今回は香取慎吾が主演を務めたことでも話題を集めている映画『凪待ち』の紹介です
実は、自分はこの映画にちょっとだけ思い入れがあるんですよ
カエルくん(以下カエル)
「あれ? もちろん香取慎吾は国民的スターだから色々と思うところや思い出はあるだろうけれど、白石和彌監督は……もちろん卓越した技量をもつ監督だと評価しているけれど、特別ファンってわけではなかったよね?」
主
「そういう見方ではなくて、単なる偶然だけれど……この映画の舞台は川崎と石巻なんだよね」
カエル「川崎は冒頭を中心に少しだけ、後の物語の多くは石巻を中心に展開していく物語だね」
主「自分は今でも川崎のチネチッタを中心に映画館巡りをしているけれど、昔川崎に住んでいたことがあってさ。競輪場周辺とかよく行ったなぁ……野球を見に行ったりもしたし。
石巻も親戚が住んでいて、震災半年前にも行ったんだよ。
だから、ちょっとだけ思い入れがあるんだよね」
カエル「……え、川崎に野球を見にいくってあなた今何歳……」
主「懐かしいなぁ…狭い球場だったけれど、落合が三冠王をとってさ…」
カエル「どこまで嘘か本当かわからないので、さっさと映画感想の記事をスタートさせましょう!」
作品紹介・あらすじ
元SMAPとして活躍する香取慎吾を主演とし、ギャンブルが好きな男が事件に巻き込まれて堕ちていく様と再生を描いたサスペンス調のヒューマンドラマ。
監督は『孤狼の血』など多くのバイオレンスな描写を含む作品を中心に高く評価される、現代邦画監督でも一躍注目を集める白石和彌。脚本は『天地明察』『彼女の人生は間違いじゃない』などの加藤正人が務める。
主演を務める香取慎吾の他、恒松祐里、西田尚美、リリー・フランキー、吉澤健などが脇を固める。
ギャンブルから足を洗い、恋人亜弓(西田尚美)とその娘である美波(恒松祐里)と共に石巻で人生をやり直そうとしていた木野本郁男(香取慎吾)。末期ガンに犯されている亜弓の父・勝美(吉澤健)や近所に住む小野寺修司(リリー・フランキー)と交流を重ねながら毎日を順調に過ごしていた。そんなある日、美波は亜弓と親子ゲンカをして家を飛び出してしまう。夜遅くになっても家に帰ることのない美波を探し回る2人であったが、郁男は亜弓もふとしたことから喧嘩をしてしまい車から降ろしてしまう。
そしてその夜に発生した衝撃的な事件によって運命の歯車が大きく狂ってしまうのであった……
感想
では、Twitterの短評からスタートです!
#凪待ち
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年6月29日
どんなに願っても人生はうまくいかない
やり直したくても、自分の人生を壊してもそうならないもどかしさ、辛さが痛いほど伝わってきた
人間の複雑な業と運命、縁に向き合った傑作
誰かの嵐が過ぎ去りますように
凪を待ちながら日々生きていきますように pic.twitter.com/ovYxpIctSt
人生の人間の力ではどうしようもない波に翻弄される姿を描いた見事なる傑作!
カエル「白石和彌監督は確かに現代もっとも注目されるべき邦画監督の1人であるとはいえ、そのグロテスクな映像が若干苦手なこともあって見る前はどうだろう? と心配していたこともあったけれど……見事に2019年上半期の映画ランキングベスト10にランクインしました!
早撮りで年に数本公開することも珍しくない監督だけに、その当たり外れも大きい印象だけれど、今作は見事に大当たりだったね!」
主「近年確かな傑作を連続して発表している白石監督作品の中でも、とりわけ評価の高い代表作になる作品ではないだろうか?
