今回は福島原発事故を描いた話題作『Fukusima50』の感想記事になります
また、難しい題材じゃなぁ
カエルくん(以下カエル)
「えー、先に言っておきますが、この記事のメインは”映画としての評価”です。
あの当時の民主党政権の対応などを語るつもりはありません!」
亀爺(以下亀)
「こんな当たり前のことを予め言っておかないと、”ネトウヨ・パヨク”と言われるつまらん世の中じゃからの」
カエル「うちは自民党も民主党も支持しているわけではないんだけれどね……
な〜んか、映画の評価の話が、いつの間にか政治の評価の話になっていることも多々あるよねぇ」
亀「どう書いても叩かれるかもしれん記事ではあるからの。
というわけで……のんびりと始めるとするかの」
佐藤浩市×渡辺謙主演!映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)予告編
感想
では、Twitterの短評からスタートです!
#Fukushima50
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年3月6日
とても難しい題材をエンタメと伝える役割、政治的バランス、史実と虚構とあらゆる面に配慮した作品だった
言葉は悪いかもしれないがシンゴジラを観るようで面白かった
人間ドラマの多さは苦笑したが、理解できなくはない
この時期に公開する意義は大いに感じる作品 pic.twitter.com/UtOUX8GCZI
この難題を色々とおさえながら制御した形に見えるの
カエル「誰もが東日本大震災や原発事故を扱った映画を! と思いながらも、どこもやってこなかったというのは……やっぱりそれだけ難しいってことなんじゃないかなぁ」
亀「日本においては政治的イデオロギーが直接的に描写される作品は倦厭される印象がある。
これは、映画業界が及び腰だからだ! と言われがちではあるが……ワシは当然のことと思うがの。どこも政治イデオロギーで文句を言われ、あわや炎上騒ぎとなるような真似はしたくないし……実際、余計な論争を巻き起こしてしまった作品もここ数年でいくつかある」
カエル「『万引き家族』や、今作の監督を努めた若松監督の前作『空母いぶき』も映画の内容よりも政治イデオロギーで評価されて、色々言われてしまったよね……
亀「どうしてもこの題材をする描くとなると、当時の政権である民主党の対応であったり、あるいは菅元総理大臣の判断の是非について触れなければならない。さらに言えば、この映画をダシとして政治論争を行う輩まで出てくるじゃろう……まあ、菅元総理大臣自身がTwitterで当時野党であった自民党や、安倍総理大臣を非難しているのじゃがな」
そういうことが、若者の政治離れや政治不信を招いている部分もあるんじゃないかなぁ
色々な思いがあるだけにバランスが難しいわけじゃな
亀「政治的なバランスだけではない。
事実と虚構のバランス・エンタメと伝える目的のバランスなど、多くの配慮が必要とされてしまう題材でもある。
おそらく、多くの批判意見が出るじゃろう。その中には映画的な評価ではなく、イデオロギーによる偏見であったり、当時の状況や報道と違うというようなものあるじゃろう。ちなみに、これは右派・左派も関係なくの。
だから、万人が絶賛する作品には難しい。
ワシもいくつか違和感のある部分はあるし、ここは改善して欲しいと思う部分もある。
だが、そんなことは誰でもわかっていることであり……この映画を制作した心意気、そしてこれだけの作品を作り上げた手腕と熱意、そのバランス感覚に関して、ワシはまず称賛の声をあげたい」
映像表現の迫力とエンタメ性
題材が題材で、あれだけ多くのかたが亡くなった災害・事故でこういうのも憚られるけれど……単純に面白かったんだよね
特撮映画を見ているような印象を受けたの
カエル「それこそさ『シンゴジラ』を連想する人も多いと思うんだよ。あの映画は東日本大震災から5年が過ぎて、ゴジラという存在に津波などの災害であったり、原子力のメタファーでもあったわけじゃない?
少なくともうちはそういう見方をしていて……すごく恐怖感がある一方で、美しくて見惚れてしまったというか。
その感覚に近いものが、この映画の……特に津波のシーンであったんだよね」
亀「それこそ『シンゴジラ』でも力を発揮していた、白組のCGモデリングのレベルの高さが出てきた形じゃろうな。
実際の津波の映像も流れるし、ニュースなどで嫌というほど見たと思うが……ああいった恐ろしい印象はあまり受けなかった。それよりも、もっとエンターテイメントとして面白く、事実を基にしているものの、あくまで虚構の映像であるということを意識しているようにも感じられた」
この辺りは個人個人によるのかもしれないけれど……なんとかしよう! という思いでみんなが立ち向かう姿が、エンタメとしても十分面白いんだよね……
だが、それでいいのか? という思いもあるの
カエル「難しいバランスだよね……面白いってことは、それをエンタメとして面白く見せようという意図が働いていて、あの数日間をそのまんま伝える役割と果たしきれているのだろうか? という思いもあるんだよ。
だけれど、一方で面白くないと誰も見ないけれど……」
亀「……見ているときはさほど気にならなかったが、この映画はやはり”映画の流れ・フォーマット”の上に成立しておる。つまり、この映画で強調された危機というのは、映画的な流れ……終盤の大きな盛り上がりのために”作られた”ものであるということじゃ。
だからこそ、この映画の全てがリアルであり、事実を完全に踏襲していると捉えるのは非常に危険なことと思う。
もちろん、多くは事実を基にしているのであろうがの……」
カエル「”この映画で描かれていたから本当だ!”ではなくて、”本当にこうだったのだろうか?”という冷静な疑問や違和感を抱いて、一度自分の中で咀嚼する姿勢が大事な映画だよね」
政治的なバランスの描き方について
じゃあさ、件の政治の描き方のバランスについてはどうだったの?
