野剛&舘ひろし『ヤクザと家族 The Family』本予告
YouTubeにて動画でレビューもやっています!
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#ヤクザと家族
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2021年1月29日
暴力の中に人生の哀しみを描き抜く藤井道人監督らしさの詰まった作品に
そうなるしかなかった人々の生き方を描き観客に「どうすればいいか?」と問いかける
久々に“映画“を見た気分も2時間半は少し息が切れ始めていたから
それでも確かな作品
1月マイベストは揺るがないでしょう pic.twitter.com/2WxkkDsaQL
非常にレベルの高い作品だったことは、間違いないだろう
カエル「おそらく2021年の邦画の中でも特に注目を集めるであろう作品になったのではないでしょうか?
それだけ、脚本、演出、演技、音楽、美術……全てにおいて高いレベルで展開されていた作品と言えるでしょう」
主「久々に『映画を観た』という満足感が強かったな。
映画館で公開されるからといって、全てが”映画”なわけじゃない。
もちろん、何が映画かといったら色んな人が色々なことを語るだろうし、アニメだって映画にはなりうるし、中には全てが映画だということを語るだろう。
押井守なんかは『これは映画じゃないって言ったことはないし、全てが映画になるということはゴダールが証明している』みたいなことを語っていたと思う。
だけれど……やっぱり、肌感覚で映画的なるもの、ドラマ的なるものの違いはある。
アニメで言ってもテレビアニメ的なるものと、劇場アニメ的なるものは違う。それは萌えアニメとか、幼児向けアニメとか、そういったジャンルの話ではなく……もっともっとクオリティというか、映像の作り込みというかな。
今作はその点において、間違いなく”映画”だった。
コロナ禍で色々な作品が公開できていないということもあるだろうが……久々にこれほどの味わい深い作品に出会えたという気分で、胸がいっぱいです」
基本的には絶賛と受け取ってもらってもいいと思います
それだけ映画としてのレベルがとても高いからね
カエル「今作では3つの世代に分かれてヤクザ世界の移り変わりを描いていますが、エンタメとして楽しめる部分から、監督の作家性を楽しめる部分なども多く存在しているようにも思います。
その意味において、エンタメ&作家性の両立ができている作品ではないでしょうか」
主「一部分では若干の疑問があり、そこが惜しいなと思うポイントではあるんだよ。
具体的に語ると……これはほとんどの邦画がそうだけれど、ネット・SNSの使い方がとても下手。
今作もそれはあって、具体的にはネタバレありで語るけれど、そこが少し冷めてしまった。
140分弱という時間も少し長く感じたかな……130分以内にまとめていれば、もっと評価をあげたかもしれない。
だけれど、この長さをきっちりと走り切った点を含めても、これだけの大規模で2021年の顔の1つとなる作品が生まれたのは、純粋に歓迎すべきだろう」
監督・スタッフについて
今作の監督は藤井道人が務めていますが……うちは藤井監督の大ファンなので、だいぶゲタを履かせている部分はあると思います
今後の邦画を背負って立つ才能の1人であることは疑いようがないだろう
カエル「簡単に紹介すると、2021年で35歳になる若手の監督ながらも、本作で長編作品はWikipediaに載っているだけでも15作品もあるほど、早撮りで多くの作品を量産し続けています。
特に近年は注目度が年々上がっており『青の帰り道』『DAY AND NIGHT』などが高く評価され、『新聞記者』は日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞しました」
ボクは、今の実写邦画の中で最も注目し、好きな監督だと言っても良いくらいにのめり込んでいるね
主「良い映画監督というのは、予告編のワンシーンを見ただけでも誰の作品かわかるようになっている。
その点、盟友である名カメラマン、今村圭佑の力もあるけれど、藤井監督作品というのはとても映像が主張してくる。
光と影の撮り方が独特で、だからこそその登場人物たちの語られざる想いというのも伝わってくる。
あとは、個人的な感覚だけれど”哀”を描ける監督だ。
悲劇を描ける人はいるかもしれない。だけれど、哀劇を描ける人は今の邦画でもあまり浮かばない」
カエル「すごく抽象的な表現にはなってしまうけれど、言うなれば悲劇というのはその名の通り悲しい話……誰かと分かち合うような悲しみ、だとすれば、哀しみは……それこそ生きる上での誰もが抱えるであろう孤独の力とでも言うのかなぁ」
主「喜怒哀楽ってのは、喜怒悲楽ではないといえば、ちょっとはわかるだろうか。
この話も涙を浮かべてハンカチ片手に『◯回泣けます』と言うモノではない。
だけれど、もっと胸の奥にガツンときて、ずっとこびりつくような……そんな哀しみがある作品だ。
