物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『新聞記者』に対する強い憤りと非難の意見表明

 

『新聞記者』の映画が好きな人は読まないでください。

 

また『新聞記者』を見ないで反感を抱いている人も絶対に読まないでください。

 

 特定の政治団体のサポーターもお断りです。

 ただの映画の愚痴の記事です。

 政治信条や個人の主張そのものを批判するつもりはありません。

 

Netflix版の記事はこちらです

blog.monogatarukame.net

 

 

 

 

 

 

今回は話題の政権批判の映画『新聞記者』の記事になりますが……かなり大荒れの記事になります

 

 

はい、どうも〜ネトウヨです

 

 

カエルくん(以下カエル)

「いや、うちは物語る亀ですから!

 名前だけでも覚えて帰ってください!」

 

自民党をぶっ壊せ!

 共産党万歳!

 

 

カエル「これから政治映画ネタだからって、こんなことを話すんじゃない!

 だいたい、なんでネトウヨなのになんで自民党をぶっ壊して共産党を褒め称えるんだ!」

主「好きな芸人は爆笑問題!

 好きな映画監督は是枝裕和!

 どうも、ネトウヨです!

 

カエル「……とりあえずリベラルな芸能人や文化人を挙げておけばいいと思うなんて、浅はかですなぁ」

主「いやー、一部では『この映画を公開しない劇場(特にTOHOシネマズ)はそういう映画館なんだろうな』とか言われているようですが、すごいイチャモンもされているようで。

 TOHOしか上映しない映画がどれだけあるかって話ですよ。

 それが許されるならばこっちだって全国300館クラスで公開して欲しい映画なんて腐るほどあるんですけれどね」

 

カエル「特に地方の方は上映されていなくて観ることのできない映画ってたくさんありますからね。この時期は大作も多いので、どこの映画館も大変なんです」

主「あれだけ勧めたのに『スモールフット』に客が入らないで忘れ去られそうになっていますから。

 あと、是非とも多くの方に見て欲しいのは『FFⅩⅣ 光のお父さん』を見に行って欲しいものですね。

 名作だから!

 

 

カエル「うん、なぜか違う映画の宣伝を挟むんだね。

 というわけで、この記事は最初に比べると趣旨は変わらないものの書き方が大きく変わっていますので、ご了承ください。」

主「あくまでも映画の話ですから。

 右派の思想も左派の思想も、なんだかんだというつもりはありませんので、ご了承ください。

 だから”映画としてダメだった”とか書くけれど『このネトウヨが!!』『どうせ自民党サポーターなんでしょ』とか怒られがちですけれど、違いますからね」 

 

カエル「まぁ、政治ネタをするとどうしても言われがちなんですよ」

主「俺はサポーターは膝にする!」

カエル「うん、そのボケはつまらないからやめようね」

 

主「えー、ということで今回の記事は『新聞記者』が大好きな人は絶対に読まないほうがいいと思います。

 あと『新聞記者』を見ないで反感を持っている人も読まないでいいです。

 ”ただの映画好きが大好きな前作を撮っていた監督をずっと追いかけていきたいと思っていたのに、プロパガンダ映画を卓越した技術力で撮影し絶望し、映画文化そのものが嫌いになっていく姿”を楽しみたい人のためのコンテンツとなっています」

 

カエル「……えらい限定的な話になりましたが、今回はこのノリでやっていきます。

 では、記事のスタートです!」

 

 

 

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感想〜よくできた映画だからこそ〜

 

では、Twitterの短評からスタートです……

 

 

まぁ、色々と語りたくなる映画ではありますな

 

 

カエル「見る前から不安がっていたですよ……Twitterで全く合う気がしない』とまで豪語していたし……」

主「ただし最初に述べておくと映画としてうまく作られていると感じました。

 前作である『DAY AND NIGHT』でもうまく使われた光と影の演出も良かったし、多くで語られている役者の演技も良かった。映像作品としては非常によく練られているし、自然も美しく撮られている。