それには香取慎吾の存在なども重要で……この映画は2019年の邦画を代表するであろう作品になったことは疑いようがないかな」
カエル「ちなみに、今回は実は予告編なども見ないで劇場に向かったんだよね?」
主「公開館数が若干少なめだったこともあって、劇場予告も見なかったんだよね。だから白石監督&香取慎吾主演という、まあポスターを見てわかる情報以外何も入れずに行ったんだけれど、それが正解だったかもしれない。
あんまり作品中で発生する事件に対するサスペンスやミステリーを解きあかそうとして鑑賞すると、この映画を見誤る結果になるかもしれない。
むしろ、この映画に登場する人物たちのどうしようもない運命に翻弄される人間ドラマに注目して欲しい」
人間の”業”の肯定
この映画を一言で表すとどうなるの?
……なんども語ったセリフだけれど、やっぱり”業の肯定”になるのかな
カエル「亡くなった立川談志がよく語っていたけれど『落語とは業の肯定である』という言葉のアレンジだね」
主「自分は落語のみならず、物語の多くは業の肯定にあると思っているけれど、白石作品というのはとりわけその要素が強い印象がある。
つまり”暴力などの行為や犯罪に手に染めてまでも譲れない何か”を描く監督なんだ。
例えば近作の『孤狼の血』では暴力的な手法で捜査にあたる警察官を通し、守りたいものや彼なりの正義を描き出した。
『彼女がその名を知らない鳥たち』では変わった男女の恋愛関係を描き、その中の美しい思いを『牝猫たち』では特殊な事情を抱える女性たちの性と事件を描きながらある種の愛を描く。
自分が見た限りだと、結論として描かれるものは美しいものなんだけれど、その過程が徹底的に歪んでいるというような印象がある。
だからこそ、最後に描かれるものもまた普通のよくある道徳的な啓蒙に収まらないメッセージ性や心に残るものがあるのではないだろうか?」
カエル「ふむふむ……」
主「特に今作ではようやく白石和彌監督の描きたいものについて、肌感覚として理解できた気がする。まあ、ここまで理解していなかったのかよ! という話なんですが……」
カエル「とりあえず相性ってことで、ようやく見方がわかったというかね。
で、今作ではそれが発揮されているの?」
主「多分、1番多くの人の伝わる映画なのではないだろうか?
人間が人間としてもつ業と、その全てを肯定するような大きな視点に感動するし、心を奪われたね」
役者について
今作の主演を果たした香取慎吾などの役者はどうなの?
もちろん、大絶賛だし慎吾ちゃんだからこそ、この映画の魅力となったんじゃないかな?
カエル「今までのジャニーズ事務所に所属していた頃のイメージでは優しくて気のいいお兄さんってイメージだったけれど、今回はそんな様子は一切ないもんね。
本当に……言い方は悪いけれど、人間のクズだし、自分の親戚にいたら距離を置きたくなるような人でもあって……」
主「でも、やっぱりどこか人懐っこさがある。
これは自分たちがSMAP時代の香取慎吾を知っているからかもしれないけれど、やっぱりどこかで優しさや人の良さが垣間見える。
だから悪党でクズなんだけれど、見捨てることができないというのが理解できるんだ。
これは香取慎吾ならではの魅力だろうし……今の境遇を知るからこそ、多くの観客に伝わるものもあるんじゃないだろうか?」
カエル「あの騒動以来、色々なことがあったもんね……
他にも方法はあったのかもしれないけれど、3人だけで新しい地図として再起を図ってはいるけれど、それも順調なのかどうかは外野からは判断できない状態が続いているようにも見えるし……それこそ東京オリンピックの開会式で歌ってもおかしくない国民的スターの境遇として今の状況は寂しいという思いがどこかにあるというか……」
主「芸能界の詳しい事情などはわからないけれど、やっぱりあの3人もまた”凪待ち”だと思うんだよね。
大きな荒波に立ち向かい、自分の力ではどうしようもない大きな苦難が訪れてしまった。それに翻弄される姿は、やはりこの映画で演じている姿にどこか重なってくる。