その藤井節は今作も健在。
自分はそれが感覚としてよく理解できるし、とても好きなものなので、特に注目している監督でもあるんだね」
そして制作・エクゼティブプロデューサーには『新聞記者』と同じく河村光庸が務めています
邦画界の隠れた主役級の作品を多く手掛けているプロデューサーだね
カエル「それこそ『新聞記者』であったり、あるいは『愛しのアイリーン』『宮本から君へ』などの、近年の邦画では特に熱いファンの多い作品をプロデュースしています」
主「実は、自分としては苦手な作品が多いんよねぇ。
『新聞記者』も含めて、川村Pの作品は多く見ているけれど、どれも好みではない部分がある。おそらく、1番ハマったのはボクシング映画の『あぁ、荒野』かな。
あとはドキュメンタリーで森達也節の効いた『I〜新聞記者ドキュメント〜』とか。
自分が見た作品が偏っているのかもしれないが、その特徴としては
- 熱い男のドラマ
- 反権力
の傾向が強い」
どの作品も、決して恵まれた人たちの話ではないことは共通しているよね
むしろ、中流よりも下の人の階層に居ざるを得ない人たちの熱さを描いている印象だな
カエル「『あぁ、荒野』『愛しのアイリーン』『宮本から君へ』なんかは、本当に不器用でどうしようもない男たちの熱いドラマを。
『新聞記者』などからは反権力という題材だったけれど、これももしかしたら反骨精神からくるものなのかもしれないね」
主「それでいうと今作はその2つがとてもうまく組み合わさっている。
個人的には『新聞記者』が予想以上にうまくいったから、そのご褒美……と言ったらちょっと聞こえは悪いかもしれないけれど、監督の作家性をもっと活かしたものを作ろうという意識はあったんじゃないかな。
その意味では、今作は藤井監督の作家性もさることながら、川村Pの作家性、方向性も如実に感じさせる作品に仕上がっている。
作品にとっては幸福な出会いだったと言えるのではないでしょうか」
役者について
それでは、役者についても語っていきましょう
間違いなく、2021年を代表する役者陣でしょう
カエル「主演の綾野剛に関しては、もう文句の1つもないよね。
作中では車に轢かれるシーンもありますが、そこはスタントマンを使わずに自身でぶつかっていったと言うほどの気合と役を作り込み、撮影に挑んでいったと明かしています」
近年、とてつもない演技を披露している役者に1人だよね
主「綾野剛は『影裏』『怒り』でも同性愛を思わせながらも繊細な描写、あるいは直接的な演技に挑戦したり、あるいは暴力的な人物を演じたりと、タブーがなく挑戦する姿勢を打ち出している。
それこそ『新聞記者』の松坂桃李もそうだけれど、政権批判や反社会的な人物を演じると言うことは、それだけでイメージが悪くなると倦厭する役者もいるでしょう。
だけれど、そこに体当たりで挑んでいく。
その結果、今作では狂犬ぶりを発揮していたし、とても惹かれる演技を披露していた。
文句なしに、絶賛です。
(インタビュアー)
-綾野さんも、雑誌・キネマ旬報のインタビューで「(名コンビだった)黒澤(明)と三船(敏郎)みたいに、藤井・綾野で毎年1本ずつ撮っていきたいと思うぐらい」とおっしゃっていますね。
(藤井監督)
そういう付き合いになるんだろうな…という予感はあります。ファンの皆さんには、楽しみにしておいてもらえるとうれしいです。
このように答えているけれど、それもそうだろう。今後も見たいと思わせるような、見事な組み合わせでした」
舘ひろし、尾野真千子、北村有起哉……助演も誰も彼もが完璧でした
特に舘ひろしは、やっぱり圧巻だった
主「この作品では”男を磨く=極道”を演じれる役者でないとダメなわけだけれど、それを演じることができる数少ない、本物の男だとわかる。ついていきたくなるからね、あの風貌は。
先のインタビューで綾野剛が
『今僕らの時代は“牙を抜かれた男たちが化粧をする時代”だと思っていて。でも舘さんはまだ牙があるんです。生きていくたくましさやダンディズムのようなものが。』
と語っているけれど、まさしくその通り。
本物の、一本筋の通った男と言う、義理人情に生きる古い人だと言うことが感じられた」
カエル「特に、綾野剛、舘ひろしは年間ベスト主演男優賞、助演男優賞にノミネートは決定だよね……」
主「これは評価しなければこちらが笑われるだろう。
それくらいの名演技を誰もが披露していたけれど、特にこの2人には圧倒された。全員が全員、きちんとバックボーンを感じられる。
綾野剛は今作は集大成だと語っているようだけれど、それも納得。
『宇宙でいちばん明るい屋根』の時も思ったけれど、藤井監督は役者を引き出すのも、とても上手い監督であり、欠点がほぼ見当たらないのではないだろうか」
以下ネタバレあり
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作品考察
滅びゆく者のために〜脚本構成から考えるテーマ〜
では、ここからはネタバレありで語っていきます!