 間違いなくサスペンスとして一流だし、娯楽として面白いという人が多いのも納得。

 また政権批判の映画が日本は少なすぎるので、それに対する警鐘として効果があるのも理解できます

 

カエル「サスペンスとしてよくできているんですよ。

 娯楽としても非常に面白くてね、多くの人が褒めるのもわかりますよ

主「ただね、『映画としての魅せ方が上手い』としても、もっと根幹の部分……つまり”映画のテーマと手法、魅せ方が合っていない、危険な手法”という問題があるわけですよ」

 

カエル「手法とテーマが一致しないってことがまあ、たまにあるんですよ」

主「宮迫が歯磨き粉の宣伝をしているようなものですよ。オフホワイトなんて言っちゃてね」

カエル「宣伝にもなってねぇよ、そんな歯磨き粉誰が使うか!

 まあ、でも普通の映画ならば単なるダメ映画ってだけでいいんですが、これは政治的主張が多くふくまれている映画だと難しい部分があります」

 

主「みんな間に受けちゃいますからね。

 この映画の感想を語る人だって『安倍政権の暴走が何たら〜』とか『この映画は妄想で〜』とか言ってますけれど、明確にフィクションって公式が言ってますから」

カエル「そうなんです、この映画は”フィクション”ですからね」

 

主「松坂桃李が主演ってのも嘘ですから」

カエル「そこは嘘じゃねぇよ!

 映画を観ればすぐわかることをいうな!」

主「フェイクニュース!」

 

政権批判の映画そのものは肯定

 

決して自民党・安倍政権を非難したから憤りを抱いているわけではないと重ねていっておきましょう

 

たとえ民主党政権だろうが、共産党相手だろうがこの映画は非難しますよ

 

 

カエル「今作は明確に安倍政権に対して非難を語っている映画ではありますが、政権批判自体を非難したいわけではないと言わせていただきます」

主「俺が批判するのは田辺政権だけだ!

カエル「数年前の西武ライオンズがBクラスだった時の監督ね。

 もっと多くの人がわかりやすいボケをしろよ!

 しかも田辺政権もそこまで批判していないだろうが!」

主「カムバック! 田辺2軍打撃コーチ!」

 

カエル「結局、田辺さん好きなんじゃないかよ!

 話を戻しまして、安倍政権だろうが、民主党政権だろうが小泉政権だろうが、それこそトランプだろうがオバマだろうがプーチンだろうがなんでも、政治を扱う以上は批判されるべき部分というのは必ず出てくるもんなんですよ。

 それが政治なんですから。

 東京新聞だろうが産経新聞だろうが、政治に対して反感を持つ、それを表現すること自体は全然OKなんです」

 

主「東スポが『ネッシー発見』というのと一緒でね」

カエル「……東スポと上記の新聞を一緒にすると大荒れしそうだからやめようね。

 表現者ってリベラルな価値観の方が多いから仕方がない面もありますが、政権を否定するのであれば、同時に保守の価値観で政権を否定、あるいは肯定する映画も出ていいんじゃないですかね

 世の中がリベラルだろうが保守だろうが1つの価値観しかないのが1番異常事態である、という考え方だ」

主「東スポが『プレスリーは生きていたとか』……

 

カエル「東スポはもういい!

 アメリカの共和党やトランプの価値観が問題あるのは理解できますが、だけれど、民主党やオバマ、クリントン政権などはそこまで素晴らしかったのでしょうか?