また慎吾ちゃんってどこかしら危うい印象があって、繊細だからこそ一度壊れたらどうしようもない状況に突き進んでしまうのではないか? という思いが……少なくとも自分の中にはある。
だからこの役にものすごく合っているし、他の役者さんでは絶対に出せない味のある演技を披露してくれたのではないだろうか?」
他の役者について
その他の役者さんについても絶賛だよね
変な演技の人なんて1人もいないよ
カエル「美波を演じた恒松祐里も同じようにどこか危うい部分を抱えている演技で、思春期の少女がもつ不安定な感情を持て余しているのがよく伝わってきたよね。
そしてその母親で郁男の恋人でもある西田尚美の芯の強さと、娘や恋人を思いやる大きな愛が伝わってくる演技でした」
主「その中でも自分が絶賛したいのは……1人はやっぱりリリー・フランキー。
まあ、どこの映画に出ても好印象を残す、今の邦画界で間違いなくトップクラスの実力をもつ人ではありますけれど、今作でも見事な演技を果たしていた。
そして郁男と同じ印刷所に働く尾形大輔を演じた黒田大輔、彼の存在が自分はこの映画の多くの印象を残したんだよ」
カエル「それこそ、見方はそれぞれあるだろうけれどクズオブクズと言いたくなるような、誰もが反吐を吐きたくなくような演技だったね。
もちろん、これは大絶賛です!」
主「注目すべきは話し方や食べ方の汚らしさ。
香取慎吾はどれだけ崩れてもどこかで持ち前の格好良さが出てしまうけれど、その対極にいる彼が非常に汚い食事などで下劣な人間性を映像として感じさせてくれる。所作にその人の人間性が現れるというのはよく言われることだけれど、性格などを説明することなく一瞬でわからせる演技などはさすが。
また自身のゲロにまみれるシーンなどは本物の役者だと思わず唸ってしまったほどだった」
カエル「そのある種の容赦のなさが他の役者さんにも発揮されていて、香取慎吾の暴力シーンなどもありますが、そこも迫力満点て……体が大きいからこそ、他の人よりも強いというのも納得してしまいます!」
主「もちろん亜弓の父親を演じた吉澤健の渋さ、元夫だった村上竜司を演じた音尾琢真の侮蔑の眼差しなども素晴らしかった。近年は映画の中のキャラクターを演じる演技が多いけれど、”人間”を感じられる本物の演技合戦が楽しめる邦画として特に注目を集めてほしい作品だね」
以下ネタバレあり
作品考察
人間の複雑な内面に迫る
では、ここからはネタバレありで語っていきましょう
まずはある小説の中の名言を紹介したい
<三日にいちどはエッチしたいけど、一週間にいちどは尼寺に入りたくなるの。十日にいちどは新しい服を買って、二十日にいちどはアクセサリーもほしい。牛肉は毎日食べたいし、ほんとは長生きしたいけど、一日おきにしにたくなるの。ひろか、ほんとに変じゃない?>
森絵都 カラフルより
カエル「アニメ映画にもなった森絵都の小説『カラフル』のなかの一文です」
主「こちらも自分が大好きなセリフで、思春期の少女の複雑な感情を表していると同時に人間という存在をよく捉えた言葉だ。
とても立派な向上したいという思いと、堕落したいという思いというのは人間の中に両立する。
残虐な行動を顔色一つかえずに行うテロリストでも、そこらを歩く小さな子供を可愛がる、あるいは尊敬を集めるような立派な坊さんが道端の子犬を悪意を持って蹴飛ばすということは普通に起こりうる。
どんなに立派な人でもその志を維持することはできないし、どんな悪党でも全てをないがしろにしたり、傷つけていくことはできない」
カエル「勉強や仕事今日はとても頑張って、明日も頑張ろうと思いながらも次の日になれば怠けてしまうというのが普通だもんね。もちろん、その逆も」
主「この映画の中の登場人物はみんな等身大の人間なんだよ。
とても悪い人、クズのようでありながらも、どこかで優しい面などを持ち合わせていたりする。
その一方的ではない人間の描き方こそが、自分が本作に惚れた理由の1つなんだ」
事件とは関わることができない郁男
今回発生する事件と郁男は重要な関係性があるにもかかわらず、その解決には一切の関与をすることができないよね?