ワシは、比較的中庸な作品のように感じられた
カエル「物語は現場を中心としていることもあって、吉田所長などの現場の人を正義側、本店(東電本社)や政権側の人を対立する相手として描いていたよね」
亀「これはあくまでも”現場からの視点”であり、あの状況では誰も正解がわからない以上、混乱してしまうのは致し方ないところである。
では、民主党政権や菅直人元総理大臣以外であれば、きちんと対応できたのか? と言われると……それもわからない、といったところじゃろう」
カエル「映画としては本店や、特に総理大臣の暴走というか、揶揄が印象に残るように作られているよね」
亀「基本的に政治モノは政権や権力者、上層部に慮るようなものにはなりづらい、ということもあるじゃろうがの。
これが政権側が自民党だろうが公明党だろうが共産党であろうが、その姿勢そのものは評価したい……まあ、その意識が暴走してしまうこともあるがの。
また、この映画は一種のお仕事モノの視点も含んでおる。
お仕事モノもまた、現場の人間をピックアップするのであれば、敵は上層部になりがちな部分もある。
そのために、対立する存在として強調された……いわば作為的なエンタメ部分じゃな」
それを踏まえてもバランスが良かった、と思うんだ
特に総理大臣の描き方かの
カエル「最初の方は支離滅裂な行動をして、現場を混乱させた張本人という印象もあったけれど……」
亀「その認識はワシも抱いた。
しかし、予告でも使われているように東電が撤退しようとしたときに、総理が檄を飛ばすシーンがある。
そこにおいて、挫けかけた東電社員の心に再び火をつけたのは、紛れもない総理大臣じゃな。
最悪の敵だと思っていた存在が、実は英雄たちの心を奮起させるきっかけになる……これはなかなか、物語としても面白く、バランスものいい描き方だと思わないかの?」
カエル「そういう見方もあるのかなぁ」
亀「様々な日本の問題点を浮き彫りにする映画でもあり、また政治的配慮やバランスを考え過ぎた結果、却って変になっているところもあるかもしれん。
また東電幹部というのは……どこの大手企業もそうなのかもしれんが、上に行けば行くほど、政治力の世界になっていく。
穿った見方をすれば……この映画の存在そのものが国会議員・東電幹部・東電現場社員とその家族・そして一般国民への配慮の塊であり、日本の今を象徴しているとも言える。
どの視点でたってもモヤモヤするものもありつつ、ある程度は許容できるようにバランスをとっているという印象じゃったの」
カエル「この辺りは『空母いぶき』もそうだったけれど、監督のバランス感覚がうちとなんとなく合うのかもしれないね」
人間を描くことを重視
で、あとは批判ポイントで挙がりそうなのは”ウェットな人間ドラマの多用”ってところかな?
ここはワシも辟易とした
カエル「『シンゴジラ』を引き合いに出す人は多いだろうし、うちも真っ先に連想した作品だけれど、でも人間ドラマの量が全く違うよね……。
しかも、泣かせよう、感動させようというウェットなドラマが多くて、そこがノイズになったかなぁ」
亀「ただし、この映画で描こうとしたものを思えば、それはそれで正解のようにも思える。
つまり……”あの時、何が起きたのか?”という現場の問題。
そして”現場で働いた人たちの人間性や、内面に迫る”というものじゃな」
カエル「その人間性に迫り過ぎた結果、あんなに人間ドラマが多くなったと……」
亀「ワシは、この映画を見て『SHIROBAKO』を連想した。というのは……リアルな会社や業界・本作に関しては”あの日”を描こうとすればするほど、どこかファンタジーのようになってしまう。
ワシは『SHIROBAKO』も本作も、1/4ドキュメンタリーと思っておる」
カエル「つまり”本当のドキュメンタリーではなくて、作為的に制作されたもの”という意味では半ドキュメンタリー。
さらに”現場のあって欲しい姿、希望や理想を多めに描く”ことでさらに半分の、計1/4ってことだね」
亀「この映画は多くのプラントエンジニアには、発見や学びが多い作品となるであろう。
同時に”あんな職場はそんなにないよなぁ”という、やはり理想化された部分があると感じる。現実にはもっと不平不満をいう奴もいたり、和を乱すものもいたりするなどの問題もある。
それらは、ほぼ描かれず、人間ドラマを重視した……ここが、この映画のエンタメと伝えることのちょうどいい妥協点だったのではないかの?」
この作品があらわにした日本
いくつかの違和感
じゃあ、この映画に関するうちなりの違和感ってどこになるの?