 少なくとも……日本からしたら北朝鮮問題などはオバマ政権時代は一切進まず、トランプが解決に向けて動いている。もちろん、状況や指導者そのものが大きく違うけれど、その辺りを考慮しないのはフェアとは言い難いのでは? と」

 

主「アメリカの政治をぶっ壊す! しがらみのない政治! とやってきたら、それはそれで批判されているというね」

カエル「トランプ大統領が煽りすぎという話も理解出来るしね。

『ウィンストン・チャーチル』という映画の時に語ったけれど、第二次世界大戦のイギリスで戦争に突き進む指導者を肯定的に描けるのは、戦勝国であるイギリスだからであり、国によって描けることは変わる。

 だからこそ『海外ではこんな政治映画がたくさん作られている!』というだけでなく、そのメッセージや裏にあるものを冷静に見極める必要があるのではないでしょうか?」

 

主「そもそも映画文化の規模からして全く違いますから。

 海外と比べると日本が劣っていると思う点も多々ありますけれど、でも日本のガラパゴス化がアニメなどの独自の文化を生んでいて面白いってこともあるので、ここは一概に言えないのではないでしょうか?

 

 

作品に対して批判する理由

 

手法とメッセージの不一致

 

……さて、さらに詳しく語っていきましょうか

 

手法とメッセージ性の不一致という問題から語りましょう

 

カエル「今作は明確に安倍政権を非難しているわけだけれど、それが先ほど褒めた”上手い手法”と噛み合ってないという話なんですよ。

 もちろん安倍政権の批判は何度も語るように大いに結構なんですが、対する望月さん自身も毀誉褒貶があるわけです

主「どうしても対立するからね。

 巨人ファンと阪神ファンみたいなものだ

 

カエル「うん、絶対違うね

主「じゃあイチローファンと松井ファンとか……」

 

カエル「うん、ボケが決まらないならば無理に言う必要ないから黙っていてね。

 で、まあその望月さんも政府に対する言論の自由を求めて行動してきた立派な記者なんですよ。

 だけれど、その当の望月記者も自身の講演会の際に主張が対立しやすい産経新聞の記者を会場から追い出した、ということがあった。

 これに対して望月記者は『主催者判断で断った』と語っているが、これは主賓のことを慮った、言葉を変えれば主催者サイドが”忖度”して記者を追い出した事案とも言えるのではないかって話です」

 

www.sankei.com

 

主「公人であり国の中枢を担う官房長官と記者では立場が違うって擁護もわかりますけれどね。

 ただ同じことをしちゃったんじゃ、説得力には欠ける部分がある。

 子供の頃に親父の財布から1000円くすめてシコタマ怒られましたけれど、その前月に親父が母親の財布から1万円をくすめている現場を見てますから」

 

カエル「お父さんも大変なんだよ。

 その後の修羅場は想像にお任せして、そもそも記者クラブ自体が閉鎖的で、言論の自由がないという批判もチラホラと聞こえてきますからね

主「自分もマスコミ試写会とかに呼ばれたこと1度もありませんから。

 一応、そこそこ大きな映画ブログなんですけれどね」

 

カエル「うん、あなたみたいな有象無象がいるから、しっかりとした身分の人しか呼ばないんだと思うよ。 記者クラブも正しいような気がしてくるね。

 で、ここで語りたいのは”物事には様々な面がある”ということなんです。

 望月記者や菅官房長官・安倍政権を褒め称える意見もあれば、罵倒する意見もある。

 その両者がとても重要である。

 言っておきますが、相手が百田尚樹でも高須院長でも自分は同じことを言いますよ。

 だけれど、この映画は”リベラルな意見は全て記者が考えた正しい情報”であり、それに反対する不都合な情報は全て内調や、ネットの自民党サポーターがやったデマとして描いている」

 

主「阪神ファンが巨人ファンに『賭博球団!』とか『お前の監督1億円!』っていうようなものだね。巨人ファンも阪神ファンに『お前日本一になったこと何回あるの?』っていい返せないのはアンフェアで……」

カエル「なんであんたが阪神ファンと巨人ファンの対立を煽っているんだよ!?

 対立を煽るな、って記事なのに!」

 

主「あ、やべ! お前って言っちゃいけないんだった!」

「そこは今語るべき問題じゃないよ! 話をややこしくするな!

 映画に話を戻すと、この印象操作を示す明確な根拠も一切ない。

 会話の中で記者が『また上からの圧力だ! やりやがったな!』と語るんだけれど、それだけなんだよ。

 それでなぜこの新聞社や記者の意見が正しいと言えるのだろうか?