まずは今作のテーマについて考えていこう
カエル「大きく言えば、ヤクザを通して”それでしか生きられない者の悲哀を描く”ということになるのかな。
ヤクザ映画というジャンルそのものの隆盛にも関わってくる話だよね」
主「今作は99年から話が始まるけれど……確か自分の記憶では90年代ってまだヤクザ映画が存在できていた時代なんだよね。
金曜ロードショーで極妻が放送されていて、自分は当時そっちには興味がなかったから『つまらないなぁ〜』と思っていた印象がある。良くも悪くも、まだまだヤクザ映画というのがまだ市民権を得ていた時代の最後だったのかもしれない。
00年代辺りではなかなか新作も発表できなくなってきて、10年代からはコンプライアンスの問題でさっぱり……そのヤクザ映画の時代とも、今作の流れは被るんだよね」
カエル「ここで脚本構成について考えていくと
- 序章(1幕) 99年〜ヤンキーがヤクザになる時代〜
- 2幕 05年〜極道が最期を迎えようとしていた時代〜
- 3章 19年〜令和となり極道が滅び去った時代〜
ということもできるわけだ」
主「若者の燃え盛るようなエネルギーが有り余る1章、そして少し落ち着いた2章、枯れてしまった3章ということになるだろうか。
今作ではそのエネルギーを表現するために
- 1章→手持ちカメラ・撮影のブレがダイレクトに伝わり迫力のある映像に
- 2章→(小さなクレーンのような)ジブ・動きのあるダイナミックな映像も撮れる
- 3章→フィックス(固定)・ブレもなく落ち着いた印象を与える
このような撮影方法がとられている。
その結果、映像を制御することも効果的に効いている。
特に1章の場合は、カメラのブレも非常に激しくてその乱暴なまでの躍動感に呑み込まれそうになるほど。
また2章の車に襲撃されるシーンの長回しなどは、静かながらも確かな燃え上がるような熱量を感じさせる。カメラの選択そのものが、物語をより引き立たせているわけだ」
男の生き方とは?
1章とかでは柴崎も含めて、みんなギラギラと燃え上がっていたのにも関わらず、3章では枯れ果てていたもんね……
これが現代の男の描き方なんだよ
カエル「近年は女性が活躍する社会の実現が叫ばれ、女性を応援する映画がとても多く生まれています。
その一方で男性の生き方を描く映画は、そこまで多いとは言えない現状があるのではないでしょうか」
主「とても難しい問題だよね。
例えば川村作品ということで『宮本から君へ』は、確かに全時代的な男性像が描かれており、その情熱に惹かれる人も多かった。
でも、あのマッチョイズムじみた男性主義的な考え方や行動は、今の時代では否定されるものだろう。
かつて、ヤクザが銀幕のスターだった頃は間違いなくあった。それは山口組3代目、田岡一雄の時代とも被るだろう。
だけれど、それはもはや遠い時代のものとなってしまった。
マッチョイズムも古くなり、社会で働くお父さん像も否定されつつある中で……今の時代の男のあるべき姿ってなんだろうね?」
カエル「……それが描くことができていないのでは? というのが、いつものうちの論調だよね」
主「女性解放運動は同時に、男性解放運動でもあるだろうというのが持論だ。
だけれど、現代のかっこいい男性像はなかなか出てこない……いや、出てきているけれど、それはどこかナヨっとした……それこそ綾野剛の語る“牙を抜かれた男たちが化粧をする時代”なのだろう。
それを描くことができない以上、結局は古い男はそのまま滅びるしかない。
イーストウッドも、北野武も、近年は滅びの話ばかりになるけれど、ヤクザというのは最期は滅ぶことで男を見せつけるしかない時代なのではないだろうか」
それがヤクザ映画の宿命なのかもしれないね
山口組3代目組長の田岡一雄はいろいろな言葉を残しているけれど、その中にも考えさせられるものがある
山口組がこんなに大きくなるとは思わなかったなあ。これでええんかなあ、俺。こんなに上手い事行って、世の中こんなに甘いもんかなあ?おかしいんちゃうかなあ?
あのな、由伎ちゃん。人間てな、いや、男いうもんはな、弱いもんや。弱いから、淋しいから、一人でおられへん。そやから、みんなで集まって嬉しいことは大きくして、哀しいことは小そうしようとするんや。
この映画が描き出した男像に近いものがあるよね
主「組が、組織が大きくなったら大きくなったで、喜ぶものだろうか? 田岡はそれだけ悲しい人が多いということで、なぜだろうか? と考えていたという。
身寄りもなくて、弱くて、悲しくて、どうしようもない男だからこそ、極道に入るしかない。
そして時代の流れから極道のままでいることができない。
一度手を染めた人間が、幸せな道を選ぶことは難しい。
そうなれば、美しく滅ぶしかない。
こんな美学というのが出ているのが、このヤクザ映画なのではないだろうか」
際立った演出〜煙の映画〜
今作で最も注目したポイントはどこなの?