う〜ん……やっぱり、ラストかなぁ
カエル「あれ、亀爺がどっかいっちゃった」
主「いやさ……自分の思いとしては”科学を怖がるならば科学的に怖がろう”ってことを重要視しているわけ。
まるで放射性物質をオカルトのように扱い、”触れるとすぐに人が死ぬ!”みたいに思っているように感じられる時もあるのね。
そんなわけないじゃんって。
濃度の問題なわけでさ」
カエル「それこそ、ラドン温泉とかって”低線量の放射線が体に良い”って言われていたわけだしね」
主「なんでもそうだけれど、濃いものは危険だよ。
水だって1度に大量に摂取すれば死ぬし、酸素も濃度が高くなりすぎると猛毒になる。
だから”放射線を正しく怖がる”ことって、とても大切なわけ。
放射線はお化けじゃない。
オカルトでもなければ、立派な科学だ。
だけれど、まるでオカルトのように扱っている人もいるように思うんだ」
何が起こるかわからない以上、その気持ちもわからなくはないけれどね
で、この映画のラストで描かれた”わからない”ってこともまた、科学なわけ
カエル「全ての事象が科学で完全に解明されたわけではない以上、わからないことはたくさんあるってことだよね……」
主「だけれど、まるで最後に”運・あるいは神の御加護”のように描くのは、ちょっとなぁ……という思いがある。
それは人間の設計した機械工学の結果とか、あるいはその場で奮闘した人たちの努力の結果、というならば理解できるけれどね。
もちろん、このラストもわかるよ……”人間に制御しきれるものではない”とか、あるいは”今の日本が存続できているのは奇跡だ”とかね。その意図もわかるし、間違いではない。
だけれど、わからないことをああいう風に描くのは……なんか、極端だけれど”病気が治ったのはありがたい水のおかげ!”みたいな、似非科学やオカルトを見ているようなモヤっとしたものもあったかなぁ」
現場主義国家・日本
そしてもう1つの違和感がここになる、と……
この映画ってさ、戦争映画みたいだなぁっと思ったのよ
カエル「戦場の恐怖と原発の恐怖を置き換えただけ、といえば、そうなのかもね。ある種のパニックムービーみたいな要素もあるし……」
主「見ている最中、日本軍が決死隊による玉砕をトップや上層部が指示し、若者や現場の人間が散っていく姿と重なってしまったかなぁ」
カエル「色々な思いが過ぎる映画ではあるよね」
主「同時にさ、日本の”現場大好き主義”っていうのも変わらないよなぁ……って。これはこれで、歪だよなぁ……
今作もそうだけれど、基本的に現場は悪く書かない。
悪いのは経営者であり、上層部。そういう傾向を浮き彫りにしたと思う。
そして、根性ややる気第一主義も見受けられた。
これって、戦争映画でも同じだと思っていてさ……映画というか、物語の王道ではあるものの、今作では作為的な印象もあって、本当にこれでいいのかな? と疑問になったかな。
どのポジションの人が、どう行動したのが良かったのか、あるいは悪いのか、それを再検証することはできなかったんじゃないか?」
やっぱり”映画的”というのがひっかかるんだね
あとは”理想のリーダー像”ってもののあやふやさを浮き彫りにしたようにも思う
カエル「特に総理大臣は自信がリーダーシップをとって……という思いが、非常に強買ったのかなぁ」
主「なんだか下に檄を飛ばして、みんなを引っ張っていくのが理想のリーダー像とする風潮もあるっぽい? けれどさ、実際のところは現場に関しては素人なんだから、黙っているのが1番だよねぇ。
結局、専門外の人が口出して混乱しかしてない。
普通は、一般社員は上層部が決めるようなこと……経営方針とかに口を出さないじゃない? でも上層部はなんでも口出すけれど……そりゃ専門外だもの、齟齬が発生するよ」
カエル「結局は
- お金を出す
- 責任を取る
- 口は出さない
っていうのが理想……ってあれ、なんか映画とかのスポンサーとの話みたいになっている?」
主「原発の是非もそうだけれど、もっと大きな……日本の文化や会社・社会のあり方の是非すらも問いただすような、大きな枠組みの映画となったのではないでしょうか?」