 自分は”印象操作に反対する映画が印象操作を行っている”という点にも大きな違和感を抱く結果となってしまいました」

 

 

 

卓越した演出力を持つ映画だからこそ、注意しなければいけないメッセージ

 

でもさ、演出自体はとても優れたものなんです

 

だからこそ、映画のメッセージ性には注意しなければいけません

 

 

カエル「うちがずっと主張してきたのは、はっきりと言えば、映画や物語のほぼ全てがプロパガンダなんですよ。

 例えば”同性愛は素晴らしい!”だって明確なプロパガンダだ。これを中国やイスラム教圏の国で同じことを言ったら、大変な騒ぎになる。

 日本がそのメッセージを受け入れることができるのは、宗教的戒律が少なく価値観を欧米圏と同じようにしているからだ」

 

主「イスラム教徒が『2人目の奥さんを持ちたいのですが認めてくれません?』と言ったら、日本で認められるのか? って話にもなりかねないですな。

 まあ、うちは1人目の奥さんも持てていないのですが

 ハッハッハッ!!

 

カエル「……寂しい自虐はこのあたりにしましょう。

 他にも、アメリカやヨーロッパから『死刑は野蛮な法!今すぐに廃止すべき!』というメッセージ性を発する映画が登場したらどうだろうか?

 おそらく、今の日本の国民感情からすると受け入れがたいだろう。

 他にも”家族は素晴らしい””愛は金よりも大事”なども、政治的ではないにしろ道徳的なプロパガンダと言えるんですよ」

 

主「そして”優れた映画ほど危険である”という意識は大事なんですよ。

 カリスマ性があるからみんなついていっちゃう。

 イチローの発言を自分が言ったら、ただの大言壮語の馬鹿野郎ですからね。あれ、実績もあってカリスマ性もあるイチローだから名言と言われるわけですから。映画なら演出で魅せるわけです」

 

カエル「それこそ『ブラック・クランズマン』が公開された際に語ったけれど『國民の創生』や『カサブランカ』『キングコング』といった作品は誰もが認める、映画史に残る名作たちも、そのメッセージ性は過激だったり、議論が巻き起こりやすいものである。

 またみんな大好きなディズニーだって第二次世界大戦中は国威掲揚の描写を含んでいた。

 他にも『チャップリンの独裁者』はチャップリンがナチス、ヒトラーという現代では悪とされる価値観をいち早く非難していたからこそ、現代でも褒め称えられる。

 もちろん当時の価値観を現代の価値観で断罪することが正しいとは言わない。

 しかし、時に優れた映画というのは極端な思想を流布することにも繋がりかねず、その結果が正しいか否かは同時代では判断できないことも多々あります。

 上記の映画はとてもよくできた作品であり、多くの人の価値観に強く影響を与えているからこそ名画となっているけれど、だからこそ受け手は注意深く見なければいけない」

 

 

役者の座組と演技による誘導

 

役者陣の演技は結構絶賛なんです

 

ただ座組がねぇ…

 

 

カエル「特に『DAY AND NIGHT』でも印象的な役を演じた田中哲司はとても良かったよね。

 恐ろしい内調のTOPであるというのがすごく伝わってきたけれど……多分、それがダメなんだろうなぁ」

 

主「『スターウォーズ』の悪の皇帝のようだったね。

 手からフォースを出せるんじゃない?」

カエル「さすがにそこまで人間離れはしていないでしょ!

 今作の主役はシム・ウンギョンが起用されているんですが、もちろんそのこと自体は問題ではないものの、この映画で韓国女優を起用することだけでも意味が出てくる。

 それを座組を組んだプロデューサーや、あるいは監督などはわかっていたはずなんですよ。

 ちなみに、座組の段階で何らかの意味を持たせるというのは、映画などではよくあることです

 

主「最近でも7月公開の新作映画の『ダイナー』の主演が藤原竜也ということで、監督のお父さんとの関係性なども連想させてますね。

 ただ『海賊王に、俺はなる!』と言わせたかっただけじゃないですよ」

 

カエル「それはワンピースだよ!