それがこの映画のミソでもあるんだろうな
カエル「それがサスペンスやミステリーを望んだ人には不満に思う部分もわかるかなぁ……」
主「これはポスターに書かれたキャッチコピーが悪いよ。
そんな映画でもないのに、勘違いしてもしょうがない……とは思う。
”事件の当事者であっても関与することができない”という点がこの映画を語る際には重要なのではないだろうか?」
カエル「当事者が自分の力で探偵のように犯人を捜し当てる物語ではないもんね」
主「だからこそ”運命”などの目に見えない何かに翻弄される姿というのがはっきりと伝わってきたのではないかな?
これだけ大きな事件に巻き込まれても、自分の力ではどうすることもできない無力感を演出するための事件が、まるでこの映画の主題のように捉えられかねなかったとこと、そこが本作の問題点だったかもしれない。
でもこの構成は絶対に必要だったんだよ。
大きな運命に翻弄される人々を描くためには」
複雑な犯人の思いとは?
ここは直接のネタバレになりますので直接的な名前は伏せますが、犯人の描き方がとても素晴らしいよね
彼の心情は一体どうだったんだろうね
カエル「もちろん、犯人の行動そのものは最悪としか言いようのないものでありますし、断罪されるべきものです。だけれど、そこに至る過程であったり、なぜそんなことをしてしまったのか? そして郁男に接する態度などを考えると色々とグルグルと考え込んでしまうことが多いなぁ」
主「自分には犯人が郁男に向けた態度や思いというものに自分は嘘を一切感じなかった。
そこには保身のためというのもあるだろう。もしかしたら、犯人逮捕を少しでも遅らせるための工作だったり、罪の意識を軽くするための行動でもあったかもしれない」
カエル「結果的には犯人の行動が郁男をさらに最低の人間に、ギャンブル狂いに走らせる結果となるという見方もあるけれど、そこまで計算しての行動とは思えないんだよねぇ……その後で彼を救うシーンもあるけれど、そこはどう見ても本心からの行動だったし」
主「犯人は確かに残虐な行為を働いたかもしれない。そこには過去に痴情のもつれにもいかない、一方的な恋慕の思いがあってそれがこじれた結果かもしれない。そこは映画では一切描かれない。
でも郁男を救おうとした行動、それは紛れもなく本心でもあると感じられる。
犯人が捕まるシーンでの郁男への行動も……そこだけを見れば『被害者のことを自分の方がよく知っている』という当てつけのようにも見えるが、見方を変えれば『いい人に振舞いすぎたからこその演技』という……露悪的な態度と受け取ることもできる。
それに関しては既に誰も確認することはできないけれど……人間ってそんなものだと思うんだよ。自分を不幸のどん底に突き落とした人が自分を救ってくれることもあるし、救ってくれた人が不幸に突き落とすこともある。
それが人生であり、人間の抱える業というものではないだろうか?」
自責の念と暴走
それにしても、郁男の行動には全く賛成できないじゃない? あの状況でギャンブル狂いに走るかよ! って思っちゃったかな
でもあの自責の念自体はよくわかるよ
カエル「愛する、ほぼ奥さんと言えるような恋人を自分のせいで……本当はそんなことは一切なくて、状況としてもよくある夫婦喧嘩のワンシーンなんだけれど、失ってしまった悲しみは大きいだろうね…」
主「娘の美波もそうだけれど、この映画で描かれた事件にいたる過程というのはどの家庭でも普通に起こりうるものである。
思春期の少女が親に反抗して夜遅くまで帰らないってことはあるし、夫婦喧嘩で奥さんを車から降ろしてしまうというのもあることだ。山奥ってわけではないんだから、健康な奥さんであれば帰る手段はあるだろう。
実際、どちらも自分も両親が喧嘩をして同じような行動をしていた経験だってある。
だけれど、それが事件に発展してしまい取り返しのつかない事態となってしまった場合……それの自責の念というのは激しいものだろう」