やはり、煙の捉え方だな
カエル「今作は煙を印象的に捉えているシーンがとても多いです。
タバコの煙をただ捉えるだけではなく、光をあててより強調しているシーンがはっきりと目立ちます」
主「1章、2章はみんなタバコを吸ってさ、モクモクやっているんだよ。あまりにも煙くて、びっくりするほど。最初はなんでこんなに煙くするんだろう? って思った。
だけれど2章の葬式のシーンで痺れたね。
それまではタバコの煙だったものが、線香の煙になったんだ。
つまり、煙を通して彼らの生きた証、あるいは情熱、情念、そういったものを捉えていく。
1章、2章のタバコの煙はそれだけ彼らに活力があった時代ということもできる。そしてそれは線香の煙でもあり、ある種の花火のような、光って炭となって燃え尽きることを描き出しているのではないだろうか」
そう考えると、3章の煙も独特だったね……
ここは、ほとんど煙が描かれないんだ
主「3章でも出所後に組事務所でタバコを吸うんだけれど、ここでは煙は他の映画と同じように弱々しい。それだけ組員たちも疲弊しているということを描いている。
だけれど、クスリを売るシーンではモクモクと煙が上がる。ここで中村だけは、まだ05年の頃の勢いを辛うじてあると語ることもできる。
その後、3章で幸せな家族となるシーンがあるけれど、そこでは料理の湯気がモクモクと上がる。
ここではそれまでのタバコの煙と異なり、幸せな家庭の雰囲気を味わうことができるんだ」
ふむふむ、今作でいう煙ってまとめるとどういう意味があるの?
簡単に言えば、”生きる力の可視化”とでもいうべきだろうか
主「まとめると……
- タバコの煙→ヤクザ・不良としての力や気力の強さ、闇社会の活力
- 工場の煙・蒸気→人々の活力が集合して大きな力となっている、社会の活力
- 日常にある湯気→平穏な生活の力、家庭の活力
というように、それぞれの時代の力を示している。
これは監督の初期作『けむりの街の、より善き未来は』のセルフパロディでもあるようだけれど、それと同時に映画に意味を与え、観客に強く印象を与える名演出となっているのではないだろうか」
個人的な違和感のある描写
これだけ長々と誉めてきたけれど、でも違和感が0というわけでもないんだよね?
これは構成上仕方ない部分もあるけれどね
カエル「元々、後半が落ちぶれる作品だからどうしてもエネルギーが足りなくなってしまうというのは仕方ない部分もあるのかなぁ」
主「やはり、華々しい討ち入りシーンでエンドを迎える作品の方がスッキリするだろうし、わかりやすいだろう。この作品は落ちて終了だから……それこそ、家族になりました、完の方が物語がスッキリとまとまっていた。ただし、そうじゃないからこそ、この映画は意味があると言われたら、まさしくその通りだろう。
特にこれは邦画の悪癖でもあるけれど……SNS、ネット描写がねぇ」
カエル「Twitterにちょっとあげただけで、簡単にパズっちゃうっていうのがすごく疑問があったよねぇ」
主「多分さ、あげてしまった彼って普通の一般の人だよ。
ということは、おそらくフォロワーも300人くらいなんじゃないかなぁ……しかも顔見知り中心のアカウント。それで内容が『ヤクザを更生しました!』っていうのは、あまりパズる印象はない。
これが一般人を殺傷した事件の加害者ならばともかく……ただの抗争でやり合っただけでしょ?
まあ、確かに大きな前科はあるけれど、それほど変な話ではないのではないだろうか。
そんな簡単にバズったら、こっちも苦労はしないんだよ! って話でさ」
この辺りのネット描写ってわかりやすく物語が動かせるけれど、邦画は大体違和感があることをしているよね
むしろ田舎だったらネットよりも、噂コミュニティの方が怖いんじゃないの?
主「それこそ敵対する組が嫌がらせに来るとかさ、堅気さんになっても関係していた一般人には顔を知られていたりするから、真面目に働いてもすぐにバレてしまったり……
ネット描写が時代の変化としてあるだろうし、それこそコンプライアンスの時代としても重要なのはわかるけれど……ここがとても違和感が出てしまったね」
最後に
ちょっとだけ最後に苦言も呈しましたが、大筋においては褒めが多い作品です
2021年の邦画の主役の1つであることは間違いないでしょうね
主「映画っていうのは間の美学だと思っているけれど……映画に限らないけれどね。
今作の場合は『時代(時間)の変化』と社会を描くことができたと思う。こういった間を感じさせる作品はなかなかない。
是非とも劇場で楽しんで欲しい作品だね」