 今作においてアメリカで生まれて母が韓国人の女性記者、という設定だけれど、この設定が活かされている思ったシーンは1つもなかったのがなぁ。

 演技自体はうまいんですけれどね。

 明らかに日本語よりも英語のほうがうまいのに、なぜ日本の新聞記者に勤めているのか、謎の設定だった。だったらいっそ吉岡、ではなく韓国から来たキムさんとかにした方が違和感がなかんじゃないかな?

 新聞記者とは自分のようなブロガーとは比べものにならない言語のプロでなければいけないはずなのに、そうであると一切感じなかったのが痛い」

 

主「アニメの『SHIROBAKO』でも語られていましたからね。

 『政治的なキャスティング臭がします。それは視聴者に絶対にバレて、作品にいい印象を残ることは絶対にない』と。

 映像の裏にある読み取るのが映画好きなので。まあ、結構フェイクとなる情報も多いんでしょうが」

 

カエル「確認しようがない部分も大きいからね。

 もちろん、日本語が非常にうまい外国人の方もたくさんいますが、今作のシム・ウンギョンさんがそうだったかというと、意見が割れるでしょうね」

主「少なくとも洋画やアニメの吹き替えで芸能人が起用されるくらいの違和感はありました。

 でも、これは”レイシストだ!”ってわけではないですから。

 自分なら、吉岡さんの役をデーブ・スペクターに演じさせようかな」

 

カエル「ダジャレ大好きな陽気なおじさんのコメディ映画になるな。

 今作の評価が難しいのは、他の娯楽映画だったら”役者が下手、意図はわかるけれど変”と言ったら単なる映画の話だよ。

 だけれど、今作の場合はそれがすなわち政治信条の話になりかねないのが難しいポイントだ

 

 

 

根本的に大きな問題を抱える作品

 

今作で問題となる”イメージの演出”

 

で、さらに危険なのが”フィクション””ノンフィクション”の区別なんです

 

ここが非常に怪しい人がチラホラと見受けられるんだよねぇ

 

 

カエル「記者たちは自分で考えて行動しており、人間味のある性格をしているけれど、内調の人たちは真っ暗な部屋で、まるでロボットのようにパソコンを打っているというところがあります。

 ここは内調の人間と記者の対比となっており、言論を武器としていながらもその使い方が全く違うことを表している。

 だけれど、この描き方そのものが大きな問題がある。

 真っ暗な中で行動する内調はまるで悪の秘密結社のようであるし、政権擁護をする人は自分で考えることを放棄した人のようでもある。

 もさ、さっきも言ったけれどその根拠って何でしょうね?

 

主「日本の法律ではオフィスの光の量まで決まってますからね。

 あの職場は労働安全衛生法に違反している!

 法律違反を描くなんて大変な映画ですよ!」

 

カエル「だから別の部分を争点にするな!

 今語りたいのはそこじゃないの、そこもフィクションなら”映画の嘘”で処理すればいいの。自転車の二人乗りとかと一緒!

 で、藤井監督は”内調に関してはどれだけ調べても何もわからず、都市伝説的存在だった”というようなことを語っています。

 内調も自民党サポーターも実際にいるだろうし、どれだけズブズブかはわからないけれど記者と官僚・政治家との癒着もあるんじゃないかな、とは思います」

 

主「政治は綺麗事じゃないし、それこそ『シンゴジラ』でもあったけれど官僚と記者が己の目的のためにつながるという、ある種の癒着のような状況だってあるだろうしね。

 女の子が『キャーって』黄色い悲鳴をあげるような関係が……」

カエル「それはシンゴジの一部ファンの二次創作のお話ね。

 もちろん自民党や内閣がそのようなイメージアップ戦略を行っているというのも納得する。

 でもそれは野党も行っていることであって、Twitterを開くと国民民主党のプロモーションが流れてくるけれど、それはOKなわけ?