カエル「それってすごく理解出来る話でさ、特に何かを特別な、大きなことをしでかしたわけでもないけれど、でもやっぱり自分のせいでこうなったのではないか? と不安に思うことって多々あると思うんだよ。特に、心が弱っている時にね」
主「郁男がどうしようもなく落ちぶれていく姿、落ちぶれたい姿というのがすごく心に伝わってきた。
<人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。>
<人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり
<堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。>
堕落論 坂口安吾
結局のところ、自分の大好きな坂口安吾の堕落論で述べられている、この言動がこの映画を語るには全てなのだろうな
震災以降の映画として
最後に、震災映画としての本作についても語りましょうか
……記事にはできなかったけれど、最近『さらざんまい』ってテレビアニメが放送されていたんですよ
カエル「あれ、急に話が変わった」
主「その監督の幾原邦彦って大きな事件やテーマを扱っていて、過去にはオウム真理教を連想させるテロ組織が物語で大事な意味を持つ物語も作ってきた。
その人が以下のような発言をしている。
『廻るピングドラム』や『ユリ熊嵐』の頃は、東日本大震災をはじめとして日本に”沈んでいる”ことが多くて、その空気がこびりついていたと思います。今、それを払しょくするために、さまざまな新しいイベントが組まれている感じがする。僕は新しいことが必ずしもいいことだとは思わないし、忘れることがいいことだとも思いません。”忘れない”ことも大事にしたい。
カエル「補足説明をすると『廻るピングドラム』は2011年『ユリ熊嵐』は2015年に放送されています」
主「この発言を引用したのは、自分も同じようなことを考えていたからだ。
自分はこのブログの中で『シンゴジラ』『君の名は。』などは震災以後の映画なのではないか? ということを言っている。それは今でも変わらないけれど……もちろん、作品の出来不出来はあるとは思うけれど、震災に対して言及した作品が届きづらくなっているような印象がある」
カエル「忘れてはいけないけれど、いつまでもそれにとらわれているのが正しいのか? と言われると……ちょっとあの津波で誰かを亡くした当事者ではない僕たちにはなんとも言えない難しい問題なのかな」
主「凪待ちは明確に震災映画である。
そんな震災を扱った映画の中でも、今作は大きなものの流れに逆らう、変えるのではなく、ただ”待つ”ことが重要だと描いている。
人生にも自然と同じように個人の力では抗いきれない時が必ず訪れる……その時にどのように対応するのか。
それがガムシャラに戦うのではなく、自暴自棄に堕ちるのではなく、嘆くだけでもなく、ただ待つというのも時には大事だと説くというのは……震災からもう少しで10年になろうとしている今の時期の震災映画として、多くの人に届きうる描き方だと思ったかな」
最後に
では、この記事のまとめです
- サスペンスやミステリーよりも人間ドラマとして楽しんでほしい!
- 香取慎吾をはじめとして役者陣の好演が光る!
- 人間ではどうしようも無い運命や業を描いた姿が強く胸に残る
- 震災映画として静かに待つことを説く姿勢が現代に響くのでは無いだろうか?
2019年を代表する邦画の1つです
カエル「本当は脚本についてとかも色々語ろうと思いましたが、長くなるだけなのでやめました」
主「いつもいつも語りますけれど、物語とは”祈りであり願い”なんですよ。少なくとも自分にとっては。それが溢れている映画ほど自分は高く評価する。
その意味では今作はこれ以上無いくらいに祈り、願いが溢れていた。
だからこそこれだけ高く評価させていただきました」
カエル「とても素晴らしい作品ですので、公開館数は少なめでですが是非とも劇場で見て欲しい1作です!」