 そして自分のフォロワーの中にも自民党支持者、あるいは野党支持者がいるけれど、それは全て与党の場合は内調や自民党フォロワー、野党の場合は善良な国民な訳?

 そんなわけないじゃない。

 だけれど、この映画はそこには突っ込むこともしない」

 

  

 

 

都合のいいリアリティライン〜ノンフィクションとフィクション〜

 

もしかしたら、1番怒りを覚えているのがここかもね……

 

このリアリティラインは映画として非常に危うい部分ですね

 

 

カエル「映画内では望月記者や前川喜平さんなども登場しており、また描かれる内容は誰が見ても明らかに分かる安倍政権のスキャンダルや疑惑を題材とした事件となっています。

 今作はあくまでもフィクションなんです。

 だけれど、そこで描かれる事件はノンフィクション風なんだ。

 ご丁寧に望月記者、前川氏などを呼び、そのテレビでの会話は明らかに現実の政治について語っている。映画の中の世界について語っているのではないんだよ。

 そのフィクションとノンフィクションの問題について、エグゼクティブプロデューサーの河村光庸さんは以下のように語っています」

 

 

 

『この2、3年間で現実に起きた問題を生々しく展開したかったので、当初はリアルな事件をリアルに描こうと思い、実名を使うことも考えたのですが、そうすると作品としての広がりがなくなる。個人史としてではなく、テーマとして官邸支配とメディアの萎縮を扱いたかった。映画ならではの表現の自由を生かして普遍性を持たせたかったので、フィクション仕立てにしました。

『一方で、現実にリンクしたリアルなイメージを出すために、望月さん、前川さん、朝日新聞の南彰記者(新聞労連委員長)、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさんの4人が安倍政権の実態や報道のあり方について議論している映像を劇中で流しています』

 

www.excite.co.jp

 

 

主「ものすごく怖いんですよ!

 この映画を語る人たちは……右派の方も、左派の方もこの映画が”フィクション”ってわかってますか?

 

カエル「劇中での主人公たちが務める新聞社名は『東都新聞』なんですよ。明らかに東京新聞をモチーフとしている。また、作中の登場人物なども実名をあげない。

 だけれど、劇中で自分たちの報道に追従する新聞社の名前として読売・朝日・毎日という大手全国紙の名前をそのまま使っている。

 ここで読買新聞・朝焼け新聞、毎刊新聞とかにするならばわかる。でもこの映画の中では自分たちの行動に追従する存在として、実際にある企業名をあげているぐらいのリアリティなんですよ」

 

主「自分が現実でスターウォーズを観て『フォースと共に……』なんて本気で言い出したら心配されるでしょうけれど、この映画を見て”政権側怖い!”は普通の反応とされてしまうわけです。

 なぜ!?

 同じ”フィクション”なのに!?

 それが有りなら、自分はニコ・ロビンを探しに旅に出るよ!

 

カエル「アニメと現実を混同するな、って話だよね」

主「初音ミクさんは実在する!」

 

カエル「初音ミクさんは難しい話なんだよ! 触れづらいことを語るな!

 もっとわかりやすくボケてくれ!

でも、この描き方は本当に危険です。

 この描き方をすると事実をいくらでも歪曲できるし、印象操作できるんですよ。

 だって”フィクションだから”で逃げれるから。

 これが何十年前の事件や事故、政権を相手にしていたらまだ話はわかる。

 だけれど、この映画で描いているのは”現在進行形の政府・政権”ですよ。

 しかも参院選直前のこのタイミングで公開するのは完全に選挙を狙っているのに、それがこの描き方で本当にいいんですかって話なんです?」

 

 

 

右派がこの描き方をしても許せるのか?

 

もちろん、事実を基にした映画っていっぱいあるわけだし、そんなに問題なの? って意見もあるとは思いますよ

 

この映画を右派が全く同じことをしても納得するのであれば、ね

 

 

カエル「例えば、以下の描き方はどうでしょうか?」

 

 産財新聞社に勤める記者は野党の大物議員周辺のスキャンダルや疑惑を掴む。しかしその大物議員の弟であるリベラルな政治新聞社の政治部長によって、その記者をレイシストとして喧伝する記事が公開され、さらに大物議員の兄である大企業会長のグループ企業によって、映画化し配給されることが決定してしまい言論を封じられてしまう……

 

 という物語だとどうでしょうか?

 某議員の二重国籍問題とか、別の議員だけれど交流があった団体の幹部などが大量に警察に捕まっていることや、過去の有罪を受けた事件を参考にしながらね。

 他にもこっちは?

 

 産財新聞社に勤める記者は従軍慰安婦問題に対して取材を続けた結果、慰安婦には正当な金銭が支払れていたことを突き止めた。実は海外と癒着するリベラルな新聞社・支援団体・野党大物議員が計画しており、金のための抗議活動と慰安婦問題だと発覚したのだが……

 

 とかさ」

 

主「あ、これ本気で言ってないですからね。

 あくまでもこの記事はフィクションですよ。

 本気で言っていたら最低の発言です……

 

カエル「だからさ、フィクションだって言えば踏襲すれば、こんな映画も簡単に作れてしまう可能性があります。

 何、プロパガンダなんて撮り方1つなんだから、ちょっと虚構を入れても問題ないって。

 だってフィクションなんだから。

 ”映画ならではの表現の自由を生かして普遍性を持たせたかった”と言えるわけですよ。

 

主「自分は西武が143連勝してダントツで優勝する映画を撮りたい……」

カエル「それってドラマとして面白いのかな……?

 生々しい、本当っぽいことをそこかしこに入れて、実名は都合のいい時に入れて、それ以外は仮名にして、都合の悪いことは敵のでっち上げにすることも可能なんですよ。

 新聞記者も『生物兵器のために学園を強硬に作る計画だ』って言っていますが、さすがにこれはフィクションだとみんな思うんじゃないかなと言いたいんだけれど……そうも言い切れない」

 

主「フィクションは世界を変えますからね」

 

 

自分だったらどのような政権批判映画を撮るか?

 

コメディとして

 

能力とかは一切気にせず、政権批判映画を監督や脚本家として作ってくれと言われたら?

 

企画にもよりますけれど受けますよ

 

 

カエル「お、やっぱり受けますか」

主「本音を言えば野球とか、男くさい物語が撮りたいですが。

 その代わり、本作のようなだったら断る。

 例えば……自分ならコメディにするね。

 チャップリンなどもそうだけれど、コメディというのは政権批判をするには最適なんだ。

 ブラックジョークとして暗喩混じりで作ってしまってね」

 

カエル「最近だと邦画では『翔んで埼玉』だね。あれは埼玉県民を馬鹿にしながらも、被差別民族などがどのように主権を獲得していき、日本や世界で大きな力を獲得していたのか? という政治や社会的な風刺が込めれられていたし

 現代パートの『この茶番は何?』というのは、傍目からみると対立なんて馬鹿らしいということを示したりなど、非常にうまく作られているんですよ」

 

主「具体的にはこんな映画にしようか」

 

 

 売れない芸人の2人組は、いつものようにyoutubeにアップしている動画を撮影していたところ、テレビでよくみる与党の大物幹部と話題の学園の学園長が金銭の授与をしているシーンを偶然にも捉えてしまった。首相たちに見つかり慌てて逃げ出すが、文書改ざんと国家権力を私物化し犯罪をでっち上げて指名手配されてしまう。国外に脱出しようと女装をして2人組の珍道中が始まるのだった……

 

 

主「こんなところかなぁ。

 大好きなビリーワイルダーの『お熱いのがお好き』を参考にしながら3分で作ったから非常に荒いです。

 他にもファンタジーにして直接的に描くとかさ。

 下手でもいいんですよ。

 むしろ、下手なほうが笑い飛ばされて本気にされない。

 この記事と同じだよね

 毒を毒としてそのまま描くというのは、非常にダサいことだと思うけれどね」

 

 

 

 

 

 

 余談〜個人的なお話〜

 

自分が高く評価してきた映画たち

 

 

 なぜここまで強く違和感を抱くのか。

 怒っているのか。

 その理由を説明する前に、自分が高く評価してきた作品を抜粋したい。

 

 

  • 2016年2位『聲の形』→いじめや障害者と健常者の壁を超える映画
  • 2017年1位『静かなる叫び』→実際に起きた事件の加害者と被害者、男と女の壁を超える物語
  • 2018年1位『映画HUGっと!プリキュア〜』→思い出を奪う敵に対して愛を示すヒーロー映画
  • 2019年上半期1位『バジュランギおじさんとちいさな迷子』→複雑な印パ関係を乗り越えて迷子を送り届ける映画

 

 

 自分は少なくとも”対立や感情的な思いを乗り越えて融和を描いたり、また乗り越えることができなかった悲劇”を扱った映画を高く評価してきた意識がある。

 仮に……聲の形が『いじめ加害者は罪を認めてもみんな死ぬべき』という映画ならば、評価していない。

 プリキュアが『敵を倒してヒーローが世界を救う!』という作品ならば、評価していない。

 バジュランギおじさんが”インド人最高! パキスタン人最低!”という映画であれば、評価していない。

 

 それは2019年上半期の2位に決めた、藤井監督の前作『DAY AND NIGHT』も同じだった。あの作品が『絶対正義の若者が巨悪を暴く!』という映画であれば、こんなに評価はしていない。

 だけれど、悪の存在に対する優しい視点、その人間の複雑な内面性を描いたからこそ、自分は非常に高く評価した。

 

 

 では、今作はどうだったのか?

 内調に対する愛はあったのか?

 敵対する正義は描けたのか?

 答えは言わずものがな、完全にNOである。

 

 その右派と左派の対立の果てにあるのが、本当に誰もが笑って許せる、複雑な印パ関係の中でも相手を信じた『バジュランギおじさん』のような世界なのだろうか?

 

  そんな思いが強くあります。

 

藤井道人監督へ

 

 藤井道人監督。

 この記事を読むとは一切思っていませんので、独り言となります。

 もちろん、阿部進之介さんや山田孝之プロデューサーの功績も大きいでしょうが、あなたが『DAY AND NIGHT』で描いたことはなんだったのでしょうか。

 

 また恥ずかしながら『DAY AND NIGHT』以外の映画を未だに鑑賞することができておらず、近々『青の帰り道』を見に行こうとは思っているものの、なかなか足が進まない、ファンとも言えない人間の戯言ですが『DAY AND NIGHT』を見たときに、わずか32歳という若き才能がここまで作り上げたことに強い感銘を受けました。

 また秋田ヒロム、作詞作曲のみですが野田洋次郎といった、ある種の諦念を抱える歌手をEDに起用したことでも非常に好感を抱きました。

(私個人がこの2人のファンというのも大きいです)

 

 

 あなたのインタビューを拝見し、バランス感覚がある方だと思います。発言そのものには共感する部分も多く、また映画の演出等に関しては素人目ながらも素晴らしいと思います。

 特に菅官房長官と望月記者のやり取りを『プロレス的』と称し、若者が政治に興味を持たない理由もこのあたりにある気がする、というのは強く共感します。

 だからこそ、この映画が看過できなかった。

 

 私は、にわかですらないですがあなたのファンとして、この映画についてしっかりと断って欲しいとすら思いました。

 自分が違和感を抱く企画はしっかりと断るべきだと思います。

 あなたの監督としての名前に、功績として、あるいは汚点として、時に呪いのようにこびりつく映画となってしまったように思います。

 どうか、今後の藤井監督の評価に今作でついてしまった政治的な評価が影響しないことを、強く願いながら独りよがりな駄文を終わらせていただきます。

 

  物語る亀

 

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